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由無し一家  作者: しめ村
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病み上がりと新事実

 午前の水仕事が終わり、鳥や虫の声が軽やかに満ちる小川のほとり。

 いつものように弟とウルリカを横目に数の書き取りをしようとして、ふと気付いた。

「なー敬清、今日ってここ来て何日目じゃっけ?」

 ここに来てから欠かさず数えていた日数が、生まれて初めて風邪ひいて熱が出て時間感覚が途切れていたせいでわからなくなっていたことに気付いた。病気って恐ろしいな!

 小学校時代、同級生に毎年一度は風邪をひいて休む子がいたけど、毎年あんな生死の境をさまよう目に遭ってたなんて思ってもみなかった。

「77日目。ねーちゃんぶっ倒れとったんが2日じゃったけん」

 弟は即答した。姉がバタンキューしとった間も冷静に日数をカウントしておったとは天晴な奴よ。


 ……でも、そっかあ。もう2ヶ月半かあ。

 私は伸びてざんばらになってきた毛先を撫でつけた。

 脂っぽくなるのと何より臭うのが嫌だからと根性で毎日続けていた水浴び。

 それが裏目に出て、物心ついてこの方病気知らずの健康優良児だった私に既往歴ができてしまった。

 聞けば、おじさんが、私たちがこの世界に来た時に出てきた変てこ森にまで分け入って、薬草を採ってきてくれたという。

 『多分薬草だと思う』という弟からの伝聞なので私が見聞きした事実ではない。多分って何だろうな。

 あの森から家まで辿り着くのに、朝から夕方まで歩いたことは今でも厳しい思い出だ。

 まあおじさんが危険の少ない道を選んでくれたんだろうし、魔物や猛獣に襲われるといったハプニングもなかった。

 あそこより更に奥まで行ったとなると、不眠不休で24時間歩き通しでもしなけりゃ翌々日の朝には帰って来られない。

 そこまでして薬草を採ってきてくれたおじさんにも、そばで何くれとなく世話を焼いてくれたウルリカにも、感謝しきりだ。

 たくさん心配をかけた弟にも、ほんと頭が上がらない。

 もう二度とあんな迷惑はかけたくない。

 そのために採れる対策は事前に採っておきたい。

 夏場は川で水浴びってのもそれなりに楽しかったし、貧乏暮らしには耐性があるつもりだったけど、やっぱお風呂がないのが当たり前って家にはやや不便を感じる。

 ウルリカにお風呂のことを説明しようとしたけど全然意味が通じなかったもんなぁ。日本人が風呂好きってのは本当だったんだな。

 そんなわけで、あれ以来、お風呂ならぬ川での水浴びは控えて体を拭くだけにする日を挟むようにした。

 でもせめて3日にいっぺんくらいは頭を洗いたいので、少しでも湿った部分を減らすようにすれば、少しでも乾きやすくなると思うんだ。

 つまり、髪を切りたい。

 この森の中の家には鏡がないから桶に張った水鏡でしか確認できないながら、スポーティなショートだった髪型が、2か月半伸び放題でかなりもさもさしているのがわかる。

 櫛だけはウルリカに借りているけど(ちなみに歯が4本欠けている年季の入った竹、いんやこちらで言うケドゥン製。こんだけ超美少女なのに、なんでこんな身繕いに無頓着なの?)、ブラッシングだけでは手入れにも限度があると思うんだ。ウルリカだって手入れできてない環境は一緒なのに、なんであんなまとまりがいい髪質なのさ。不公平だ。



 ぼんやりと斜め上を見ていると、黄色く梢を色づかせた広葉樹が立ち並ぶ一枝から、リスが一直線に伝い下りたのが見えた。

 茶色に黄色の縞模様で、イタチに似たかわいらしい動物だ。いや、あの尻尾の細さと耳の小ささは、そもそもリスっていうよりイタチっていう方が近いか。

 ただし大きさが太った猫くらいある。3メートルほど離れた木の根元で立ち止まったやつと目が合っては目算違いのしようもない。

 ここの生態系ってなんか色々おかしいと思うのも疲れてきた今日この頃。

 そのイタチが、変な声で鳴いた。

「毛なし猿の娘」

 ……?

 私は顔を上げて周りを見回した。

 敬清とウルリカしかいない。二人とも真面目な顔つきで冬に備えた薪の大量生産に勤しんでいて、軽口を叩いた様子はない。

 というか二人からはもう充分回復を喜ばれた。今更挨拶と一緒に言われることじゃあない。

 ちなみに私は今、病み上がりだからという名目で、激しい運動や汗をかいて体を冷やす行為を自粛させられている。ウルリカに厳命されたわけじゃないが、敬清が私が手伝おうとするとあれこれ邪魔して、ウルリカもそれを止めないので、きっとやつらは示し合わせている。

「聞こえたか。こちらだ」

 声は斜め下からしている。

 そちらを向いた。

 さっき木から下りてきたでぶ猫サイズのイタチがこちらを見ている。愛くるしく小首を傾げて。

 ?

 私はそのイタチもどきをまじまじと見た。

 イタチもどきはぴんぴんとした髭に覆われた口を小さく開き……傍で聞いてもそうとしか聞こえない、あからさまな溜息をついてのけた。

「どうやらおぬしは、毛なし猿の例に漏れず頭の回りが悪いようだ。毛なし猿には我々の言葉を解さぬ輩がごまんといるが、おぬしは聞こえる耳を持ちながら聞く耳を持っておらん」

 ???

「此度生命の危機に瀕し、いかさま心を研ぎ澄ませたものかと快気祝いに駆け付けたというのに、おぬしは一向に我々の言葉に耳を貸さぬ。他の者たちは飽きて帰って行った。吾輩もそろそろ家路に着こうとしておったところだが、念のため今一度試みてよかった。無事の快癒めでたきことなり」

 ?????

 おかしいな。そこの木の根に座ってるイタチが人語を操っている。

「何が不可思議なものか。おぬしら毛なし猿が毛なし猿同士で意思の疎通を図るように、我々は常に語り合っておる。同族以外は交わす言葉を持たぬと思い込み自らの知の広がりを拒むは毛なし猿の愚かさよ」

 更にこのイタチは人の心を読むらしい。しかもすげえ上から目線だ。

 でもってイタチに説教されてるよ私。

 もしかしなくても毛なし猿って私のことだよね? 彼らの間で人間をそう呼ぶならしょうがないが、せめて連呼しないでほしい。

「まあよい。お主を寿ぎ、忠告するという目的は果たしたゆえに、吾輩は塒に帰還いたす。先住者と同じく森の掟と礼儀を誠意を尽くし守るならば、森の民一同おぬしの弟ともども新たな住人を歓迎する。この友誼が末長く続くよう祈っておる」

 それだけ言うと、イタチはやって来た時と同じように唐突な動きで木の裏側に回り込んで、見えなくなった。


 私は、おもむろに両手を上げ、両頬を抓んだ。

 指先に力を籠めて、捻った。

「いって!」

「ねーちゃん何やっとん?」

「シオネ具合は大丈夫ではないですか?! 気分はまた悪いですか?!」



 ウルリカと一緒に使っている寝室に戻った私は、イズリアルさんたちが持ってきてくれた動植物図鑑を開いた。

 植物性の紙はたぶん高級品なんだろう。辞書より持ち歩きが容易な地図は、それまでは聞いたことしかなかった羊皮紙というやつで、巻物の形で渡された。

 分厚い図鑑は所々に盛り上がりや穴開き同然の薄みや玉になっている植物繊維の目立つ、出来の悪い和紙みたいなごわごわとした手触りの厚手の紙を綴られて作られていた。

 紙が厚いので、見た目の分厚さほどにはページ数は多くない。

 ペン先の引っかかりがよさそうで、全頁手書きの図鑑にはインクが染みを作っている箇所が散見された。

 精緻な絵入りの図鑑を1ページずつ手書きで拵えるのは相当の人数の相当の労力を要しただろう。

 厚みがあるとはいっても木簡とか羊皮紙とかよりはよほどかさばらないだろうし、この10巻セットの辞書をイズリアルさんは惜しげのない顔でぽんとくれたけど、きっとすごい貴重品に違いなかった。書物ってこんなに大切に扱うべきものだったんだ。


 ここに来た最初の日に分かっていたことだが、私たちが生まれ育った世界とこの世界とでは、動物も植物も一致しないものが多い。似たのならいるけど。


 例えば、うちの近くにもたくさん生えているケドゥンという木。

 よく枝落ちしてて、それを拾い集めて薪にしたり道具に加工したりする。

 あれ、どっからどう見ても立派な樹木なのに、削ってみると質感は限りなく竹なんだよね。

 日本で見慣れた代表的な木は見当たらない。樹皮の模様とか葉っぱの形とか、色々似たような感じのはあるんだけどね。


 下生えは正直、あまり向こうとの区別はついていない。

 実家で庭や畑の雑草を数え切れないくらい抜いてきたけど、やつらは余計な栄養素を横取りして本命の野菜よりも旺盛に茂る怨敵として雑草という十把一絡げで認識していたため、思いだそうとしてみても、自分でも驚くくらい記憶に残っていなかった。


 虫も似たようなのはいるけど、やっぱり微妙に違ってて、元の世界のものと大差ないと思えるものは、小さすぎて違いがわからないダニくらいのもんだ。

 まだお目にかかったことはないけど、特にクモは危険なのがいるそうだ。


 似てるといえば、うちの鳥小屋にいる鳩にしか見えない鳥は、ドバというそうだ。

 見た目は鼻瘤がないドバトって感じで、名前もドバだからこれは覚えやすかった。耳が短くて鋭い爪を持つ兎めいたウッサとかもね。


 お兄さんとイズリアルさんが乗ってくる馬っぽいのはマズリ。

 あれは高価な希少種独特の品種名で、より一般的な馬っぽいのはダングといって名前も違う。

 蹄鉄がいらないくらい蹄が頑丈らしい。少なくともお兄さんたちが乗って来た子らには蹄鉄はなかった。

 それよりお兄さんたちが乗って来たマズリの口元に牙みたいなのが垣間見える気がしてるんだけど、それを追求するべきかどうかずっと迷っている。


 うちの近くによくくるヤマガラっぽい小鳥も、ツグミに似た色の鳥も、どれもどこかしら違ってて、そしてこっちの世界特有の名前で呼ばれてて、すり合わせに苦労してるところだ。

 いっそ向こうの世界にいなくてこっちにだけいる生き物の方が混同しなくて覚えやすい。

 フクロウに似た鳥の上半身と蛇の下半身を持ったジャロとか、狼の体に折り畳み式のヒレみたいのがついてる水陸両用のフォルクという生き物みたいにね。

 最初図鑑で見た時にはこれが魔物か!? と驚いたものだけど、普通の野生動物と聞いてなお驚いた。


 その辺を理解したうえで日々の食材を思い返してみると、普通の牛の枝肉のように見えていた貯蔵室の重鎮とかお兄さんたちが持ってきてくれるベーコンとかの生前はどんな動物だったのかという疑問が生まれなくもないが、多分深く考えない方が自分のためだ。

 決して、鹿っぽい身体に角と毛が生えたカエルそっくりの頭部がくっついてるフォアなどではない、と思いたい。そうに決まってる。


 昼間合ったイタチもどきを探し当てる。

 チット。トゥトゥ目タヴィ科。全長6シェ……チェ……? 何だっけこの単位……えーと60センチ相当。分布、大陸中央部から北部。生息地、低地から山地にかけての広葉樹林。食物、昆虫類や魚類、トゥトゥなどの小鳥、ティッチからウッササイズの小動物など。

 ――トゥトゥっていうのはルリビタキそっくりのきれいな青い鳥。ただし大きさがカラスくらいある。ティッチってのは、向こうで言うネズミに似た小さい動物。繁殖力の強い小さいげっ歯類ってのは一緒だけど、寿命が向こうのネズミより長いので、個体によってはカピバラ以上に大きくなるそうな。見たくないなぁ――

 林縁でよく見られる。雄は体上面が茶色から焦げ茶色、背は黄色から木肌色の縦縞模様。メスは縞模様がなく全体が淡い茶色。


 うん、この動物だ。特別頭がいいとは書いてないな。人語を喋るとも。

 我々とか言ってたけど、こいつらみんながああやって喋るんだろうか。

 今まであいつと同じ種類の動物は何度か見かけた。うちの鳥小屋からティフススを失敬してった奴の種だ。

 でも話しかけられたことはなかった……それとも、さっきの上から目線のチットが言ってたみたいに、話しかけていたけど私が聞いてなかった、もしくは聞こえてなかったってことなんだろうか。


 思えば、初めてこの世界に迷い込んだ日、どこからともなく声が聞こえてきたことが何度かあった。

 危ないとか、こっちおいでとか、なんだかんだいって助けてくれようとしてるような台詞ばかりだったなあ。

 気になるのは、あのエリアにはチットなんていなかったはずだ。

 わざわざ隠れてアドバイスをくれていたとも考えにくいので、その時近くにいた他の何かが、話しかけてきてたんだろうか。

 あのチットが言ってた我々ってのはもっと広義で、森全体に生息する色んな種類の生き物が含まれていたりするんだろうか。



 一人で考え込んでいたって、問題が解明されるわけでもない。

 私はウルリカの裁縫道具入れから布断ち鋏(この家には鋏がこれしかないのだ! 若干かみ合わせが悪いが切れ味はすこぶる良い。手入れする者の腕がいいからだろう)を取り出し、一足先に下ごしらえしておいた夕飯の材料を前に腕まくりをしているウルリカが食材を触る前に声をかけた。

「ウルリカ、おねがいします。これを使います。切ってください」

「えっ? 鋏? 切る? 何を切ればいいの?」

 むむ、いきなり鋏を出して切ってくれと言われてもわかりにくいか。これが鋏以外の刃物なら、私をばっさり斬ってくれと言ってるように思えないこともない。

「髪を、切りたいです。一人では上手ではありません。ウルリカ、切ってくれませんか?」

 ウルリカは、穏やかな湖のような青い目をまん丸に見開いて驚きを示した。

 そして、次の瞬間には、私がなぜ髪を短くしようと思ったか、察したに違いなかった。

「シオネ、悩むありません。シオネが『お風呂』のことを話しました。それで私も考えました。盥にお湯を入れて、拭きながら洗うといいと思います。体が冷えません」

 今にも鋏を持つ私の手を両手で包みこまんばかりに真剣に、そう言ってくれる。

 うん、ありがとう。そこまで考えてくれてたなんて思わなかった。すごく魅惑的な申し出だ。嬉しいよ。来る冬に温かいお湯で体を清めるって気持ちいいよ。拭くだけじゃなくてね。でも、髪を切りたいのはそれだけじゃないんだよ。

「髪、伸びました。ちょっと、と、多く、間。姿よろしくない。どちらでもない」

 中途半端ってなんて言うんだ?

「と……鳥の巣です!」

 中途半端とは違うが、実に的確な単語を捻り出せた。

 そう、今の私の頭はまさに鳥の巣。ショートカットって、ちょっと伸びると空気含んで膨張しやすいんだよ。ついでに私の髪は癖こそないが我が強い。いっそもっと伸びて下に落ちる重みが増せば大人しくなるだろうけど、ストパーも当たってない今の状態じゃ、そこまで伸ばすまでにひどい頭を晒すことになる。

 一緒に暮らしてるのがサラ艶金髪持ちのウルリカなので、対比で余計にみすぼらしさがひどいんだとは、ウルリカ本人には言えない。

 その彼女は、ポンと掌を打って、朗らかに言った。

「ああ、はい。整えますね? そうですね?」

「うーん、はい、そんなところでございます」

 そんなところじゃなかったのは、いそいそと毛先を整えられただけで終わってからわかった。


 この土地に住む女性は髪を背中くらいまで伸ばすのが一般的で、短くする女性というのは男装する必要があるとか火事に巻き込まれて焼けてしまったとか公の制裁を受けて切られたとかの、のっぴきならない事情がある人くらいらしい。

 髪を短くしたい理由について決して詮索はされなかったものの、ウルリカばかりかおじさんやお兄さんやイズリアルさんまでもが、私がショートでいることに実はかなりの違和感と痛ましさを抱いていたと知ったのは、もっと滑らかに会話ができるようになってからのことである。


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