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由無し一家  作者: しめ村
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お留守番の日

 ドバが新しい通達を持ってきた。

 それを開いた父様が、一瞬ものすごく嫌そうな顔をして私を呼ぶ。

 ああ、これは領主様もしくはご家族が、ご友人をお連れしてこの森に狩りにおいでになる時のお決まりの反応だ。

「5日後、ご子息がご友人二人と外縁部で狩りをされる。ここまで深入りされる可能性は少なかろうが、ないとはいえない。お前たちはその日は家事を全て休んで部屋から出ぬように」

 果たして、父様は言った。もう、いつもこれだ。

 ここがヴォジュラ領に属する土地であり、ましてヴォジュラ領主家の私有地であり父様がその管理人を任されている以上、一族の方々が狩りを楽しみにおいでになるのは当然のこと。

 特にこの時期は獣たちが冬に備えて食い溜めをし、よく太って肉に脂が乗っている。晴れれば趣味と実益を兼ねた絶好の狩り日和だ。

 領主様やお二人のご子息がおいでになる時には私も父様と一緒にお迎えする。

 けれど、外部からいらしたご友人や親族の方を同伴される時には、絶対に私は手伝わせてもらえない。

「魔境の監視点の管理人が子供と暮らしていると外部の権力者に知れては難儀なことになる。目をつけられても厄介だ」

「わかりました」

 私がもっと小さかった頃、森の外から隠れ場所を求めて逃げ込んだ盗賊団の生き残りが、父様が魔境に出かけている最中に偶然この森の家を見つけ、踏み込んできたことがある。

 その頃まだここで暮らしてらした兄様があっという間に蹴散らしてくださったけれど、私だけだったなら力及ばず捕まっていたかもしれなかった。

 もし私が捕らわれていれば、彼らは私を盾に父様と兄様を脅して侵入を黙認させたり、魔境の危険な物質や魔物を持ち出させたりといった、管理人の職務理念に抵触するようなことを要求したかもしれなかったのだ。

 弱みは少ないに越したことはない。父様が私に厳しく武芸を仕込むのも、不慮の危機に対応できないシオネとケイセイを含めた私たちの身を案じるのも、故なきことではない。

 でも、やっぱり、ちょっと残念という気持ちはある。

 私は元傭兵の父様の子に過ぎず、父様と違って領主様に任じられた正式な役職に就いているわけではない。貴族をおもてなしできるような身分と教養の持ち合わせもない。

 貴族の身の回りのお世話をする方々も、それより格下になるとはいえ名家の子女が取り立てられるということを考えれば、一平民の私が前に出てはお目汚しになろうし、至らない点も多いのだろう。

 でも、私は街へ出ることもないので、外の人に会う機会に部屋に籠って過ごすのが惜しいのだ。

 シオネとケイセイは父様の言葉に深く納得しているようだった。互いに顔を見合わせ、私をまじまじと見、父様と目配せし深く頷く。

「わかります。これはたいへん!」

「えらい人、ええと、悪い? ごむたい?」

「おお、そうか。お前たちはわかってくれるか」

「よくあるお話です」

「オダイカンサマ!」

「お前たちの故郷では、よくあることなのか」

「よくありましたのです。昔」

「お涙ちょうだい」

「そうか。お前たちも難儀をしたのだな」

 三人で分かり合っている。

 私には意味がわからず、納得がいかない。

「重ねて言っておくが、シオネとケイセイもウルリカと一緒に部屋の中にいるのだぞ。窓から姿を見られてもならない」

「「ええー」」

「ええーではない。お前たちも見咎められてはならぬのだぞ。悪い大人に連れていかれてしまうのだぞ」

 そう言う父様は、心から案じる目をしていらした。

 私ははっとした。

 そうだ。シオネとケイセイこそ、迂闊に権力者の目に留まらないようにしなければならないのに。



 その日は、父様の言いつけどおり鎧戸を閉め切った部屋に籠って過ごした。

 この度ここに狩りにいらしたのは領主様のご嫡男のウェレス様と、他領からいらしたご友人お二人とその従者の方々、狩猟犬が6頭だという。

 ウェレス様とは弟君のイズリアル様ほど多くの面識はないけれど、ご一族代々そうなのか、ウェレス様も気さくでお優しいお人柄だ。幼い頃はお会いする度に小さなお姫様と呼んで可愛がっていただいた。

 せめてご挨拶の一つもしたかったけど、他領からいらしたお客様に見咎められてはならない。


 どうしようかと少し考えて、縫物をすることにした。

 シオネ達が持っていた荷物の背嚢がとても機能的で素敵な仕立てだったので、是非それを参考にさせてもらって物入れを作りたいと思っていたのだ。

 あれは普段はケイセイが保管しているので、彼の持ち物なのだろう。彼はあの家宝級に素晴らしいナイフの他にも、色々と優れた道具を背嚢に詰めていた。


 すごく手触りと吸水性の良い手巾。衣類の替え。どれも素材から縫製まで、素晴らしい作りだった。


 なんと折り畳みのできる傘。素材は革や紙ではない、繊維を織って作ってあるのは確かなのに、薄く軽く撥水性の高いよくわからない布で、骨は金属なのに入れ子になっていて強度も失っていないという職人芸を凝らされた、傘としては驚くほど軽量な一品。首都にだって、こんな優れた品はないだろう。


 フード付きコートのような雨具も水を通さないことにかけては、油を塗った革が一般的なこの辺りの雨具など比ではない。寸法がケイセイに合わせてあるので、彼にしか着られないし、もう2、3年もすれば誰の体にも合わなくなるだろうけれど。


 小さくて持ち運びやすい手燭。眩しいくらいの白い光を直線状に放射する。驚いたことに種は火でも魔法でもない。

 説明してもらったけど、よくわからなかったし、説明してくれようとするシオネとケイセイも言いあぐねている感じだった。なんとかわかったのは、デンチという特殊な燃料で光を発し、それが尽きればもう補充はできないだろうということくらい。


 それから救急用品。

 何が切れるんだろうというくらい小さな鋏や(包帯を切るためらしい)伸縮性の高い清潔な包帯に、塗り薬らしき筒。

 シオネは『この手があったか!』と呻いていたが、ケイセイは散髪になんか使われなくてよかったと言っていた。ちなみに二人のおじい様が同じ大きさの鋏を鼻毛切りに愛用していたという。

 鼻毛を切るためにわざわざ鋏を仕立てるなんて、実は二人は身分高い出自なのではないだろうか。

 何に使うのかわからない平べったい紙包みは、二人がここに住むようになってしばらくしてから判明した。森に採取に行って、ケイセイの手が棘に引っかかって小さな切り傷ができた時に、その紙包みの中身を取り出して、重ね合わせてある紙をはぐると、茶色の細長いそれを傷の上にぺたりと張り付けたのだ。それは水に濡れても剥がれず長く傷を覆っておける優れた湿布だった。

 二人は小さな傷ができる都度景気よく使ってしまうけれど、数に限りがあるから、温存した方がいいんじゃないかしら。


 更には金属製でありながら軽いコップと、機密性の高い水筒。

 保存食と思しき小さな箱と不思議な手触りの包みがいくつか。シオネとケイセイは二人で考えて、それを父様に差し出した。仕事中に必要になったら使ってほしいということだった。

 使い方を説明するために包みを一つ開封して見せてくれた時、その保存力の高さに感心した。

 中に入っていた流動食をみんなで少しずつ食べたら、非常に凝ったおいしい味だった。


 地図も見せてもらった。山の傾斜度合を細やかに描き込まれた、ある山地の谷や尾根や水場を示した限定的なもので、大昔のものとは思えない上質紙と精緻な作りにまず驚いた。

 そして明らかにこの近辺を示したものではなかった。かといって、この辺りの、昔の地形というわけでもない。ここには、人類発祥と同じかそれ以前から魔境があるとされている。その記載がないからには、いつの時代のものであろうとヴォジュラ領の地図でないことは確か。

 前々回に兄様たちがいらした時に言っていた、ニホンという地の一部のようだ。

 本当にいずこの地なのだろう。



 兄様とイズリアル様はついこの間、シオネが倒れる少し前に、今月の定期補給に来てくださった。

 魔境監視官は私の父様お一人ではない。

 イズリアル様は元々、辺境の森の各監視点に詰めている管理人たちへの物資補給を領主様から一任されていらっしゃる。

 各管理人の要望を取りまとめて物資を手配し、森に持って来てくださるのだ。

 領主様の住まわれる城下町が最寄りの街なので、物資の調達は比較的容易だという。

 ほぼ同心円状に魔境を取り巻く辺境の森の、更に外側の徒歩で2日ほどの範囲が領主様の私有地という扱いになっていたはずだ。この度ウェレス様ご一行が狩りをされるのはその部分。

 我が家はその辺境の森と領主様の森の境界から更に1日か2日ほど奥まった場所にある。

 なんらかの事故が起こって数日がかりの迷子にでもならなければ、案内もなしに外部の方が迷い込んで来られる距離ではないのだけれど。

 用心はいくらしてもしすぎるということはないのだし、父様のご判断は絶対だ。敢えて破る気などない。

 そこからマズリでなら片道ほぼ一日。ダングでなら3~5日、徒歩なら10日はかかるという距離を、たくさんの荷を車に積み、信頼の置ける少数の護衛だけをお供においでになるそうだ。

 森の中には車が通れるような道はないので、森の縁で車と護衛たちを待機させ、兄様を始めとする一部の側近だけを連れて森を往復し、複数の管理人たちに物資を届けられる。

 具体的に管理人が何人いるのかは私も知らないけれど、これを何度も繰り返されて、辺境の森をくまなく回られるので、かなりの日数を消費すると思う。

 帰り際に、魔境産の薬草や樹木、鉱石や土や水や、魔物の体の一部などの貴重な素材を管理人と交換し、あるいは対価を支払われて受け取り、街に持ち帰られる。

 そして再び次の補給の手配に戻られる。

 こうして得られる貴重な魔境産の素材は、ヴォジュラ領の外貨獲得に欠かせない産業の一つとなっているらしい。

 領主様のご子息のお一人であらせられ、こう申し上げては何だがご嫡男ではない身軽なお立場で、更に騎士であり魔術師としても腕の立つイズリアル様なればこそ任じられる大切なお仕事なのだ。

 その側近として兄様が取り立てられているのも、父様の息子という出自が関係しているものと思われる。

 魔境に程近い場所でのお仕事だから、いらぬ欲をかく者がいないとも限らない。その点父様から魔境の危険と管理人の仕事の大切さを骨の髄まで叩き込まれている兄様なら、心配は無用。

 道中荷を狙って現れることもあるらしい物取りや野獣や、ごく稀に魔境からはぐれ出てきた魔物などと遭遇しても、護衛としての腕前は申し分ない。


 更にイズリアル様は領主様から、シオネとケイセイについて、二人の正体を解明し見定めよと任じられている。無害ならばそれでよし、有害と判じられたなら……考えたくもない。

 でも、ひとまずは二人との会話で情報を掴むという線は保留していると仰った。

 情報の隠匿の疑いを持たれてもいけないので、お見せした二人の私物のいくつかをご覧になってやはり目を見張ってらしたけど、できるだけ先入観を排して、普通に接する中で人柄を見極めていくよと笑っていらした。

 本当なのか本当のつもりなのか気休めなのかはわからない。

 でも、できれば私もそう願いたい。だって、二人はそんな警戒されなければならないような存在ではない。

 この土地のことを何も知らなくて、剣だって持ち慣れていない柔らかい掌をしていて、感情のままに表情をくるくると変える、親しみを込めて私と父様を呼んで、おはようやおかえりやありがとうやごめんなさいと素直に言って、些細なやり取りから姉弟喧嘩もする、病に倒れた姉の苦しみに心を痛めて夜も眠れないほど不安がる、至って普通の人間の子供だもの。それを知っていただきたいと思うから。

 私は頭を振った。二人の出自について、考え始めたらきりがない。

 推測で二人の印象を狭めるようなことはやめよう。



 ケイセイは、父様と同じ部屋で寝起きしている。あの子はその部屋に籠っているようだ。

「ケイセイと話をしてくるわね」

 床に敷いた敷物の上に直に座り――靴を脱いで踏み込んだ敷物の上を自分が心地よく過ごせる領域に作り変えることにかけて、シオネもケイセイもすぐれた素質を持っている。床に直接座り込むという驚きの生活習慣は、二人の育った文化では普通のことらしい――込んでいるシオネに告げると、彼女は黒い瞳を上げて済まなそうな顔をした。

「ごめんなさい。ウルリカ、退屈ですか?」

 シオネは、周囲に兄様たちが持ってきてくれた辞書と私も手伝って自作した文字の対応表を広げ、それらと首っ引きで勉強に没頭していた。

 時折彼女の故郷の言葉で独り言を零すほかは喋らず、会話も途絶えていた。

「いいえ、私もこれから縫物をしようと思います。それでケイセイに」

 そこまで言ったところで、シオネが急にニヤッと笑った。

「どうして突然笑うの?」

「え? 私は、嗤いましたか?」

 なぜかシオネは気が変わったようで、膝の上に広げていた紐綴じ式の動植物図鑑を閉じて丁寧に脇に退け、靴を履いて立ち上がった。

 そういえば靴も、二人のはすごく高品質だ。革と不思議な素材の布でできている、編み込み靴の一種で、足首までを覆う厚みのある見てくれながら驚くほど軽い。移動時の衝撃を緩和し、水切れもよい素敵な一品なのだ。

 ただ、本人たちも素材のなんたるかは知らないらしく、今後模造はできないだろう。つくづく不思議な文化の中で育ったようだ。

「私も一緒です」

 好奇心を満たそうとするかのような不思議な笑みを満面に浮かべる彼女に首を傾げながらも、私は父様とケイセイの寝室の扉を叩いた。


「え、また縫物……」

 ケイセイは慌てたふうだった。少し頬が赤くなって、とても困惑しているのがわかる。

「これから物入れを作りたいので、あなたの背嚢を……リュックって、言っていたかしら? それを貸してほしいの。あなたの持っているリュックはとても質が良いので、参考にしたいのよ」

 途端シオネが何やら不満げな呟きを漏らした。

 ケイセイは安堵したような落胆したような奇妙な顔をしたような気がしたけれど、「いいですよ」と答え、父様と相部屋で使っている寝室の奥に引っ込んだ。

 肩をひょこひょこと揺らし、ややあって空っぽの背嚢を手に戻って来る。

「どうぞ」

 手渡された背嚢を受け取る時、指先がケイセイの手を掠めた。

 肉刺が潰れた掌に貼り付けた薬草湿布の感触。これから訓練を積み重ねて、剣胼胝のある硬い手になっていくのだろう。父様や兄様や、私のように。

 さっきから少し歩きづらそうなのは、足裏も肉刺が潰れて痛いからだろう。

「……こんな体たらくは今だけです。おとうさんは言いました。いずれは適応するであろう」

 拗ねたように顔を逸らして呟くケイセイは、剣を握ることに慣れない柔らかい掌を恥じるように拳を握り、少し頬を染めた。

 言うだけ言って部屋に引っ込んだケイセイの態度にぽかんとしていると、シオネが厳めしい顔をしていた。

「ウルリカは、悪気はなかったと思います。でも笑ったらケイセイはかわいそうです」

「……え? 私、笑っていた?」

「はい。笑いました。とてもかわいそうに。あれ? ……ほほ、ほえそうに……じゃない、とてもほほえましそうに、です」

 ああ……それは、向上心ある男の子の矜持に抵触したかもしれない。

 私はそんなこと思わなかったけれど、きっと彼は未熟を侮られたと思ったのだ。

 まるで意識していなかっただけに、これは自分でも驚き、申し訳なく思った。

 彼は今、一生懸命この地で生きて行くに十分な力を身に付けようとしている。

 誰しもが最初は初心者で、あの子はそれが今この時期というだけのこと。それを子供扱いして微笑ましがるのは本人には不本意だろうし、実際笑いごとではない。

 ケイセイがきちんと自分の身を守れる彼になれるように、もっと親身に応援しなくちゃ。


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