⑩思い残したこと(1)
8日目。
天使との連絡で、神様が私の転生を許したという話を聞いた。私は無事、人間に生まれ変わることができるらしい。しかし、私はもう少しだけ、現世に、シロとしていることを望んでいた。
理由は1つだけ。
私はもう、本当に、自分の家族や親友や、大好きだった人に、あえなくなるのだ。どんな形であれ、彼らに恩返しをしたかった。
だから私の2つ目の願い事は、1日だけ、別人でもいいから、人間となって家族や親友に、会いに行けるようにしてほしいということ。その願いはすぐにかなえられる。
――こうして私は住み慣れた自分の家のチャイムを鳴らしていた
「はい」
出てきたのは妹、彼女の名前が喉からでそうになるのをこらえ、私はあくまでも冷静を装った。
「こんにちは。あの、私、亡くなったお姉さんの学校の友達で…お悔やみに…」
「あ、お姉ちゃんのですか?」
「はい」
「どうぞ、お入りください」
住み慣れた家に、別人として入るのは緊張する。勝手知ったるがゆえに、ひとりでに歩きだしていきそうな仏間までの道を、あえて慎重に、妹の背中を見つめながら歩いた。
人気がなく、ひんやりとした仏壇にはもう、私の写真が飾られていた。たしかこの写真、夏休みにあいつの家族と、私の家族でキャンプにいったときに撮ったものだ。思い出は私の中で色あせることなく、しっかりと記憶として残っていた。
「お姉ちゃんは、どんな人だったんですか?」
「え?」
私は妹に、口を開くとそう尋ねていた。
「あなたから見た彼女は、どんな人だったのかなって」
「……おねえちゃんは、おねえちゃんでした。ずっと、私があこがれていた水泳選手で、そして羨ましいぐらいシロになつかれていました」
そんな、すごいお姉ちゃんだったかな……私。そこまで美化されても困る、と内心苦笑しつつ、話の続きを待った。
「正直言って、お姉ちゃんってあんまり言葉を発することってなくて。だけど、その分言葉にはいつも重みがあったんです」
私は、妹にとって……そんな存在だったんだね。
「あの、お姉ちゃんは…学校ではどうだったんですか?」
……学校、か。私自身のことを私に聞かれても、返答に困ってしまうが、ひとまず差しあたりのない会話で済ませよう。
「彼女は、本当に水泳一直線でした。妹さんも、水泳をされてるんですよね?」
「はい」
水泳は、妹に、やってもらいたい。大好きな妹にこそ、やってもらいたい。
その思いを伝えるために、私は握りしめた拳と、異様な速度で鼓動する心の臓を落ち着かせつつ、そっと、呟くように言った。
「きっとあなたのお姉さんは、きっと妹さんに水泳をやっていってほしいとおもいますよ。水泳をしている妹さんのこと、いつも話してましたから」
「お姉ちゃんが、私のことを?」
「将来はきっと、いい選手になる。だから、あきらめないで」
妹は、私の最後の言葉に、顔をあげた。驚いているのか、その顔にはあきらかに、困惑というか、戸惑いがうかがえる。
しまった。
私っぽい変な発言をしちゃった…
「…って、あなたのお姉さんだったら言ってたでしょうね」
慌ててこう締めくくると、妹は納得したようにしきりにうなずいていた。
言葉は、想いは――伝わったようだ。
「そうですよね、うん、がんばります!」
彼女の瞳には、うっすら、涙が浮かんでいた。
良かった……
さよなら、妹……頑張って、ね。
次に会うことにしたのは、親友だった。
「あの」
「はい?」
親友は突然見知らぬ少女に話しかけられたことに、驚いていた。それも当然だろう。
「私あなたの亡くなったお友達の従姉なんです。ちょっと彼女のこと、話とか、できますか?」
強引な理由付けだったけど、彼女は快く承諾してくれた。いつも、人懐っこい笑みで答えてくれる、彼女を見て涙が出そうになるのを必死に笑ってみせた。
親友が働いている喫茶店のテーブルに、向き合って座る。ここで話をしようと提案したのは私だ、ここには多くの思い出が残っている。
他愛もない世間話から、少しずつ、私の話に持っていく。
そんな中で、ふと、親友はこんな言葉を漏らして、俯いた。
「私、あの子が死んだとき、一瞬安心しちゃったんです」
「……それは……どうして?」
「あ、でも、すぐに後悔した……私、なんて、馬鹿な気持ちを抱いちゃったんだろうって。好きな人の話をしながら、2人とも同じ人が好きなんだってお互いなんとなく感じてて、でも、あの子のほうが彼に近かったのに、全然告白なんてしようともしなかった。きっと私のためだったんですよね」
知ってたよ、全部。ちゃんと、分かってるから。
でも、それはあんたのためじゃない、自分が彼との関係を崩したくなかっただけだから。
「……あなたのことを、彼女から聞いてました」
私は今の自分の思いを彼女に伝えた。私の言葉を、“従姉”の女性として。
「だから分かります……きっとあの子は、あなたのその気持ちを聞いたって怒ったりしないとおもいます。だって、結局死んだのはあの子であって、あなたではなくて。あなたは気持ちをその人に伝えられる。それなら、だからこそ!!あの子はきっと、あなたに、自分の気持ちに正直になってほしいんじゃないんでしょうか」
別人として話すから、少しややこしい。けれど、彼女はちゃんとわかってくれたようだ。
別れ際には笑顔で、私はあの子の永遠の親友です、って言ってくれた。
私にとっても、君は永遠の親友だよ。――栞。
それからお父さんとお母さん、そしておにいちゃんには、手紙を書くことにした。
自分の家に忍び込んで、自分の部屋で便箋を手にして。お気に入りの、買ってもらったばっかりの万年筆を使って書くことにする。
少し涙で滲んじゃった。
でも、きっと、これで想いは伝わるから。
天国からの手紙、とか言って大騒ぎしないといいけど。
【ありがとう】
私はそう、一言だけ書いたそれを机の上に置いた状態で、足音を殺して、静かに家を出た。
ありがとう、16年間
大好きだよ
みんな
戻ってきたときは、
どうして私ばかりこんな目に、とか
このまま猫のままでもいいかな、とか
そんなことを思った私も
今は、前に進まなければいけない。そう、思っている。
そう思わせてくれたのは、紛れもない、家族と、親友だ。
――思い残すは、あと、1つ。