お客さん
2014/10/13 前編と後編を統合しました。2017/04/25更に誤記修正。2019/03/16見直し修正。
異世界に来て約20日。森の中の家での非文明的な暮らしにも、そこそこ慣れてきた。
元々田舎暮らしで、文明の利器に頼り切りの生活でもなかった。
未だに薪でお風呂沸かしてたし、洗濯機が古くて時々スト起こすからその都度盥と洗濯板で洗濯することもあったし。トイレも離れにある汲み取り式のぼっとん便所だったし。テレビはデジタル移行の際の手続きとか買い替えとかするのがややこしくて、家に一台だけあったアナログテレビがその役目を終えると同時に見ることもなくなった。便利だから電子レンジだけはあったけどそれもチンができるだけの中古品だった。肉や魚を焼く時は七輪が登場した。じいちゃんは七輪の風味が好きで、特にサンマは絶対に自分で焼かなければ気が済まない人だった。焼きサンマには必ず大根おろしを添えて醤油を垂らすのがじいちゃん流だった。
ちょっと思い出話で誤魔化しかけたが、まあ、要するにうちは貧しかった。うん、泣いてないよ。
そんな中、じいちゃんと弟と三人で肩を寄せ合って暮らしてた。
そしてじいちゃんはもういない。でも弟は傍にいる。だから今の暮らしに不満はない。
近所の親切な爺様婆様や、朝一本しか出ないバスと徒歩で一時間かけて通っていた隣町の高校の友達の笑顔を思い出すことはある。でも、未練と言うほどでもない。
あの世界のあの家に戻って、もう一度だけでもじいちゃんが笑ってお帰りと言ってくれるなら、それに笑ってただいまと答えられるのなら戻りたい。でも、それは幻なんだってわかってるから。
慣れてきたといってもお世話になっているおじさんとウルリカの家周りだけが、私の知るこの世界。
他のこの世界人も知らない。
ちなみにここに来てから夕日が沈む回数を神経質にも毎日数えて、それが20回を突破したので20日経ったと表現している。
なにせ、この家にはカレンダーがない。暦はあるのだろうが、それがどれなのかわからないし、あっても見方がわからないだろう。
私と弟の誕生日、あってなきが如しものになったなあ。まあ向こうでのルールにこだわる必要もないし、別に困らないけど。
でもウルリカはそうは思わなかったみたいで、真剣に私たちの誕生日を突きとめようと指折り唸っていた。敬清と二人がかりでもういいからと何度も宥めすかして、最近やっと諦めてくれたところだ。
逆にお祝いできないとすまなそうな顔をされてしまい、いやこっちこそいらん労力おかけして申し訳ない。
20日付き合って理解したウルリカの人柄は、端的に言えばすごくいい子。
親切で、家庭的で、毎日護身術の訓練もしていながらしとやかで。護身術の域に留まってないような気もするが、不思議と女傑とか女だてらにって印象も湧かないのは、金輪際お目にかかれないだろうってくらいのすっごい美少女だからだろうか。
現代日本の田舎者には本来一生縁のなかっただろう、神秘の金髪碧眼に透き通るような白い肌。家事の邪魔にならないように後ろで一つ括りにした髪を無造作に捻って巻いただけの髪型すらきらきらしている。
華やか系じゃなくて清楚系。それでいてナイスバディ。私も貧相な方ではないが、私より肉感的なんだよね。敬清の服を作る時に、巻き尺を手にその胴回りに両腕を回したりしてたんだけど、あの子のおっきい胸がめっちゃ当たってたのに、採寸に集中しすぎてて本人気にしてないし。逆に敬清が気付かないふりして、顔真っ赤にして全力で明後日の方向いてて面白かった。
ああ、うん、真面目すぎて天然かな、ウルリカは。
そのお父さんはウルリカとは似てない。言われなきゃ親子だってわからない。
傷跡らしきものが複数見て取れるごま塩頭は、人によっちゃヤで始まる人のボスとかそれ以上の何かに見える迫力満点の厳めしさなんだけども、おじさんの場合は単純なワイルド系の魅力を前面に押し出している。
なんせ普段着の上からでもわかるくらいの全身これ筋肉で、見上げなきゃ目も合わない高身長で、眼光鋭い青灰色の目に年齢相応に刻まれた皺のある顔。眉毛もないので余計に顔面の怖さが際立っている。
仕事に出て行く時には板金を要所に宛がった動きやすさ重視の防具に(それでも私なら重たくて一歩も動けないだろう代物)、子供の身長ほどもある巨大な肉切り包丁みたいな(最初見た時には中華包丁としか思えなかった)大剣を装備したその姿は歴戦の古つわもの。
多くを語らぬその性格と併せていぶし銀の存在感。
「ねーちゃん見とらんかったろ。わしらがこっち来た晩、ぶちでけえ猪みてえなんが下で狙とったのを、おっちゃんが来て一撃で仕留めたんじゃ。見てくれの問題じゃのうて、ほんま強えんじゃ、おっちゃんは」
敬清は呆れかえってそう教えてくれた。
けどおじさんは優しくて、子供好き。私たちにもいろんなことを教えてくれる。
うちのお父さんが生きてたらあんな風に……なったわけないか。趣味のアウトドア好きと生粋の武人というのは全くの別人種だ。おじさんなら登山中に転落するってこともないだろう。
私も敬清も、二人のことが好きだ。ここでの暮らしは充実してて楽しい。
向こうでの私たちがどんな扱いになっているのは知らない。
気にかけてくれている人は少しはいると思うし、相続のこととか誰がお墓を守るのかといった問題は残ってるはずだし関係ない誰かにその貧乏くじ押しつけることになって申し訳ないとは思うけど、じいちゃんもいない今となっては戻りたいとも思わない。うちのあってなきがごとしの遺産は遠い親族の皆さんで適当に分けててくれたらいい。
姉弟でお互い心安らかに暮らしていけるのなら、どこだっていい。
でも、できればこれからもここにいたい。
おじさんを仕事に送り出すと、私たちは三人がかりで午前の家仕事を済ませる。
屋内の掃除を済ませてから、外に出て水仕事。
森の中の家から少し歩いて辿り着く小川の縁までは、長年踏み固められた人一人分の幅の道がくっきりと刻まれ、行き来に不都合はない。
その更に先、多分森の外へでも繋がっているのだろう拓けた道が南へと続いている。
私とウルリカはいつもの開けた場所で朝食の食器を洗い、衣類の洗濯をする。木々の間に張り巡らせた縄に洗濯物を干してしまうと、菜園の手入れ。雑草や虫を取ったりするくらいで、食材の足しになればという程度の意図で作られた畑らしく、実付きはよくない。だから植物性の栄養源は主に森の恵みに頼ることになる。
今の時期は向こうでは夏に相当する季節で、木の実やキノコを集めに森に入ることが多い。あと、トイレでお尻を拭くのに使う柔らかくておっきな葉っぱとか。
それらは、私が見知っていた植物の種子や葉じゃない。何が食べられて安全か、薬になるか毒になるかもわからないので、必ずウルリカについて行って手伝う形をとっている。彼女はその辺のことを完璧に心得ていた。
あとの予定はその日の天気とか備蓄食料の品揃えによって変わる。
丸々と太った兎っぽい小動物を――あくまで「っぽい」だ。兎ほど耳は長くないし脚に物騒な尖った爪が生えているその生き物は、こちらの言葉ではウッサと言われてる――罠で獲って、その日のおかずにすることもある。上流で魚を釣って、皆で捌くこともある。用途は新鮮なうちに晩ご飯にしたりたくさん釣果がある時には燻製にして保存したり。
ちなみに私も弟も、鳥や兎の捌き方はじいちゃんから習った。実践回数が少なかったんで、じいちゃんのように果物の皮を剥くみたいに美しくは捌けないけど。
野生の動物が獲物の臭いを嗅ぎつけてきたりしないか心配だったけど、そんなことは一度もなかった。
ただし、虫は別。
フファという、蚊と蝿のうざさを同時に併せ持つ羽音としつこさで顔の回りを飛び回る虫が、脈絡なく飛び交う。しかも顔の回りをちょろちょろと。木々の中に少し踏み込めば、蚊柱だって形成している。
ジグという虫は蜂によく似ている。蜂はとにかく刺激しないことが第一というのはこちらでも同じようだ。ただ、何分でかいので、対処もより切実になる。なんだよ手のひらサイズのスズメバチって。プレハブ物置くらいあるハチの巣とかさ。
蟻は普通サイズだけど、ちょっとした隙間から屋内に侵入してきて食べ物に群がる厄介さは変わらない。私たちの服を新しく作ってくれるというウルリカが、布とか予備の毛布の類を仕舞っている物入れを開けたら、以前にはなかったらしい穴が天井に開いてて、私たちの目の前に羽蟻の塊がごそっと落っこちてきた時には、さすがに乙女みたいな悲鳴を上げたよ。関係ないけど、世界も言語も違っても女の子が咄嗟に上げる悲鳴は『きゃあ』なんだな。
蟻対策には石灰撒くってじいちゃんが言ってたんだけど、それをおじさんとウルリカにうまく伝えられないのが目下のジレンマだ。くそー。
ゴキブリはいないようだ。カナブンっぽいのからダニほどの大きさのものまで甲虫は色々いるので、特にゴキだけがいないありがたみも感じないけど。
これらにウルリカは蚊取り線香的な手段で対抗している。虫除けの効果があると思しき枯草の先に火を付けて、煙を絶やさないようにするのだ。
ある時、私と敬清が変てこ森から持ってきていた、変な植物の粘液に塗れた葉っぱをもらえないかと(多分)お願いされたので、あげた。真っ青に変色していた葉っぱの虫除け効果は絶大だった。普通に枯草の燃える臭いしかしなかったのに、その日は一切虫が近寄ってすら来なかったんだから。
私たちが持ちだしてきた5枚を使い切ってしまうと、いくら別の草を燻してもそれを掻い潜ってくる虫が現れるようになってしまった。
またあの葉っぱを取って来られないものかな。
ここまでが私たちの生活圏の全てだ。
それを少しでも逸れると、倒木やぬかるみや下生えに覆い尽された地面は足の踏み場もない。その上では垂れ下がった蔦や柱を建てる虫が宙を塞ぐ。
そういえば、私たちがここに来た最初の日に見かけた変てこ動植物はこの辺には分布していない。
地面もあそこら辺は陽の射す余地のない根っこと落ち葉だけの開けた空間だったけど、こちらは梢を透かして緑色の明るい光が差し込んでくる生命の気配賑やかな森といった雰囲気だ。
おじさんとウルリカの言によると、ここからは離れた、もっと限られた範囲にのみあるんだって。
朝の片付けが終わると、そのまま川辺でウルリカが敬清に剣を教える。
敬清は、適当な枝から削り出した体格に合わせた練習用の剣をおじさんから与えられ、大いに喜んだ。
まだ基礎も基礎の段階だから、抜剣と納剣をスムーズにできるように構えを繰り返させられたり、型を維持したまま何分も微動だにせずにいられるようにするとかで、素振りすら許されてない。物足りなかろうに敬清は文句も言わずウルリカに従っている。
今やあの子は家仕事と睡眠のほかは訓練漬けの毎日だ。育ち盛りでもあるし、今まで以上によく食べるようになり、毎日のご飯も作りがいがある。
夢はおじさんみたいな、大剣を軽々と振り回す戦士だと言ってた。絶対無理だと思う。
ウルリカは、そんな敬清の前で、素振りをする。
こちらも、基本的な動作を何十回何百回と繰り返す単調なものだ。時々、向きや軌道なんかを変えて、またそれを繰り返している。敬清はそれを食い入るように見つめている。時々、集中が途切れて姿勢が崩れたり切っ先がぶれたりして、『動いたダメ!』と叱られて、慌てて姿勢を直していた。そんでもって一からやり直しだ。
その間私は近くで地面と棒で文字の書き取りをしたり、昨夜おじさんが仕事の行き帰りに籠いっぱいに摘んできていた野草を、一つ一つウルリカの動作の合間に確認を取りながら仕分けをする。乾燥させるべきものは筵に並べて日に当て、液に漬け込む必要のある物は家に帰ってからウルリカと準備する。その日の食卓に並ぶ物もある。
何がどんな意味のある素材なのかはちっとも理解できないけど、少なくとも名称と一致する見分け方だけは的確に近づいているつもりだ。
疲れたら、別のものを見て気分転換を図る。
空とか、近くの梢でうろちょろしている小鳥とか、敬清とウルリカとか、視線の先で地べたを這っている虫の模様とか、他の虫の体とか私たちが捨てた生ゴミの欠片を持ち去ろうとあくせく節足を動かしてどこへ行こうとするかとかを眺め、草むらの中とか梢から聞こえてくる鳴き声に耳を傾け、識別を図る。
ふと声がしたような気がして、顔を上げた。
多分だがここから先は生活圏外だから進んでは駄目だと言われていた更なる下流方向から、馬っぽい大きな動物に乗った人が二人、こちらに向かってきている。
「ウルリカ、お客さまです」
「……おにいさん!」
顔を上げたウルリカがぱっと振り向き、いそいそと駆け寄っていった。
私と敬清は顔を見合わせる。
「おにいさん? ……兄ちゃんっつった?」
「てこたウルリカの兄ちゃんか。近所のお兄さんとかでのーて、実の兄ちゃん?」
こんな些細な一言をいちいち声に出して確認し合うのには理由がある……いやどーもね、聞き取り能力が心許ないのですよ、私たち。本人が言わんとしている通りの意味で解釈できているかどうか、どうにもこうにも自信ないのだよね。ついでに、こっちで教わった言葉がこっちの意図する通りの意味を持って相手に伝わってるかどうかも甚だ疑問だったりする。
こちらの言葉でおじさんとウルリカと喋る時の私たちの話し言葉は、外人さんが日本語教室で覚えたばかりの丁寧な標準語を一生懸命話すのに似てるんじゃないだろうか。だって二人ともすごく微笑ましそうに私たちを見るもん。
馬よりも数段頑丈そうな馬っぽい四足動物から降りた、灰色のおどろ髪のお兄さんが、笑顔でウルリカを受け止めた。
ああ、うん、あの人ほんとにウルリカのお兄さんだ。だっておじさんにそっくり。おじさんをもう30歳くらい若くして細身にして髪の毛を生やしたら、あんな精悍な雰囲気の男の人になるんじゃないのかな。
二人は私には聞き取れない早口でなにやら言葉を交わし、次いで別の馬っぽい――めんどくさいからもう馬でいいや――動物から降りてきた人がそこに加わった。
ウルリカは淑女めいた仕草で深々とお辞儀をし、そちらとも流暢な現地語で手短に会話を済ませると、こちらを振り向いた。
「シオネ。ケイセイ」
呼ばれて私たちはおっかなびっくり近づいた。
ウルリカが後ろの二人に紹介するように一歩脇へ退き、私はお客さん二人と向き合う。
ウルリカは私たち姉弟を交互に手で指し示し、何やら紹介した。こちらの人向けの流暢な喋りなのでよく聞き取れない。
とりあえずにこやかに「潮音です」とだけは言っておいた。敬清も同じく。
ウルリカは次いで私たちにお客を紹介してくれる。まず、後から馬を降りた人を手で示した。
「この人は、地主の子供さんです」
……うん、だからね、聞き取り能力がね?
ウルリカは聞き取りやすいようにゆっくり一言ずつ区切って話してくれるし、実際にはもっと耳障りのいい言葉を使って紹介してくれてるんだと思うのよ。それを理解する私の語彙があれなだけでね?
紹介された人は颯爽としながらも優雅な動作で会釈し口を開いた。
キツネみたいな赤みがかった茶色の髪をした、若いイケメンの人だ。どこがとは言えないが気品を感じる顔立ちは、端正っていうのはこういうのを言うんだろうと思わせる。地主って紹介されたから、名主とか庄屋とか言われる立場の人かな? こちらの世界的に貴族というやつかもしれない。
「はじめまして、イズ%#”O=¥&_*?>。どうぞ目にひっかかるました、知らないDYV{WGIEO。ジェドがt;kd¥q.この家に住んでいる人から増えた聞いた、我々はとてつもない4a(4kdyv[i考えた。何がgpgk/h@l30pあなた、この森ZT0DQか?」
うん? なんだって?
……多分偉いんだろう人の物言いは、偉さに比例した仰々しさに修飾されてて、ぶっちゃけ何言ってんのかわからなかった。何とかわかったのはジェドというのはおじさんのことってとこだけ。普段名前呼びなんてしないからつい忘れがちで、今も一瞬、「えっ? 誰?」と思ってしまったのは秘密だ。
何とも言えないでいたら、ウルリカが見かねたように彼に呼びかけ、何やら訴えるように喋った後、『ゆっくり、簡単に話してください』と告げた。
イケメンの人は濃い焦げ茶色の目に苦笑を浮かべる。一瞬彼の瞳にオレンジ色の煌めきが散った。火打石を打ったかのようで、きれいな目だ。ゆっくりと言い直してくれた。
「わたしは、イズリアルです」
今度は端的に。おお、今度はわかったよ! イズリアルさんね。
さっきは多分ファミリーネームとかまで名乗ったんだろう。貴族ならそういうの長かろうよ。
頷いた私に、ウルリカがもう一人の人を紹介してくれる。
「わたしのお兄さんです。地主の倅さんと、働いています」
「ジェオフレイ」
灰色の髪のお兄さんが静かに会釈した。
私はお兄さんを見上げた。
おじさんそっくりだと遠目には思ったけど、同一人物ではないので細部は異なっている。目の色はおじさんより青味の強い灰青色で、髪型は偉い人に仕えているという堅苦しさを感じさせないアウトロー臭漂うワイルド系のかっこよさで、そういう全体的な印象は似てる。
ただ、なんというか、おじさんほど親しみやすくない。見た目の厳つさでいえばおじさんのが断然上なんだけど、とっつきやすさというのか、そういうのもおじさんはずば抜けて高い。
例えば、こう、気安く近づいてうっかり何か失言したり逆鱗に触れるような行動をしたとする。それで怒らせてずんばらりんと叩っ斬られる心配なんて、おじさんに限ってはないと思える。
同じ失敗をこの人に対してすれば、許してもらえないって気がする。うまく表現できないけど、そんな感じの違い。
まあ、おじさんに関するこの安心感も、今だからしみじみとそう思えるわけだし。お兄さんに対しても、そのうち見方が変わってくるかもしれない。
ひとまず森の中の一軒家に移動して、お客さんをおもてなしすることになった。
お兄さんはもちろん、イズリアルさんもここに来たことがあるらしく、勝手知ったる様子で馬をその辺に繋ぎ、その背に括りつけていたたくさんの荷物を下ろして土間に運び込んで行った。荷運びを手伝おうとしたけれど、お客さん二人は要領がよかったし、何よりお兄さんがすごい力持ちで、あっという間に片付いてしまったので、手伝う必要が全くなかった。さすがおじさんのせがれだ。
人間のお客さんは二人だけど、馬は三頭いた。一際大きな荷物を背負ったその子は交代用ではなく荷馬としてお仕事してたようだ。なんと、ティフススが2羽入った籠まであった。こないだチットに鳥をやられてしまったので、その分代わりに連れてきてくれたんだ。
ティフススというのは雉に似た脚のたくましい鳥で、ニワトリ的なお世話になる家禽。チットというのは、私はまだ見たことないけど、イタチっぽい動物と思われる。
私たちは、ウルリカの音頭で家の前に床几を持ち出し、お茶の用意をした。
今日はよく晴れているし、家の回りは空が開けているので日差しもよく降り注ぐ。屋外カフェの趣だ。そんなしゃれたお店、行ったことないけどな!
敬清のマグを出そうとしたら、ウルリカは「みんな同じコップを使いましょう」と言ったので、引っ込めた。私も同じステンレスのマグカップを持ってはいたんだけど、アウトドア用品を忘れてきてしまったもんで、こっちには持ってきてないのだ。
ここで飲むお茶は、何かの葉っぱをよく乾燥させて細かくしたものにお湯を注いで飲むという、向こうと大差ないお茶だ。色はえぐみのある薄緑から煮出しすぎた麦茶みたいな濃い色まで、味は青臭いのから香ばしいのまでと、色々。ただ、なじみ深い日本茶に近い味のものが今のところ見つかってないので、私も敬清も、喉が乾いたら基本的に水を飲んでいる。
「イズリアルとジェオフレイは、戦う人ですか?」
敬清は、二人が腰に佩いている私の腕くらいの長さの剣が気になっているらしい。
やっぱ真剣なのかな。竹光じゃないよなー。こんなもんを堂々と持ち歩いてるってところが異世界だなーと思う。それでも、おじさんの巨大肉切り包丁はもう別の次元だと思うが。
「戦い仕事ありません。家のお手伝います。街から外危ないので、持ちます」
現地語の会話についていけない私と敬清の言語レベルを察して考え直したらしい。イズリアルさんは苦笑しながら、簡単な単語選びとゆっくり喋りで答えてくれた。おかげさまで、なんとか私たちにも意味が通じる。
イズリアルさんの髪は、光の当たり具合ではまるっきり赤に見える。目も時々オレンジ色に煌めくので赤という印象が強い人だ。
木の実をひょいとつまんで口の中に放り込む仕草は、苛烈な赤い色や貴公子めいた雰囲気を裏切っていて、なんとも気さくだった。
「まち、人、たくさんですか? 剣、あるですか?」
敬清の関心事はどうしても、真剣を手に入れられるかということのようだ。
「誰も、は、あげません。決まりです」
「おじさんはとても強いです。イズリアルとジェオフレイは剣持っています。まちにも剣あります。おとなの男の人、みんな、強いですか」
なんだなんだ。弟よ、おまえは兵士にでもなりたいのか? ウルリカがすげえ心配そうに見ているよ?
「ジェドはとても強いです。彼は特別です。みんな、彼に比べたら、強いではありませんよ」
イズリアルさんの回答は笑い混じりで、考えてもみないことを言われたと言わんばかりの、小さい子に対する大人の反応みたいだった。
ウルリカのお兄さんは黙ってお茶を含み、何も言わなかった。少し口元を釣り上げて、やっぱり笑いを堪えたように見えた。 イズリアルさんは続けて口を開いた。
「わたしも訊きます。来たどこからですか? 誰の土地……ああ、いや。どこから来ましたか? フェイディアス? エヴァンデル? ランサストロ?」
こちらが選択するだけで問答が成立するように、多分地名を羅列してくれたんだろうけどなあ……
私と敬清は困惑して顔を見合わせた。参った、どれも聞いたことない。
「言った、名前、違うます」
日本国某県某村大字小字うんぬんとの私の回答に、イズリアルさんは表情で『聞いたことねー』と語る。ウルリカとお兄さんも首を捻っている。
「恐らく、ここ、ない。今、ない。ここ、ない、人です」
ダメ元で付け加えると、案の定イズリアルさんは戸惑ったようだ。少し早口に、私には聞き取れない現地語を呟いた。
しかしそれもちょっとの間で、興味を抱いたように身を乗り出してくる。
「もしもあなたたちは、死んだ人が帰りましたか? ニホンは古い場所ですか? いつですか?」
ん?
ウルリカが驚いたように目を見開いている。その発想はなかった、と言わんばかりだ。いや、ちょっと待って、何か誤解が。
「いいえ、いつも生きています。元気です。今です」
「この近くはありません。ここではないところです。この世ではないところです」
弟と二人して代わる代わる説明するも、イズリアルさんは依然困惑顔だ。
私は頭を抱えた。
うおおお、違う世界ですって伝えられない! てゆーか、大昔の人が時を経て生き返ったみたいに解釈されてないかこの流れ?! 余計なこと言うんじゃなかった! 今の語彙をいかに駆使すれば、異世界だとわかってもらえる?!
……結局はっきりしたのは、焦って余計なことを言うと更に会話が混乱するということだけだった。
私たちの出身地については平行線のまま棚上げして、いくつか身の回りのこととか、他に多分元の世界の産業とか文化とか政治とか戦争について尋ねられたと思うんだけど、そういう質問はこっちの聞き取り能力の拙さと向こうの専門的な言語の置き換えの難しさもあってか、あまり意味の通じる会話にならなかった。
イズリアルさんの好奇心を満足させられるような回答はできなかったと思う。はあ、もっと言葉勉強しなきゃ。
「申し訳ございませんでした、シオネ。たくさんすぎる質問でした。長いお話は、まだ難しいでしたか」
「……とても困難です」
ぐったりして答えると、お兄さんが、唐突に、それでいて間を計ったように、訊いてきた。
「この家は、好きですか?」
私は顔を上げて答えた。
「大きい好きです」
敬清も即答した。
「十分。ありがとうございます」
何度も言うようですが、こちらの語彙がまだ貧困なのでこんな意味不明且つ不自由な会話になってますが、要は『大好きです』『満ち足りた暮らしをさせていただいて感謝しています』と言いたいのですよ!
「おとうさんと、ウルリカを、好きですか?」
これにも私たちは大真面目に首肯した。
「はい。大きい好きです。ありがとうございます」
「お世話、ありがとうございます。崇めます」
敬清の『崇めます』ってのは『尊敬しています』と言いたいんだと思う。
つくづく拙い会話がもどかしい。気持ちだけでも通じればいいけど。
でも、ちゃんと伝わったようだった。お兄さんはあまり表情に変わりはないように見えて、ただ雰囲気が和らいだ。
イズリアルさんはにっこりと笑った。その時の笑顔はすごく満足そうな、好感に溢れたものだった。
ウルリカは感激したように頬を染めて口元を押さえながら目元を潤ませている。可愛いのは結構だが、なんかその顔つきには見覚えがあるよ……ああ思いだした、幼稚園でひらがなを学んだときにお手紙を書きましょうってのがあって、生まれて初めて書いたお手紙を渡した時のお母さんに通じる表情だ。
私が小2の時に夫婦で行った登山中にお父さんもろともに転落してしまったから、残っている記憶は少ないんだけども。こんなことをした、あったという最初のいくつかの乏しい記憶が、思いもかけず自分の中にこびり付いているんだなあと場違いなことを考えて。なんで今こんなことを思い出したのかなと更に釈然としない気持ちになった。
ウルリカが近寄ってきていて、気づかわしそうに手の甲を撫でてくれた。ほら、今だって、こんなにも心配してくれている。
別にウルリカが悪いわけじゃないし、一から教育してくれている身としては、そんな感慨だって湧くものなのかもしれない。
いやなことを思い出しそうに、あるいは考えそうになったので、それを振り切った。
陽が傾いてきたので、私はウルリカと夕ご飯の支度を始めた。
「お客さんも、食べ……ええと、召し上がるますか?」
「はい。今日はたくさん作りますよ。おにいさんたちが、たくさんの材料を運んできてくれました」
三頭目の馬は、ウルリカ達へのお土産が満載されていたのか。
突然、甲高い音が響いた。
きぃんという、テレビ越しに聞いたものより重くて痛そうな……鋼と鋼のぶつかる金属音。
何事かと外に飛び出ると、家の前でお兄さんとイズリアルさんが長剣を抜き、数歩の距離を隔てて向かい合っていた。
「お二人とも、こんなところまで来てなさることかしら」
私には聞き取れないぼそりとした呟きを漏らしたウルリカは顔も声も呆れかえっていて、それでこれが遊びもしくは稽古だとわかった。
夕暮れの中目を凝らして見れば、男性二人はやんちゃな顔つきでにやにやと笑っている。
二人から蚊帳の外と言える場所で敬清がぎらぎらした目で食い入るように二人を見つめている。
「ねーちゃんねーちゃん! 模擬戦! 見してくれるって」
弟、お前、初対面の人らになんちゅう過激なおねだりをしたんだ。
やれやれと屋内に引っ込んだ私とウルリカが食事を完成させて彼らを呼びに出てみたら、いつの間にかおじさんも帰ってきてて、松明の乏しい明りの中、男四人であーだこーだと言いあっていた。
いつもより賑やかな食卓を囲んで、私は満足だった。
お兄さんとイズリアルさんはその日、うちに泊っていった。
おじさんとお兄さんとイズリアルさんの三人で食卓を囲み、真面目そうな話をしていたのを横目に見たのがその日見た最後の記憶だったので、彼らがどこで寝たのかは知らない。朝にはもう起きていた。
二人はまた来ると約束し、次は辞書と筆記道具をくれると言って去って行った。
お兄さんにとっては折角の里帰りなんだからもっといればいいのにと思ったけど、仕事でこれから他に行くところがあるのだという。
残念だが仕方がない。
次の機会と、お土産を楽しみにしていよう。