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カロン

作者: 錦木

 いつもと同じ景色。

 溶けこむように。

 いつもたたずむ背中。

 彼女には、なにが見えているのだろう。


『カロン』


「いいかげんにしろ」

 俺はイラついていた。

 床に張り巡らされたコードの間を飛び回り、歓声をあげながら幼児が走り回る。  

 部屋中に並べられた機器にぶつかるのではないかと気が気でない俺には目もくれずに。

 注意してやろうかと立ち上がると、ちょうどそこに能天気な声が聞こえた。

「マッキ―、交代の時間だぜっ。ほれ、屋台の昼飯―」

 まったく、こいつは。

「二ついいか、シバケン」

「なんだよ」

「屋台の昼飯は日本語的におかしい。それと、俺の名前はマッキ―ではなく、(たまき)だ」

「マキだって俺のこと、シバケンとか呼んでんじゃん」

「お前のはまだ名前の原型が残っているだろう」

 俺の隣に立っているへらへらした男の名は小柴(こしば)健太郎(けんたろう)

 大学の工学部二年生にして、俺とは小中高、果ては地方の大学まで進学が一緒という十年以上同じ学校に通っている。腐れ縁としかいいようがない男である。

「まあ、それはいい。十分の時間オーバーだ。早く交代しろ」

「おー、わりわり。つうか、なに。マキって子供嫌いな感じ?」

「嫌いじゃない。数学の定理や世の中の常識とやらの一部と同じで、理解できないものは苦手なだけだ」

「同じだっての。なんだよ、そうなら早くヨシノ先輩にパスすりゃよかったのに」

「そうしたいのは山々だったんだがな。ご覧の通り使い物にならない状態だ」

 並べたパイプ椅子の上で横になっている物体を指さす。

「二日酔いとかなんとかいってな。朝からずっとあの調子だ」

「なにこれ?どうやってやるの」

 幼稚園児くらいの子供が科学シュミレーションなんとかのゴーグルを鷲掴みにする。

 慌てて駆け寄ると俺はゴーグルを取り上げる。

 ああ。また指紋がベタベタと。

 幼児は当たり前だが不満そうな声をあげる。べそをかき始めるやつもいた。当然場の雰囲気は険悪になる。

 この問題にどう対処すべきか。

 臨機応変、状況対応という言葉から遠いところにいる俺は立ち尽くすしかない。


 その時、唐突に救いの手は差し伸べられた。

「こらこら、マキくん」

 見かねたように俺に声をかけてきたのはヨシノ先輩こと、芳野(よしの)三葉(みつは)

 白皙の美青年といった風貌の彼は、俺とシバケンの一つ上の先輩でシバケンと同じ工学部生だ。

「こわい顔しちゃダメだよ。君はもとから顔が険しいのだから」

「ヨシノ先輩。それは純粋な悪口ですか?」

 俺の睨みを完全に無視し、ヨシノ先輩は幼児に向き直る。

「ここは触っちゃダメだよ。手の跡がついちゃうから。こうやってかけるんだよ。そう、上手だね」

 ゴーグルの付け方をレクチャーしながら営業スマイルをふりまく。 

 これで大抵の人は言うことを聞く。

「わかったかな」

「はあーい」

 これは何といえばよいのだろう。

 小さい子やその保護者のおば様を引きつけるような。

 そう、アレだ。

 体操のお兄さんスマイルだ。


「顔が恐いわよ、マッキ―」

 顔がこわばっていたのだろう俺は同学年の天川(あまかわ)ナナからまで注意されてしまった。

「うるさい。苦手なもんは苦手なんだよ」

「だいたい幼児がオモチャ汚すくらい当たり前じゃんね。けっぺきしょー」

 潔癖症、と俺は天川の言葉を脳内変換する。

「あー、そういうのダメなんだよなマキは。部屋の掃除も三日にいっぺんやらなきゃ気がすまないタイプ」

「成程。要は綺麗じゃないと死んじゃうってこと。小さい男ね」

 後半は俺を見下すように見つめながらである。

 なんで同い年の女の子からもけなされなきゃいけない。

「綺麗好きで何が悪いんだ」


「だいたいこれは工学部の出し物だろ。なぜ理学部の俺が解説しなきゃならん」

 現に、この展示に関わっているのは理学部である俺と天川を除いて全員工学部の人だ。俺はシバケンに誘われて、まあやることもなかったので参加した。

 そういえば、何故天川はこの展示に参加したのだろう。

 まあ、元々いろんな所に顔を出すのが趣味のような不思議なやつだから興味を持ってのイレギュラー参加ということだろうか。

「そういわずにさ、マキは生物学科だろ。人の脳の動きとか興味あるんじゃないの」

 まあ、一理あるが。

 その時、後ろで耳に心地よいソプラノの声がした。

「ヨシノくん。サボっちゃダメですよ。せっかくこんないい教室かりることができたんですから」

「はいはい。全く、副委員長さんにはかなわないな」

「もう、やめてくださいよ」

 クスリと笑うと小首をかしげる。

「後輩くんも頑張ってくださいね」

 微笑むとその可憐な先輩は教室を出ていった。

 その名は、白井(しらい)柚梨(ゆり)さん。俺の天使。

 俺はしばらくその後ろ姿に見惚れて固まる。


 ユリさんがいなくなった頃を見計らってヨシノ先輩が口を開く。

「それでさ」

『カロン』の調整をしながら、顔も上げずに続ける。

「天使とはその後、なにか進展ないの?」

 なんで俺が心の中で天使と呼んでいることを知っているんだ。

 人の心を読むのはやめてほしい。

「進展って、なんですか」

「つまりさ、デートしたりチュッチュッしたりする申しこみしてないの?ってことだよ」

「ちゅっちゅっ、って…!」

 俺は絶句する。

「なにいってんですか、先輩!だいたい俺が求めてるのはそんな関係じゃなくて、もっとプラトニックな」

「あー、ハイハイ。プラトニックだかプラスチックだか知らないけどさ」

 先輩はのん気にペットボトルの茶をすする。

「ノンビリしてていいの?女心と秋の空だよ」

 一理ある。

 ぼんやりしている所から俺が我に返ると天川とシバケンがなぜかこっちを見ている。目が合うと、なぜか二人は頷きあった。

 次の瞬間、シバケンが俺の右の手を、ナナが左の手をつかむ。

 こいつらは何をしているんだ。

「せっかくの学園祭、楽しまなきゃソンなので」

「マキかりていきます。ヨシノさん、展示の見張りヨロシクお願いします」

 がっしりと両側からつかまれたまま俺は引き連れられて行く。

「いってきまっす」

「は?ちょっと、オイ」

 そのまま全力疾走するので、逆らう間もなく俺も走りだす。

 ヨシノ先輩が手をヒラヒラ振っているのが見えた。

「うん。たのしんでおいでー」

 わけがわからない。

 本当に、何なんだこいつらは。


「どこいくんだよ」

 黙って連れられていくのも(しゃく)なので、俺は走りながら尋ねる。

 食べてすぐなのではっきり言って気分が悪い。

 そのせいでいつもよりフキゲンな声になっていると思われる。

「中央館でさ。いねむりだかひるねだかっていうバンドのライブやってるらしいんだよ。見に行こうぜ」

「いや、別にいい」

「そういうなよ」

 俺の意見は無視か。

 それにしてもこいつは足が速い。

 さすが、『柴犬』だけのことはある。

 人の間をすり抜けるように俺らは駆けていく。

「だいたい俺バンドって興味ないんだけどな。人ごみもイヤだし」

「ユリさんもきっといると思う!」

 なるほど。

 それは見にいかないわけにはいくまい。


「よかったな」

「ああよかった。お前らがいなけりゃもっとよかったけどな」

 バンドが終わった後、終盤に入った文化祭の渦中をシバケンと俺、天川はライブの感想を話しながら歩いていた。といっても喋っているのは主に俺とシバケンだけだ。

 俺がシバケンと会話をしている間もくっついてきたが、なぜか天川はずっと黙っている。

 どこか、ふて腐れているようにも見える。

 こいつも何なのだろう。


「あ、ユリさんだ」

 不意に天川が言った。久しぶりに声を聞いたような気がした。

 確かに、校舎のベランダで立っているユリさんの姿が見えた。

 何をしているのだろう、と俺は足を止める。同時に思った。

 声をかけるなら今しかないと。

「俺ちょっと行ってくる」

「あー、じゃ俺とナナちゃん先帰ってるわ」

 シバケンが気をきかせてくれたので俺はおう、あとでな、とかなんとか言ってユリさんの元へ歩いて行く。

「こんばんは」

 俺が声をかけるとこんばんは、とユリさんも返してくれた。

 しばらく二人は黙っていたが不意にユリさんが言った。

「久しぶりに、夜空なんて見たな。ここから見える風景はね、まだ大学に入学したての頃、彗星(さとし)くん……、君のお兄さんと見た景色といっしょ」

 ユリさんは、ゆっくりと振り返る。暗闇でも分かる栗色の柔らかそうな髪が夜闇に翻った。

「きれい、だったの」

 言って、さみしそうに微笑んだ。

「俺じゃ貴方の隣には立てませんか」

 結末が分かっている言葉を俺は言ってみる。

「私は、あなたの隣には合わないみたい」

 案の上だ。

「奇遇ですね。……俺もちょうど、そう思っていました」

 あなたの隣に合うのは。

 あなたの隣にいるべきは、俺じゃない。

「ありがとう、環くん。声をかけてくれて」

 暗い中でも、ユリさんが笑顔なのはわかった。

 いつものように相変わらず、天使のように清らかで、可愛らしい笑顔だったと思う。

 

 それから、どのくらいそうしていただろう。

 気づくと、俺はベランダに一人で立っていた。

 背中の方で大砲に撃たれたような爆音があがる。

 何事だと後ろを振り向くと、夜空には輝く黄金の光の花が咲いていた。

 花火が上がっている。

 ということは、いつの間にか。

 学園祭も、今日という一日も、そろそろフィナーレのようだ。

 俺が花火に気づいたのとほぼ同時に後ろから声がした。

「結局、かっこつけ野郎なんだから」

 驚いて振り返る。

 いたのか。

 少し驚きつつ、振り返る。

「かぐや姫は無事に月の国へ帰れたのかしらね」

「かぐや姫ってなんだ?」

「知らないの、今日が何の日か」

 ナナは文化祭の屋台で手に入れたらしいウサギの面をヒョイと顔につける。

 手にはなにやら白い団子を持っている。

 俺はやっと理解した。

「今日、十五夜なのか」

 白い団子はおそらく飾ったりする月見団子だろう。

 しかし、手に持ったそれは食べられるものらしく、食べにくそうにしながらも器用に面をずらして食べている。

「知らなかったの?『カロン』の名前をそこから取ってきたってことも?」

「『カロン』?そうなのか」

『カロン』と言うのは脳の動きに反応して仮想空間体験が出来るとかいうもので、ヨシノ先輩が研究対象として作ったシステムである。

 小さい子供を中心に文化祭では大ウケだったようだ。

「ユリ先輩の気持ちにもさっきまで気づいてなかったみたいだし。本当にあなたって何も知らないのね」

「余計なお世話だ。それで『カロン』がなんだって」

「教えてほしい?」

 頷くとナナは俺の隣に立ち、月見団子を差し出してきた。

 食べろ、ということだろう。

 ちょうど腹が減ってきたところだったので、ありがたくもらう。

 食べながら、ふと気づく。

「ウサギのお面を付けた女の子」と「ベランダに二人きり」で「月見団子を食す」。

 どういうシチュエーションだ、これは。

 シバケンあたりなら大喜びだろうけどな、と俺は思う。

 なにしろ、ナナはけっこう、女子としてはイケてる分類に入ると思われる。口は悪いし、背は低いくせにプライドは高いからとっつきにくい人ではあるが。

「『カロン』っていうのは、とある小説で月に焦がれながら、月旅行に行けなかった主人公が最後の最後に月へたどり着くため乗った宇宙船の名前なの」

「かぐや姫と何の関係がある」

「かぐや姫だって最後には月に帰るじゃない。それも十五夜の日に」

 風船の空気が抜けるような音がした。鼻で笑ったのだ、と遅れて気づく。

「学園祭の日がちょうど十五夜だったから、ヨシノ先輩が名前を付けたんだけど。ロマンチックでしょう?」

「こじつけだな」

「まあ、そういってしまえばそれまでなんだけど。私はこの名前がけっこう好き。あのね、私がイタズラしたの」

 ぽつっと言ったので聞き流してしまうところだった。

「え、いま何て」

「さっき。わたしが、あなたをユリさんに会わせるよう仕向けたの」

「……そうか」

「怒ってないの」

「別に」

「……なんで、怒らないの」

 ギリ、と天川は歯を噛みしめたようだった。顔が見えないからわからないけれど。

「嬉しそうな顔しちゃってバッカみたいだって思ってた。ひどいやつでしょ」

「まあ、実際俺はバカだったからな。反省している」

「そんな言葉だけの反省なんて、私はいらない。ずっとこう思ってた」

 言葉を途切ってから天川は一気に言った。

「なんで、私の顔を見たときも、そんな嬉しそうな顔しないの」

 呆気に取られる俺を尻目に、今度は天川が顔を背けた。

「ゴメン。わすれて」

 そう言われても急に忘れられるものではない。俺は思わず気まずげに顔を背けて地面を睨んでしまう。

「下見ないで。こういうときはね、空を見上げればいいの」

 こういうときってどういうときだ。

 さっぱり意味がわからない。

「あのね」

 ナナは怒ったように声を大きくする。

「この空に比べたらあなたや私の考えてるグチャグチャしたことなんか、ちっぽけで!ほんとーに、小さいってこと!」

 何かが吹っ切れたように天川は叫ぶ。

 ああ、そうか。

 やっと納得する。

 慰めてくれているのか。

「少しは気分が晴れた?」

 俺は頷く。

 そして、俺は花火に見入っている彼女の横顔を見物しながら。

 いつもぶっきらぼうな彼女が送ってくれた言葉だからこそ。

 ありがとう、と。

 一応お礼は言っておいた。

 声は花火の音に流されて。

 聞こえたかどうかは、わからないが。


 学園祭後日。

「次のコンテストの企画書。一緒にグループ組むことなったからヨロシクね」

研究室で突然突きつけられた紙の束にタジタジの俺に笑顔と共に彼女が告げたセリフだ。

 コンテストとは大学主催の理系のための理系による研究発表会のようなものだ。

 グループ編成も、よりよい刺激でアイディアが生まれるようにとか何とかで学年の垣根が取り払われる上、専門が理学だろうが工学だろうが学部所属関係なし、人数制限もなしときている。

 まあ、ようするにほぼ何でもアリってことだ。

「お前がいるってことは優勝確実だな」

「バッカじゃないの。チョーシのんな」

 ぐるんぐるんと回転椅子を乗り回しながら、まんざらでもなさそうに彼女は言う。

 俺は企画書を持って立ったまま、あの日の姿に重ねて本日の彼女の姿を眺める。

 俺だけが知っている、天川ナナ。本当の彼女の姿を。


 なんだかんだで大学祭後の俺は彼女とよく一緒にいる。

 それが自分にとってピッタリの「今」に思えたからだ。

 ふむ、と企画書を隅から隅まで読んで俺は言った。

「面白そうだな」

「当然。私が考えてきた企画なんだから面白いのは当たり前なの。きっと盛り上がる」

 後ろを向いていた椅子を回転させ、振り返る。

 いたずらっ子の笑顔が、俺のことを見上げていた。


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