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由無し一家  作者: しめ村
33/43

敬清の修行の日々

「おとうさん、これはなんですか?」

 わしはウッサ罠にかかっている生き物の前で屈んでいる父ちゃんの肩越しに、その手元を覗きこもうと苦心しながら尋ねた。

 わからんことは素直に訊くに限る。

 ウッサとはウサギに似ているげっ歯類系小動物。ネズミにも似てる。魔物じゃなくてあくまでも動物。無駄にアグレッシブな気性の、RPGモンスターとしての特性はあつらえむきの雑魚である。

 しかし、わし単体で五体満足なウッサ一匹と相対すれば、とても楽に仕留めさせちゃもらえないだろう。ウッサの鋭い前歯と後足の爪はわしの喉を掻き切って即死させられるだろう攻撃力があり、ウッサの人間の乳幼児ほどもある体はそれを可能とするだけのばねと敏捷性を備えている。わしだってむざむざ弱点さらして突っ立ってやせんから、いわゆるクリティカルヒットすりゃそんな事態になるだろうという最悪の可能性まで考慮した話である。

 冒険者としてのレベルは1にもなってないわしからしたら、舞台の後半になって始めて訪れるエリアの雑魚ってところか。

「もう少し下がっていなさい」

 父ちゃんはやんわりとした口ぶりながら、振り返らずに言った。小さい子をあやすような調子だったのは気のせいだろう。

 二メートル超の巨漢だもんで、屈みこんで背を丸めても、その前にあるものは後ろからは見えなくなる。広い背中に触れないぎりぎりの距離から爪先立ちしできるだけ腰を斜めに曲げた苦しい姿勢で、首をうんと伸ばしてみるも、父ちゃんの手元はちらっとも見えない。

「下がっていろと言ったろう」

 今度の父ちゃんの声は、びしっと音がしそうだった。わしは亀みたく首を引っ込めて仰け反り、気を付けをした。ほぼ反射的な行動だ。本能に働きかけてそうさせる力が、父ちゃんの声にはあった。

 理由はわしにもわかっている。一度言われたのに言う通りにしなかったからだ。それがわかる程度にはわしも父ちゃんの人柄と、甘えがどこらへんまで通じるかも心得てるつもりだったのに、好奇心に負けてうっかり引き際を誤ったのだ。父ちゃんがわしの安全を確保する手段を徹底してわしを連れ歩いていることも、その講じ方を教えようとしてのことだし、獲物のかかった罠を発見してまずわしを下がらせたのも、慎重さを身に沁み込ませようとしてのことだ。

 わしは縮こまって、めいっぱい反省した素振りで謝った。

「すみません」

「今回のは既に死んでいるが、手負いだったら思わぬ反撃を受けることもありうるのだぞ……ああ、もう見てもいいぞ。確実に死んでいる。死後もうかつに触れれば病なり歪みなり移るものもあるが、今度のは大丈夫だ」

 また声を物柔らかくした父ちゃんが、体を横に傾けてわしの視界を拓いてくれた。

「キキリの孵化しかけだな。今の内に罠にかけられて幸いだった」

 ウッサ罠にかかっていたのは、ウッサと同じくらいの大きさの、テカテカ黒光りする虫だった。カブトムシみたいな一本角のある、ナナフシとハサミムシを掛け合わせたみたいな扁平な体形の翅のない虫。こりゃ何目だろな。

 前に父ちゃんの仕事に連れて来てもらった際に見たキキリは、イナゴに似た顔と肉付きのいい後足を持ったカナブンって感じの、辛うじて甲虫目といえそうな見た目だった。父ちゃんはどっちの虫も一口にキキリと言ってるんで、わしらの世界ほど細かい分類はされてないみたいだ。

 見た感じはただのゲテモノだが、わしはまだ一見しただけでは、ただの辺境産の虫なのか虫型の魔物なのかの見分けはつけられない。父ちゃんが教えてくれて初めて、これが魔物に属する虫なのだと知る。

「キキリは、虫の低級の魔物ですね? 虫の魔物は、みんなキキリですか? 孵化というのは、普通の虫からキキリになりますか?」

「いや、そうではない。この虫は既に魔物化している。それを普通はキキリという。それから更に歪みを貯め込むことによって、一段高度な魔物へと変わろうとしていたのだ。見てごらん、このキキリは背が内から盛り上がるように罅が入っているだろう。キキリからラキキリへと孵化しかけているところだったんだ。魔物はみな、別の魔物のさなぎのようなものだ。古い皮を脱ぎ棄てる度に、より充実した力の器を備えた体に自ら作り替わるのだ」

「それで、孵化をするごとに名前が修飾されるのですね?」

「そうだ。魔物らにとっては何の意味も持たないが、人がその力を量るための目安のようなものだ」

 出世魚みたいなもんか。

「ラというのが、魔物の偉さの度合いなんですね?」

「偉さの度合いとは、また妙な言い回しをするものだな。だいたいはそうだ。格、というべきだろうな。ラキキリはただのキキリより一段階格が高く、レラと付けばそれより強い。ラクレラは更に一段階強い歪みを受けて変質したものとされる。シェクラレラはそれより上だ。この辺りになると魔境でなければお目にかかれまいな」

「歪みを取り入れてへんたいするということは、長く生きている魔物ほど、沢山歪みに触って強い魔物になっていくのですか?」

「その通りだ。更に歪みを受けて形態を変えたり新たな能力を得たりする。種としての進化というよりは、個体としての突然変異といっていい。上級の魔物は同種間での繁殖を滅多にしない。進化して増える場合がほとんどだ」

「この虫の名前はなんですか? もう関係ありませんか?」

「区別を付ける必要のある時には、似た形の虫の種類に応じた呼び方を添えるのが普通だ。このキキリの虫としての本来の種は、ラフシェかソグリャのどちらかではないかと思うが、一旦魔物化したら元の姿を見出すのは困難だ。父さんにも正確なところはわからないな」

 ちなみに、ラフシェがナナフシ、ソグリャがハサミムシに相当する。わしの見立ては間違ってなかったようだ。さすがわし。


 わしは気が済むまで父ちゃんに質問を重ねた。父ちゃんはわしの積極的な知識欲を歓迎してくれていて、訊いたら訊いただけ答えてくれるので、聞けば聞くほど掘り下げたくなるから切り上げ時がわからなくて困る。

 父ちゃんだって仕事の合間にむりくり時間を作ってわしに現場を踏ませてくれてるんであって、本来済まさにゃならん通常業務が他に山のようにあるはずなのに、丁寧に付き合ってくれるもんだから、わしはいつも、つい時間を忘れて浪費してしまう。

 今日は午前中の三時間分ほどをわしのために空けてくれてて、わしとしても生きてるキキリと戦いたかったんだけどな。

 父ちゃんも最近は、父ちゃんの監督下で小さい獣との一対一でなら、わしの腕を試させてくれるようになって、色々とアドバイスをくれる。

 ウッサとも戦った。つまりさっき説明したウッサの戦闘能力についての評価は、わしのれっきとした経験則からなる公平な分析なのだ。

 ……小動物のクリティカルヒットで即死しかねない自分というのも、誠に遺憾なことながら、冷静な分析を経た事実なんである。

 戦い以前に、茂みにはまりこんだり蔓に爪先が引っかかったりして満足に立ち回れなかった挙句、転んで、喉元めがけて飛びかかってきたところを気配を消して見守っていた父ちゃんに代わりに仕留めてもらったという、なんとも無様な戦績だった。

 父ちゃんもさすがに渋い顔をしてた。苦笑いですらなかった。

 当たり前だ。足腰の強化と軸足に基点を置いた足運びの基礎訓練をこの一年みっちり積んできたのだ。ウルリカには上達ぶりを褒めてもらったし、父ちゃんと兄ちゃんも様になったと言ってくれていた。にも拘らずこの体たらく。

 訓練を常に足場のいい平地で行ってきたから、実践では勝手が違ったのは確かだ。でも本当に命のやり取りをする中で、そんなのは言い訳にもならない。父ちゃんがいなかったら、わしはそこで12年の生涯を人知れず、あっさり、無造作に終えていたのだ。

 わしはまだ、どこかこうした荒事を、前の世界にいた頃からの夢だった画面越しのゲーム感覚で、安易に見ていたのだろうか。その可能性に思い至った時、わしは心底悔しかった。頭を抱えてのたうち回りたいほど恥ずかしかった。日本にいた頃からじいちゃんに生き物の命をいただくありがたみを縊り方と一緒に教え込まれてて、こんだけここで地に足の付いた暮らしをしてて、狩りもするようになって、わかっていたつもりだったのだ。つもり! 父ちゃんはわしを責めなかったけんど、江見のじいちゃんなら率直に「情けない」と言うだろう。わしだってそうだ。なんてこった。

 レア装備に身を固めたキャラクターの後ろ姿越しにではなく、何一つ遮るもののない自分の視界で自分を殺そうと向かってくる生き物の残忍な殺気というものは、自分が圧倒的優位の狩りで(それすら父ちゃんやウルリカがついててこその優位だ!)仕留めた獲物の必死の抵抗や生への渇望といったものとは別の角度から真に迫っていた。

 それに相対する自分といえば、肉眼で軌道を捉えられる速度で振り下ろす木刀を構えた、滑稽なほどに頼りない人並みの運動神経と人並みの強度の肉体を持つ小僧でしかなかったのだ。

 攻撃のチャンスなんて、相手が向かってくる最も効果的な瞬間を狙った一度きり。

 切られればあっさり肉が裂けて血が流れるだろうし、そんな傷を負って、どれだけ痛みに耐えて動き回れるかは疑問だ。傷つけば、生き延びてもなんかの病気に感染したりするかもしれないし、治ろうとする傷が膿んだり熱を持って苦しむこともあるだろう。

 そういう状態の時、アナリシスでどう数値化する? その人間の苦しみを、どうわかれるというんだろう? 人間の命は、数値やゲージなんてものじゃ量れやしない。そんなことすらわかってなかったのだ。

 それにゲーム世界のアバターは、ステップ一つとっても踏み間違えたりしない。回避行動を取った先の着地点にあった三センチほどの段差を踏み間違えてずり落ちた拍子に足首を捻って転倒する、なんてことは起こらない。

 父ちゃんが今、わしの安全を最優先で確保するために細かいことにまで気を配るのは、そんな経緯もあるのだった。

 くっそ、絶対、もっと強くなってやる! 心配されないくらい強くな!


 結局この日の同伴は、食肉を得るためのウッサ罠を一つフイにして、わしの好奇心を満足させただけに終わってしまった。あんまり後悔はしていない。


 父ちゃんの仕事は外敵の排除を目的とした見回りだけじゃなくて、一応管理人として管理を任されている森の手入れとかも含まれている。樹木位置図を更新したり動植物の分布情報を偏らないように調整したりもしてる。それもかなりこまめに。

 どこに何が巣を作ってて何匹仔がいて子育て期間はいつまでかといったことを、父ちゃんは完璧に把握してるからだ。鳥の鳴き声一つで、「どこそこの巣のが巣立ったようだな」と正確に言い当ててのける。んで、後でその巣に行ってみると、その巣は役目を終えてもぬけの殻になってるってわけだ。

 わしを連れてる時には仕事を教えるためにかなりスローペースで司会進行してるだけで、わしがいない時には、相当手早く広範囲を移動しまくってるはずだ。

 父ちゃんは魔法には縁がないって話だけんど、歪みの淀んだところとか、魔法が濃いところなんかが感覚でわかるんじゃないかと思う。歪みが溜まってるところに率先して踏み込んでって、それをあっけなく散らしてしまうのだ。父ちゃんがざかざか動き回った跡は歪みが薄くなって、魔境に向かう歪みの流れが道を作っている。

 これを意図せず感覚だけでやってのけるんだから、父ちゃんは実は魔法のセンスもあるんじゃねーかな。これで魔法まで使えた日にゃ、恐ろしい存在になってただろう。

 そう考えれば、今まで父ちゃんが兄ちゃん達が来ると言って期日内に兄ちゃん達が来なかったことはないということにも、いくらかは影響してるんじゃないかと思うんだ。

 それにしたって、どんな超感覚なんだろなぁ。



 感覚といや、ねーちゃんも抜群に鋭くなった。

「なあねーちゃん。やっぱ犬になってっと五感鋭くなったりとかすんの?」

 ねーちゃんの犬姿にも慣れてきた頃、気になっていた点について訊いてみた。

 ねーちゃんは芋を掘る前脚を持ち上げかけた姿勢のまま止まり、考え深げに斜めに傾げた視線をこっちに寄越した。

「ワン!」

 んで、一声吠えて大きく頷いた。

「実感できるレベルで?」

「ワン!」

「そか」

 それなら外を歩く時にはそっちの方がいいだろな。犬なんだから鼻と耳が利くもんだろうと思ったら、やっぱりそうみたいだ。多分、第六感的な部分も上がってると見た。

 MPとか知力とかの問題じゃない分野だからか、わしのアナリシスではその辺の視覚化はできてない。ただ魔法の腕を上げていけば、そういう微妙な能力の違いとかも視認できるようになるかもという期待と目標は掲げていくつもりだ。

 あと、ねーちゃんは犬になった時は身体能力が大幅に上昇している。これは数値化して見比べたら一目瞭然だった。種族の基本値が高めにできてるんだろう。帰って来てからレベルが一つも上がっとらんから倍率補正とは考えにくい。

 これも多分ねーちゃんが犬でいたがる理由の一つだろう。体力が豊富で山野の行動にペナルティがないとくれば、そりゃ楽ちんに決まってる。

 今も、犬の背中にフィットするように改造した籠を背負って元気一杯だ。ちゃんと、穴掘り中に前傾姿勢になるのを見越して、前側は高めにしてある。

 わしはこればかりは羨ましい気持ちでそれを横目に見る。げげ、さっき土を崩した拍子に芋に傷をつけちまってた。こぼれてきた蜜が土を塗り込めて固まったらニカワ並みにくどくなっちまう。

「大丈夫よ、ケイセイ。皮を厚めに剥けば中身は食べられるわ」

「でも、勿体ないことをしました。ごめんなさい、ウルリカ」

 殆ど手を使わずにシェラの木に登って実をもいでいたウルリカが、芋をじっと眺めるわしを見つけて慰めてくれる。わしは気を取り直して、一心不乱に前足で土を掘り続けるねーちゃんの籠に芋を入れた。ついでに中身を勘定してみる。

 でかいカボチャもどきが3つに、蜜芋が7本に、ニンジンに似た食感のゴボウみたいな根菜7本、キノコが籠一つ分、リンゴもどきが12個、水菜っぽい野草とシソっぽい見た目のレタスっぽい食感の野草を合わせて両腕で一抱えほど。これらがねーちゃんの背中の籠に満載されている。カボチャもどきからして、一つが両手で一抱え分ほどの大きさなのだ。並みの女子高生が一度に持ち運べる分量じゃねえ。

 父ちゃんによれば明日は兄ちゃんとイズリアルさんが来るので、晩飯用の具材になりそうなものを採集しに、わしとねーちゃんとウルリカの三人で森に入り、三人で午前いっぱい使って得た収穫の全てだ。

 初めはわしもウルリカも、さすがに遠慮したのだ。無理だろうと思ってた。

 いくら本犬が希望したからって、ねーちゃんだけに荷物を任せっきりなんて男として、いや人として快諾できんだろ。

 しかしねーちゃんはこの通り、これだけの荷を軽々と背負って運んでのける。

 それでいて、至って楽しそうに森の幸を探し出しては集めているので、そのうち文句を言う気も失せた。嗅覚が余程的確なのか、ちゃんと食えて美味い(らしい)ものを見つけてくれるので、まあありがたいと思うべきなんだろうと思い直し、もう視界内にいてくれる限りは好きなようにうろつかせている。まるっきり犬だ。犬すぎる。

 道中を遮る野獣や万が一の侵入者などの不確定要素、要するに敵との遭遇に備え、わしもウルリカも支度は万全に整えてきているが、それもあくまで万が一のためのもので、なんでかフィールドサインにすら碌すっぽ出くわさない。あっても古い。

 父ちゃんと出る時にはしょっちゅう見かけることを思うと、ねーちゃんがいち早く嗅ぎつけて、意図して避けてるとしか思えない。勇んで先頭に立ったくせにやけにくねくね歩き回ると思ってたが、ねーちゃんはねーちゃんなりに、わしらを守っているつもりなんだろう。

 だから、家からそこそこ離れているここら一帯は、それ以前に父ちゃんと何度も通った場所で、わしも安全性の高さは確信済みだとは言わないでおいた。

「ねーちゃんさ、そういうのんもわかっとん? あ、そこ急な斜面になっとっから、落ちなや」

「わっふぉん」

 自分で掘っている穴に鼻先を突っ込みながら勢い良く土を掻くので、顔面に思いっきり土を浴びてくしゃみをしている。何やってんだか。

 ここに来たばっかの頃、野犬の遠吠えみたいなのに怯えながら歩いたことを思い出した。

 あの時の心細さや怖さは今でも覚えている。その心配は、今は遠くなってるんだと今更にして思い、我ながらびっくりした。

 危険察知に長けたねーちゃんがエンカウントを減らしてくれている。経験豊富なウルリカがついてる。わし自身にも多少は抗う力が付いた。わしらになんかあっても、家に籠城なり何なりして半日持ち堪えたら父ちゃんが絶対に助けてくれる。おお、なんという安心感。

「で? やっぱ危険な動物とか知らん人の臭いとかわかるん?」

「ウォッフォン!」

 もっぺん尋ねると、いかにもと言わんばかりのドヤ顔で頷いた。じいちゃんのしわぶきみたいな偉そうな唸り声の重々しさを、得意げに振れている尻尾のテンションが裏切っている。



 図らずもわしの使い魔ということが判明した仔ヤギのゴーディアスは、ついてきたがったが置いてきた。この場では役に立たないし、ねーちゃん犬と同時に逐一目を配って守ってやれるほどの余裕はこっちにもないからだ。

 あいつは体が赤ん坊のまんまだからか、生後二月近く……こっちの暦での数えだから、実際には70日ほど経っているっていうのに、未だにおかんのおっぱいが主食だ。

 母ヤギのミンは子供が赤ん坊のままでいるせいか、乳が止まらない。ゲロ不味かった生臭さも大分マシになってきてるので、絞る側としちゃありがたいことなんだろうが。

 でもいつまでもそう不自然な状態にさせておくわけにもいかん。責任は取らにゃあな。

 じりじりするほどゆっくりだが、なんとか歯が生えてきてるし、そろそろ固形物も食べさせにゃなるまい。

 ねーちゃんに言わせると、この、今になって歯が生え始めたってのも、わしの要求に応じた使い魔の変質なんだそうだ。使い魔はそうなった時点で体の成長が止まるから、本当なら歯も角も生えないはずなのだ。これもまたわしの無意識の所業だってんだからもどかしい。

 わしだってなあ、意識してできるもんなら、もっとでっかく、戦闘向けのカッコいい見てくれにしてやるわい! 第二形態とか第三形態とか嬉々として設定してやんよ!

 更に腹立つのは、使い魔の育成に四苦八苦してるわしの苦労を、ねーちゃんがニヤニヤして眺めてることだ。今まで魔法に関しちゃわしが一日の長だっただけに、これが一番悔しい。

 向き不向きってあんだろ。わしはオーソドックスなRPGに出てくるような攻撃・補助系の魔法はすぐ効果が出るしイメージしやすいしで得意じゃけんど、こういう自分以外のものにこつこつ念を注いでじわじわ変化が起こるような系統の魔法は実感湧かなくて苦手なんだよ! ゴーディアスのおかげで気付いたことだけどな!

「ぶぎゅうっふぉ」

「むかつく鳴き方だなこのくそねーちゃん」

 何と言いたいのかは知らんが、人間語に訳したところで碌な内容ではないだろう……はあ。がんばろ。

「そんな顔をしないで。ケイセイならきっとできるわ。どんなことでも全力で取り組んで最大限の結果を出しているじゃない。基本を疎かにしないし、腕を上げているし、剣を持つのもすっかり様になっていて、とっても頼もしいわ。私、魔法のことはあまりわからないけれどどんなことでも応援するからね」

「はいっ! ウルリカが応援してくれるなら、ぼくは何でもできると思います!」

 やっぱりウルリカは優しくてきれいで癒し効果抜群だ。こうして純粋にわしの可能性を信じわしを応援してくれながら、今はわしらを庇護対象と見做しているからこその、わしらを守ろうとする絶対的使命感と母性がその態度に一本折れない芯を通しているのだとわかる。

 わしは絶対、ウルリカより強くなって、父ちゃんにウルリカを任せるに値する男だと認められてみせるぞ。

 ねーちゃんのことも、何の心配もいらずにのびのびと暮らしていてくれるように、安全と安心を守れるようになってやる。

 ねーちゃんが、ゆくゆくは父ちゃんと同じ仕事に就くことを、イズリアルさん家とちゃんとした契約を交わしてきたと聞いた時にゃ驚いたが、ねーちゃん自身が誰からも脅かされずに静かにこの森で暮らして行きたいと望んで選んだ道で、その契約は利害の一致とその後のねーちゃんの身の証を立てるものだというから、わしも受け入れた。

 でも、やっぱり悔しかったのだ。ねーちゃんが自分一人でさっさと身の振り方を決めてきたことと、わしに負担をかけまいとしていることが。何も、ねーちゃんと分かち合うものがなかったことが。



 翌日、ねーちゃんが急にわんわん吠えだすんで、多分そうだろうとは思ってたが、父ちゃんの言った通り、兄ちゃんとイズリアルさんが来てた。

 兄ちゃんにとっちゃ勝手知ったる実家なんだから、勝手に荷の運び込みを開始している。

 ゴーディアスは外来者を警戒するようにミンの陰に隠れていたが、わしが出てきたのを見つけると、一目散に走り寄って来た。仔独特のぶっとい四つ足をぽてぽて動かしたり、短い尻尾をぷりぷり振って懐いてくれるのはかわいいもんだ。

 ところで、ゴーディアスは黒い毛皮に、靴下を履いてるみたいに足先だけ白い。ビタとミンも黒や茶がベースの毛皮だ。わしはヤギっつったら白いもんだと思ってたが、なんでそんな先入観持ってたんだろか。

 ゴーディアスを使い魔にしたことを話すと、イズリアルさんはううむと考え深げに顎を撫でた。台所では、ウルリカと、人型に戻ったねーちゃんがどたばたと晩飯の支度を始めている。

「君の場合、改めて契約する必要があると思う。ああ、いったん契約を解除してし直すという意味ではなく、重ねて契約内容を調整していく方が楽だろう。使い魔が果たす役割は魔術師にとってただの実力の示威ではないのだよ。感覚を共有することで主人の目となり耳となり、肉体を共有することで主人に魔法の源を提供することができるし、その出力先にすることもできる」

 自律行動できるラジコンみたいなもんか? こっちから遠隔操作もできて移動砲台にもできる? だとしたらすげーじゃん!

「イズリアルさんは、使い魔はいないですか?」

「持っていないよ。小動物を食べさせていくような繊細な習慣は私には向いていないという自覚があるからね」

「それは、イズリアルさんは大雑把な人間ですと宣言していますか?」

「はは、うん、そうなんだ。でも、それを質すのは賢明とは言えないね。組合員として人間社会に出るのなら」

「!」

 しまった、これは女に年齢や体重の話を振っちゃならんという暗黙のアレと同じか!

「イズリアルさん、試しましたね!?」

「うん。気を付けようね」

「くっ……気を付けます」

 にこにこしながらさらっと認められては、それ以上食い下がれない。わしは白旗を揚げた。

「それに、イズリアルは名付けの感覚が極めて偏っている。仮に使い魔を持ったとしても碌な性能の使い魔にはならんだろう」

 呆れ半分冷やかし半分にそんなことを言ったのは兄ちゃんだ。

「え、名前の良し悪しも使い魔の能力に関係あるのですか!?」

「そりゃあるとも。おまえも知っているだろうが、イズリアルの持ち馬の名前はマーちゃんだぞ。勿論彼は使い魔ではないし、馬は主人に文句を言わんが、気に入っていないのは見ていればわかる」

 強面の兄ちゃんが真顔でマーちゃんとか口走ると、それはそれで微妙な心持になる。

 イズリアルさんは少し気分を害したような顔つきで、「わかりやすく伝わりやすくでいいじゃないか」と言ってたが、個人的には兄ちゃんの意見に一票投じたい。



 父ちゃんも帰ってきて、いつもより気合の入ったご馳走をたらふく詰め込んだ晩餐の一服時、話題はゴーディアスのことからわしの魔法の勉強の進捗具合に及んだ。

「ケイセイも一度街に出て、集中的に特訓した方がいいかもしれないな」

 イズリアルさんがそう言った。

「街ですか!? 街に行っていいのですか!?」

 わしは飛び上がって食い付いた。だって街だぜ。ギルドがあるんだぜ? 冒険者とか兵士がいっぱい行き交ってるフロンティアの街! ギルドの他にも闘技場とか武器屋とかあるんだってさ! そりゃテンションも上がろうってもんよ。

 いつの間に側に寄って来たのか、食器の後片付けを終えてまた犬になったねーちゃんがお座りして物言いたげな目でこっちを見上げている。

「心配せんでも、ケイセイの身元に関してはイズリアルが手を打つ」

「人の仕事だと思って勝手に保証してくれるね」

「隠ぺいや偽装工作の実行と決定は俺の権限にはないからな」

「私にだってそんな権限はないよ。発案するだけで、許可をするのは父だ」

「何のお話ですか?」

 兄ちゃんとイズリアルさんのやり取りの意味がわからないので、わしは素直に訊いた。イズリアルさんが真面目な顔で一つ頷き、言葉を選びながらだろう、少し考える素振りで、ゆっくりと話し始めた。

「そうだね。君も知っておくといいだろう。君を街に連れて行くには、森の外の詰め所を通らねばならない。我々が森を出入りする時には、決まった人員が目録通りの荷物を所持して森に入ったことを兵士に検めてもらう決まりなんだ。シオネの時には、出る時も入る時も犬の姿をしていたから、森の獣を連れ帰ることにした、用が済んだから森に帰す、で簡単に話はついたんだ。公には、シオネ・エミなる人物はヴォジュリスティにいたことはなかったことになっている。資格魔術師の籍も、ヴォジュラの魔術師組合の特別な管理簿にそっと証書を挿入しておくだけで、その書類の存在も我々とヴォジュラ魔術師組合の組合長しか知らない。だがいざという時には、それを取り出して彼女が確かにヴォジュラ領民であるという証明に使えるんだ」

 それはなんとも、堂々たるインチキですな。知らん人からすりゃ、うちのねーちゃんは書類上にしか存在しない架空会社みたいな人間じゃなかろうか。いや、ちゃんと実在はしてるんだけどさ。

「でも、ケイセイの場合そうはいかない。人を連れて森の境界を出入りするなら、策が必要だ。最初の出入りが外からなら、予め身元を保証することでなんとかなる。例え君が若すぎるとしてもね。だが中から出るとなると、この子はいったい何者だ、ということになる」

「……あー」

 うん、なんかどういうことになるのかわかった。森に入った記録がないんだから、内側産の何かということになる。新種の魔物か、警備を掻い潜って森に侵入して捕まった賊か、それとも正直に異世界から魔境に現れた異界人ですとか説明すんの? 今更? うへえ、なんにしろ、碌な選択肢がない。特に二番目の設定は兵士の心証を著しく損ないそうだ。

「だから、少し時間をくれないか。何か手を考えてくるよ」

 イズリアルさんは深刻そうな顔でわしにそう打診した。勿論わしに否やはない。

「ぼくが、お姉様のように、変身の魔法を覚えて、動物に変身するのはどうですか?」

「それができれば一番楽ではあるんだが……」

 問題は、わしができるかどうかなんだよな。となると、ねーちゃんから教わるわけか? 本人もよくわかってなさそうなのに?

「シオネがこの姿にだけは容易く変われるのは、あの事故の後遺症のようなものらしいから……」

 曖昧に語尾を濁すイズリアルさんの言葉から、変身の魔法は本来かなり難しいものなんだと知れた。わしも、ねーちゃんがこの赤犬以外の姿を取ったところは見たこともない。

 難しい顔で沈黙するわしとイズリアルさんを見比べて、ウルリカが困ったように首を傾げている。慰めようにも適切な言葉が見つからないのだろう。父ちゃんはこの会話に無関心なふうで泰然と茶をすすっている。

 兄ちゃんは、ふと別のことを思い出したようで、ねーちゃんを見下ろして言った。

「お嬢様が、おまえのことを心配していらした。おまえによろしくと仰っていた」

 お嬢様ってのは、イズリアルさんの妹さんのことかな。おいおい兄ちゃん、仮にも直接の上司のイズリアルさんのことはため口なのに、他の家の人には敬語なんか。

 ねーちゃんは、三角形の耳をぴんと立て、はたはたと尻尾を振った。濃い色の目が何やら期待に満ちてぱあっと明るくなる。

「ワ」

「言っとくが、土産は預かってない。それと、おまえはもう街には連れてかんぞ」

 兄ちゃんは、ねーちゃんが一声吠える間もなくぶった切った。

「ギャン!」

「連れて行かん。遊びに行く感覚でいてもらっては迷惑だ」

 ねーちゃんはちょっと首を垂れていたが、別に落ち込んでたわけじゃなく、考え込んでいたらしかった。

 イズリアルさんの足元に移動してお座りをし、お手するみたく前脚を伸ばしてイズリアルさんの脛をちょんちょんとつつく。鼻をぴいぴい鳴らして視線はイズリアルさんの目元に固定。ああ、これは故郷の村で若かりし頃のゴンスケ(飼い主・近所の吉田じーさん)がやってたおねだりだ。吉田のじーさんは人と犬の区別をきっぱりつける人じゃったんで、いわゆる猫っ可愛がりはしなかったが、ゴンスケが老衰で寝たきりになるとなるべく不便の少ないようにと世話を焼いとったっけなあ。

 イズリアルさんは苦笑して、ものやわらかく、しかしきっぱりとねーちゃんの要求を撥ねつけた。

「君はもう、街に出てまで学ばねばならないことは残っていないよ。叔母上が判断なさったことだ。君もそれを間違いだとは言わないだろう?」

「ギャン! ギャン!」

「いくら喚いても変わらん」

 そして兄ちゃんの拒絶はにべもない。

 中身が人間なんだからまあ当然っちゃ当然なんだが、音声にするとこんだけのやり取りで会話が成立してんのがすげーよな。

「兄様、私も一度くらい、街というものを見てみたいですわ。たくさんの人を見てみたいのです」

「おまえたちは留守番だ」

 兄ちゃんの返答が一層断定的に、ぶっきらぼうになった。ウルリカが久しぶりに外への好奇心を再燃させてうずうずし始めているので、かなり慌てている。

 わしもこれにはやばいと思って、一気に冷静になったところだ。ウルリカを人里に出したりなんかしたら、みんな心を奪われて生きる屍になるか、男たちの奪い合いや女たちの恨みつらみなんかで街全体を巻き込む殺し合いが起こりかねない。冗談ではなく、ウルリカ本人以外、みんなそれを心配している。自覚させようにも、美しすぎることなど本人にもどうしようもない。

 ねーちゃんもさすがにこれには焦ったらしい。急に目を逸らしておとなしくなった。あわあわと獣の口を開いたり閉じたりしている。

「ケイセイにも勉強は必要だろう。だが子供たちがいちどきにいなくなってしまっては父さんが寂しい」

 とどめに、父ちゃんの水滴が落ちたようなぽつねんとした呟きに罪悪感を掻き立てられたらしい。俯いた。こう、『反省』というタイトルの写真にでもなりそうなポーズで、ずううんと頭を垂れている。

 ウルリカもしょんぼりと口を噤んでしまう。自分の言動の何がこんなに皆を落ち込ませる展開をもたらすのか、理解できない戸惑いが窺える。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、ウルリカを街に放り出すことには絶対に同意できない。少なくとも、無策では無理だ。なんか、方法はないだろうか。

「ねーちゃんは変身の魔法使えるようになったんだろ。ウルリカを目立たない見た目に化けさせるような術とかないん?」

「無茶を言うな」

「シオネがまともに化けられるものはこの犬の姿だけなんだよ。それも今のところ自分限定なんだよね? 他に何かに変身できるようになったのかい?」

 兄ちゃんとイズリアルさんの突っ込みは悲しい事実だった。

「……キュー……」

 ねーちゃんは拗ねて、壁の方を向いて不貞寝を始めた。

「シオネ、ねえ、私は変身してまで、どうしても街に行きたいわけではないから」

 ウルリカはさっきまでのがっかり具合はどこへやら、あたふたとねーちゃんを慰める側に回っている。ほんと人がいいよな、ウルリカ。こんなんで人里へ出て行って騙されるどころで済むわけねーよ。

「土産くらい持って来る」

 兄ちゃんがちょっと飴をちらつかせたが、ねーちゃんはぐぎゅうと機嫌悪そうな唸りを上げてぷいっとそっぽを向く。

「わかっているんだろう。獣の姿に変わっても理屈まで通じんようになったわけではないはずだぞ」

 兄ちゃんがちと苛立った声を上げた。低い声が凄むと中々怖い。しかしねーちゃんは怯まない。不貞腐れた態度を変えない。

「……はー」

 脅迫めいた態度から一転、苦々しい呻きを漏らしてがしがしと灰色のおどろ髪を掻く。

「ケイセイ、おまえは普段姉が機嫌を損ねた時はどうしてる。ウルリカにこんなに手を焼かされたことはないからわからん」

「放置推奨です」

 わしは即答した。んなもんほっとくに限るわ。相手が拗ねたからって屈してて姉弟闘争を生き抜けるか。

 ねーちゃんのヒスはだいたいそんな長くは続かない。一日ばかり口を利かずに過ごしてるうちに冷戦は自然に終結してる。

「すぐに回復させるなら、希望を叶えます」

 つまり連れてけばいい。壁に鼻面向けてるねーちゃんの耳だけがこっち向いてぴくぴくしてんのが見えた。

「いや、連れてはいかん」

 ねーちゃんの耳がぺちゃっと寝た。

「仕方ないな。消極的な手段だが冷戦期間を置くことにする」

 イズリアルさんもさらっと冷たい決断を下す。人当たりの良さで誤魔化されることも多いが、この人は中々にドライだ。

 わしの街留学の予定だけ、改めて詰めてくると言って、イズリアルさんと兄ちゃんは次の日去って行った。

 ねーちゃんとウルリカの視線が恨みがましい。

 さて、いつまで続くだろな、この冷戦とやらは。わしの予想では次の定期便までは保たないだろう。

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