旅立ちは未だ遠く
一年十カ月の最後の月であるきたかぜの月に入ると、まじで世界が月の区切りを理解してんじゃないかってくらい明確に段階を上げて寒くなるし、雪も堰を切ったように降り出す。
ある朝なんぞ、起きたら窓の周りに霜が降りとった。部屋の中の話な。我ながらよく風邪をひかんもんだと思う。同じ部屋で寝起きしてた頃、父ちゃんはわしより布団を二枚少なくして寝てたが平気そうだった。筋肉の鎧って、冷気も防げるもんなんだろうか。
この世界で体験する二度目の冬を迎え、わしは13歳になった。月日が経つのは早いもんだと父ちゃんに言ったら、子供が何を言ってるんだと突っ込みをもらった。
もらったといえば誕生日プレゼントもだ。
初めてのエリクサ作り以来、常備薬の作り置きに精を出しているねーちゃんは、『あんたがうるそう言う傷が早う治るぽーそん』とのお品書きを口頭で述べて、3センチほどの長さのケドゥン筒に入れて栓をした飲み物をくれた。賞味期限については具体的な保証はしないとのことだそうだ。それって、他の常備薬大丈夫なんか……?
とりあえずわしにくれたブツに関しては、まだ試しちゃおらんが、言うからにはゲームのポーションばりに迅速に傷が塞がってHPも回復するようなもんなんだろう。
何度も小爆発を起こして指先を火傷したり産廃を闇に葬ってきた末にこれを完成させたことを、わしは知っている。そこには触れず、ありがたく受け取るのがやさしさってもんだ。
ちなみに、ねーちゃんはレベルが一つ上がってた。これが犬姿で外を動き回って体が鍛えられたからなのか、錬丹術に目覚めたからなのか、相変わらず続けている変身の練習の蓄積によるものなのかは判断しがたい。
ウルリカもまた一つレベルが上がった! 勘弁してくれ! わしゃやっとレベル14になったとこなんじゃけえ! これ以上引き離さんでくれ! 絶対来年中には、ダブルスコア負け状態を脱してやる!
……ま、それはともかく、ウルリカは秋ごろからせっせと拵えていたらしいお手製のインナー一揃いをくれた。光沢のある黒に染められた革でできていて、タートルネックの長袖とズボンは、覆面と手袋を合わせりゃ黒装束といってもいい隙のなさでわしのチューニ心をくすぐる仕上がりだ。そういや、わし、まさに中二の歳じゃん!
でもいい品なのは確かだ。最も精力的な時期に狩った若い辺境熊の革は丈夫で伸縮性に富んでて、ある程度まではわしの成長期にも対応可だそうだ。下手に丈夫だから針も通りにくくて、ウルリカは苦労してこの一式を仕立てたのだとねーちゃんがバラしてくれた。
ありがとうウルリカ、大事に着る。
父ちゃんは二日もの休暇を取って、泊まりがけでわしを魔境の縁まで連れてってくれた。
魔境付近は、この世界に来たばかりの時にはわからんかった独特の気配が満ちていた。近づくにつれて、それが濃厚になっていくのが肌で感じられた、というか感じられるようにわしがなっていた、というんが正しい。
魔法と、魔法でないおどろおどろしい力が流れを作ってたり、無軌道に漂ってたりする。なんかさ、ゲームのダンジョンの背景で空に相当する空間を赤と緑のうごうごが埋め尽くしてるような演出があったけど、あれに似てる。そして普通は、それが見えないもんなんだろうなってことも、なんとなーく、察しがついた。
父ちゃんはこの気配について、魔境の気配と表現していた。父ちゃんにも、見えなくても感じる何かがあるに違いなかった。
植生とかどっからか響く生き物の鳴き声とかの見聞きできる部分でも明らかに異質だった。ファンタジー的な魔物っぽい実のなる木とか、草木を生やした地面の盛り上がりだと思いきや起き上がって飛びかかってくる畳一畳分くらいの平べったいキノコとか。だいぶ魔物に近い状態の動物や鳥も、何度も見たし襲われた。大半は父ちゃんが威嚇して退散させるか、あっさり返り討ちにした。
父ちゃんは戦闘訓練も兼ねるつもりだったらしく、わしの手に負えると判断した一、二匹をわしの相手に残してくれた。
そんでもって、合宿二日目の午前、その日4度目だったと思う戦闘訓練で、わしはゾウムシとマイマイカブリを足して割ったみたいなキキリの飛びかかり攻撃をかわしきれず、右上腕をざっくり噛み斬られた。
その瞬間には、正直何が起こってんのかよくわからんかった。傷みも衝撃も、流血の自覚も燃えるような傷の熱も、遅れてやって来た。
あんときのわしゃ、すんげえ雑魚っぽい叫び声を上げて怯んだと思う。肉体的な反射で、涙もぶわっと出た。
「ケイセイ、左手でナイフを抜けるなら、頭部と胸部の間に突き立てなさい。できないなら言うんだ。父さんが助ける」
側に歩み寄ってきた父ちゃんは、すぐにでもわしの腕に食らいついているゴンスケ(雑種犬・中型)サイズの虫を、わしに負担の少ないやり方で引っぺがすことができたろうし、そもそもわしがダメージを受ける前にキキリを叩き落とせたはずだ。けど、自分の判断で割って入らず、わしが初めての大ダメージにパニックを起こしかけているタイミングで、冷静にわしの心づもりを確かめた。何でもかんでも先手を打って守ってもらってたんでは、わしの訓練にならないからだ。
「うっ……で、できます。やります」
わしは生理的な涙を首を曲げて肩で拭いつつ、実家から持ち込んだ鋼のアウトドアナイフを指をやや縺れさせながらもしっかり握って抜き、まだ腕の肉に顎をめり込ませている虫の装甲の継ぎ目に横合いから捩じ込ませた。虫ってのは大抵そんなもんだが、中身は柔らかい。あっさり切れた。
わしの服に脚先の逆棘が引っかかってぶらんとする体と噛みつく力は止まったけど勝手に取れてはくれない頭を父ちゃんの助言で取り去るまでを、わしはなんとか一人で終えた。
続く傷の手当ては父ちゃんがすかさず手早くしてくれた。わしがけっこもたついて時間を使ったんで、出血が長引くと面倒なことになると判断したのだ。
「キキリの咬創は思わぬ尾を引くことがある。そうでなくとも傷は後で熱を増すし、膿むかもしれない。体力があれば乗り切れるものもまた多いが、ここらで帰って安静にしておくに越したことはないだろう。組合員や兵士となると、このくらいの怪我なら止血だけして任務継続するという選択肢を選ぶ余地は十分にある。仕事でなくても、差し迫った状況下なら戦線離脱などできないかもしれない。辺境の自然に立ち向かうということは厳しいぞ。今日おまえが負った怪我はその先駆けにもならん程度のものだ」
父ちゃんの言葉は、わしが掲げる、強くなりたい、組合員になりたい、ウルリカに相応しい男になりたいという目標を達成しようとする意思が挫けていないかという遠回しな確認だった。
だからわしは脂汗で塗れていた顔に精一杯の不敵な笑みを浮かべて(成功していたかどうかは父ちゃんの反応からはわからん)、大丈夫アピールをしてみせた。
わしのやせ我慢は百も承知だったろうが、父ちゃんはそれ以上組合員志望を思い留まらせようとするような言葉も、小言も言わなかった。
わしを担いで家に帰った。
それが人間業じゃねえ早さだったことは、今でも軽い興奮とともにわしの記憶の浅い所にしまってある。
わけあって純粋に人間と言えない状態の人になっちまったらしいことをちょっとだけ打ち明けてくれた父ちゃんの、あれこそが人外パワーの一端なんだろう。
その日のうちに家に帰りつくと、ウルリカはきれいな青い目を飛び出さんばかりに瞠って、やれキキリ毒はなかったのか傷は洗い直さなくていいのか縫わなくていいのかやれ本格処置だ寝床を暖めなければ滋養のある食事だと大騒ぎをして、幼児かなんかみたいにわしを甘やかした。
終始泣きそうに目を潤ませてたが泣かなかったのは、やっぱ父ちゃんと兄ちゃんちの子だからだろう。罪悪感半端ないからもうそういう顔はしないでほしい。そしてさせたくないと決心を新たにしたもんだ。
ねーちゃんはウルリカの陰でやっぱり目を瞠ってたが、物も言わずに自室に駆け戻っていき、わしがいっぺん寝て起きた時には四種類ものキキリ毒の解毒剤と増血剤が水さしとともに枕元に置いてあり、犬姿のねーちゃんがぴくりともせず床に伸びていた。
ねーちゃんはその後丸三日間一度も目を覚まさなかったんで、逆にわしとウルリカを心配させた。父ちゃんだけは極度の疲労だろうと的確な診断を下し、命に別条はないとしてどっしり構えていた。実際にその通りだった。
余談だが、わしの腕の傷は、誕生日祝いにねーちゃんがくれたポーションを試しに飲んでみたら、きれいさっぱり治った。
包帯の下の傷の疼きを感じなくなったなと思って包帯を解いてみたらそうなってたので、いつ頃効き目が現れたのかはちょっとはっきりしない。でも多分完治まで3分かかってなかったと思う。
とろみのある青汁色をした液体で、味はシイタケのだし汁をすげえ濃くしたみたいな感じだった。良薬口に苦し?
「ケイセイを街に招く手段を考えた。結果、不可能だと判明した」
イズリアルさんは、来てわしの顔を見るなりそう言った。
「いきなりにも程がある!」
「メエッ!?」
一刀両断とはこのことである。いらっしゃいませという間もない開幕最終奥義発動。
「知恵を絞ったが、警備隊に知られずケイセイを連れ出す術はなくてね……ああ、そんな顔で見ないでくれ、現状では、だから。手段がないわけではないんだ。仔ヤギも落ち着かせてくれ」
「本当ですか?」
わしがこの話をどんだけ楽しみにしてたと……! ちょっとくらい恨みがましい目つきで見てしまったって、しょうがなくないか。
「メエ! メエ!」
荒れ狂うわしの内心を敏感に察知して、足元でゴーディアスも荒ぶっている。フンスフンスと鼻息を吹き出し、ぽてぽてと地団太を踏んでいる姿は、ちっとも凄味がない。
くっ、かわゆいやつめ。ちょっと気が緩んだ。
「ケイセイ、使い魔に感情を移すのはよくないぞ。憤りや悲しみから解放されるには楽な手段ではあるが、悪しき心を肩代わりさせる癖をつけては、使い魔に負荷をかけるばかりでなく、主の精神も打たれ弱くなる」
「な、なんだってー!?」
今ゴーディアスが荒ぶってて、それ見てわしの心が和んだのって、わしが負の感情を押し付けたからなん!?
ちょ、それ……ショックだ。そんな自覚全くなかった。単に主人の感情の共有ができてるだけなのかと思ってた。
自分が使う魔法の制御に関しちゃ自信あんだけどなぁ。こんな落とし穴が開いてるとは……
「意思の力でそこはどうにでもなる。常に冷静に、自分を一歩引いたところから見つめる視点を持つように心がけよう。君自身に努力するつもりがあるかどうかを問う愚は犯さないよ。だから、その件は置いておいて、今は不可能だがいずれ可能となるかもしれない非合法手段について述べる。まあとりあえずジェドが帰ってから、彼にも聞いてもらおう」
指を二本立てたイズリアルさんは安定のドライさだ。
まあこつこつやってくべ。ねーちゃんに借りてる魔法の本のおかげで、少しずつ一般的な魔法の体系についても頭に入ってきてるとこだ。
大人しく父ちゃんの帰宅を待って、晩飯を済ませてから、わしは気を取り直してイズリアルさんの話を拝聴する姿勢になる。
「大まかには二つだ。一つ、君が自力で警備隊の目に留まらずに移動する能力を身に着ける。二つ、誰かに≪転移≫の魔法で森の外まで送ってもらう。簡単な二択だね」
そうですね。
一応みんな真面目な顔で頷いているが、特に突っ込みは入らない。入れる段階じゃない。
言うだけなら簡単じゃけど、ここで重要なのはその二択の具体的な実践方法だからな。
「君は森の外を知らないから、君が≪転移≫を習得しても森の外には出られない。外を知る誰かに魔法を使ってもらう必要があるね。そして生憎、私は移動系魔法には縁がない」
最後の一言を胸を張って言うイズリアルさんは、明らかにわしをからかっている。つまり、他力本願よくないお前が頑張れ、という他人事のような応援も含まれている。
そうだろな。仮にもわしの修業なのに、修業をさせてもらうための前段階で人にお膳立てしてもらうってのはなんか違う気がする。
父ちゃんもその含みを的確に嗅ぎ取って同意しているのだろう、反論も代案もないらしい。
父ちゃんは特殊な感覚を持ってるそうなんだが、魔法は明るくないっつってたし、今まで一緒に過ごしてきた中で父ちゃんが魔法を使ってるところなんて見たことないから、あんまり頼りにしちゃならんべなぁ。
付け加えるなら、ねーちゃんを当てにするのは論外。わしからすりゃ初歩の初歩の魔法でもつまずいたり、三歩進んで二歩下がったり、二歩進んで三歩下がってなんてことを繰り返してるねーちゃんに、テレポートなんちゅう高度な魔法を使いこなせるとは到底思えない。
「そうだね。シオネは街に行ったことがあるから、彼女の記憶を頼りに町付近に飛ばしてもらうという手も選択肢の一つにはあるが、まずシオネにそんな高度な魔法を身に着けてもらうことが前提だ」
「ワギュー……」
神妙な顔で拝聴していたねーちゃんも自信なさげに首を垂れた。
晩飯の後片付けが済んだら即行犬に戻り、じゃねえ犬になっている。この思い違いに気付く度にセルフ突っ込みを密かにしてたんだが、最近はねーちゃんが人間でも犬でもどーでもよくなってきた。
この前見た鳥とか、それ以外の生き物に化けられると、まだけっこギョッとすんだけどな。
「転移型の魔法は術者がよく知る場所、ないし使い魔などの目を通して実際に目視できている場所しか行き先に指定できないという制約がある。まして、人の記憶は薄れるものだ。どこまで町周辺の地理を記憶できているかは彼女次第だね」
「……はっきり覚えてないのに転移しようとしたら、どうなりますか?」
「魔法の成功率が大幅に下がる。成功はするかもしれないね」
イケメンスマイルをたたえたまま、無駄に不安を煽る言い方をしないでほしい。冗談なのか本気なのかわかりづらいところが地味に怖い。
「失敗したら?」
「色んな事が起こる。報告されている事例だけでも、全然知らない場所に飛ばされたり、行き場をなくした歪みがまとめてダメージとして跳ね返ってきたり、頭の中身だけどこかに飛んで行ったり」
ひいい!
「ああ、それに、長く留守をするなら、使い魔も連れていける方法が望ましい。で、一つ目の方法に戻るんだが、これは三つの手段を採り得る。密猟者が森に侵入する手順を逆に辿って、詰所と詰所の中間点辺りから巡回の目を掻い潜って抜け出すというやり方が考えられる。そういうありきたりの手を使ってもいいが、発見されずに脱出できるかは保証しない。我がヴォジュラの辺境警備隊だって真面目に仕事に励んでいるからね。ともあれ、これが一つ」
イズリアルさん、それ、何気に推奨しないって言ってませんかね。ちゃっかりご当地自慢織り交ぜてきよったし。
「二つ目。自然の生き物に化けて出る。幸い君の使い魔はヤギだから、ヤギの親子に化けて森の境界をさまよい出るのは不自然ではない。実際に、森の外周部にはそういう無害な獣もたくさんうろついている」
お、おう。
変身か……この手の魔法は難易度が高いって相場が決まってる。この世界でも、等級が高かったはずだ。確か前提条件がかなりあった気がする。確認するまでもなくちょっとやそっとの修業で使えるようにはならんだろう。
「三つ目、これはジェオのアイデアなんだがね、巣穴破りの巣穴をくぐり抜けて、どこでもいいから森の外の出入り口から出る」
「そんな大きな巣穴破りがいますか?」
「辺境大フントクイなら可能だよ」
「!」
フントってーのは、元の世界で言うところの、要するにアリだ。
フントが1センチくらい。このくらいのなら一般的とはいえんにしろ日本の田舎にもいたから驚かんが、大フントなら大人の指一本分くらいのサイズになる。辺境大フントともなると、コッペパン並みだ。我が家は辺境に位置しているので、わしが普段見慣れているのはこの子猫くらいの辺境大フントである。
羽アリとか白アリにあたるフントもいて、ここに来て間もない頃にねーちゃんとウルリカがしばらく使ってなかった物置きの天井から羽アリの死骸の塊がごっそり落ちてきた時に張り上げたものすごい悲鳴は、言葉になってなくても当時のふたりの心境を雄弁に伝えてきた。
付け加えると、魔境付近には、常にキキリに孵化しかけてるような状態の、小屋くらいあるやつもいるそうだ。父ちゃん談。
これにクイと付くと、フントクイ、つまりアリクイ的な天敵動物を指す。わしらの世界でアリクイといえば白黒の毛皮を着た哺乳類だったけど、この世界のフントクイってーのは、地中を主なテリトリーとしてて、フントの巣を襲ったり、下から地上の生き物を巣穴に引きずり込んだりして食を得る、ミミズともモグラともつかない、獣とも虫とも言いがたい姿をしている動物だ。胎生ではないので、哺乳類ではないらしい。その特性から別名巣穴破りとも呼ばれる。
猫サイズの辺境大フントをベロですくってむしゃむしゃかっ食らえる大きさのフントクイともなると、図体も怪物並みだ。つまり、巣穴も人がゆうに立って歩けるだけの広さがあるってわけだ! さすがに全力で武器を振り回せるほどじゃないかもしれないが。
ふむふむ、そーゆーのあったよな、自然洞窟状態の生き物の巣穴を、標的のモンスターや貯め込んだお宝とか卵とかを求めてさまよい歩くクエスト。あるいは目的地に向かう途中にイベントやレベルアップポイントとして挿入された地下歩道橋的ダンジョン……おおっ?
てことは、つまり、これは……ダンジョンアタックかっ!?
おおおおお、いいじゃん! こんな手があったとは!
田舎から都に向けて旅立つイベントの、まさしく半ばに構える通過用ダンジョンの趣がしますよ!
「イズリアルさん! ぼくはそれがよいです! ぼくは巣穴破りの巣に行きます!」
全力で挙手して発表するわしの勢いに、きっと予想してたんだろうイズリアルさんはにこやかに微笑みつつ、さらっと言い放った。
「そうかい? 君の気に入る方法を提案できてよかった。それじゃあ、頑張ってヴォジュリスティに辿り着いてくれたまえ」
ん?
「……イズリアルさん、ぼくとゴーディアスは、自力で街に辿り着くべし?」
するとイズリアルさんは、喜劇映画の海外俳優がするみたいなおどけた仕草をしてみせた。目をくるりと回して、肩をすくめながら両手を宙に差し上げるという、『やれやれ』みたいなポーズといえばわかるだろうか。美形の外人顔だから無駄に似合っていてすげえこき下ろされてる感がする。同じことをねーちゃんがやったならイラっとするだけで済むんだが。
「おいおい、まさか誰ぞに連れて行ってもらおうなんて甘い考えを持っていやしないだろうね。我々には仕事があるし、シオネの時のような切羽詰まった事情があるでもない。いつでもいいんだから、しっかり実力をつけて、しっかり準備をしなさい。そういう手際も組合員には要求されるよ」
それもそうだ。
クエストの成功は、事前の準備が明暗を分けるもんだ。この場合の準備というのは、単にアイテムを道具袋に放り込んで、装備品のタイプや属性を選ぶといったことだけじゃない。
まず、森の境界線近くで辺境大フントクイの巣の入り口を見つける。
中に入り、自分の足で森の外に通じている出口を探し出す。
箇条書きにしたらいかにも簡単そうなんだが、そうは問屋が卸さない。問題は、巣穴破りの巣はそれこそアリの巣並みに入り組んでいることだ。
地下の限られた空間だから、酸素が薄いところもあるだろう。落盤の危険だってあるに違いない。過度の衝撃はNGだ。火も使えない。うっかり迷いでもしたら、水と食料が尽きても地上に出られず自分の命も尽きることになりかねない。
いや、その前に、人様の巣に侵入しといて、巣の主に遭遇せず済むじゃろうか。まあ無理だろう。撃退するか逃げるか。その場合にも上記の衝撃NGが重い縛りとなってのしかかる。
辺境大フントクイの強さがどんくらいのものか、わしはまだ量ったことがないからわからんし。いっぺん、巣穴破りを探してデータを採取しておいた方が無難じゃろなあ。
いくら人間が立って歩ける規格の巣穴だからといって、縦横無尽に武器を振り回せるほどの幅はない。攻撃手段は突き一択となるだろう。
探索にどのくらいの日数と物資を要するかもわからない。イズリアルさんたちはマズリに乗ってほとんど一直線に来るらしいから一日程度で森を突っ切ってここまで来られるわけで(それでも丸一日だ!)、冒険者の基本、己の足での移動となればそんなわけにゃいかん。その見当をつけられるだけの経験則を叩き込み、必要な物を必要なだけ用意して自力で持ち運ぶ。その体力と筋力は十分備わっているか?
思い立ったからといって、一朝一夕に実現できるもんじゃないんだよな。
まず、条件に合致する巣穴破りの巣の入り口を見つけるだけでも何日かかるやら。
ゴーディアスの歯もまだ生え揃ってないし、最低乳離れができるまでは実行不可だ。乳幼児のために母ちゃんヤギを連れ歩くわけにいかんし……
「イズリアル。ケイセイをからかうのはそこまでだ。本気にしてる」
うんうん唸っていると、突如兄ちゃんが口を挟んだ。
暖炉の中を火かき棒で掻き回しながらこっちを見もせず言うので、一瞬わしについて言われてるもんだとはわからなんだ。側にねーちゃんが張り付いてて、しきりに暖炉の中に向けて首や前脚を伸ばそうとしているのを火かき棒を持ってない方の手であしらいながらだったから、余計に。
兄ちゃん、炭と灰の中で夜食用の肉でも焼いてんのか、さっきからいいにおいがしている。
ねーちゃんは遊んでもらってでもいるつもりなのか、何度鼻面を押し戻され前脚をはたき落とされても、懲りずに暖炉の中の肉らしきものに接触しようと違う角度から前脚を伸ばしたり、うんと首を伸ばして兄ちゃんの手を乗り越えようと試みたりしてる。そんでその都度妨害されている。
人間の時は恐れをなして兄ちゃんに近づかねーのに、犬の時はその垣根が見えなくなるらしい。
「ああ、どうやらそのようだね。既に何やら考えているようだ」
「明日になったらケイセイが仔ヤギを連れて巣穴破りを探しに出て行った、などということになったら責を負ってもらう」
「いやはや、これは大変だ。君たちの家庭を引っ掻き回してただで済むとは思えない。早急に前言を撤回しなければ」
……んん?
「イズリアルさん、もしもぼくを試しましたか? もし……もしかして、からかいましたか?」
「うん、そうなんだ。悪かったね。あまりにも素直に単独で巣穴破りの巣を踏破する方法を受け入れるものだから、味気ない……じゃなかった、慌ててしまったよ」
今こぼれた本音らしきものはわしの聞き間違いということにする。なんで人間って、当てこすりやら含みとかには鋭くなるんだろうな。
「イズリアルさん、ほんとうはぼくを街に来てはいけませんか?」
さすがにちょっとむっとしたわしは、直截に尋ねてみた。イズリアルさんは苦笑を深くして、少し反省の窺える口調で説明してくれた。
「そんなことはないよ」
「そうだとも、ケイセイ。少しずつ教えてきたが、強くなりたいという意思が固いものであるから、訓練も相応に厳しくあるべき頃合かもしれないと考えていたところだ」
大抵は聞き届け役でいることが多い父ちゃんが、珍しく口を挟んだ。
「焦らなくていい。時間はある。当座の目標があるだけでも訓練が捗る」
父ちゃんの言うとおりだ。弱気は厳禁!
叩き上げのベテラン刑事は自分の足で稼ぐように、一流のハンターは忍耐と根性と執念で成果を挙げるもんだ。一切の無駄を省いた効率いいプレイをして経験値やレアアイテムを集めたり俺TUEEEしたいわけじゃないわしとしては、特に焦る理由もないんである。
小型のモンスターを発見し、うるさい鼓動を聞きながら慎重に近寄って、斬りつけたら倒せた初めての勝利。
次に同じモンスター発見し、少し大胆になって近づいたら今度は逃げられて調子に乗り、慎重さをかなぐり捨てて追っかけて急接近したら、いつの間にやらもう一匹出て来てリンクして、こっちが命からがら逃げ出す羽目になったり。
脇道を発見して、ちょっと寄り道してみたら、思いがけない場所へショートカットできたり。
今まで倒した雑魚の落とし物が色々溜まったので売り払ったら小金になって、これで懐具合を考慮して二の足を踏んでいたあの便利グッズを買おう、とかあれこれ計画立てたり。
あるいは何気なく拾ったこれとあれが合成できるんじゃね? と試してみたら、しょーもないものと、1ポイントだけ性能のいい同じものができたとか。
みたいなことをしているうちに、ちまちまと蓄積した経験値が実を結びひとつレベルアップする。スキルポイントを何に割り振るか何十分も真剣に考える。
そしてちょっとだけ敵を倒しやすくなる。
そんなふうに試行錯誤や失敗を重ねながら、コツコツと冒険の舞台は広げていくんが楽しいと、わしは思っている。
「ただ、君がどうしても組合員になりたいのなら、やはり予め世間の風に晒される体験はしておくべきだと思う」
イズリアルさんが、改まった口調でまた口を開いた。
「組合員が憧れだけでやっていけるものでないのは実力が伴わないからという理由もあるが、組合員に限らず人は利得に敏感なもので、他人の実力を嗅ぎ分けるのが上手いものだ。困ったことに、登録時に篩いにかけても、道理をわきまえぬならず者が一定数いる。若く世間を知らない弱い者がうろうろしていては、彼らにとってはいいカモでしかない。せっかく仕事で成果を出しても、その手柄を横取りしたり報酬を騙し取ったり奪ったりしようと虎視眈々と目を光らせている。君はそういう多くの人間が持つずる賢さや汚さを知っておき、用心する心構えをするべきだ」
あー、そっか。そういったこすっからい連中に寝首を掻かれる可能性ってのも、冒険者稼業にはつきもんだよな。序盤で登場するかませ犬系の小悪党ってのは、大抵のファンタジー世界にゃいるもんだ。
「わかりました! 森の外で出会う人間は、みんな泥棒と思って警戒します!」
確かそんな諺が日本にはあったはずだ。
「いや、そこまで疑り深くならなくても」
「いや、それくらい用心した方がいい」
「わひょーん!」
イズリアルさんと兄ちゃんの意見は真っ向から対立している。ねーちゃんのは知らん。
「心配だわ。ケイセイをそんな人外魔境に向かわせるなんて」
「人の中で生きることは、森の中で生きることとは別の苦難に満ちている。人と多く接すれば、その分人を見る目も培われるものだ。命に別条がない程度ならば、痛い目を見たり損をしてみるのも経験となるだろう」
はらはらと両手を組むウルリカの意見は世間を知らないピントのずれた取り越し苦労と言えなくもないが、重々しく頷く父ちゃんの意見は、本当に人の街がおっかねえところに聞こえるから怖い。せめて、かわいい子には旅をさせろ的なものだと思いたい。
「ジェオを外に出すまでにすら20年かけた。それをおまえは四分の一ほどの時間で果たそうというのだ。荒っぽいやり方も時には必要だろう。戦闘訓練も、父さんが側にいて致命傷を避けてやるのでは甘いのかもしれない。今少し助けに入る段階を厳しくしてみるか?」
実はそうだ。わしは今まで負ったダメージらしいダメージといえば、こないだの泊まりがけの魔境周縁部見学ツアーで腕を噛み斬られたくらいのもんで、それも直後に適切な処置をしてもらったので命に関わるもんじゃなかった。
キキリに毒ガスを吹き付けられて直撃したこともなけりゃ、わしの腹を貫通するだろう角を蓄えたフォアの頭突きが腹に入ったこともないし、ティフォアの強靭な後足で内臓破裂必至の後ろ蹴りを食らったこともない。今までの戦闘訓練で致命傷となり得る事態は、間一髪で父ちゃんが助けてくれていた。
でも、そうなんだよな。いつも見守っていてくれるばかりじゃなく、いざって時に助けてくれる教官がついてると、甘えが染み付いてしまう。単独で放置されるとか、あるいは怪我をしてでも自力で切り抜けられる訓練も積まなけりゃきっと冒険者としてはやっていけない。今はそれを先送りにしてるだけなんだ。
「……おねがいします!」
課題は山のようにある。
そんでもって、確かにそんなことに、仕事のある父ちゃんや兄ちゃんを頼るわけにゃいかん。イズリアルさんだって選択肢の幅を増やしてくれてるだけであって、どうしても来いといってるわけじゃないんだし。
わしが自力で成し遂げなければならない試練なんだ。
「それでは、私が一緒に行きましょうか? フントクイの巣を探すなら私も役に立てるわ」
「ワン!」
とか思った矢先にウルリカがんな事言うし。ねーちゃんも何を勘違いしてんのか尻尾振るし。遠足じゃねんだよ。
「おまえがか」
渋面になった兄ちゃんに、ウルリカは珍しく食い下がる。
「そうでしょう、兄様? この森で一人で遠出をするには危ないんですのよ。その点私は慣れていますわ。一緒に森を出たいとは申しませんが、巣穴探しくらいはいいでしょう?」
「ワン! ワン!」
ねーちゃんがみんなを見回しながらなんか訴えている。
「おまえには何か案があるのか?」
察しよく話を振った父ちゃんに、ねーちゃんは我が意を得たりとばかり頷いて見せると、一目散に自室へ駆け去った。器用に前脚で扉を開けて、ちゃんと頭で押して閉めるという芸の細かさ。これを普通の犬がやったらホームビデオ大賞に投稿できるレベルのいい仕事だ。
すぐに戻ってきたねーちゃんは、口から何やらぶら下げている。そんなに大きくもない、毛糸の塊だ。
ウルリカの側に寄って、どうぞとばかりにそれを口で掲げる。
ウルリカが受け取って広げてみると、それはニット帽だった。頭から首元まで覆い尽くせる裾の長いタイプで、目と鼻の穴と口に相当する部分に穴が開いている、つまりは覆面だ。それもコントで出てくるみたいな安直な銀行強盗が被ってる系の。
この世界での覆面といえばハンカチを鼻の下に巻き付けたようなものと頭巾の組み合わせが主流で、予め目と口に穴を開けて編み上げて単独で用を成す被り物というのは斬新だったらしい。
「まあ、これなら食事時でも覆面を被ったままでいられるのね。素晴らしいわ」
ウルリカは嬉々としてそれを被っていた。その姿についてのわしの感想は差し控える。
ただ、イズリアルさんの、言いたいことがあるけどあえて口を噤んでいますと言わんばかりの神妙な顔つきは、わしに程近い心境だったのではないかと思う。
兄ちゃんはなぜか感心した風だ。父ちゃんもその覆面を気に入ったらしい。二人してねーちゃんを褒めてやっていた。
ねーちゃんは得意げに尻尾を振りたくっていた。
犬顔でもはっきりわかるドヤ顔ってのは、ある意味顔芸としてレベルが高い気がする。
そういえば、兄ちゃんとイズリアルさんも、わしの13歳の誕生祝いをくれた。
今回の話の内容を見越したかのような野営セットだった。今から使い込んでいけば、数年後に組合員になった頃にはいかにも旅慣れてる感のいい味が出てるんじゃないかと言われて、うかうかとその気になってしまったわしは我ながら単純だ。
でも確かになぁ、元の世界から持ち込んだ化学繊維やステンレス製のアウトドア用品を持ち歩くのは悪目立ちしていかんかもしれんもんな。うん、冒険する時はこっち産の品で固めることにしよう。




