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由無し一家  作者: しめ村
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わしの旅立ち

 連休明けて兄ちゃんが帰って行って、ひとまずねーちゃんの心に平穏が戻った。

 魔法関連でおかしなことも起こらんくなって、わしも胸を撫で下ろしたとこだ。

 当たり前じゃが、ねーちゃんはさんざっぱら怒られた。主にわしに。というか、わしだけが怒った。

 ねーちゃんも反省はしとるし次に活かそうという心意気はあるんじゃが、結局何をやらせても何かやらかすかもしれんってのが個性なんじゃろう、それを踏まえて適宜ライフスタイルを変えてきゃいいだろうと、こっちの家族の認識は非常におおらかだ。甘い、甘いぜみんな!

 問題の産廃は、見たところ高密度の魔力の塊になっている。桶の中で表面をうねうねさせながら、消耗と再生を繰り返す生きた魔石状態だ。兄ちゃんがくれた小指の爪先ほどの大きさの石でも魔法使いのかなりの助けになってくれるだろう内蔵量だというのに、桶一杯となると常軌を逸しとる。マーブル模様も心なしかシックな色合いになってきてるのが無性に憎たらしい。

 こいつがゴーレムとして完成したとして、どんな仕上がりになるのやら、想像もつかん。

 周囲の魔法を吸い取りすぎたり魔力に中るような症状を引き起こしたりせんだろうかと用心してたんだが、今のところその類の危機的状況は起こってない。ただ、こいつの近くでは魔石の充填が遅くなることを確認した。産廃が再生をする過程で、通常の魔石が充填するために緩やかに吸収する自然界の魔法を、根こそぎ吸い取っちまうのだ。わしの魔石は家から半日ばかり離れれば、通常通りに充填できることも確かめた。逆に言や、半日の距離を半径とした一帯がこいつの領域ってことだ。これには困るというほどじゃないが、不穏なものを感じずにはいられない。

 しかし、こないだねーちゃんが気絶したのはあれがなんぞしたからではなく、あくまで自滅ってぇのが、情けねえっつーか恥ずかしいっつーか……

 願わくば、一月の間に恥を捨てて平常心に戻らんことを。

 ……とか思ってたら翌月になってもねーちゃんはぎこちない。

 そして兄ちゃんは何が起こっているのかわからず、ねーちゃんの扱いに困っている。

 まーそりゃあ、あんなアクシデントがあっちゃあ、妙な意識せずにはおられんじゃろうってのはわからんくもねえんだ。兄ちゃん、父ちゃん似の強面じゃけどかっこええし。

 もしかして、兄ちゃんの手すがら肉を食って、なんぞ刷り込みが起こったとかじゃねーだろな? ハハハ、まさかなぁ。



 ゴーディアス第二形態獲得計画は、のんびりと進捗中だ。

 目標は期限を設定して取り組んだ方が成果が挙がるってぇ種類の計画も世の中にはある。わしの魔法の訓練なんかはその類なんじゃが、こちらは生き物が相手なんで、一朝一夕で果たせるものではない。それが前提と肝に銘じ、あんまりイメージの押し付けはせず、自然のままゴーディアスの負担の少ない進化を遂げてくれればと念じながら日々を過ごすよう心掛けて、少しずつ時間をかけて意思を浸透させつつ、魔法を送り込んでいった。ある程度の荷物と自分を乗せられる大きさまでなれよーっと。

 その地道な取り組みが功を奏し、ゴーディアスは少しずつ大きくなってきた。

 ねーちゃんが街から持ち帰った資料によると、使い魔契約には魔術師の体の半分以下の生き物でなければできないってことだったが、いったん使い魔にした小動物をカスタマイズして後天的に大きくするのはアリってことみたいだな。

 だが、しかし……ありゃ?

 ……ゴーディアス、どう見ても、仔ヤギの姿のまま、サイズだけ大きくなってっとる。

 なんてこった。いや、これはこれでかわいいんじゃが、かっこよさという観点で見れば……なくね? え、わし、これに乗んの? 予定じゃ馬くらいに大きくなった、幻獣型モンス姿のゴーディアスの背に跨り颯爽と駆けるわしになるはずじゃったんじゃが。ばかでかい仔ヤギのぬいぐるみの背に乗ってポクポク走ってくのけ?

 …………まあいいや。なっちまったもんはしょーがねえ。

 口惜しいのは、そんなわしらを見てねーちゃんがニヤニヤしてることだ。手元の産廃はますます落ち着いたモノトーンに沈み、大人しくしていることが多くなった。時々思い出したようにうねらっとする。ねーちゃんはあれをどーするつもりなんなら?


 一度うまくいくとゴーディアスはすくすく大きくなっていき、併せて特訓している元の大きさとの切り替えも少しずつスムーズになっていった。

 今年の流れ花の日には、背に水を汲んだ桶を4つまで積んで運べる大きさにまでなっていた。これだけでも大収穫だ。

 巨大化はまだ進んでいる。この調子なら、今年の冬にはわしを背中に乗せて走れるくらいに大きゅうなっとることだろう。



 外では新しい仔ヤギが誕生した。今年は一頭だった。名前はねーちゃん発案でタンパクとなった。食うためにつけるような名前だと思ったが、こっちの人にゃわからんので黙っといた。

 ちなみに去年生まれた双子のラルは、年明けのご馳走になった片割れのミネと同じ食肉化の運命を免れた。

 辺境大モモゲなる蜘蛛に似た虫の毒にやられたのだ。茂みと地面の境目くらいに穴を掘って潜んでいて、トリモチ並みに粘着力の高い強靭な糸で蓋をするように巣を架ける。糸の色は茶色く、落ち葉なんかを被せてうまくカモフラージュされた巣は立派な落とし穴として機能する。哺乳類の子供くらいなら巣に引き摺りこんで食ってしまうという。ちなみに、大きさは小型犬くらいある。

 開けた場所に出てくることはないそうなんで、放し飼いにしてたラルが踏み込んだ茂みの側にちょうど巣があったようだ。足から腹にかけてべたべたしたもんに塗れて戻ってきたラルの、ぶるぶる震えて泡吹いて倒れたその腹にくっついていたのだ。

 目にも止まらぬ早業で剣を突き出したウルリカが見事地べたに縫い止めたそいつから、嬉々として毒を採取するねーちゃんの様子からして、その危険さと比例する希少度合いは本当なんだろうということもよくわかった。

 薬箱をひっくり返す勢いであれやこれや投与しまくったねーちゃんの処置によってラルは命を取り留め、歩き回れるくらいに回復したが、一度モモゲ毒に侵され、更にはねーちゃんのエリクサ漬になった生き物の肉を食うのはどうかと思ったのは、みんな一緒だったらしい。

 ラルはそれからも放し飼いにしてあるが、誰もラルを食べようとは言い出さない。

 時々長いこといなくなっては数日後ひょっこり帰ってくるという野良猫みたいなことを繰り返すようになり、わしは密かに改造ヤギが誕生したのではと思っている。ラルが人間並みの知能を獲得していたり、蜘蛛どころか何物も傷つけることあたわぬ鋼の肉体に変化していたとしても驚かないが、今のところそれが判明するような事件は起こっていない。

 ついでに、ねーちゃんの使い魔になったりもしてないようだ。普通に育ちよるからな。



「ケイセイ、外套を新調しましょうか」

 辺境の短い夏のある日、ウルリカが微笑みながら言った。

「あなた、また大きくなったことだし、今年の冬に外に出れば、しばらく会えないわ。街では衣類も自作できないなら交易用の通貨を支払って購入するしかないというでしょ。大きめのものを一着、用意しておきましょう」

 ウルリカの言葉と眼差しに、なにか真っ直ぐに見返せなくさせる後ろめたさを感じて、わしはなんとはなしに視線を逸らした。

 あれから父ちゃんや兄ちゃんとイズリアルさんも交えた話し合いを繰り返し、わしの出発の予定は今年のしもふる月下旬、きたかぜの月に入ってドカ雪が来る前ということに決まっていた。

 ウルリカは素直だ。わしを家族と認めてくれて、親しみと家族が欠ける寂しさを隠しもしない。健気に寂寥に耐えて送り出そうとしてくれる。

 感謝と何とも言えない気持ちが胸いっぱいに広がる。

「必ず帰ってきます」

 つい言っちまったよ。出かけてもいない今から言ったところでしょーがねえってのに、なんとかウルリカの沈んだ顔を浮上させたかった。

 どの道魔法の使い方に関しては、一度は魔術師組合に出向いて色んなタイプの魔術師と切磋琢磨するのがよいだろうってイズリアルさんも言ってたから、いつかは行ってたと思うんだけどさ。それを今やる必要があるのか、急がにゃならんのかというと、完全にわしの趣味と実益を兼ねた我が儘なわけで。

 だからこそ、わしのためにウルリカが悲しい思いをするのは申し訳ない。

「ぼくのために寂しい思いをさせてしまいます。すみません。それなのに森を出る猶予をみんなにもらえたことを感謝して、その機会を最大限に活かしたいと思っています。ずっとではありません。ぼくは必ずここに帰ってきます。今より強いぼくになって帰ってきます。それまで待っていてください」

 この森の中の一軒家がこの世界でわしの帰る唯一の場所だ。それは確かだ。修行が終わって帰ってきたら、改めてウルリカと一騎打ちして勝てるようになってるか査定して、また組合員として外に出るんだけどさ。

 いずれは組合員隠居してここで一緒に暮らしたいと思っとるけんな! まだ言えねえけど。

 ウルリカの悲しみを和らげようと言葉を尽くしたさっきの台詞が先走り過ぎたことに気がついたのは、ウルリカがただでさえ輝くような面輪を閃光を放つがごとく強烈に光量を増したこの瞬間で、わしは自分で言っときながら自分で受けた衝撃に絶句した。

 ちょ、わし……ぶっちゃけ今のプロポーズじゃねーか。父ちゃんと兄ちゃんに伝わったらシメられるじゃろーが! そのつもりで言ったわけじゃねーからセーフってことにしといてくれんかな、な?

 ウルリカに求愛していいのはウルリカより強うなってからじゃけんな。そこは父ちゃんと兄ちゃんとの約束云々以前に、わしの男としてのプライドにかけて、絶対最低限のラインだ。

 ごめんウルリカ、あなたに他意がないことはよっくわかっとるけんど、無駄にボルテージ高めちゃうから、そんな顔で笑わんで。

 逸らした目で、袖丈と裾を交互に見る。前の冬より、裾から覗く手首が長くなっとる。おー……わし、まだウルリカより低いんじゃけど、そいでもちっとは大きゅうなっとんじゃなあ。

 そういや、交易用の通貨とやら、つまり金というもんをこの世界で見たことがねえ。貨幣か紙幣かも知らんわ。今夜にでも父ちゃんに聞いとこう。

 所持金ゼロから始まる冒険てのもアリっちゃアリだが、さすがに現金見たこともない奴が冒険者目指すっておかしいだろ。よく寸前で気付けたなー、わし。


「おお、そういえばそうだな。これまで忘れていたが、外界では金がなくば何もできぬのだった」

 父ちゃんはごま塩頭のデコを分厚い掌でぺしりと叩いて、首を捻った。

「……むう。我が家には現金がないから、次にジェオ達が来た時に話して、奴の給料からツケで融通してもらおうな」

 重々しく情けないことを言われたが、ない袖は振れんものだ。貧乏にゃ慣れてるが借金には縁のないわし、ダメ元で訊いてみた。

「お父さんは、若い頃は兵士をしていたと聞きました。当時の持ち物は残っていないのですか?」

 この森で不要な現金はないにしろ、当時の武器防具とか旅の道具とか、あわよくば珍しいアイテムとか。いや、そんなに期待してたわけじゃないぞ? 父ちゃんが忘れてるだけかもしんねぇとか、思ってないぞ?

 だが父ちゃんは溜息交じりに首を振った。

「ないな。なにしろ30年近くも前の話だ。この森に移ってくる際に、私物はきれいさっぱり処分してしまった。今使っている装備はこちらで適宜整えたものだ」

「うう……そうですか……」

 うん、しょうがねえ。わしが今着てる物だって全部が全部、こっちの世界に来てから父ちゃんに与えてもらったもんばっかりだ。この上お駄賃まで要求したらバチが当たるってもんよ。

「イズリアルさんのおうちの兵士をして、雇われ兵士もしていたと聞きました。どちらですか?」

 この際なので、わしは一つ気になっていたことを突っ込んで訊いてみた。父ちゃんがイズリアルさんちに仕える兵士だったという話は確かっぽいが、傭兵だったという話も聞いたことがあったようななかったような。

「どちらもだよ。傭兵として各地を旅していたが、縁あってヴォジュラ領の兵士になったのだ。それで旅暮らしをやめた」

「傭兵になる前は、何をしていたのですか?」

「まっとうな職を持たず、その日暮らしをしていた」

 目を丸くするわしの顔を見て、父ちゃんは照れくささと気まずさが複雑に混じり合った表情で苦笑した。眉毛の薄い厳めしすぎる顔立ちは、こっちを威圧するかのようだが、そう見えるだけである。

「おまえに言葉を取り繕って誤解が生じてはいかんから正直に言うと、悪党だった」

「アクトー……悪党? 悪い人という意味の悪党ですか? ぼくの聞き間違いではありませんか? お父さんは、後ろ暗いところがあるのですか?」

「その通りだ。行状について口にするのも憚られる」

 わしはまずぽかーんとした。次いでじわじわ愕然としてきて、信じがたい思いで訴えた。

「お父さんはいつもぼくとお姉さんに生きていくために必要なものを与えてくれます。お姉さんのために魔境から薬草を採ってきてくれました。ぼくたちを危険から守ってくれます。気を付けてくれます。お父さんが育てたウルリカとお兄さんも親身になって世話してくれます。ぼくは信じられません。どうして悪党でしたか?」

 この悪党の首魁然とした見た目の父ちゃんが、中身は甘いってくらい情け深くて親切な人だとわしは信じてきた。ウルリカをあんなに悪意のない人に育てたのは父ちゃんじゃぞ。領主様から大事な仕事を任されてもいる。現役の悪党にそんなこたできんはずだ。

 わしが会ったこの世界の人が丸ごと口裏合わせて壮大なデマ設定を3年も語ってきたとかでもない限り、わしが見聞きしてきたことは嘘じゃねえと思う。ねーちゃんは一度人の街に行ってきて、イズリアルさんのお父さんが本当に街で一番偉い人だって確認してきてるし、それすら偽装だったとしたら、わしゃ人間不信になるわ。

「それは若い頃の父さんが、意思の弱い馬鹿者だったからだろう。一度罪を犯してうまくいくと、その罪悪感や恐れも容易く薄れ、これからもうまくいくと思うようになってしまったのだ。水が下へ流れるように心も楽な方へと流れ、内省もしなかった。そういう者にはやがて報いが来るものだ」

「……来たのですか?」

 わしは恐る恐る尋ねた。

 報いという言葉を使うからには、父ちゃんは昔は悪さをしてたのかもしれんが、更生して今の父ちゃんになったんじゃろう。きっとそうだ。

「詳しい成り行きは省くが、死ぬしかないというところで救ってくださった方がいた。それからは心を入れ替え、労働の対価として報酬を得る生き方をすることにしたのだ。傭兵の道を選んだのは、他に身を助ける芸の持ち合わせがなかったからだ」

「そうでしたか」

 ならいいや。わしが今まで見て来た父ちゃんに対して抱いている印象が、今は間違ってないのなら。元がどんな悪党だろうが、わしとねーちゃんにとっちゃ恩人じゃし、なんぞ恨みがあるでなし。

 損得で結論しとる感じになっとるが、結局んとこ、受け取る側の立場の違いだわな。昔の悪さで被害を受けた人やその関係者とかなら違う意見もあろうが、わしにとっちゃ父ちゃんは心強い味方以外の何者でもない。

 ならわしだって父ちゃんの味方じゃ。人間関係なんてそんなもんじゃろう。考慮せにゃならん社会的な事情とか物事を公平に見にゃならん立場とかもないんじゃし。

「お父さんを助けてくださった方は、イズリアルさんのお家の人ですか?」

「ご家族ではないが、フェルビースト家と縁ある方だ。その方に救っていただかねば、余殃と言うにふさわしい死に方をしただろう。その方は、自分の耳目となり世の有様を伝えよと指示を与えてくださった。そこそこ顔も知られていたので、ほとぼりを冷ます目的も兼ねて旅を始めたのだ。十分な年月が経過してからヴォジュラに戻ってきて、縁あって兵士に取り立てられた。ただ、世間の表舞台に立つ気はなかったので、目立たぬ部署を希望してここに配置していただいた。本当にありがたいと思っているよ」

 そう言った時の父ちゃんの目はしみじみとした穏やかさと、懐かしさと、かすかな痛みのようなものを浮かべていた。ねーちゃんが元の世界を思い返してる時の目つきに似てた。

 うん、わしはやっぱりこの人を疑えそうにない。要するに今まで通りだ。

「ぼくも、ここにお父さんが来るようにしてくれて、ぼくたちを見つけて助けてもらえて、ありがとうと思います」

 心からそう言えることを、ありがたいと思える。父ちゃんにも、父ちゃんをここに寄越してくれた色んな人や物事にも。

「ああ」

 父ちゃんは、それはそれは嬉しそうに目を細めた。嬉しそうと一口に言ってもウルリカとは全然似てなくて、すっげえ怖い顔つきだけども。この3年ばかりの間にすっかり見慣れたものになっていた。



 季節は巡り、わしらはこの世界で四度目の蜂の巣狩りを終えた。獣も人も、冬篭りの時期が近付いている。

 わしの出発の支度も、最終段階に差し掛かっていた晩秋のある日、ねーちゃんが事新しげに取り繕った顔でわしのところへやってきて、何やら差し出してきた。

「敬清、これ持っときい」

 ねーちゃんが握りしめていたそれは、特に目を引く美麗さも特徴もない細かい金属とも石ともつかない変な色艶の破片であった。その道にゃ詳しゅうねえが、針金みたいな細っこい形状に加工された金属片のメインとして、黒い石が据えられている装飾品とまではわかる。

「イズリアルさんにお願いして、台を調達してきてもろたんじゃ。本体は姉特製のお守りじゃけえ、餞別じゃ思うて持っとき」

 大事な長旅の前なんじゃけえ、という言葉は続かなんだ。ま、今更か。

 さっき来たイズリアルさんが小さな包みを懐から取り出して手渡したところまでは見てたが、その後そそくさと自室に籠っちまったんで、なんじゃろとは思っとったが、これを作っとったんかい。

 ついアナリシスしちまうのは、興味本位なのも確かだが、もはや癖じゃな。


 謎の耳飾り/材質不明/ランク不明/効果不明


 ……わしの情報魔法が未熟なのは認める。だが魔法に失敗したわけでもないのにこれはひどくないか。用途が耳飾りであるということ以外何も判明しとらん。

「潮音お姉さん、このお守りには果たしてどんな効果が?」

 えへんとふんぞり返るねーちゃんには悪いが、正直嫌な予感しかせん。思わず真剣口調で訊いてみるのも宜なるかな。ねーちゃんが形だけのお守りなんぞ作るわけがない。

 そしてわしはアナリシスの結果とは関係なく、気付いてしまった。この石の色と質感が、ねーちゃんが熟成に熟成を期してきて、今や桶の中で凝縮されて光を吸い込むような摩訶不思議な漆黒に変わっている例の産廃と同じであることに。

 姉よ、あれを使ったんか。わしに身に着けろとぬかす装飾品に、あれを使ったというのか!?

「ふふふ、いずれわかる」

 ねーちゃんはニヤッと笑いながら流し目をくれ、悪役(それもストーリー序盤の山場で戦う最初の中ボス)みたいな思わせぶりな言い草でもったいをつける。ねーちゃんなりに考えて、打てる手は全て打ってくれようという気持ちは痛いほどわかるのだが、じゃあ喜んでと受け取れるかどうかは別問題だ。だってねーちゃんの魔法がかかっとる作品じゃもん。しかも素材アレじゃもん。絶対なんぞ仕込まれとる。

「ケイセイ、それは、君の立場をある点において明らかにするために役に立つものだよ」

 わしらの日本語での会話は通じていないはずのイズリアルさんが近づいてきて教えてくれた。わしの表情と剣幕から、ねーちゃんに説明役を任せるのは不十分ではないかと思ってくれたようだ。ねーちゃんが視界の端っこで「あー……」と呻いて残念そうに口を閉ざしたのが見えた。ざまぁ。

「森の外では、人は未婚か既婚かを証明するため、あるいは区別するために耳飾りを着ける習慣なのだよ」

 わしは掌の上の黒光りする産廃のなれの果てをまじまじと見た。ふと思い立って、イズリアルさんの耳たぶがある辺りに目を凝らす。イズリアルさんは苦笑を深めて両手で赤い髪を後頭部へと撫でつけて見せてくれた。

「私は何も着けていないよ。未婚で、結婚の約束をしている人もいない」

 つまり、結婚か婚約をしている場合に、これを着けると。結婚指輪みたく、周りの人にもそれがわかると。

「……てゆーか、わし、これいらんくね?」

 わしの結婚は当分先の話じゃぞ。もしや街に行ってる間に他に彼女が出来るかもしれんなんぞといういらん世話に基づく用意じゃねーだろな。こんなもんウルリカの前で受け取れんわ。

「いんや、いるがな、いつ帰ってくるかもわからん留学なんじゃけえ。着けとるだけでも気休め程度の保険効果はあろうし、あんたが浮気したらウルリカに伝わるようにしとる」

「ふざけとんかこのくそねーちゃん? あ? ふざけとんかわれ?」

「別にあんたがモテるとか思うとらんわ! 外の女の子に現を抜かして身ぃ持ち崩さんようにの保険じゃ! あんただけなら自業自得じゃけど、ウルリカがかわいそうじゃがな!」

 わしとねーちゃんが日本語でぎゃーぎゃー喚きながら互いに掴みかかろうとしていると、さすがにみんな心配して割って入ってきてくれた。

「どうしたんだ」

 あっさりわしらを分断した兄ちゃんが、咎めるでもなく落ち着いた声で尋ねてくるので、頭が冷えて短気を反省した。兄ちゃんの前でムキになるのが馬鹿らしくなってくる悠揚とした構え方は、父ちゃんととてもよく似ている。

「すみません、お兄さん。ほんのささいな意見の不一致だったのですが、口では済まなくなってしまいました」

「耳飾りを作りましたが、敬清の気に入るように作れなかったせいです」

 ねーちゃんもしおらしく項垂れて言った。さっきわしから剥がされる時に束の間掴まれた肩をそわそわと眺めてるように見えるのは、気にしないことにする。

 ねーちゃんとこんなバカな諍いを起こすのも、これからしばらくないのだ。そのひたひたと迫る感傷が、こんな大人げない振る舞いに走らせてしまったんだろう、遺憾な事に。

 そう、早いものでしもふる月。ちょいとばかり早いけどと、わしの15歳の誕生日祝いと称してこの幾許かの現金を入れた財布と換金アイテムを持ってきてくれた兄ちゃんとイズリアルさんとは、この後当分はここで会うこともなくなる。

 現金の種類とか使い方とかも教わった。ヴォジュリスティに辿り着いたら、これを門衛に提示しなさいと、旅券も貰った。いつぞやイズリアルさん家がねつ造したわしら姉弟の戸籍に通じてもいるという、小さな文字がびっしり彫り込まれた平たい石の食券みたいな旅券は、またうっかり失くしそうなサイズだ。首から提げるもんがどんどん増えてくぜ。

 兄ちゃんはわしの掌に所在なく乗る飾りをちらと見て、「まあ、街で着けていても別段害になるでもなし、構わないんじゃないか」と言った。

「ケイセイ、私も同じものを貰ったのよ」

 次々と口添えを貰って内心唸るわしは、ウルリカの華やいだ声に目を剥いて、にこにこと機嫌よさそうな彼女の笑顔の外側を、食い入るように見詰める羽目になった。

 いつ見ても後光燦然たるウルリカの白い左の耳たぶには、ねーちゃんがわしに押しつけようとした産廃の耳飾りと全く同じもんが煌めいている。

 ま、まさか……ペアルックかっ!? ねーちゃんめ、わしに無許可でわしらで遊びおってからに!

「言い忘れとったけど、着けっ放しでも凍傷や感染はせんけん安心しい。結婚したら、祝いにもう一揃い作るけんど、今は一個ずつな。いつになることやら?」

 ああくそ、マジねーちゃんのドヤ顔うぜえ。ドクダミ茶の出がらし投げつけてえ。

 歯の根を鳴らすわしの形相をどう思ったのか、説明してくれるイズリアルさんは馬でも宥めるような口調だ。

「婚約者がいると片耳、結婚すると両耳に着けるのが倣いなのだよ。ヴォジュラに限らず王国内どこでも通用する婚姻に関わる決まりごとだ」

「ウルリカは、それを理解していますか?」

「もちろんよ。あなたが遠くに行ってしまっても、帰ってくるのを待つ楽しみができるわね」

 ……おお、父ちゃん……それでもわしは、求婚の許しを得ねばならぬのです……なぜならば、未だウルリカより弱いからです……

 イズリアルさんがどうどうと肩を叩いてくれる。

「私も、森の外で君と出会う時が楽しみだよ」

 兄ちゃんも、殊更に深刻ぶってみせる人じゃないが、薄青の目を眇めて眉間に縦じわを溜めた怒ってるように見える顔で、くれぐれも気をつけろと、心構えさえ怠りなければ今のお前なら森を抜けられると言ってくれた。

 兄ちゃんの信頼と保証は、面映ゆかった。それはささやかでも、わしの中で確かな自信に変わる力を持っているようだった。


「それがお守りってのは本当じゃよ。これでも色々考えて、ち……魔法、使ったけん」

 後で落ち着いてから、改めてねーちゃんと話したらば、ねーちゃんは意外にも、不貞腐れるでなく真剣な面持ちで言った。

「ほんとはな、後からあんたに手伝うてもろうて、あんたにとって必要な魔法くっつけよ思とったん。魔化ってあるじゃろ、あれの要領な。一種類だけじゃけど、耳飾りに付与できるけん」

 な、なぬ!?

「自分だけで考えても、フントクイの巣を抜けるためには何が一番必要かわからんくて」

 わしは長丁場になるであろう洞窟踏破に向けて、いくつかの新たな魔法を習得していたが、一度使えば効果が固定される≪保存食化≫なんかと違い、維持している間だけ効果がある≪防冷/防熱≫や≪暗闇視覚≫なんかは燃料や酸素の残量との兼ね合いもあり、使いどころやMPの配分が考えどころで密かに悩んでたとこだった。

 これが一つでも常動型に、いんや、せめて任意のタイミングで使い放題となりゃ、大助かりなんてもんじゃない。まさしく天の助け、神仏の功徳だ。

「ね、ねーちゃん……! いえ、お姉様! どうぞよろしくお願いいたします! この愚弟にお情けをば!」

 わしはひれ伏した。プライド? そんなもんわしにあったっけか?

 ねーちゃんは呆れるでも怒るでもなく、小さく笑って、わしがいそいそと取り出した産廃の耳飾りに触れた。

「下拵えはしてあるけん、すぐでもええんなら、あんたが付与したい魔法を使いねえ。仕上げしたるけん」

 ねーちゃんの膝の上にはびっしりと文字を書き込んだ羊皮紙が広げられ、その上に飾りを乗っけたままのわしの手を翳すよう促された。

 わしは逡巡した後、やっぱり真っ暗闇の中での行動を大いにサポートしてくれるだろう≪暗闇視覚≫を付与することにした。洞窟抜けた後も、夜の作業に役立ちそうだ。

 静かな夜の森の家、小さな火の光を受け、穏やかな目をして座るねーちゃんと二人。

 ふと昔のことを思い出す。元の世界でも、光熱費節約のために早寝早起きが基本だった。陽が昇っているうちにできることはみんなやってしまうので、わしが夜のうちに済ませることといったら後回しにしがちな学校の宿題くらいのもんだった。じいちゃんは保護者会とかが長引かん限りは午後8時にはもう寝ていた。ねーちゃんは時々、豆電球の下で皆の服の裾上げとかしてた。

 今の手蜀のわずかな明かりが照らすねーちゃんの顔の陰影がその頃の懐かしさを呼び起こし、ここ一番ってくらいに心を凪いだ状態にした。

 十分に集中して発動した魔法は会心の出来で、ねーちゃんはそれを滞らせることなく、わしの掌の飾りに集め、そっと魔法の向かう先に添って指し示すだけで、発動結果や魔法の性質に干渉することなく中に導いて固着させていった。わしが見たねーちゃんの魔法の中では、一番出来が良かった。

「これが街で魔法の修行した成果ってわけか」

「まあ、そうじゃな」

「すげえがな。ねーちゃん、実はもっと色んなことができるんじゃねえん?」

「かもしらんね。わからんけど」

「もっと色々挑戦すりゃええのに。宝の持ち腐れじゃがな、もったいねえ」

「なんのために?」

 わしはねーちゃんの口吻が引っかかって、耳飾りを矯めつ眇めつしていた視線を引き剥がしてねーちゃんの顔を見た。

「なんでもできる魔法なんちゅうもんがあって、そんなんが使えるようになったんなら、闇雲に撒き散らすんじゃいけんじゃろ」

 どこか嘲るように吊り上げた口角は、話し相手のわしではなく、話の対象である魔法に対してだろうか。

「少なくとも私は、知らん所とか見えん所で、手が届かん所にいて助けが必要な人を助けるために使いたいて思う。前の世界でよう聞いたろ、人にはなんかの役割があって生まれて生かされているとかいうやつ? 陳腐なけど、自分にもそういう力授かった意味を求めるなら、そのためだって思えるように心がけて使いたい」

 そんな風に、考え考え、内省するかのごとく言ったのだ。あんだけ魔法に懐疑的だったねーちゃんが。

「あんたはあんたで、自分のやりたいように使えばええけどな。向き不向きとか使い方とか大分違うっぽいし。私は私で決めてやる。人にこれやれあれやれって言われてもようやらんわ」

 つまりは、それがねーちゃんなりの魔法というものへの答えなんだろう。

 もう四年近くも前になる初夏の自宅で、倒れていたじいちゃんを見つけたのはねーちゃんだった。

 わしが戻った時にはもう近所の爺様婆様が出入りしてて、ねーちゃんの代わりに通夜と葬式の手筈をつけてくれよったところだった。じいちゃんは身形を整えられて布団の上にいて、今朝いつも通りに別れたのにと揺さぶりをかけてくる現実とのすり合わせに苦労したりとか、頭が痺れたみたいに時間が引き延ばされて感じて、そりゃショックではあったけども、状況を膳立てされてたんで、受け皿が自分の中でできてたってのはある。

 何の心構えもなく、玄関で頭を下にして倒れてたっていうじいちゃんを見てしまったねーちゃんの衝撃とか混乱とかに比べりゃ、はるかにマシだったはずだ。

 ねーちゃんはわしの前で口に出したことはねーけど、自分がもっと早く見つけてれば救急への連絡が間に合ったかもしれないとか、他にもじいちゃんのために自分にできることがあったかもしれないとか、言葉なり交わす猶予を得られたのかもしれないとか、そんな風に考えたことがあったんじゃなかろうか。

 魔法なんてもんが使えるようになったんなら、猶の事たらればを考えたとしてもおかしくない。

 考えてみれば、ねーちゃんはみんなにとって役に立つことにしか自分の魔法の力を使ってこなかった。エリクサ作り然り、変身能力を食料調達や危険察知に特化させてたり。

 順調とは言い難いが、ねーちゃんのその抱負は、亀くらいには着実に捗っとるんではないだろうか。

 今までになく素直に、それを応援したいと思った。

 ま、まあ、しょーがねーから、ねーちゃんからの餞別は、着けることにしたさ!

 ……とりあえず、着けてみて、わしの魔法が吸われるとか変質するとかいった異変はなかったことだけ報告しておく。

 うん、やっぱ一応は心配というか、用心はしてた。一度や二度腕を上げたなと思っても、ねーちゃんの魔法への信頼性ってのは、今んとここれ以上にはならんよ。



 しもふる月の20日早朝、わしはコインを入れたら動くぬいぐるみの乗り物みたいな見てくれのゴーディアスに野営セットや飲食料を載せ、今自分にできる最大限の武器と防具に身を固めて、家族と向き合った。

 都会の高校進学のために実家を離れて一人暮らしする息子を家族総出で見送る図みたいな状況だが、わしは愁嘆場を演じる気はなかったし、明るく爽やかに別れたかった。準備期間は十分にあったんじゃし、今更湿っぽいのはなしにしたい。

 これから自分を支えてくれる思い出の中の家族には、笑って応援してほしいと思ってたら、ねーちゃんもそこんところを心得てくれて、ウルリカを宥めすかしつつ、ちと大げさなガッツポーズして見送ってくれた。

 ウルリカはすげえ努力してるとわかる健気な微笑みを浮かべて、父ちゃんは穏やかな微笑みで。

 わしは、ねーちゃんと、ウルリカと、父ちゃんの笑顔を目に焼き付け、ここまで世話してくれた感謝の気持ちを込めて深々と礼をした。みんなにも、わしが希望とやる気に満ち溢れて旅立ったのだと、少しでも安心を伴って思い返してもらえるよう、満面に笑みを乗せ、元気いっぱいに叫んだ。

「行ってきます!」



 ゴーディアスは、見事、わしと荷物一式を乗っけて走り回れるくらいに大きくなった。変化したのは結局サイズだけじゃが、そもそも第2形態獲得を目指した目的は果たせている。かっこよさとかの自己満足部分に関しては、高望みと諦めることにした。謙虚は美徳、この辺が今の自分に釣り合うた水準なんじゃろと思うことにしておく。

 でかさだけはマズリ馬並みの子ヤギに乗って、わしは今や通い慣れたフントクイの巣穴へ辿り着く。要した時間は7日ほど。うん、順調順調。ドカ雪が来る頃にはわしらは地面の下という寸法じゃ。

 わしらはあれから、巣穴内部の探検もちょくちょく行い、表層部分のマッピングも手掛けていた。

 その間、この近くに住んでいるという殻の氏族の妖霊人には一度も遭遇できていない。あちらさんにも、わしらの前に現れる気はないんだろうと見切りをつけ、もう期待はしていない。

 中は想像してた以上に洞窟で、ゲームの洞窟エリアのように謎の光源により奥まで見渡せるなんちゅうことはない。

 耳飾りの≪暗闇視覚≫のおかげで、日中同然の明瞭な視界というわけにはいかないにせよ、一歩踏み出すにもおっかなびっくりだった下見の頃より移動は格段にスムーズではあるんだけどな。ゴーディアスとも視覚を共有しているから、同じペースで進行できる。

 洞穴の狭さ以上に、全身を包み込む暗闇の圧迫感の方が何とも言えない息詰まるような気持ちにさせてくれる。大地の懐に潜り込んでいるのだと実感する。大地の、土の、岩の、森の重み。時折垂れ下がっている凍った木の根が氷柱みたくなっている。埋まってしまいそうな息苦しさを覚えるも、空気の流れはちゃんとある。

 当たり前じゃが、時期のせいで風雪は凌げても、すげえ寒い。空気に触れている上も横も下も洞窟内部全方向が凍っていて白くなっている。夏場に探索した時には、地面の湿気か雨水が流れ込んだものか、湿っていてぬるついていた。滑りやすさは夏季も冬季も変わらない。

 わしらは凍傷防止のためにこまめに歩みを止めては末端を温め、少しずつ、着実に進んで行った。ゴーディアスが予定以上に多くの荷物を運べるようになってくれたんで、食料と飲料水と燃料には余裕があるのだ。加えてわし自身もわしの体重と同程度の荷物を背負っているんで、高速移動が難しいって事情もあるんだが。

 ……そいつを片手でひょいと持ち上げて、わしが背負うの手伝ってくれた父ちゃんは……うん考えたら負け。忘れよう。

 途中、自然の地下洞穴に出た。ファンタジーの地下迷宮ならお約束って感じのかなり広々とした吹き抜けっぽい空間となっていて、下の方から水の流れを示す音がしていた。生き物がさっと退く足音と気配もしたが、こちらに襲いかかってくるようなのは居合わせなかったようだ。

 厄介なのは、他の場所に繋がると思われる穴が複数口を開けていたことだ。どの穴がどこに通じているのかを調べて地図を埋めて行くのだが、進んだ先で新たな分岐があったりと中々進まなくて、今年いっぱいここで調査の足止めを食らっていたところだった。

 フントクイの巣は基本的には一本道だ。分岐してても小部屋になってるか、別の出入り口になってるかなので、引き返すにも手間暇のロスは少ないのが助かる。むしろこういう自然洞窟と合流した時の方がめんどい。そして、まだ辺境の森の外側に通じる出入り口には当たってない。

 磨り減った岩と苔の削れた道が、フントクイの通り道を示している。巣穴を巡らなければ外の出口には辿り着けないわけだからして、自然洞窟よりもそちらを優先して進めばいい。それと、来る度に落盤してる箇所が増えてたりして、選択肢が絞られることもある。

 どこか森の中に通じている縦穴もあるようだ。ごろりと大きなスラブの迫り出しで上方の視界を遮られている個所から、地下の闇に慣れた目にはものすごく眩しく見える陽が射し込んでいる。

 地上からこの上の地点を特定して昇り降りできればショートカットになるかもしれないと、最初は考えた。ただし吹き抜けのかなり高い位置なので、ねーちゃんなら鳥に化けて飛んで出られるけど、人間が行くには入念なクライミング準備をしてうんと時間をかけて這い登らねばならないだろう。

 こんなとこから飛び下りてペナルティがないのは画面の中だけなんだなと、えらくしみじみと思ってしまう。

 ついでに今のわしは、大量の荷物を運んでくれてる四つ足動物ゴーディアスを伴って通過できる高さと広さを必要とするため、更にルートや移動方法選択の幅は狭まっている。大ジャンプなんぞ以ての外だ。

 こんな風に光が射し込む場所以外、地下では時間の経過が体内時計でしかわからない。正確な日時を知ることのできる魔法はあるにはあるが、わしはそいつを重要視せず、他の習得を優先していた。自分の疲労具合と腹時計で判断し、極力火を使えそうな拓けたところを探して、できるだけ熱を通したものを食べて、少しでも体を回復しやすくする。

 体を休めながら粗食に耐えていると、出発前日にねーちゃんとウルリカが腕を揮ってくれたご馳走の温かさと美味さを恋しく思い出された。ちなみにメインディッシュは今年産まれたタンパクじゃった。

 更に日時が経過すると、ねーちゃんとウルリカが力を合わせて作ってくれた豪勢な食事より、日本で暮らしてた頃の、ねーちゃんが炊いた飯と味噌汁と卵焼きとお浸しと唐揚げを無性に食いたいと思うようになった。あー、こういうのを郷愁というんだろうか。

 ええい、くそ、しっかりせえわし、自分に負けるんじゃねえ!

 ねーちゃんというと、あの名付けは、運命を言い当ててんのかってくらい高確率で食料に変わる不吉な命名だ。魔法なんか一切関わってないのにな。どーせ次の仔ヤギも血と肉に変わりそうな名前になるんだろうし、あの名付けセンスが改まらんことにゃ、ねーちゃんがまともな使い魔を持つ時は来んだろう。

 だから代わりに、産廃で自宅警備員を作るとかいう発想が生まれるのかもな。ねーちゃん、あれを未だに桶の中で寝かせたまんまで、どういう風に作ろうかと思案しているところらしい。イメージがまとまらんのだと。

 寝る時はゴーディアスと寄り添って寝る。風雪に晒されない分マシとはいえ、冬の辺境の凍った土の中は底冷えするから、でかい毛むくじゃらを連れ歩いていられるメリットは大きい。

 何よりゴーディアスがいてくれてよかったのは、全くの孤独ではないことだった。どこまで続いてるかわからん真っ暗闇の地下で、限られた物資だけを抱えて、見つからない出口を求めて一人でさまよう羽目になっていたら、正直わしは自分の正気を保てたかどうかわからん。



 森の家を出発してから14日目。

 正確に13日かはわからんが、とにかく家を出てから13回寝たので、便宜上14日ってことにしとく。

 不可解な振動を靴越しに足に感じると同時に、不安を訴えるゴーディアスの危険信号を傍受した。

 この穴倉の三日目くらいから、一日一度は、冬眠穴がてらこの中に潜り込んでいる野獣とか魔獣に遭遇するようになっていた。

 父ちゃんに連れてってもらった仕事場で見かけたやつも、見たこともないやつもいた。ここより魔境に近い家を拠点としながら、その近辺には全く現れなかった連中だ。つくづく父ちゃんは自分の仕事を隙なくこなしているんだなと尊敬する。

 前者は眠りを破らないようにそっと後退して事なきを得、後者はできるだけ素早く倒してその場を離れた。どちらも、この辺境大フントクイの巣穴の中で動き回るには不足のないサイズだったが、いんや、熊なんかは立ち上がればつっかえそうだったが、この地下の穴倉の壁や天井を震わせるほどではなかった。ましてや、ぱらぱらと氷の粒を降り注がせたりしなかった。

 これは身の危険を感じる。

(ゴーディアス、どっからだ?)

 ゴーディアスの感覚を通してみると、この空気の震えと足に伝わる振動は、向かう先から伝播してきているような気がする。

 そういえば、しばらく前から、他の生物との遭遇がパタリと止んだ。わしらが今向かっている方向の索敵範囲外に発生源……恐らくは巨大フントクイがいる。それを恐れてのことだろう。

 振動は一定のリズムで伝わってくる。フントクイは今は冬眠中のはず。だが時折起き出して、小部屋に貯め込んだ獣肉や鉱石を食べるのだ。わしがここで出くわした野獣の大半はフントクイの蓄えを当てにして潜り込んできているってわけだな。この通りくそ寒いんで、死んだ獣肉は腐るどころか凍っててガッチガチだ。それが種々雑多に積み上げられてる小部屋ときたら、知らずに見たら邪悪な儀式の何かだと思いかねない中々に刺激的な光景だと思う。

 そうなのだ、フントクイは時々は目を覚ます。わしは覆面の下でごくりと唾を飲み込んだ。

 回り道になるが、別のルートを探すことにし、そそくさと引き返したものの、別の道が見つからない。

 どうする? 自然洞窟エリアに戻って、フントクイには通れないが人間には通れる道を探すか?

 ……いや、多分無駄だ。前述したとおり、基本モグラの巣に近いフントクイの巣は、いくつもの分岐の殆どが小部屋状の行き止まりになっている。そしてその分岐を虱潰しに当たって、ようやく見つけた行き止まりではない本筋にいるのだ。

 それに減ってきた備えを元手に、自然洞窟部から地上への道を探し出すことは時間的に無理だ。

 家に戻ることは、今ならできる。家族の誰もが温かく迎えてくれるだろう。

 だが、それはわしに冒険は不可能だったと結論するだけの事実として残る。組合員……冒険者になるという、わしの夢と引き換えにだ。再挑戦が認められるかどうかはわからんし、そんなリセット同然の心の保険を当てこんで正念場に臨んで、正しい成果が挙がるわけがない。

 勿論、命あっての物種だ。無謀の末に野垂れ死ぬつもりはさらさらないが、ギリギリまでリタイアはしない。

 する時は、二度と森を出ない覚悟を決めて、今ここにいる。十分な準備と鍛錬を重ねてきた。父ちゃんも兄ちゃんも、今のわしならできると言ってくれた。だからできるはずだ。絶対このトライで、森の外に出てみせる。

 さて、考えろ。入口を潜ってから、フントクイの通り道は漏らさず自分の目で確認してきた。となると、道は恐らく一度は引き返してきたこの道の先、フントクイが寝てるだろう場所の向こうにしかない。

(……行こう、ゴーディアス)

 わしの推測を裏付けるように、進むにつれ振動は大きくなる。向かう先に、フントクイがいて盛大な鼾をかいてるに違いない。

 緩やかに斜め下に傾斜し続けていた道が長い直線に差し掛かった時、とうとう行く手に一際大きな空洞が拓けているのが見えた。そこに鎮座するばかでかい塊の影も。

 その頃には寝息は空気すら震わせる断続的な振動を生み出していた。自分の足音や呼吸音すら聞こえねえ轟音は、全部あのばかでかい生き物の鼾と毛皮のこすれ合う音だ。

 わしは落ち着かなさそうに耳を伏せるゴーディアスに心の中で命じて呼び戻し、その首を抱いて諸共に≪嗅覚遮断≫を唱えた。出来るだけ身を寄せ、魔法を維持する範囲を小さくなるよう二人三脚状態で進むしかない。

 使い魔の首を片腕で抱いたまま、わしらはじりじりと進んで行った。行く手の視界が広がるだけ、ゆるやかに収縮を繰り返す巨大な生き物の全容と細部が見えてくる。

 寝床用に整えた小部屋なんだろう、他の貯蔵室よりゆとりをもって造られている。父ちゃんの背丈よりちと高いくらいの天井に、8畳二間続きくらいの広さ。

 その真ん中で体を丸めて寝ているのは、庭で見かけた小さいご同類をこの部屋いっぱいに大きくしたフントクイ。

 土を掻き分ける丈夫な爪がびっしり生え揃った平たい前脚は体全体のバランスを逸脱してでかく、頭部をすっかり覆い隠している。毛の一本一本がタコ糸くらいある毛皮は針のような金属めいた色艶をしている。鉱物も食うから、それに類する性質を備えているのかもしれん。つまり防御力高そうってことだ。わしのナイフで斬りつけたとして、肉どころか皮にも届きはすまいな。

 圧倒的な重量感と質感を伴って迫る圧迫感。極限まで生命活動を縮小して眠っているだけなのに、小さな生き物を畏怖させる存在感。

 人がどうこうできる生き物ではない。それでも倒そうとするなら、時間と金をふんだんに費やして沢山の準備をして、腕利きの戦士や魔術師を何人も動員しなけりゃまず無理だ。起きてる時の、全力で抗うこいつに打ち勝つにはそれっくらいしても十分とは言えないだろう。

 それでもって、これが魔獣でもなんでもない自然界の野生動物に過ぎないってんだから、この世界の自然は、なんて驚異に満ちていて、わくわくさせてくれるんだろう。元の世界でもそうだったのかもしれないが、世界はこんなにも強くて危険な生き物が普通にいて、不思議にあふれていて、人が手を出せない領域がたくさん残っていて、人ができることの可能性もいっぱいある。それが途方もなく価値のあることのように思え、それに挑戦できるかもしれないことが嬉しい。

 ビビりながら高揚するという妙な状態に陥りながらも、わしはフントクイの8畳間二つ分の長さの胴体の影に隠れた位置、尻の先に通路が口を開いているのを発見していた。

 予め≪嗅覚遮断≫を使って維持しているから嗅ぎ付けられる心配はないとわかっていながらも、つい交差した腕の合間から突き出された尖った鼻先を避けてこそこそと迂回してしまうのは本能的な行動だろうと思う。一方で、早くこのデカブツから離れたいと気が逸るのも本能だろう。

 一定時間ごとに魔法維持のための歪みの相殺を繰り返しながら、息を殺してそろそろじりじりとした移動を続けるのは骨が折れる。走り出したくなる焦燥感を意思の力で抑えつけ冷静さを心がけながら、音声で気付かれる心配はいらなさそうな轟音の中でも、努めて抜き足差し足忍び足で傍らを通り抜け、続く通路に一歩を踏み出した。



 ついに見つけた出口から射し込む光は、雪の層越しで弱々しかったが、泣きたくなるほどの安堵感と慕わしさを胸中に呼び起こした。フントクイの側を通り抜ける時よりも、頭の中がいっぱいになったかもしれない。

「やった……!」

 つい日本語で喚きかけて、兄ちゃんの助言を思い出し、こちらの言葉に言い換えた。

「森の外です! ぼくたちはやりましたよ、ゴーディアス! ここまで、よくついてきてくれました! ありがとう、ありがとう!」

「メエエーッ! メメメメメメメメメメ、メエ!」

 人間同士なら手を取り合って小躍りしていたかもしれない。いや、実際そんな感じにわしらはしばし興奮状態を保った。

 外は絶賛豪雪中のようだ。既に凍っていた洞窟側をピッケルで削ったら、吹き付ける風を感じた。より冷たく風雪混じりに唸りを上げ、地中のじわじわとした寒さより刺すようだ。それもまた懐かしい。

 きたかぜの月の辺境雪はどっと降ったかと思うとぴたりと止むことは、この4年で得た経験則だ。外に飛び出したい気持ちを抑え、積雪が止むのを、久しぶりの光に目を慣らしつつ待ってから、荒野の断裂の半ばにぽかりと口を空けた穴から這い出した。

 森の木々や閉塞感ある天井壁に遮られない拓けた視界は、考えてみれば日本の実家以来だ。今は雪に白一色に塗り替えられている。冬の辺境の弱い光でもきらきらと眩しく、わしは急いで雪目対策を講じた。

 後ろを見れば未だかつてなく遠くかすんだ血潮山。麓に広がる森の陰影。森からも結構離れているようだ。ヴォジュリスティのちょうど真北に山があるということなので、≪方位磁針≫の魔法を使うと、わしの右手斜め15度くらいが北だったので、半歩左を向いて行くべき方向を定める。

「よし、ゴーディアス、左を向いてください。もう少し……もう少し……行きすぎです! 右向いてー……はい、ここ!」

 荷物は大分軽くなっている。飲食料はわしとゴーディアスの分含め、節制すれば6日くらいは凌げる。通常のダング種の馬で10日くらいかかる道のりだというから、土地勘のないわしらが注意しながら行くとなると、もう数日くらいは見積っといた方がいいだろう。≪断食≫の魔法も織り交ぜながら行けば、なんとか街まで辿り着ける。したら兄ちゃんとイズリアルさんからの、15歳の誕生祝いに貰った現金を使って、出来たての食い物にもありつけるだろう。よし、希望が見えてきた。

 わしは意気揚々とゴーディアスに跨り、銀世界の辺境の荒野を目を眇めて見渡した。いずれ街が見えるだろう行く手には、まだ何も見えない。

 世界の無限の広がりを見渡して、新しい世界のフィールドに立ったんだと実感する。

「行きましょう、ゴーディアス!」

「メエ!」

 わしの冒険は、ここから始まる。

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