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由無し一家  作者: しめ村
7/43

森の外

2014/10/13、前編と後編を統合しました。2017/04/25誤記修正

 こんな森の奥の、ご近所づきあい一つない環境で暮らしてるせいに違いない。

 ウルリカは、自分がどんなに美少女なのか、全く、全然、これっぽっちも自覚してない。

 偉い人に一目でも見られたら、間違いなく目を付けられる。その結果どうなるか火を見るより明らかだ。

 日本の時代劇でもよくあるじゃないか。お代官様が市井の美しい娘を見初めて無理やり召し上げようとするとか攫わせるとか、父親の商売とか家族の治療費とかでっち上げの罪の免状と引き換えに身を任せよとかいうやつ。もう絶対ああなる。スーパーヒロシ君を賭けてもいい。

 ウルリカ本人はさっぱりわかってないようだがね、あんな美少女を娘に持ったおじさんの用心は過剰でも杞憂でもないんだぞ。娘を狼藉から守るために護身術を叩きこみ、不特定多数の男の目に触れないようにしているのがわかりすぎるほど理解できる。私が親だとしても、ただ往来を歩かせるだけで不安を覚えるレベルだ。

 逆を言えば、そんな事態を避けるためにこんな人里離れた一軒家で父娘二人だけで暮らしているのかもしれないとすら疑っている。もしかしたら、世間一般にはここはおじさんが一人で住んでる家ってことになってるのかもしれない。だから本来の住人以外の人間がいると知られるとまずい、とかいった事情もあるのかも。

「確かに、もう一人の娘の方が見目がいいね。でも、雌の見た目はそれほど重要じゃないよ」

「……慰めていますか?」

「慰めなきゃならない悲しいことがあったのかい? 僕は事実を述べているだけさ」

 フォローのつもりもないお言葉を下さったのは、頭の上にせり出した枝に止まっているトゥトゥの雄。

 瑠璃色のとても美しい背と、黄色と白のグラデーションがかった腹が目にも鮮やかだ。でも確か雌は茶系の保護色仕様だったはず。元の世界でも自然界にはそういう女は家庭を守るものとの固定観念に縛られた配色の動物が多かった。そして確かに見た目の良し悪しで勝ち組と負け組が決するのは雄の方ではあったように思う。その辺の世の倣いはこちらの世界でも同じなんだろう。

「毛なし猿の間では、雌も見た目が大事なのですよ」

「雄が雌を見た目で選ぶとしたら、折角健康な若い雌がいても、それ以外の一部の雌を巡って複数の雄が争ったり、つがいを得られずに卵を産めない雌もいるということかい?」

「そうですよ。死ぬまでつがいがなく、子供もいない雌も毛なし猿にはいるのです」

「なんて非効率的なんだ。雌の真価は卵を産み、雛を育ててこそじゃないか。種の保存に反している。世の損失だ」

「あなたは、雌であれば、誰でもいいのですか?」

「僕たちは、雌の選り好みや分け隔てなんてしないさ」

 物は言い様だと思う。いや、これも彼流に言えば事実を言っただけなんだろう。

 この間喋りかけてきたあのチットの言った通り、私に話しかけてきた生き物は他にもいた。とりあえず、あれ以来それがわかるようになった。

 向こうは何かと語りかけてきていたのに、本当にこちらに聞く耳がなかったのかどうかはわからない。原因があるとしたらこないだの風邪っぴきくらいしか考えられない。種による制限は特にないようだ。

 面白いのは、彼らが話しかけてくる言葉というのが独特で、敬清とウルリカには全然聞こえてないようなので、私は最初テレパシー的な心の声だと思ったのだが、ちゃんと音声として発されている。私には、こちらの言葉で聞こえている。それがなぜかウルリカたちこちらの人間と会話するよりも理解しやすいのだ。むしろすんなり頭に入る。どういう理屈なのかはわからない。敬清とウルリカにさりげなく訊いてみたところ、普通に鳴いているようにしか聞こえないそうだ。

 色々試してみてわかったのは、植物の思念は、動物ほど直接的じゃないってこと。また、年月を経たものほど、思考が明確になるということ。一年で枯れてしまう下生えの草だとか虫とかは、本能に基づくはっきりとした意思を持ってはいるのだが、それを言語化して伝えられるほど語彙が豊かでない。

 一方、年古りた樹木というのは、圧倒的な情報量をその身に蓄積している。古木というのは大きい物だが、感じてみると実際の大きさ以上の巨大な存在であるとわかるのだ。一つ所に根を張り長い時をその身に刻んで、周囲の環境の移り変わりを、あるいは変わらない森の営みを、そこに関わる生き物の在り方を、時の流れの無限を、なんの虚飾もなくただひたすらにあるがまま蓄積している。ただ受け入れるだけの存在でありながら森の住人たちを守る存在であり、統べる存在でもあり、傍観者でもあり続ける。その流れの中から求める情報だけを汲み取るのは至難の業だ。家から500メートルほど離れたところにある、有名どころの神社で天然記念物に指定されてるような規模のそれに匹敵するモミに似た樹とか、魔境の所々で見たような巨木とかからその年輪に織り込んだ時を受け取れば、多分私はそれらを受け止めきれずに頭が破裂して死ぬだろう。それほどに膨大で果てしのない物だと早々に理解できたのは幸運だったと思う。

「さて、僕は行くよ。毛なし猿は面白いことを考えるとわかって面白かった」

 トゥトゥはからかってんじゃないのかと思うような感想を述べると、ぱたぱたと飛び去った。

「あんにゃろめ。言いたいこと言いよってからに」

「ねーちゃん怖え。てかマジ最近独り言増えてんぞ」

 敬清が呆れと心配のダブルコンボをプレート大盛りにした顔つきで近寄ってきていた。いつの間に。茂みにしゃがみ込んで一人薬草を漁っている私が、周囲に誰もいないのをいいことにぶつくさ独り言を呟いているとしか思えない悪態を聞き咎めたか。ここまでなら大丈夫とウルリカにお墨付きをもらったうえで、家から50メートルほど森に入り込んだだけだよ?

 なにも息詰まる展開でもないんだから、接近くらい知らせてほしい。私が通ったのと同じ茂みを踏みしだきながら、なぜがさごそ言わない。昔からかくれんぼは得意な子だが、最近どうも神出鬼没気味だ。はっ、まさかもう修業の成果が表れて、気配を消すなんていう一流の剣客みたいな技を身に付けたとでも?! うそだ!

 ……それとも私が目先のことに没頭しがちになって、勘が鈍っているんだろうか。病み上がりと呼ばれる時期はとっくに脱してるんだけどな。

「弟よ。おめえも姉がウルリカに比べりゃ地味じゃと思うじゃろうな」

「なんじゃそりゃ。今更すぎるわ。愚痴んなや」

 ……愚痴ってたわけじゃないやい。途中からそんな流れになっただけだ。おまえも事実の信奉者か、こんにゃろう! 姉はおまえの率直過ぎる意見と、可哀想な子を見る目に不貞腐れたよ。

 そんな弟の顔を見て、さっきトゥトゥに話した所感について思考が戻る。

 時々ここに来ているらしいイズリアルさんは、偉い人なんだろうけどおじさんの警戒対象の例外でもあるようだ。昔からの付き合いみたいだし、ウルリカの顔を見慣れているからか、彼女に逆上せている様子もない。

 わが弟の方がよっぽど参っている。

 面白いから見てるだけに留めてるが、ウルリカだってそのうち大人になったらお嫁に行くなりおじさんの後を継ぐ人をお婿に迎えるんじゃないのかなあ。少なくとも、あのおじさんのお眼鏡に適う男の人となると、敬清ごときでは太刀打ちできまい。そういうことになると、新婚家庭に居座り続けるのはまずい。

 いや、さすがにその頃には私たち姉弟も一人立ちができていると思いたい。この森で暮らしていくなら一人でも自給自足できる生活力を、街に出るなら言語力と手に職を付けられる技能を。

 どちらにしても、家庭医学の知識を深めて無駄になることはないはず。生まれてはじめて風邪で寝込んでこの方、こういう事態に対応できるようになりたいと思って、こうして図鑑片手に薬草漁りに精を出している。

 あの時は森の薬草のことをよく知っているウルリカが私の看病をしてくれたし、おじさんが森の奥からよく効く薬草をわざわざ取ってきてくれた。だから私は速やかに回復できた。でも、逆だったらそうはいかなかったろう。もしウルリカが倒れたら、私と敬清ではどうしていいかわからずに、汗を拭いたり濡れたハンカチをおでこに乗っけたり、水を飲ませる程度の気休めしかできなかったろう。治療のための肝心な処置はできなかったろう。ここらへんでは食材としてのお米がないので、病人食の定番のお粥すら作れやしない。そしておじさんに全部任せっきりになっていたに違いない。その間に私たちの処置が遅れたり間違っていたりして、ウルリカの身に取り返しのつかない後遺症が出たりしたら……考えるだけでも恐ろしい。

 そういえば私の病み上がり時に、ウルリカが多分あれはオートミールなるものであろうと思われる、なにやらどろっとしたものを作ってくれた。料理上手なウルリカの作品としては例外的に、また食べたいと思う味ではなかったことを付け加えておく。

 最初に出してもらったパンからしてそうだったけど、この世界は芋以外の炭水化物がおいしくない。

 麦の親戚らしきお粥とパンの材料はもちろん、豆も固すぎて2日くらい水に漬けこまなきゃ噛めもしないし、いやそれは前の世界の各種豆類も同じことだったけど、味は違った。小豆も黒豆も大豆も、味付けこそ必須だったものの、それ独自の旨みというものがあった。ああ、枝豆食べたいなあ。お米って掛け値なしに日本人のベストオブ主食なんだなあ。故郷の農作物がどれだけすぐれていたかを、今になって異世界で噛み締めるとは。

 他の人は、森の外では人はどんな暮らしをしてるんだろう。お医者さんはいるんだろうか。街でならちゃんと診てもらえるんだろうか。それともお医者さんにかかるには莫大なお金がかかって、庶民には手が届かなかったりするんだろうか。

 なんにもわからない。私たちは、この世界の常識をなんにも知らない。でもって、この家回りで教わることというのもまた、この世界の常識をフォローしきれてないだろう。

 できれば、参考までにいっぺん人里を見てみたい。

 ウルリカ達の家族としてこの家で育ったお兄さんが森の外で職を得ているということは、別に外に出てはいけない一族の掟だとかがあるわけでもないんだろう。私はウルリカみたいに誘拐の心配をしなきゃならない見てくれでもないし、いっぺん街に連れてってと頼んでみてもいいかなあ。

 そうそう、お兄さん。

 お兄さんが行動を共にしているからかな、イズリアルさんを迎える時にはおじさんも引っ込んでろとは言わないのだ。

 それって、すごく一家に信用されている人ってことじゃね?

 そんな人だからこそ、ウルリカのお婿さん候補足り得るんじゃないか?

 お互いそういう感情があるようには見えなかったけど、念のために今度聞いてみよう。言語力をもっと磨かないと、そう言うこみ入った話も振れないしね。うん、がんばろう。動機が不純だなんて言っちゃいけない。目標があるっていいことだよね?


 私はイズリアルさんたちが持ってきてくれた近隣の地図を開いた。

 北を上として書かれているのは日本で見てきた地図と同じ。地図の左上は空白になっていて、魔境と書かれている。私たち姉弟が最初に迷い込んだ変てこ動植物の楽園だ。

 そこを取り巻くように四分の一分割された円周状の帯半ばから地図の上半分を埋め尽くす黒ずみは、辺境の森と記されている。

 こちらは、わりと普通の森。私たちの家は、地図を見るに魔境と森の外側との中間くらいだそうだ。

 辺境の森の縁をなぞるように引かれた境界線のような筋はリュストン川という。

 辺境の森の円周四分の一部分と地図上部五分の一部分で分岐していて、森を縦に二分割して蛇行しながらも地図の真下まで続いている本流と、地図上部の左側に消えている支流とに分かれている。それらも毛細血管みたくたくさん分岐している。

 ただし、省略されているものも数多くあるそうだ。うちが洗濯場としてお世話になっている小川とか。

 それら以外に地図の上半分には地名の記入はない。

 ちょうど真ん中あたりで森は途切れ、そこをぶち抜いて飛び出したリュストン川本流沿いに城壁みたいな図が書いてあって、ヴォジュリスティと大層げな都市名が一際大きく添えてある。地主さんの館があって、城下町があって、この近隣では一番大きな街なんだって。

 イズリアルさんとお兄さんは普段ここに住んでいるそうだ。でもお仕事が忙しくてあんまり帰れないらしい。

 徒歩でなら3日以上かかる距離だという。マズリは乗獣の中でも屈指の速度と持久力を誇る動物で、それに乗るから即日中にここまで着けるのだとか。

 お兄さんが休暇で里帰りするならともかく、イズリアルさんがそこまでして頻繁に遊びに来てくれるのはなんでかね。森から一歩も出ないおじさんたちのために、街でなければ手に入らない物資を届けてくれているってのはあると思うけど。

 街からは白抜きの線が放射状に南に向かって伸びていて、幾本もあるそれら一本一本が固有名詞のついた街道であると知らせている。クモの巣のように街道が交わる所々に、小さな町や村がこまこまと書き込んであった。

 街から上に向かう道、つまり私たちの暮らす森に続く道は一本もない。

 これを見るに、理由は分からないが、私たちは世を疎んじた隠遁生活を送っているも同然のようだ。

 おじさんの仕事が特殊なものらしいこともあるだろうし、ウルリカのこともあるだろう。

 でも、ちょっと人里に行ってみたいなあ、街の空気を吸いたいなあ、なんて思うようになってしまったのは、贅沢になった証拠だろうか。



「お兄さんは、どうして森のお外ですか?」

 次にお兄さんがイズリアルさんと一緒に物資を持って来た時――私の感覚では一月に一度くらいの頻度で来ている。ただしあちらとこちらでは暦が違うので、はっきりした区切りはわからない――、私は彼の側に寄ってって、訊いてみた。

 お兄さんはまじまじと私を見下ろした。ちょっと、意味が通じなかったようだ。

「どうして、お家から離れて、イズリアルさんのお家で働きましたか?」

 言葉を選んで言い直す。文法の乱れはまだまだ矯正の必要大であることは自覚している。しかし、そこでコミュニケーションを諦めたらいけないと思うんだ!

 表情に乏しい高身長のお兄さんに黙ったまま見下ろされると、かなりの威圧感。でも怖いのはぱっと見だけなので、私ははっしと視線を受け止め、まだ何にも分かんないんです異文化圏の子供だからと言わんばかりの無邪気を装った徹底抗戦の構えで見つめ返した。おじさんと一緒で、質問すれば答えてくれる気質はもうわかっている。未だに見定めるかのように、一定の距離を取られている気はしているけど。

「……見聞を広めるためと、父が地主に雇用されている縁で、俺も地主の元で働くよう誘われた。簡単に説明できる理由はこのくらいだ」

 つまり他の理由もまだあるということですね。まあ、事細かに説明されてもまだ理解できないと思うのでいいや。

「どんなお仕事ですか?」

「イズリアルの手伝い。他、建前で用心棒」

「タテ……縦、前? 縦横斜め?」

「建前。形式的」

「かたち? まるやしかくですか?」

「違う。表向きの理由ということだ」

「表に向く? 建前、形式的……ああ、わかりました! 表向きですね! わかりましたのです!」

「彼はキシだ」

「キシ……技士?」

 なにやら聞いたことのない単語が飛び出したぞ。首を捻る私の反応に、お兄さんは少々困惑した様子だ。天を仰いで額を抑えてしまった。こう、「あっちゃー」と言わんばかりの姿勢と言えばおわかりだろうか。むむ、もしや常識の範疇内の情報だったか?

「……騎士がわからない? 軍の人と言えばわかるか? ……そうだな……地主から適切と認められた上級の役人だ」

 私がなんにも答えないうちに、わかってないことを察して別の言い方で訂正してくれたのは優しさだと思う。それでも分からなかった場合、大変恐縮ですが質問を重ねます。分からないことをわかったふりしてそのままにしておくと、後で大失敗をしかねないし言い訳も立たないし、場合によっちゃ禍根を残す。

「戦う人ちがう、前言うましたよ?」

「イズリアルの場合は、本当の仕事は他にあるのだ」

「二重就労ですか?! それはいいのですか?! 私の場所では、りっぱな仕事先ほど、それは怒られます! がっこうでも、許可なくバイトをしてはいけませんでした!」

「なぜ急にぷりぷりする。お前の故郷のことではなく、イズリアルの仕事について話している」

「……そうでした。お話の腰肉を斬りました、申し訳ございません」

「おまえの言うことは時々意味がわからない」

 あくまで真面目な顔つきでそういう受け答えをするお兄さんの考えていることも、私にはわからないですよ。同じです。

「彼の家は、みんな戦うも仕事の一つだ。たくさん仕事がある」

 あ、やっと意図するところを掴んだかも。いわゆる兼業というやつなんだ?

「お侍、お武家さま? 格の高い公務員? お大名……?」

 そこに、イズリアルさんになにやら書付の束を渡して説明していたウルリカが来て、助け船を出してくれた。

「自分の縄張りに住んでいる人を安全にする仕事の人です。群れの一番の人です」

 なるほど!

「イズリアルは念力使うもする。自分守る戦う、強い。本当は用心棒、必要ない」

 つまり侍だね。二人とも剣を使い慣れているふうだから、そうじゃないかとは思ってた……てか、念力? 念力ってあれか、手力か?!

「ねんりきとは、お匙を曲げたり、美女が空を飛ぶですか?」

 どうやら私は非常に突飛なことを言ったようだ。ものすごく胡乱な眼差しで見られた。そうですね、スプーン曲げもイリュージョンも強さとなんら関係ありませんね。戦いにも役立つような、昔話とかで選ばれた人が揮った、天変地異を起こしたり神の奇跡を代行したりするようなものなのかも。

「お兄さんもねんりきですか?」

「いいや」

「念力なくても、お兄さんは強いんですよ!」

 あっさり首を振ったお兄さんのフォローのつもりなのか、ウルリカが殊更にこやかに言う。うん、そりゃそうだろう。こんだけおじさんに似てるせがれだもん、これで弱っちかったら逆に称賛する。意表を衝かれた的な意味で。実際かなりの力持ちってことは、今回含む3回の来訪での荷運びだけでも十分わかるし、立ち居振る舞いに隙がないのが、素人目にもはっきり分かる。私はお兄さんに対して、昼行燈の浪人が爪を隠しているという印象を持っている。図らずも妹の証言が、私の考えを裏付けたわけだ。

「すごいですね、強いですね!」

「父には及ばん」

 さくっと言われた答えだけど、なんか含むものがあるような気がした。

「お兄さんとイズリアルさんが暮らしている場所は、大きい街です。大きい街ですね? 地図を見ました」

「……森の外に興味があるのか?」

 鋭いなあ。そう言うお兄さんの口調は、その事態をあんまり歓迎してないみたいだ。ウルリカも、とたんに気づかわしげな表情になる。私たちが森を出ると、何か都合が悪いんだろうか。

「シオネ、おうちの向こうは危険がいっぱいです」

 そんな、聞き分けのないはじめての姪っ子に言い聞かせる親戚のお姉さんみたいな口調で言われても。ほんと心配性だなあ。

「おまえたちは、まだ、森を出る準備ができていない。最低条件として、言葉を上手に話せるようになることだ。それから改めて父に頼め」

 日常会話くらいはできるようになったと自負してたんだけどな。まだまだか。

 それとも、この辺の人里では、言葉が通じにくい人は警戒されたり排斥されたりとか、するんだろうか。そこまでいかなくても、物珍しかったりで悪目立ちしたりとか?

 うちの実家はすんごいど田舎だったから外人さんは一人も見かけたことがなかったけど、いたら絶対浮いて見えただろうし、こちらもどう接していいかわからなくて遠巻きにしてしまっていたかもしれない。閉鎖的な環境下の人間はそういう傾向が強いって聞いたことがあるし。

 今の私と敬清の立場がこんな感じだとしたら、人里に行ってもあまり居心地の良い滞在にはならないだろうとは思う。

 それを思うと、ここで最初に出会えた人々が、こうして親切にしてくれるおじさん一家だったのはとても幸運なことだ。

「わかりました。もっとたくさん勉強をします。お兄さんもたくさんお話をしましょう」

 お兄さんは少し目を見張って、少し笑いに近い顔をした。目を細めたその顔は、お兄さんの表情の中で一番おじさんに似ていると思う。


 ところで、念力を使うというイズリアルさんは、いわゆる超常現象についても造詣が深いだろうか。

 私が森の動植物の言葉を聞きとれることについて、何か納得のいく説明をしてくれるんじゃないだろうか。

 敬清がお兄さんにまとわりついて稽古をつけろとうるさいので、私は今度はイズリアルさんのところへ行った。

 彼は家の前に出した床几に腰掛けて、紙束をはぐっているところだった。あれ、その書類見たことあるぞ。おじさんが毎日仕事から帰ってきてから持ち歩いている綴りだ。晩ご飯の支度が遅くなった時とかには、ご飯ができるのを待つ間に食卓で書き物をしてるのを何度か見た。多分日報みたいなものなんだと思うけど、あれおじさんの仕事に関する書類なんじゃないのかな。お客さんが見ていいもんなの? あ、いや、それとも、イズリアルさんもおじさんの仕事に関係のある人なのか? おじさんを雇ってる人が地主さんで、イズリアルさんは地主さんのせがれだから……あ、なるほど。

 そうだったのか。イズリアルさんはお役人なんだ。さっきお兄さんも言ったじゃん。おじさんの仕事の査定とかのために、定期的に来てるんだ。遊びに来てたわけじゃなかったんだ。

「やめておきなよ」

 頭上から声が降ってきて、思わず上を見た。いつ来たのやら、最近知り合ってよく話すトゥトゥが、家の屋根に止まっていた。

「まあ、トゥトゥだわ。家まで来るなんて初めてじゃないかしら」

 ウルリカが上げた歓声に注意を引かれたのは、私とイズリアルさんだけだった。希望通りお兄さんに扱かれている敬清は、珍しい鳥が囀ったからといって、手を止めてこっちに来られるほど暇ではないし、お兄さんも然りだ。

「相変わらずいい色だな」

 イズリアルさんの感想には、感心すると同時に、値踏みするような含みがあった。きれいな羽根はいい値で売れるからだ。図鑑のトゥトゥの項目にも書いてあった。

 私たち三人が見上げる中で、トゥトゥは天を仰いで鳴いた。私を見てはいなかったけど、私に向けて言われたものだとわかった。

「その毛なし猿はここの住人じゃないんだ。掟に反するよ。最初に黄イタチにそう言われたでしょ。この森にいられないよ」

 私はしばらく、その言葉の意味がわからず立ち竦んで黙った。じわじわと理解が広がる。

 この奇妙な会話についてを他の人に明かせば、それは森のルールに反するということなのか? 森の掟と礼儀を誠意を尽くし守るならばと、最初にチットから言われてた。それがこのことなの? 生き物たちの信頼を失うことになる? このまま森で暮らすか、森を出るか、どちらか一つを選ばなきゃいけないことになる?

 ……イズリアルさんとお兄さんに森の外の様子を聞いたり、地図を見て世界の広がりに思いを馳せると、やっぱり外を覗いてみたいと思ってしまうのは確かだ。人恋しさや文明を懐かしむ気持ちや、この世界の街ってのはどんなものだろうという好奇心から街に憧れる気持ちは消えない。

 この森の家での生活は決して暇ではない。無数の生き物がひしめく森での暮らしは変化に富んでいる。慣れ親しんだ田舎暮らしに近い。ずっとここで暮らしていければいいという気持ちもまた、確かに私の中に根付いている。

 なにより、この森の家は、この世界においてたった一つの拠り所なのだ。3か月近くを暮らした。おじさんとウルリカがいる家。言葉の通じない私と弟を受け入れてくれ、親身になって世話を焼き、何も知らない私たちにこの世界のことを急かさず教えてくれている。

 そこへ帰れなくなるというのは、今の私たちにとって何もかも失うに等しい。

 ああ、少しは知ったかぶった気になって、よその土地に行っても大丈夫なんじゃないかなんて思っていたけど、とんだ間違いだった。少しばかり視界が広がったつもりになって、完全に思い上がっていた。

 ウルリカとお兄さんの言った通りだ。私は、ここを出る心構えも能力も、ちっとも整ってやしない。

 思わずトゥトゥに答えようとして、屋根の上を見た。

 トゥトゥはよそ見をしていたが、一拍遅れて私を見た。そして、目が合うなり、屋根の奥の方に引っ込んで見えなくなってしまった。

「あ……」

 おぉい、ちょっと待って! 忠告しに来ただけなの? 後は好きにしろって? 私の気持ちは聞いてくれないの?!

 混乱して迂闊なことを口走るより前に、それよりも差し迫った問題があることに私は気付いた。

 なぜか森の生き物と会話ができるというこの能力、今のところ私の周りでは私しか備えていない。分からない人がごまんといると言ったチットの表現を信じるならば、多分かなり珍しい。それをお役人に教えればどうなる。

 ……うん、ろくでもない想像しか働かない。現代日本でだって、そんな能力に目覚めればマスコミの興味をひいたり研究所送りとかの可能性くらいは考えられた。密かに闇に葬られ、社会の暗部で人体実験の日々……この世界でそれが起こり得ないとどうして言える。トゥトゥはそれを教えてくれようとしたのだろう。

 イズリアルさん個人はいい人だと思う。会うのはこれが3回目だが、とても親切にしてくれる。貴重な図鑑を対価もなく譲ってくれた。でも役人なのだ。保健所でガス室のスイッチを入れる人のように、やりたくないことでも断腸の想いで手を下さねばならない仕事をする必要がある人なのだ。

 そして、その人の部下的な立場で仕事をするお兄さんだって、きっとそうだ。

 敬清にさえ打ち明けてなくてよかった。何かの拍子にウルリカやおじさんからここの偉い人に伝わってしまっていたかもしれないんだから。 ぎりぎりのところだったけど、今、口を滑らせなくてよかった。衆目の中で、鳥に向かって話しかける姿はどうしたっておかしい。

「シオネ? どうしましたか?」

 イズリアルさんが書面から顔を上げて、こちらを見ていた。しまったな。さっさと眼前から退散しておくべきだった。ええい、女は度胸だ。

「イズリアル、以前に、たくさんご本をくださいまして、まことありがとうございました」

「どういたました。他に、読みたい本は、ありますか?」

 イズリアルさんはいたずらっぽく目をくるりと回した。焦げ茶色の瞳がオレンジ色の火花をちらちらと煌めかせる。目を見開くと火花がよりきれいだ。

 えーと。歴史とか地理とかって、どう言うんだ?

「子供の読む、絵のついた本だとか、ここの人が、当然わかること、ええと、常識? 知れること、地図のこと、昔話、お願いします」

「わかりました。次に来る時、わかりやすそうなものを選んで、持ってきます」

「私、街、行きたい、言いました。お兄さん、ダメ、言いました。ことば、もっと話せる時なってから、言いました。イズリアルも、同じ思うですか?」

 イズリアルさんは、少し難しい顔をした。目を眇めると焦げ茶色の瞳に陰が差し、一際暗く見え、急に厳めしい。世の中には写真の中の芸能人みたく気取った表情が様になる人もいるが、この人は明るい表情の方が魅力的だと思う。

「……思います。街の仕事や手伝いをする、それなら、まだ言葉の勉強を必要と思います」

「……そうですか」

 まあ、そうだよね。環境がぐんと変わるわけだから、多用する単語からして違ってくるはずだ。

 よかったぁ、うまく誤魔化せた。咄嗟の言い逃れとしては中々に説得力のあるものだったと思う。

 安心ついでに、もう一つ気にかかっていたことを思い出した。

「もう一つ、尋ねてもいいですか?」

「どうぞ?」

「イズリアルは、念力使う聞くました。念力とは、お匙を曲げたり、美女が空を飛ぶですか?」

 どうしても、そこだけは確かめたかった。

 この時私は、魔術師も、騎士という単語も知らなかった。魔法という単語も初めて聞いた。それを念力と聞き取ったのは仕方ないことじゃないだろうか。意味合いとしては大して違いはないと思うし。

 そして、かなり長々と言葉を選んで説明されてようやく、それがいわゆる魔法と呼ばれるものだと知った。私の中で、念力という単語が魔法に訂正された。

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