21 記憶のルール (花咲)
「ここにも書いたが、冷静というか、悟っているというか、とにかく感情の起伏がちょっと薄いような気はした。
そりゃあ、あれほど努力していて、有言実行で店長になることが決まったっていうのに、少しも嬉しそうじゃないんだからな。こっちとしちゃあ拍子抜けだったよ。
でも、だからと言って人が違ったと感じるようなレベルではなかった。田平は、田平だ。今受けている印象だって、当時の印象と違うかと言えば、変わらないと言える。
当時のことを憶えていない、という以外はな」
そう言って、煙草をくゆらせて少しの間考えていた佐藤さんだったが、何か思い出したというように付け加えた。
「おお、ちょっと待てよ。一個だけ引っ掛かったことがあったな。
お前が店長になってすぐに以前『ジャンプ』で働いていた三浦を連れて、『今日から『タイムオフ』で働いてもらうことになりました』と挨拶に来たんだ。
そこで俺が、何だ。お前たちずっと繋がってたのか、と冷やかしたら妙にふくれっ面になってさ」
「俺がですか?アヤがですか?」
「お前がだよ。お前らが付き合ってた話は知ってたから、じゃあ途中別れてたんだと聞くと『付き合っても、別れてもないっすよ』なんて言い出してさ」
「付き合ってない、って言ったんですか」
「そう。そしたらアヤが『私だって別れたくて別れたんじゃないよ』なんて被せてくるから、もう何でもいいや勝手にしろよって、帰したんだ。
その時は噛み合ってねえなこいつら、絶対近々別れるんだろうな、と思ったんだが、お前の話が本当という前提で考えると、そのお前の記憶にない奴からしたら、アヤと付き合っていたのも別れたのはお前で、俺じゃねえって意味なんだろうな」
なるほどそういうことか。佐藤さんの言うとおりだった。
ある意味バクのお蔭(カラオケルームの空白の1時間)でアヤと付き合うようになって、その後、別れるところまでは時間のジャンプは起きていない。
「ひとつ聞いていいですか?俺が正社員で入社した日、俺は何か戸惑っていたり、様子を聞いたりしていませんでしたか?」
「みんな初日だからな。そりゃ新天地で知らないことばかりだったろうが、お前が特に何かに戸惑っているような様子は全く見受けられなかったな。ごく普通にスタートしていたと思う」
ここでひとつ、はっきりしたことがある。
私には時間を食われている時の記憶がないが、記憶がない時の「田平時雄」には私の記憶がある、ということだ。だから違和感なく時間を繋ぐことが出来るし、周囲に馴染むことが可能なのだ。
検査時に真っ先に疑われた解離性同一障害(二重人格)では、「自己の記憶のない時には明らかに違う人格が登場する」というが、私の場合は瓜二つで誰からも疑いすら持たれない人格が登場している。
そして、その人格には私の記憶があり、何らかの目的を持った活動をしていると考えられた。