1 横槍。
メイン作品をサボって何をしていたかというと、これを書いてました。フェアリーキス大賞2に応募してます。
締め切りまでに完結させるぞ。
「魔王ダンタリオン。君は相変わらず、優秀だね。君が女でなければ、もっとよかったのに」
「……はい?」
いつもどおりに執務をこなし、定刻までまだ少し余裕を残してその日の分の決済を終えたころ、突然の来客が現れた。訝しく思いつつもとりあえずは応接室にてお茶を用意させ、向き合って座ったところへの一言である。
その相手が、本当に自分の知る者であるのか、ダンタリオンは一瞬、目と耳と全感覚を疑った。
「だって、そうだろう。突然の来訪にも関わらず、仕事は終えているし。茶菓子まで待たせることなく用意している。君が優秀な証拠だろう? こんな優秀な女性がいたら、男共は惑わされる、そう思わないかい?」
「……」
惑わされる。その意図するところが分からなくて、どう答えようかと迷ったが、相手は気にもせずに言葉を続けた。
「私としてはね。こちらの王女に、内政を任せたいと思っているのだよ。祖国に帰らない覚悟で来てくれた以上は、それなりの地位と役目を与えたい。どう、理解できるよね?」
「…まあ、そうですね。そういう考え方は、理解できます」
目を細めて、ダンタリオンは答えた。
あくまで考え方が、だけれど。そう、幾つもの思考の中にそういうものがあっても不思議はない、その程度には理解できる、と。しかし、何を言っているのだろう。どう考えても、先の発言に結びつかないのだが。
「だからね。君の一切を、彼女に引き継がせようと思うんだ」
「はい? ――そちらの…お嬢さんに、ですか?」
突然告げられた一言に、ダンタリオンは戸惑いを隠せない。よくよく考えると、他国の王女に対して不敬極まりない発言なのだが、誰もそのことには気づかない。そう、王女を連れてきた妖皇陛下さえも。
エレーミア妖皇国に於いて、初代妖皇の側近筆頭として百年近く、内政に勤めていた身である。妖魔としての力量もさることながら、持ちえる情報、使える人脈、それらは把握するだけでも相当な時間が必要だ。ましてそれを引き継がせようと思ったら、彼女が相当に優秀であり、ダンタリオンを超えるかもしれない逸材だと認めさせなければならない。人質として放出される程度の、政務に関する教育など受けたはずのない、若干十五歳の小娘である人間を、だ。
何しろこの国は、妖魔によって、妖魔のために興された国なのだから。
「彼女自身は優秀だよ、あの国では自分の未来がないと理解していたし。政務に携わることは彼女自身の望みでもあるから、ある程度のしごきには耐えられるさ。君が耐えてきたように、ね」
「――内政には、向き不向きがございますよ」
教育などは実践で鍛えればいいので別に無理だとは思わないが、資質だけは問題だ。どうしたって、向き不向きが出る。それ以上に、十五歳になってその判断が出来ないレベルだったらまずいだろうと、普通は考えないか。
それだけ言って、ダンタリオンは自分の心を閉じた。なぜか王女殿下が自分を睨みつけているので、不躾だと叱り付けたいところだけれど、妖皇――この国の最高位にある男の庇護下にある以上、自身にそれは不可能だから。
「今まで、ご苦労だった。業務の一切を彼女が引き継ぐので、君には退役してもらう」
「……そうですか」
ダンタリオンは答えながら、手にしていた硝子ペンのインクをふき取り、ケースに収める。とりあえず今日の執務は終わっていたのが幸いだ。面倒は少ないほうがいい。
「正式には、いつごろをご予定ですか?」
「次の舞踏会で公表するよ。――ああ、君もその場に立ち会ってもらうよ、それまでは国を出て行かないようにね」
「……? 半年で教育を終わらせろと?」
ずいぶんな無茶をいうなと思うけれど、まあ出来なくはないだろう。少なくとも礼儀作法は…いや、必要かもしれない。少なくとも上司となる人間に最初から喧嘩腰では、まともな人間関係が築けない。
「いや、教育自体はじっくりやるよ。…ああ、それと言い忘れたね。この部屋は今日中に片付けなさい。明日から、王女をそこに座らせる」
「……はい?」
その言葉に、ダンタリオンは眉をぴくりと震わせた。心を閉ざしているはずのに。
「少しでも慣れさせないとね。心配しなくても、今年の禄は予定通りに支払うよ。君自身も、夜会が終わったら国を出てもいいようにする。ああ、初代を探しに行きたいと言っていただろう、そうするといい。船の手配は任せてくれていいよ、ある程度は便りもあるからね。年金も用意したほうがいいね、下手に国外で術を使われたくないし。うん、そうなると長い旅だ。出仕しなくていいから、旅の準備を進めるといい。半年なんてあっという間に過ぎてしまうからね。――僕の温情だよ。君が醜い嫉妬に囚われることのないように、ね」
にこやかに傲慢に笑う男――二代目妖皇を見て、ダンタリオンは、笑って見せた。美しく、冷たい笑顔でまるで、愚か者と言わんばかりに。
「ジル、こちらへ来てくれますか」
呼びかけに答え、隣室から男が現れた。彼は魔王ではなく、この妖皇宮に仕する文官である。自分が魔王として内政を仕切ってこれたのは、偏に彼のお陰だと、常々感謝している相手だ。それをこんなふうに、手放さなければならないとは、少々残念であるけれど。
「聞いたとおりですよ。もう急ぎの書類はありませんね?」
あっても全て、彼女に回す。それくらいの意趣返しは許されるだろうと、言外に念を押す。
「ええ、問題ありません。…残念です」
それが自分の意を汲み取ってのものだとは分かるのだが、残念ながらそういった仕事はないようだ。
「では全て、今までどおりに。教育もお前に任せます」
「承知しました、ダンタリオンさま」
軽く頭を下げた彼に、指に嵌めていた印章を渡す。
「待て。それは内政の長を示す印章だろう。なぜ、彼女に渡さない?」
「わたしのときも、そうだったからですが?」
知らないのかという意味を込めて、ダンタリオンが首を傾げて見せる。
「これは、初代さまより内政官に与えられた印章です。ダンタリオンさまの執務に問題がなくなったので、預けていたまで。見極めどころか、教育から始めなければならないお子様に渡せるような玩具ではありませんよ」
ジルが妖皇に説明すると、王女は口をへの字に曲げた。その態度がジルの判断を正当化していることに、気づかないのだろうか。そんな思いを流しながら、片付けた硝子ペンとそのペン立て、インク壷を文庫に収める。
「――それは、国外の品だね」
目敏いなと一瞬だけ感心したが、さもありなんと否定する。紙を編み、漆で固めた箱など、この国にあるはずがない。
「お前がそんなものに興味を持っていたとは知らなかったが、どこぞからの贈り物なら置いていきなさい。この部屋の全ては」
「国外の品ではありますが、私物ですよ」
不敬など気にもせずに答えてから、少しだけ残念に思う。国で唯一、世界を飛び回っている外遊官から、折々に贈られてきた品々だ。彼からの報告書は面白くて、土産を贈られるたびにどうしようかと悩んでは、ジルに押し切られて結局受け取っていたが、これからはもう、その報告書も読めなくなるし、迷うこともなくなるのだろう。
彼女はどうするのだろう。他人に贈られた品を、どう扱うのだろうか?
「ダンタリオンさまと親しい方からの贈り物です。名前入りですが、確かめられますか?」
「へぇ。…誰から?」
「答える必要はありませんね」
ジルが突っぱねると、妖皇は面白くなさそうに口の端を歪めた。
ありがとう、とダンタリオンが心のうちで詫びる。本来は自分が突っぱねるべきことを、彼は代わりにやってくれている。彼は魔王の制約に縛られないから。
「まあ、そんなことが出来るのはフェネクスしかいないがね。…レディ、そんな顔をしないで。彼はお前の伴侶となるのだから。便宜を図ってくれる相手への配慮は魔王としても必要なことだし、昔のことだ。気にするものではないよ」
そういうこと、とダンタリオンは目を細めた。惑わされたとは、フェネクスのことを指していたようだと理解した。同時に、心を閉ざしていて正解だったと思う。どうやら自分は、フェネクスに懸想するこの小娘のために職を追われるらしい。それはまあ、あまりにも馬鹿馬鹿しい理由ではないか。流石に正気の状態だったら、激昂していただろう。それにしても、昔の女扱いとは恐れ入る。
(しかしこの小娘に、内政が勤まりますかね……?)
ジルたち文官の苦労が予想されて、ダンタリオンは軽く溜息を吐いた。何か言い返してやりたいところだが、上手い言葉が見つからない。しかもジルが気づいたのか、目線で自分を制している。
(――そう、ですね。同じ土俵に下りる意味もありませんね)
一人で来たのであれば相手もするが、保護者の影に隠れるような子供である。であればここは、面倒事になる前に引き下がったほうが得策というものか。ただどうにも気になるのは、今の一言のほうなのだけれど。
「二代目陛下。フェネクス様が伴侶とは、どういうことでしょう。あの方は永遠に外遊官であると、伺っておりますが?」
まったく、とダンタリオンは内心で苦笑する。それも合わせて目線を送ってきたのなら、よく出来た部下である。こちらの内心を、常に読み取っているかのような言動だ。実際、それくらい出来ても不思議とは思わないけれど――今は、素直にそれがうれしい。
「ん? 別に外遊官のままでも、伴侶は持てるだろう。決まった相手がいるわけでもないし、王女とも親しい。王女が内政を、フェネクスが外交を。もう、外遊官としての活躍の場も減ったことだし、今後は外交に力を入れてもらおうと思ってね。何、問題はないさ」
涼しい顔でそう告げる二代目に、ジルははあ、と気の抜けた答えを返した。気に障る答えであろうとわかるけれど、思いは同じなので諌められない。無理だ。あの魔王に、フェネクスに外交は勤まらない。いや、それ以上に――……。
「従わせる方法は、幾つでもあるよ」
「――っ」
無理だ。この男に、妖皇は勤まらない。妖魔であるというその意味を、理解していない。
口の端に登りかけたその言葉を無理やり飲み込んで、ダンタリオンは立ち上がった。
「おや。もう少し、粘るかと思ったが」
「必要ありませんでしょう。奥の者たちに声をかけたら、そのまま引き払いますよ。お話がそれだけでしたら、お引取りを」
あからさまな侮蔑を浮かべた笑みでダンタリオンを見つめた後、二代目は王女を伴って部屋を出た。
扉が閉まって後、ぶるぶると怒りに震えるジルを、ダンタリオンはぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう、ジル。最後まで、面倒をかけてしまいましたね」
「…全くですよ。何ですか、あれ。人間と関わって馬鹿になった妖魔なんて、初めて見ましたよ」
「んー……なんでしょうねえ、本当に……魔王を何だと思ってるのやら。ただの柱であるはずがないのに」
彼を解放しながら、ダンタリオンは笑う。
エレーミア妖皇国を支える、”七十二柱の魔王”と彼らは呼ばれている。
任命は最高位にある妖皇にのみ可能であり、廃位は出来ない。初代妖皇に聞いた際は、全ての魔王が埋まったら退位は可能になるらしいが、まずないだろうと笑っていた。まだ空位の方が多いくらいだし、初代はあまり魔王を作ろうとしなかったから、事実かどうかは定かではない。
任命の際には、魔王と妖皇国の間で盟約が交わされる。その内容は魔王本人しか知らず、任命する当人が知ることはない。”魔王はあくまで、妖皇国を支える存在だから”と、初代妖皇は言っていた。
彼と二代目がどんな契約を交わしたのかは知らないが、妖皇宮では”外遊官”として登録が成された。この役職はあくまで”諸外国を巡り、担当官が必要と思うことを成すための対外的官位”であって、通常の外交官とは一線を画している。というか、エレーミア以外には存在しないし、あっても普通は、裏役職のような扱いで極秘とされる
内政に関わることなど想定されていない。それを、無理やりに伴侶を押し付けた挙句に外交官として扱おうなど、馬鹿にもほどがある。
「無理やりかどうかは、わかりませんよ? フェネクスの好みかもしれませんし」
「は? 本気で言ってます、それ?」
「あーりーえーまーせーんー」
ジルに続けて、顔を出した少女が歌うように答えた。
「あの方はー、お子様に興味ないですー、絶対ですー」
メリッサ、とダンタリオンは苦笑する。彼女もまた、文官の一人である。
「お子様にというか、他の方にと言いますか」
「少なくともー、阿呆の子にはー、興味どころか嫌悪対象かとー」
まあそれはね、とダンタリオンも頷いた。報告書の中には、各国の王家、重鎮などの人となりが含まれることがある。それを見ている限り、彼が好むのは、賢く立ち回れる人間だ。あの王女がそれに当たるとは思い難い。少なくとも、あの二代目の庇護下にある限りは無理だろう。
「今は、そうでも。人間の成長は早いですから」
生まれ持った才能が開花すれば、何れは庇護下を飛び出して一人で立てるようになるだろう。そうなったときに、フェネクスが惹かれる可能性はあるのでは、とダンタリオンは自分の考えを告げた。
「……なんていうか、本当に自分に自信がない方ですね」
「うんー…あれだけいっぱい贈り物もらってるのにー……」
ぼそぼそと呟く二人を放置して、ダンタリオンは片づけを始めた。先ほど持っていくと言ったもの以外は、整理しておいていく。…そのつもり、だったのだが。
「ああ、そういえばこれ、フェネクスさまからの贈り物でしたね」
「ダンタリオンさまのお気に入りですねー。お持ちくださいね?」
「え。でもそれは、皆で使うでしょう?」
だってそれは、寝椅子なのだ。藤で編んだそれは確かに具合がよくて、仮眠には最適で、いつも誰かが使っていたのだけれど。
「借りてましたけどー」
「フェネクス様が泣きますよ!」
でも、とダンタリオンは困惑する。彼はこれを、捨ててもいいと言っていた。皆で使うことにしたと伝えてあるし、それで問題はないはずだ。
「一応、私たちも禄を戴いてる身ですので、新たに買い求めます。職人も育ってきましたし、作らせるのもいいでしょう」
「ですねー、人数分発注しちゃいますかー」
「全員で昼寝するんですね、わかります。あ、いいですね、文官には昼寝を必須にしましょうか」
それは虐めだ、とダンタリオンは内心で思う。まあ、それを受け止めるくらいの器量がなければ、内政の長など勤まりはしないので同情もしないけれど。
そんなふうに馬鹿話に興じながら、手が空いた面々が手伝いに追加されて、ほぼ全ての荷造りが程なく終わると、面白い事実が明かされた。
「……あの…これ、虐めでは……?」
執務室にあった品々は、その殆どがダンタリオンの私物と判明してしまったのである。けれどこれでは、立派な執務机と椅子以外のほとんどが、この部屋から姿を消すことになるので、それはまずいとダンタリオンが待ったをかける。
「えー、でもー」
「書物は実際、ダンタリオンさまが買い求められたものばかりですし」
「書棚はダンタリオンさまが買ったんですよねー」
それはそうだけれど、とダンタリオンが苦笑する。書物は各国に関する勉強をと思って、いろいろと。書棚は職人に弟子入りした妖魔が作ったと聞いて、品質の確認がてらに私費で購入したものだ。どちらも必要ではないので、ここへおいていくつもりでいたのだが。
「教育に必要な書ではないんですよ。彼女に譲るとしても、当分は先のことです」
「書棚はねー、次の職人さんのものを買ってもらいましょうー」
そう言われると、反論もし辛いのである。確かに、書物を買い求めたのは内政を把握した後、外遊中の彼からの報告書について理解するためであったし、書棚職人の励みになることを思えば、新しく購入するのは無駄ではない。だがそうなると、これらをどう片付けるのか。
「あれもこれも、全部私物ですね。書庫への出入り許可をいただければ、運びますよ」
「でも」
「運びますから、許可を下さい?」
「…はい」
有能な補佐官であった彼に、補佐されっぱなしの彼女が適うはずはないのである。