敬清と魔法と人外
兄ちゃんが帰って来た次の日の朝、わしが起きると、父ちゃんも兄ちゃんももうおらんかった。
わしに気配も察知させず、朝の雪かきに出て行ったようだ。
わしの脇の下で四つ足を折り畳んだゴーディアスがわしの胸の上に顎を乗っけて寝ていたが、わしの意識の覚醒とともにぱちりと目を開いた。顎を仰け反らしてくあーと一つ大欠伸をし、ぴょんと跳び退く。わしの気持をよくわかっている、かわいいやつだ。
わしも、しっかり着込んで部屋を出た。
顔を洗えば、あとは、手袋を嵌めて首から上も覆い尽くした完全冬仕様となる。ねーちゃんがわしにも目出し帽を編んでくれたのだ。マフラーをぐるぐる巻いて口元と鼻の穴を隠してしまえば、あとは目元くらいしか生身が見えなくなる。ゴーグルがありゃ完璧なんじゃが、異世界では高望みというものだろう。
代わりに、ちょっとしたアクセサリ装備をこの冬にゲットした。
兄ちゃんからの誕生日プレゼントは、魔法石だった。ちゃんと魔法力が逃げねえように魔術師組合で自然消滅を防ぐ加工を施され、魔法力を使い尽くしても放置しとくだけで自然充電できる優れモノ。無色透明なのは、魔法力の質に偏りがないように元の魔法力が抜いてあるからだそうだ。
早速手に取ってみると、わしの人差し指の先ほどの大きさの石から、塊といってもいいくらい凝縮した魔法力を感じられた。MP15くらいはありそうだ。マジックアイテムの相場は分からんが、これは高級品のような気がする。
ただ、うっかり失くしそうなサイズなので、クルミの殻に嵌めこんで蓋をして、穴を空けて紐を通し首から提げることにした。いずれ街に出ても、これなら金目のものだとは思われまい。勿論、今も身に着けている。
ゴーディアスを襟巻代わりに肩に乗っけて、目出し帽とマフラーと手袋を小脇に台所と間続きの居間へのドアを開けると、朝飯の支度をしてたウルリカがぱっとこっちを向いた。
「ウルリカ、おは」
「ああ、ケイセイ。ねえ、どうしましょう」
ウルリカはおはようを言う間ももどかしそうに、せかせかと土間の台盤を回り込んできた。途中、がつんと強烈な音がして太腿の辺りを台盤の角っこにぶつけたが、わしに大丈夫ですかという暇も与えず、眼前に迫ってくる。
完璧な輪郭に描かれた白い顔が近づいてきて、うまそうなにおいが鼻を掠めた。いつものウルリカのにおいと違うなと思ったら、ウルリカの手を真っ白に染めている穀粉のにおいだった。
ウルリカはおろおろと手を揉み絞ったり頬っぺたを押さえたりして混迷の極みって感じだ。頬っぺたに穀粉の白が移ってるが、気にした風もない。ついでに、太腿の打身も気にならないようだ。
まあ、厚手の服で着脹れとるしな。特に冬服の素材は父ちゃんが狩ってきた魔獣や魔物の毛皮とか皮膜とかだったりするんで、実は防御力高いんである。
とりあえずウルリカのわたわたと動き回って粉を撒き散らす手を取り、落ち着かせようと手の甲をぽんぽん叩いてみる。
「どうしたのですか、ウルリカ。あなたのために、ぼくに何ができますか?」
「メフェッ」
ゴーディアスの鳴き声がくぐもってんのは、わしが持ってた冬装備を預かってくれてるからだ。
ウルリカは少し冷静になってくれたようで、一度深めの呼吸をしただけで、見る間に挙措が平常運転と変わらなくなった。この辺の自分の律し方はさすがだ。
ウルリカが手を引っ込めようとしないのをいいことに、わしは握ったままにしとく。
あったかくて指先や節が少し荒れていて、肉刺を何度も潰した、戦士であり主婦でもある硬い手だ。まだ少しわしより大きい。
「シオネね、あなたが昨夜言った通り、部屋の隅っこで頭を抱えて呻いているの。かと思うと急に床の上を転がったりするの。なのに具合が悪いわけじゃないって言い張るのよ」
「ああ、はい」
……ですよねー。絶対人型に戻った瞬間から頭抱えてのたうち回ると思ってたら、案の定だったよ! なんて期待を裏切らねえねーちゃんだ! いや別に期待してたわけじゃねえが。
いい加減、便利だからって動物姿でだらけて過ごすのに歯止めをかけたいと思ってたところだったのだ。これまでさんざっぱらわしが人の尊厳を手放しすぎじゃと忠告してたってのに、言うても言うても聞きゃせなんだからな。
わしはそれ以上詳細を質そうという気すら起こらず、にこやかにきっぱりと言った。
「そっとしておいてあげてください」
「メッ」
肩の上にへばり付いているゴーディアスも、こくこくと頷いている。最近よくわしの真似をする。かなり賢くなってっから、多分話の流れも意味もわかっていてやってると思う。
「体調不良ではないのは本当です。自分が人間らしさを忘れかけていたことをツーカンしているだけです。お姉様は思う存分転がり回り、泥と埃に塗れればいいのです」
「まあ、ケイセイ」
ウルリカは目を瞠って絶句した。わしの言い草にショックを受けたのは明らかだ。
こんなことでウルリカの心証を損ないたかないので、慌てて力を込めて手を握り直した。ウルリカの手は離れようとしなかったが、ちょっと心許なげに力が抜けた感じがしたので、言い募る。
「いずれは思い知らねばならなかったことが今来たと考えてください。ウルリカ、今はぼくを信じて、お姉様を放っておいてあげてください」
ウルリカはまだためらっていたので、わしはウルリカのきれいな青い目をまっすぐに見て、二度言った。
「ぼくを信じてください」
わしの両手の中のウルリカの指先が少し曲げられて、握り返すような形になった。
「……うん。信じるわ」
とっくにわかっとったのだ。ウルリカはわしらの実家以上に辺鄙なとこで少ない身内に可愛がられて育ってるんで、押しに弱いってことを。父ちゃんと兄ちゃんじゃねえけど、こんな人を街に出すなんざ、考えるだけで心胆寒うなるわ。
「今日はお姉様にお薬作成はしないでいただきましょう。きっと失敗してしまいます。ぼくからもよく言い聞かせますが、もしお姉様がお薬を作成しようとしたら、ウルリカからも制止してくださいね」
「わかったわ」
その時、当のねーちゃんがふらりと現れた。あんま眠れていない人の顔をしてる。髪がかなり伸びたから、そんなご面相で髪を梳かしもせんと突っ立ってると、井戸から這い出て来た女の仮装してるみたいで、ちとギョッとさせられる。白装束でも着てりゃ、幽霊にしか見えんぞ。
「おはよーごじゃり、まふ」
呂律が回っとらんし。こりゃ、ウルリカが心配するのも無理はない。
「シオネ、十分に休めていないのでしょう。無理しないでまだ寝ていていいのよ」
「……いえ! 問題ありません! 私は全く以て無問題です!」
「へー無問題? ほーそりゃそりゃ。ふーん。わしゃじいちゃんに顔向けできんくて反省しとるんかと思うとったわ」
ねーちゃんは、日本語で嫌味を言うわしと目が合うと、気まずそうに視線を後退させて、もごもごと口中でなにやら呟く。
「……うん……」
じいちゃん、古風な男じゃったけんのう。女子は慎ましくしとやかであるべきっちゅう価値観の持ち主じゃった。男のわしにゃむしろやんちゃ推奨みたいな風じゃったが、少なくとも人の道についちゃ厳しゅう言われたもんだ。
はう、と溜息を吐くねーちゃん、反省しとるんは見りゃ十分わかるんじゃが、わしも今まで自覚してた以上に鬱憤が募っとったらしいわ。実はちっとばかし、ざまみろって思ってる。
ウルリカはわしらが日本語で話してる時の常で、心配そうな顔でわしとねーちゃんを代わる代わる見比べていた。
わしが顔を洗って朝の雪かきに出ると、空は曙光がじわじわと広がる薄紫と紺色とのグラデーションを塗り広げていて、遮る雲一つないよく晴れそうなきれいな色をしている。
既に家の周りはきれいに均されていた。
父ちゃんも兄ちゃんも一体いつから起きて始めてんだよ……ざっと見渡してもいねえし。
散歩ついでに見回りにでも行ったかな。その辺をうろうろしてるはずのマズリたちも見当たらない。
家畜小屋も鳥小屋も掃除が済んでて、餌も取り換えられてたし。ねーちゃんとウルリカが大事に育ててるリンゴっぽい果樹の若木(こっち風には違う名前じゃったが、忘れた)もちゃんと凍ったり枝折れしないように入念に手入れされている。
わしにもなんか仕事残しといてくれよー……いや、起きるの遅かったわしがいかんのじゃけどもさ。けんど、いつもと同じくらいに起きたぞ、わし?
「メヘーン」
わしの足元に擦り寄ったゴーディアスが慰めてくれる。ありがとうよ、相棒。
遠くから落雷に似た重低音がかすかな地響きを連れてきた。どっかの枝が積雪の重みに耐えかねて、諸共に落下したんだろう。
ここで暮らして三年近くにもなるが、家の付近で凍裂の音はよく聞いても、ばかでかい枝折れは目撃したことがない。父ちゃんが我が家周辺の木々に手を入れてわしらが暮らしやすいように整えているからだと気付いたのは、時々森に連れてってもらうようになってからだ。
音の原因は家の縄張り外のはずだ。それがここまで聞こえてくるたあ、余程の大音だぞ。何かあったか?
庭先で途中止めになってた氷室作りを再開しようと思って雪ノコを掴んだとこだったが、外来者が襲来とかしてきた可能性に備えて、守備と警戒に徹した方が無難かね。
しばし逡巡したわしが家の戸口に立った時、三頭のマズリに乗って、父ちゃんと兄ちゃんが帰って来た。
馬の背に、わざわざ積雪の下から掘り出してきたものらしい香木の根っこの束とか、この辺じゃ見たこともないでけえ動物の黄色い断面が凍ってる脚だけとか、博物館に展示してある骨と似た色と質感の、岩盤に見えっけど多分なんかのばかでかい角が生えている頭骨とかの、ちょっとその辺に見回りに行ったくらいじゃ集まらん珍品を積んでいることからして、やっぱり軽く仕事に行ってたらしい。
二人と三頭は地吹雪にでも遭ったみたいに真っ白になっている。さっきの重低音は、父ちゃんたちがなんぞしたからだったようだ。
「おはよう、ケイセイ。朝から精が出るな。驚かせてすまなかった」
嫌味でも何でもなくそう言ってくるのは、地力の差をごく自然のもんだと考えてるからだろう。
わしを路傍の石みたくスルーしている一際でっけえマズリが、父ちゃんにはおもねるような態度なのも、その証拠のように思われる。
朝飯の支度はすっかり整っていた。
「シオネ、顔色がよくないぞ。具合が悪いのなら休んでいなさい」
父ちゃんが優しい言葉をかけてやったが、ねーちゃんはさっと顔を上げてきっぱりと宣言した。
「ありがとうございます。しかし、いいえ、私は病気ではありません。おめおめと休憩などしていては尚おのれに恥じることになります。私は働かねばなりません。精進しなければなりません!」
そのキリッとした応対からは、ねーちゃんの克己心だけはよく伝わってきた。内心の葛藤は計り知れないくれえしょーもねえってのが情けない。
案の定、兄ちゃんと目が合うと急に崩れ去ったようで、しゃっくりに似たおかしな呼吸をして黙ってしまった。じわじわ赤くなってく固まった顔の中で、目だけが頻りに泳いでいる。
あーあ。正気を取り戻してから盛大に後悔するくらいなら、はじめからせんけりゃええのに。
「え、ええと、お兄さん、私……き、きのうは、すみませんでした……」
顔を真っ赤にして辛うじて絞り出した言葉は、大変気持ち悪いもんだった。
わしは出かかった「うへえ」という呻きを意思の力を総動員して喉の奥に押し戻し、辛くも沈黙を守ることに成功した。
「昨日、何かあったか?」
真顔でそう切り返した兄ちゃんは、明らかになんのことかわかってなかった。昨夜の掌べろべろをまったく、全然、これっぱかしも意識しとらんようだ。ほっとすると同時にそれでいいのかと思わなくもないが。
「ああ」と一つ呟いた父ちゃん。微笑ましげににこにこして、「若いというのはよきことだな」なんぞと嘯いている。
「父様は、理由がおわかりなんですの?」
びっくりしたように父ちゃんを振り仰いだウルリカも、まだピンと来てねえようだ。
「要は、シオネは街育ちの娘ということだよ」
うーん……まあ、そっかもなぁ。
いくら田舎でもあんなことすりゃ、あっちゅう間に噂が拡散して世間的にゃ死んだも同然になるが、ここじゃ見てんのは動植物ばっかりだ。数少ない人間もあんまり社会性を備えとらん。つまり排斥の危険はない。イコール敵は自分の中だけってことになる。
ねーちゃんは今まさにその敵にぶつかって、このよーにもんじゃくっとるわけだが。
「結局、何が問題なんです?」
兄ちゃんはへどもどして要領を得ないねーちゃんに早々に見切りを付け、何もかもわかってると言わんばかりにうんうんと一人頷いている父ちゃんに疑問の解明先を求めた。
慌てたねーちゃんが勢いよく腰を二つに折る。
「ももも、申し訳ありませんでした、お兄さん! 私の気のせいでした! どうか忘れてください!」
心配せんでも、父ちゃんはわしらにとって都合の悪い秘密を無暗にバラしたりせんと思うがな。やっぱ大分慌ててるようだ。
そして、兄ちゃんは言われるまでもなく、きっと忘れている。というか、自分の中でどうでもいいことの一つとして処理してると思う。
その日、ねーちゃんをしばらく見張ってたが、わしとウルリカから、更にはねーちゃんの動揺を的確に見抜いた父ちゃんからの援護射撃を受けて、今日はポーション作りをしないと約束させてよーやく人心地ついた。
あんなに動揺してたんじゃ大爆発くらい起こすかもしらんからな。この冬空の下、屋根壁なくなるのは勘弁してほしいところだ。
父ちゃんと兄ちゃんは分担して仕事に行った。
ウルリカは縄を綯ったり、縫物をしたりしている。合間にねーちゃんを心配してちょくちょく部屋を覗きに行く。そっとしておくというわしとの約束は守っているようだが、気にしないわけにはいかんようだ。
ねーちゃんは人目に触れる状況が居た堪れねえのか、部屋に閉じこもって出てこない。
まあ、大人しくしててくれるんなら、それでいいと思う。元通りにまで立ち直るには、一旦兄ちゃんが街に帰ってからになるだろう。
ここで逆に気付いた。
ねーちゃんがポーション作らねえんだったら、わしが魔法練習し放題じゃん! ひゃっほい!
しばし、取捨選択に悩む。
ねーちゃんが街から持って帰って来た魔法の本のおかげで、だいぶこの世界の魔法について詳しくなれたし、自分の中の予備知識とのすり合せも概ねうまく行ってる。
あんまししょっちゅう読んでるもんで、ねーちゃんのというよりわしの本みたいな借パク状態になっちゃいるが。
だってねーちゃん返せって言わねーし。ねーちゃんの魔法の使い方はポーション作りと色んな動物に変身することに特化してるみたいで、一般的な魔法は使おうともしねえ。もう別にいいけど。
んでだな、わしが何を覚えようかという話ですよ。
魔法習得をスムーズにするために、前述の参考書と首っ引きでチャートを作ったらば、これによると魔法の習得条件はかなり複雑で、複数の属性が絡み合っていたり相互に作用し合っていたりで、一つの属性を一本道を辿るように極めていくことはできないと早々に悟った。
例えば、ここで暮らす上で便利な≪防冷/防熱≫は、冷気及び熱波攻撃への防御手段としても使える是非とも覚えておきたい魔法として目を付けてた一つなんだが、その性能を構成するいくつかの下位魔法を予め覚えておかんと習得できない。
具体的には火霊系の≪火増幅≫≪火炎操作≫と水霊系の≪水操作≫≪氷結≫、更にはその両属性にまたがる≪加熱≫≪冷却≫≪鎮火≫の7つの魔法を習得しておく必要がある。このうち、≪氷結≫はメインカテゴリこそ水霊系だが、風霊系魔法の項目にもかかってる、といった具合。
これでも≪防冷/防熱≫に到達するまでの最短コースなんである。魔法の中には、特定のアイテムを必要とするなんつー前提条件もあって、こんなのは冒険者……じゃねえ組合員になって資金や持ち物を潤沢にしてからじゃねえとどーにもならんだろうなと脇に置いておいてる。
だが、これをある程度短縮できる可能性があるのだ。わしの特殊技能の魔法熟練補正というやつである。
これを読んで勉強するまで、わしは思いつくままに魔法をイメージして形にできそうなものを汲み上げ、組み上げていた。そうして身に付けたわしの魔法は、チャートの段階をいくつか省略しているものがあって、検証した結果、三段階くらいは飛ばかせることに気付けたのだった。
だが、ちゃんと前提条件となる魔法全てを覚え切ってからの方が、魔法の性質や特色をよく理解し反映できる。ひいては最低限のコストを追求できるようになり、間違った使い方をしなくて済むようになるはずなのだ。
だからなるべくなら、基礎から積んでいきたいんだよな。
今後の計画からすると、食べ物が食べられる状態を保持する≪保存食化≫や、一定期間を飲まず食わずで活動できるようになる≪断食≫も取っておきたい。最寄りの街まで徒歩で半月から一月。初めての道ならもっとかかるだろう。手持ちの食糧にいつどんな打撃があるかもしれんし、冬のヴォジュラの地下と荒野では現地調達もままならん。
ほんと言うと手持ちのバフ系の強化もしたいし、ゴーディアスの強化計画も立てたいところではあるんだが、二兎を追うもの一兎も得ずという諺もある。
「メエ! メエ!」
わしが使い魔の強化という選択肢に思い至った途端、ゴーディアスが賛成するように鳴いた。
本来ならとっくに成獣になってる時期だもんな。別形態を獲得するに相応しい時が来たのではなかろうかと思っちゃいるのだが、強ち間違いじゃなかろうよ。
しっかしなあ……わしの発想力では、どっかで見たことある胡坐かいた山羊頭の悪魔の絵姿とか、ゴーディアスの名前の元ネタであるゲームのモンスくらいしか思いつけねーんだ、これが。
この点はイメージのワンパターン化という弱点となり得るのではないかと危惧している。ゲームとかでファンタジー知識をさっぱり得てないねーちゃんの方が、ある意味では自由な発想ができたりするんだもんな。
自宅警備員を作るとかなんとか言い出してこつこつ取り組み続けて、半ば成功しかけてるし。
発起のきっかけは勿体ない精神からだったそうだが、ねーちゃんとおんなじくらい貧乏性のわしでも、色と形状と安定性と帯びる魔法の種類の違う色んな産廃を、桶の中で一纏めに捏ねてミニチュアゴーレムを作ろうって発想はできなかった。
あれは多分ゴーレムだ。産廃粘土素材のゴーレムだと思うんじゃが……いや、あのうねらうねら表面が波打ってるつやつやした産廃がゴーレムになるんじゃなかったら、他の何になるんだよと自問自答したら答えが出ないので、蛍光マーブル模様のゴーレムということにしてるんだよ!
わしは手のひらサイズの木彫りの動物を式神みたいにして、それこそ自宅警備員として置いたり持ち歩いて使えるようにしたかったのだが、どーもうまくいっとらん。
ゴーディアスと五感を共有できるようになるまでにも大分難儀したし、無機物の端末に魔法力を浸透させるとか、別の生き物の意識に同調するというのが不得意みたいだと自覚せざるを得なかった。その分感知魔法使った時に異物が引っ掛かったら即座にわかるんだけどな。
話が脱線したので、戻す。
名前由来のゴーディアスは、ねじくれた二本の角と地に届くほど長い輝く髭を持つ、禍々しくも優美な姿の幻獣型モンスだった。記号的な意味で強調されていたんだろうと今は思うんだが、この角と髭ってのが、特定分野の高ランク装備品作るのに欠かせねえレア素材でなあ……
それはともかく、いくら思い入れもあるからといって、安直に既存の見てくれを押し付けていいもんだろうか。そもそもゴーディアスがわしの使い魔になったのも、わしの安直なネーミングに端を発しているわけで。
それに、見てくれを変えたからって能力がそのまんまじゃあ、形態変化させる意味がない。どういうことをさせたいか、なんのためかの明確なビジョンというものを自分の中に描けていない今、取り掛かるべき問題ではない。
ゴーディアスの方で自然と今後の状況に適した形態を獲得してくれれば、願ったり叶ったりなんだが、虫がよすぎるかね。
しきりに新規形態獲得を望む思念を送ってくる我が使い魔からは、何か、わしに訴えかけるようなニュアンスを感じる。
じゃがなあ、相棒、わしゃまだ具体的にどーすりゃいいのかわからんのよ。
すまんのう、すまんのう……!
「ケイセイ、明日、一緒に出かけないか」
その日の晩飯時、兄ちゃんが唐突にこっちを向いて言った。
父ちゃんもそうだが、兄ちゃんがこんなことを言い出したら、まず間違いなく内容は修行だ。
「はい。どこに、何をしに行きますか?」
「ああ。少し遠くに足を伸ばして、妖霊人に会いに」
「…………なんですと?!」
「メエッ?!」
わしとゴーディアスは飛び上がった。
「会いたいと言っていただろう」
わしは兄ちゃんをまじまじと見返し、次に父ちゃんを見た。
父ちゃんはあるかないかの薄い灰色の眉毛を吊り上げて目をきょろりと回してみせた。正直、この強面でそんな面されたら、脅かされてるようにしか見えねえ。見えないだけで、おどけているんだとわかるのは、ひとえに歳月のおかげだ。
兄ちゃんは、父ちゃんの強面をややマイルドというかスマート且つ若くした感じの顔に、父ちゃんほど怖くない微笑を浮かべて説明してくれた。
「この季節には息の氏族が、北から風に乗って南東へ周遊するのだ。その通り道を近くから見ることのできる絶好のポイントがある。通り道に過ぎぬから縄張りにはあたらないし、無用な警戒を招かなければ友好的にすれ違うくらいのことはできるだろう。ここから行って帰るには徒歩ではなくマズリに乗って、少しばかり魔境に踏み込むことになるし、あの辺りは風雪を遮るものとてない。状況次第では出先で一泊することになるかもしれんが、それでもよければ連れて行ってやれる」
それでもよければ、というのは、その備えが自分でできるなら、という意味だ。
「いいい、行きたいです……!」
「メエ……!」
今でも屋外で連続して動ける時間は限られていて、こまめに休憩を挟んで末端を暖めなければならないくらいだ。うち周辺よりまだ寒いとなると、それこそ≪防冷/防熱≫を大至急習得せんことには満足に動くこともできないんじゃないだろうか。
わしは壮絶に悩んだ。
「メエ……」
すまぬ、相棒、ゴーディアスよ。今回は……堪えてくれ。
「メ、メエ!」
ありがとうよ、相棒! おまえはなんて健気なやつなんだ! 自分本位なご主人様でごめんな!
「それじゃあ、明日は兄様とケイセイもお弁当ね」
快く早起きしての支度を受け入れてくれたウルリカと、
「サシゴ? シゴロ?」
ねーちゃんも未だ兄ちゃんと目を合わせようとしないまま、目の前の案件に向けて頭を切り替えてくれる。実際こういうところはありがたい。
顎に添えた左手に、晩飯の支度中に包丁代わりのナイフの扱いを誤って手を切ったためさらし布が巻いてあるのが、なんとも格好付かないが。
晴れて翌日。の未明。
厳選した耐寒装備で着脹れたわしは、意気揚々と馬上の人になった。
気合のこもった弁当を凍りにくいように魔物の革に包んでくれたウルリカは、遠足に送り出す母ちゃんかなんかみたいに微笑ましげな顔で手を振ってくれた。
ねーちゃんはまだ挙動不審気味で、心配したウルリカに刃物や火を使う行為を一切させてもらえず、人型のまま見るからに暇人とわかる素振りで困った顔してうろうろした挙句、作り置いてた薬を詰め合わせて持たせてくれた。ありがとうねーちゃん。もっと心を強く持ってくれ。ついでにそろそろ別の分野に手を広げて、攻撃用アイテムとかも作ってくれんもんかな。
父ちゃんは今日もいつも通りの仕事だが、今日はわしらの方が先に出るので、兄ちゃんが連れてきた三頭の馬の中で一番でかくて強そうなやつと家に残った。
時計がねえから厳密な時間はわからんが、まだ周りは真っ暗がりで、月の光を受け止めた積雪のほんのかすかな照り返しがぼんやり浮かんでいるだけで、視界なぞないに等しい。
そんな中を、わしらはマズリに乗って、人間なら腰や胸までのラッセルで少しずつしか前進できない積雪をものともせずに蹴立てて、すげえ勢いで進んでいった。重みで固まりつつある雪を体全体で抉りながらの力技だ。
兄ちゃんは里帰りのたんびにそれをやってたっけ……あれ!? ……いや、自分の足で雪をかいて進むのも体力作りの修業なのだ。きっとそうに違いない。
行き先は完全に兄ちゃんの後を追うマズリ任せで、わしは必死に鬣と手綱を握り締めて長い毛に覆われたぶっとい首にしがみ付いていた。ゴーディアスは懐に入れてたが、このままじゃすり潰しかねないので、早々に背中側に移ってもらった。
兄ちゃん達が来る度に騎乗の練習がてらマズリに乗せてもらって練習してなけりゃ、開始5秒で振り落とされていただろう。落ちねえようにするだけで精一杯で、手綱を繰るとか景色に目を配って不測の事態に警戒する、なんて余裕はとてもない。
風景の流れも見えねえからなんとも言えないが、実際に平地を走ってんのと変わらんのじゃないだろうかって早さだ。
平地より強く地面を蹴って足を高く上げて跳ねるような走り方してるらしく、体が鞍から飛び出してどっかに飛んで行きそうなくらい上下するもんで、その都度尻が鞍に青痣確定の勢いでガンガン当たる。無雪期の練習とは比べ物にならん。
マズリが巻き起こす雪煙をまともに浴びて、脚は雪に塗れてることだろう。
早く進んでるということは、体感気温も下がる。
マズリの背でひたすら揺られることどのくらい経ったのか、ふと揺れが止まり、吹きつけてくる風が収まった。
「休憩しよう」
兄ちゃんの声がして、移動を中断したことを知る。
おっかなびっくり顔を上げてみると、辺りは薄ぼんやりと風景の輪郭が見て取れる程度に光が増えていた。兄ちゃんが馬から降りて立っているくらいはわかるが、兄ちゃんがこっちを向いてるのかあっちを向いてるのかまでは見えない。
わしが乗っているマズリが、早く降りろと言いたげに首を動かして不機嫌そうに嘶いた。
両腕でも抱え込めない太さの首に回していた腕を急いで引いたが、おおう、肩も腰も肘も膝も指もがっちがちに強張ってら。
「っと、と」
建て付けの悪い襖みたく音を立てそうな体中の関節を宥めながら馬から降りると、勢いがつきすぎてずぼりと腿まで埋まって尻餅をついてしまった。マズリは軽蔑するように盛大な鼻息を噴き上げ、ずぼずぼと歩いて離れていく。
その先では兄ちゃんがてきぱきと動いて雪を掘り、火を起こしてくれていた。
「すみません、お兄さん」
「構わない。休んでいろ」
わしが雪をかいて近づいた頃には休憩準備は殆ど終わっていて、わしは熱を逃がさんための雪壁をちょいと盛り上げただけに留まった。何と不甲斐ないことであろうか。
体重の軽いゴーディアスは浅い足跡を残すだけで、わしの周りを軽やかに歩き回っている。
火が安定して燃えはじめると、視界が広がった。
ここは小さな雪庇ができている低い崖の下のようだ。木がまばらになり、周囲を構成するものは岩と雪がほとんど。いつもは家から真北に見えている赤い煙を噴く山のシルエットが大きく、やや朝日が射す方に位置していることから、家から北西にいるとわかる。
あの山は一年に一回くらい噴火するんだが、溶岩や岩や灰が我が家まで届いたことはない。遠目に見た限りでは、通常の火山とは違って、赤い火の粉みたいなのが噴き上がって雨のように麓の魔境に降り注ぎ、魔境の生態系や魔法密度の変化に影響するらしい。
これについて、わしは以前見たことがある何かを連想しかけたが、思い出せなかった。
その辺から切り出した針葉樹の梢を雪の上に敷いて座り、体を解しながら靴を脱いで爪先を火に翳す。
早朝の新鮮な冷気が皮膚を刺す感覚は痛いくらいだが、火がもたらすぬくもりはそれに勝った。熱の力って偉大だ。
足先を見ると、靴下の爪先に赤い欠片がくっついている。ねーちゃんが悴み対策にと、靴の中に入れてくれてた香辛料の包みが解けてしまったようだ。一旦取り出して、包み直して靴に戻す。
コスト割り増し覚悟でショートカットして習得した≪防冷/防熱≫は確かに役に立ってくれたが、途中で効果が切れてしまっていた。維持のための精神集中が馬上ではできず、足指の感覚が鈍くなって、痒みしか感じなくなってきたところだった。逆に言えば、それがなきゃ凍傷はもっと進行を早めていたんだろうなとぞっとする。
思ってた通り、靴と脚部の服の上に雪と氷の幕が出来てたので、それを削り落したり靴下を火に翳して乾かした。鼻の下に出来ていた氷柱をもぎ取って、目出し帽も火に近付ける。
兄ちゃんも同じように靴を脱いで火に翳していることに、なんとなく安心した。
「お兄さん、ここは魔境ですか?」
「いや、かなり近いがまだ辺境の森内だ。他の妖霊人の縄張りを避けながらだから、かなり蛇行している。それで長く移動したように感じられるのだろう」
「ぼくたちが会いに行くのは息の氏族ですね? 他の氏族も、近くを通り過ぎていたのですか?」
わしは驚いて言った。暗闇の中を夢中で通り過ぎてきたすぐそばに、他の妖霊人の住んでるところとかがあったのかもしれないとは。そして、その境界を正確に把握している兄ちゃんにも。
「辺境の森の北西部は、殻の氏族や牙の氏族が小規模な集落を作って点在している。その実態は正確には知られていないが、あまりに多いので、北西部には管理官が派遣されていないくらいだ。必要がないからな」
兄ちゃんはそれだけ言うと、黙った。
多分、兄ちゃんも父ちゃんも、わしの想像以上に妖霊人について知っている。でもその情報をわしに回してくれないのは、理由があるからだろうことは察しが付く。無暗に情報遮断するんじゃなくて、わしが会ってみたいと言えばこうしてチャンスを作ってくれるし。
ただ、わしが妖霊人に興味を示さなけりゃ、今朝こうして出かける展開にはならんかっただろう。積極的に仲介をしたいほどではない立場なんだろうと思う。
爪先の血行が戻ってきた。痛みともいえないジンジンとした感覚が心地よい。
わしは話題を変えた。
「このマズリたちの名前はなんといいますか?」
「ユシュパルとゲランターレだ。お前が背を借りている方がゲランターレだ」
「……名前を考えたのは誰ですか?」
「イズリアルの家族たちだ」
「……イズリアルさん以外の人ですね」
「そうだ。ご家族がてんでに命名するから、まあ、多彩だな」
多彩と言う前の兄ちゃんのほんのちょっとの間が、何とも言えない気まずさを掻き立てる。そういや、イズリアルさんの持ち馬の名前はマーちゃんだったっけ。気の毒に。
「あの大きなマズリは、とてもお父さんをお気に入りしています。どうしてですか?」
「父はこの森に来る前は、ヴォジュリスティで兵士をしていた。その時に手懐けて街に連れて来たと聞いている」
最初の飼い主を忘れない犬みたいなもんかな。あのでかいマズリにとっちゃ、父ちゃんは今でも主人なんだろう。
父ちゃんがマズリの背に跨る姿は実に堂々としていた。兵士をしてた頃に馬には乗り慣れてたとしても、十ウン年ブランクが空いててあんだけ安定してるもんだろうか。よくわからんなりに、父ちゃんだからでいったん納得しとくことにした。
わしも乗り慣れると言えるくらいに経験を積みたいとこだが……さっきはいくら周りが真っ暗だったとはいえ、明らかに練習が足りてなかった。馬には兄ちゃん達が月一で来た時しか乗れんから、他に騎獣を確保せんことにゃ、体で覚え込めるってほどにはならんだろうなぁ。
その時ふと、閃いた。
そうだ、ゴーディアスに乗れるようになりゃいいんじゃん。したら、いつでもどこでも練習できるし、荷物も二倍持ち運べる!
「メエ!」
打てば響くように、傍らから同意の鳴き声を発した我が使い魔を見下ろす。長い黒毛に覆われた体から伸びる、足先だけ靴下を履いたみたいに白いちっちゃな四つ足を踏ん張って、きらきらと輝く金色に縁取られた横向きの虹彩が一心にわしを見上げている。
「わかった、わかったぞ、ゴーディアス! 遅うなってごめんな!」
わしは思わずゴーディアスを掴み上げて、高い高いをしていた。
「メエ! メメメメエー!」
「よし、帰ったら修行じゃぞ! ゴーディアス第二形態計画発動じゃ!」
「メッヘヘーン!」
人の親子だったら危険なレベルのぶん回しっぷりでキャッキャしているわしらを、恐らくぽかんとして眺めていた兄ちゃんは、穏やかに苦笑しただけでわしらの奇行を許した。
「ケイセイ、街に行く前に、その突然故郷の言葉で喋り出す癖は直すようにな。悪目立ちするぞ」
「……はい。すみません」
「……メエ……」
ううむ、こいつは悪癖じゃな。発言は意識して考えてからしよう。
「さて、そろそろ出発しよう。日が昇ってきたから、雪の照り返しで目を痛めないよう気を付けろよ」
「はい」
そんな風に小休止を挟みながら移動を繰り返し、冬のはかなげな太陽が中天に差し掛かる頃、わしらは目的地に着いた。
「これ以上は騎乗したままでは進めない。降りて伏せなければ人馬ごと吹っ飛ばされる」
「お兄さんでもですか?」
「当たり前だ。辺境風の威力は侮れんぞ。俺が石でできていたところで、同じことだろうよ」
そんなわけで、わしと兄ちゃんは途中で馬から降りて地べたに伏せ、吹き荒れる風雪の内に妖霊人の姿を見出そうとしている。
現在地の正確なところは知らん。だが相当北西に寄っている。
今まで空に溶け込むようなシルエットという形でしか見ることのなかった火山が、大きめの山襞一つ一つを視認できるくらい近い。それがそそり立つ壁となって空に取って代わり、視界を占めていることでわかる。
わしらは視界の拓けた崖の上に這い上がった。断崖絶壁という言葉でイメージする通りの光景といって差し支えない、底まで100メートルはあろうかという、ザ・崖の、遮るもの一つない平らな岩棚の上。厚い雪を被って白く沈む麓とは対照的なむき出しの岩肌が黒々と異彩を放つここに吹き荒ぶ風は、雪が積もる隙すら与えないのだ。
生える植物もここではまばらで、散見されるのも辛うじて大地にしがみ付いている背の低い草ばかり。
それも道理で、ここは既に魔境の内側。並みの植物じゃ、変異していなけりゃこんなところに根付くことなんてできやしない。
「安心しろ。ここはまだ、呼吸をするだけで臓腑を焼くような領域ではない。そのような深部の空気が流れ出して来ることもない。息の氏族がいる間は魔物も寄って来ないから安全だ」
力強い保証をしてくれた兄ちゃんは、わしの隣で伏せながら、風に掻き消されないように声を張って説明してくれる。
聞き捨てならない台詞を聞き付けたわしは、思わず兄ちゃんの方を見た。
「ええと、今、息の氏族の人は、近くにいるのですか?」
すると、兄ちゃんは覆面の下できょとん、とした感じに青い目を瞠ってわしを見返した。
「近くにもなにも、さっきからそこを行ったり来たりしているだろう。見えていないのか?」
「なん……です、と……!?」
「メ……エ……!?」
わしはさっきから、妖霊人を見つけようと覆面の隙間から視線を目まぐるしく動かしていたが、それらしい人影一つ見出せないまま今に至る。何もない中空を指差しているようにしか見えない兄ちゃんの発言は、まさに想定外というやつであった。
「妖霊人というのは、特殊な知覚を備える人でなければ、お姿を見ることもできないのでしょうか……?」
「メメメメメ、メッ……?」
「いやそんなことはない。盲目でもない限り、誰にでも見て取れる。でかいから、見逃すということはないと思うのだが」
よく見ろ、と改めて示された場所は、崖の先、一寸先は100メートル下まで遮るものとてない虚空。荒れ狂う風が飽きずに運んでくる大粒の氷と雪だけが唯一にして何より強い変化だ。
空を背景に白く渦巻く氷雪が、視界外から視界外へと流れて行かず、一定の範囲を巡っているような気がする。そうと気づいてもっと広範囲を見るようにすると、巡る白の礫は一つの大きな人型を形成しているとわかる。
「……見えました。あの辺りで、右を向いて進んでいる白っぽい部分ですね」
「そうだ。彼が息の氏族だ」
「……お兄さんには、あの人の性別がわかるですか……?」
「……いや、今の言い方には語弊があったな。息の氏族に性別はない。彼と言ったのは言葉の綾だ」
豪雪をまとって火山側からわしらの頭上を走り抜けたかと思うと、崖下から突如噴き上がった白い礫が飛び去らず逆行して人型を形作る。山の岩色を画布に雪の色が乗っているからこそ辛うじて見えるその人影は、嵐の日独特の寒々しい調子の外れた笛の音が尾を引くような音を伴い、崖の向こうを自由気ままにぐるぐると飛び回っている。
昨日、冗談でねーちゃんを幽霊みたいだと内心で揶揄したもんだが、こっちこそ、知らんで見たら形なき幽霊そのものだ。
その大きさが、今ここに寝転んでいるわしらと変わらないことにわしは気付いた。
遠近感が狂ってんのかなと最初はちょっと思った。だが何度見直してみても、彼(彼女?)の位置は崖のはるか先だ。
遠い。なのに彼我の大きさに差がないように見える。
つまり、でかい。
どんくらいでかいかというと、崖の途切れた先に浮かぶ彼(彼女?)の腰から下が、崖に伏せているわしからは見えなくて、崖上に見えている上半身が二階建ての一軒家くらいの大きさだ。体全体のスケールで言えば、巨人サイズといっていいと思う。
「いや、あの人はまだ若いぞ。息の氏族としては平均的な規格だ」
「……そうですか……」
あのサイズのが複数人いたら、まず間違いなくここら一帯が、息もできない猛吹雪に見舞われてることだろう。
「……お兄さん。ぼくは、妖霊人を誤解していました」
「うん? どうした」
「前に、イズリアルさんがお姉様にさしあげた昔話の本では、妖霊人は、人間に自然界の様々な生き物の特徴を部分的につけたような外見と表現されていました。息の氏族は風に親しむ種族なので、背中に羽が生えていたり、鳥の顔をしている人間を想像していました」
所謂エルフとかドワーフみたいな、一緒にパーティ組んで冒険できるようなとっつきやすい異種族を想像してた。実際に組合員になったら、そういうバラエティ豊かなパーティ組んでみたいなんてこと思っとったんじゃが。どうやら、妖霊人は、亜人的なもんではなく、精霊的な存在みたいだ。
兄ちゃんは束の間考えるような一拍を置いてから、不思議そうに言った。
「風に親しむから鳥のような人間という考えは、よくわからないが」
「あっ、そうですね。鳥が羽を持っているように、空を飛べる人だと思っていたのです」
五行思想なんかじゃ、鳥は火に属するもんな。そっちの可能性も考えなかったわけじゃねえが、こんな吹雪が当たり前の土地で火属性の種族が繁栄してるとは考えにくかったもんで、風=鳥の図式を思い込んでた感はある。
じゃが、そもそもこの世界がそういうわしの既存概念に沿っているわけがない。わしは自分の思い込みを反省した。
「形がなくて、大きさがこんなに違うとは、思っていませんでした。息の氏族の人は、ぼくたち人間とは、体も、声も、感覚も、暮らしも、使う魔法も、根本的に違うのですね」
自分で喋っていて、何を言ってんだかと自分に突っ込みたくなってきた。
よく考えたら当たり前のことだ。
わしとねーちゃんなんかは同じ種族の家族じゃが、それぞれ性格があるんじゃし、魔法の使い方なんざ全く別もんじゃんか。ウルリカ達家族は、種族的には地球人と辺境人という表現の違いこそあれど、見た目的には骨格が大きめにできてるだけの人間で、違う文化の下で育ってるから、物の考え方にはやや開きがある。別の種族の人となりゃ、その違いの幅が更に広がるってだけのことなのだ。
「そりゃそうだろう。人には、人の数だけ独自性がある。共通項で括るのは、その特徴を持つ者同士が円滑に共存するための本能だ」
兄ちゃんのあっさりとした答えは、わしの考えを裏付けてくれた。
ちなみにさっきから鳴り響いている、リコーダーを力いっぱい吹き鳴らした時の最後らへん掠れたところの音色みたいなのは、よく聞くと彼(彼女?)の声だった。何言ってんのかわからんし、人間の喉では向こうと同じ音を出すことが出来んので、会話は成立しなさそうだ。
ああでも、≪言語理解≫とか≪言語習得≫の魔法を使えば、発音はできなくてもヒアリングはできるだろう。
「妖霊人は、超自然的な人々なのです。ぼくのものさしで測って理解しようとしていたのが、間違いでした。そのことがわかれて、よかったです。お兄さん、連れて来てくれて、どうもありがとうございました」
兄ちゃんはわしの反省に黙って耳を傾けた後、「そうか」と呟いた。少し優しげな言い方だった。
用心していた事故も魔物の襲撃なんかもなく、恙無くその日のうちに、充実した気分で家に帰り着いたわしを待っていたのは、魔法消耗過多でぶっ倒れたねーちゃんと、もっと自分がよく見ていなければいけなかったのにと落ち込むウルリカと、大丈夫大事ないと根気よくウルリカを宥める父ちゃんだった。
発見時の状況から察するに、火も刃物も使えねーので、ひたすら桶を抱えて産廃を捏ねていたらしい。
そうしたらこの様だよ!
桶に頭を突っ込んだ状態で気絶してたねーちゃんの頭を、うねらうねら蠢く産廃が飲み込もうとしてて窒息しかけてたとか、もうマジ勘弁してくれ!
最後の肉親の死因がそんなんなったら、わしゃグレるぞ!




