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由無し一家  作者: しめ村
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辺境の森の親子

2019/03/16加筆修正

 お仕事に出かけられた父様が、迷い人を保護して帰っておいでになった。

 一般人は許可なく立ち入ってはならない領主様の私有地の管理人でいらっしゃる父様のお仕事は、不法侵入者が入り込まないよう対策し、見つけ次第捕まえて領主様に引き渡すこと。

 表向きは領主様の狩猟用の森ということになっているこの辺境の森は、魔物も出る魔境の森に境を接しており、領主様は監視点を一定の間隔で設け防衛線を築いていらっしゃり、父様はその監視点の一つを預かっている。

 この辺境の森の監視点を任されるのは、戦乱の時代には国一番とも謳われた武門の家柄のご当主であらせられる領主様御自らが出自を問わず選りすぐられた、いずれ劣らぬ腕利きの戦士ばかり。そう、私の父様はとってもお強い。


 魔境の森は生態系が狂っており、迷い込んだ者の大半が魔物に襲われて命を落とすという、外敵による命の危険は世界屈指の秘境。

 父様であればこそ、そこまで単身見回りに行って無事に帰ってこられるわけで、私も立ち入りを許されたことはない。

 今までも父様は、密猟者だとか森に逃げ込んだお尋ね者だとか知的好奇心を満たすために魔境に潜り込もうとする魔術師だとか森を根城にしようとする盗賊だとかを、追っ払ったり捕まえたり叩きのめしたりしてきた。



 けれど父様は、今回はそうなさらなかった。

「魔境に、この子たちがいたと仰るのですか?」

「魔境といっても外周部だ。父さんが見つけた時にはもう辺境の森に差し掛かっていたがな。それでも異例な事態には違いない」

 今回の侵入者は、私と同い年くらいの女の子と、その弟と思われる男の子。つまり見た限りでは無害そうな子供だった。

 今までの境界破りとは趣の異なる子供相手に、父様はつい手心を加えて連れて帰ってきてしまったのだ。

 とはいえ一応父様の管轄内で見つかった外部の者だから、なぜ、どうやって森に侵入したのか聞き出さないと。


 改めて二人を見ると、向こうも私たちを代わる代わるに見比べていた。

 珍しい鳥の子色の肌に異国めいた顔立ち。真っ黒な癖のない髪と同じ色の瞳。

 濃い色の瞳は普段は湖面のように凪いで見えるのだろう。今は驚きに目を見張っている。

 顔立ちがとても似ていて、髪型も同じなので、聞かずとも二人が血縁であるとわかるくらい。

 身なりも珍しい服装ながら小奇麗で、貧しさから日々の糧を得ようと森に入り込んだというわけでもなさそうだ。


 二人は賢明にも、メージャイの果実の分泌液が浸透して青く変色した葉を持ち歩いていたらしい。それぞれ服の物入れから覗いている。虫除けとして覿面の効果を発揮するその煙はもう途切れてしまったようだけども、その液も葉も魔境からしか持ち出すことはできない。この子たちは、確かに魔境から来たのだ。


「はじめまして」

 まずは挨拶をしようとした私に、父様が溜息交じりに驚くべきことを言った。

「言葉が通じぬのだ。父さんも傭兵として様々な所を旅したものだが、聞いたことすらない」


 私たちの会話が聞こえていないはずはない。

 わかっているのかいないのか、二人は落ち着いていた。

 ううん、わかるはずはない。

 お行儀よく立っている二人のよく似た目には困惑が色濃く浮かんでいるから。

 女の子の髪が短い。そしてそれはこの辺りではとても珍しい。異文化圏の人であることは確かだ。

 でも意思疎通の取っ掛かりはやはり会話しかないだろう。通じなくても話しかけないことにはどうしようもない。

 とりあえず、私は自分を指差した。

「ウルリカ」と告げる。

 二人は素直に私に注目している。

 私は続いて父様を掌で示し、「父様。ジェド」と言った。

 一言ずつそう紹介しただけで、二人はそれが私たちの名前だと理解して、次いで自分たちを指差して名乗ってくれた。

「シオネ」

 姉は物静かな、心にすとんと落ちてすっぽりと収まるような耳にまろやかな声で。

「ケイセイ」

 弟は少し高めの、でもちょっと用心している声で。


 私たちは、そのようにして出会った。



 夕食は、いつものように二人分しか用意していなかったので、急いで火を起こし直して、貯蔵室の棚から黒麺麭を余分に取り出した。燻製にしようと調味食塩水に漬けたばかりだった魚を引っ張り出して炙り、フォアの塩漬け肉を薄く削いで野草とナナンを砕いたものを一緒に炒め、おかずを増やす。

 急場凌ぎだけども、嵩は増した。

 ケドゥンを削り出した食器を不思議そうに眺めていた二人は、恐らく彼女らの言葉でお礼であろう言葉を短く呟き、宗教的な儀式かなにかだろうか、胸の前で両掌を合わせて深々と頭を下げた。

 一口齧った麺麭は口には合わなかったようだ。隠そうとはしていたようだけれど一瞬顔を顰めていた。

 でも私が調理したおかずは全て口元を綻ばせて食べてくれた。私の方を見て何度も会釈めいた仕草をしていた。


 その後、父様がご自分の寝室を姉弟(多分)に寝場所として提供した。

 ぺこりと一つ頭を下げて抵抗なく一つ部屋に消えた二人はやはり実の姉弟なんだと思う。

 うちは丈夫な丸木でできた家なので、扉がきちんと閉められれば、話し声や泣き声などが漏れ聞こえてくるということはなかった。でも翌朝、出てきた二人は少し目元を赤くしていた。

 私も父様も、それには気づかないふりをした。



 朝ごはんの支度をしていると、二人がそおっと扉を開いておずおずと足を踏み出す気配がした。

 台所と土間が一続きになった居間の顔を覗かせて目が合うなり、急に慌てて近づいてきて、とても『いいえ、お構いなく』と言いたくなるような謙った態度で挨拶をしてくれた。

 挨拶にしては長すぎたので、他にも何か用があったのかもしれない。お手洗いの場所なら昨夜のうちに教えたし、朝ごはんが出来上がるまでにはもうしばらくかかる。

 話が通じないとわかると、シオネはおろおろとし始めた。ケイセイは困惑した風に黙って立ち尽くしている。

「ウルリカ。二人は何か手伝いたいのではないか」

 居間兼台所の卓の端っこに掛けて身支度をしていた父様が口を添えてくださって、私はようやく合点が行った。そして二人に好感を抱いた。

 昨夜はだいぶ戸惑っているようだったので、なされるがままといった状態の二人だったけれど、昨夜も後片付けを手伝ってくれた。

 本来は、お客さんだと思ってご飯が出来上がるのを待っているだけでは居心地の悪い子たちなのだろう。

 試しに調理台の上に出しておいた麺麭とナイフを交互に指して、昨夜みんなで洗って仕舞った食器入れを最後に指差すと、ほっとしたように頬を緩めて二手に分かれた。


 私は蒸かした芋を潰す作業に戻った。

 香味野菜とバターで炒めた野菜のみじん切りと混ぜ合わせ、よく焼いて脂を落とした厚切りのベーコンを麺麭の上に乗せ、ベーコンの上に具を広げる。もう一枚ベーコンを乗せ、麺麭で蓋をする。これを5つ作って、父様のお弁当の完成だ。


 その間シオネとケイセイは私の手元を興味深そうに眺め、続く私の材料と調理器具指差しで卵とベーコンを焼いた。

 オムレツとは固さも形状も異なって見えるそのおかずは、薄い卵の層を根気よく重ね合わせた妙技の光る焼き卵で、味は私の作るオムレツと大差ない。

 作る人間によって同じ料理がこうも違って見えるのは不思議だ。

 後から聞いた話では、この時シオネは焼き卵に砂糖を入れたかったらしい。けれど見つからないので仕方なく、ケイセイがベーコンを炒めた脂の塩分で妥協したのだそうだ。

 おかずに砂糖を入れるなんてなんとも贅沢な話だ。


 麺麭と卵とお肉の朝食を済ませると、父様はいつもより遅くにお仕事におでかけになった。

 何も仰らなかったけれど、昨夜のうちに、迎え入れた二人が私たち一家にとって牙を剥く存在になるならば、躊躇わず迎撃しなさいと警告されていたことは忘れていない。

 父様のお言いつけには必ず根拠がある。

 けれど、この常に困惑したような表情をしている姉弟が、そんな風に心配しなければならない危険人物とは思えない。

 有事の際には即座に従えるよう心構えはしておく。武器はいつもの場所にちゃんと仕舞ってあるし、日課の訓練もいつもの時間にしっかりとこなす。


 私は普段の家周りの仕事をする際に、何をするにも二人を招いて連れ歩いた。

 声をかけずに少し離れると、とても途方に暮れたようにすることに早々に気付いたからだ。

 会話は一つも成り立たなくても、可能なことは手伝ってもらった。

 四六時中一緒にいるうちに、わずかに笑顔も見せてくれるようになった。


 その日、父様がいつもより早くお帰りになるまで、危険なことは何一つなかった。

 もしかしたら父様は、今日は仕事をすっぽかして、どこかで私たちを見ていたのかもしれない。



 幸い悪い子たちだとは思えなかったし父様もそのつもりだったのか、当面はうちで過ごしてもらうことにした。

 本人たちも、どこか所定の土地へ帰ろうとか、何かをしようなどと焦る様子が見られない。

 むしろ行くあてがあるように見えない。あるとしても、そもそも帰る場所を確かめる術がない。

 なんにしても、言葉が通じなければどうにもならないのだ。


 私は自由時間を、姉弟(多分)と意思疎通を図る時間に充てることにした。

 二人も熱心に学んだ。

 私が指を一本立てて「一」、二本立てて「二」と言えば、数を教えようとしているとわかってくれたし、あれこれ指差しては問うように私を見て、色々な言葉を引き出して吸収していった。

 私が言葉を覚え始める頃に使っていた絵本やらを引っ張り出し、二人の前に並べて、今まで教えた単語を文字に直して教え始めた時も打てば響くようで、とっても教え甲斐があった。


 そんなことを繰り返して二人の頭にこの世界の言葉を蓄積させているうちに、二人の年齢が判明した。

 出会った時の私の所感は正しく、シオネは私と同い年の16歳、ケイセイは5つ年下の11歳だった。

 ……大変!

 二人のお誕生日がわからない。早く暦を教えなくては。

 それに、未だ二人がどこから来て、どこに行こうとしているのかはわからない。


「下、穴? 行く……入る、入った。出た。ここ」

「わたし、今、なる、できる? 思わない、なかった?」

 代わる代わる説明しようと努める姉弟の言葉をまとめると、故郷の森で二人して穴に落ちて、這い上がったらここ、正確には魔境の森だったのだという。

 そこから領主様の森まで歩いてきて、辺境の森と魔境の境を巡回していた父様に発見された……らしい。

 細かいことは私たちの会話力ではこれ以上はっきりさせられない。


 後に会話が成立するようになってから知ったことだけれど、カミカクシと言って、二人の故郷では珍しいけれどあり得ないほどではない現象なのだそうだ。

 父様も、『魔境の森の奥は時空の歪みが発生しやすい。そういうこともあるだろう』と、いともあっさりとその可能性を肯定していらした。

 むしろ非力な若い姉弟が魔境の森で一晩でも無事に生き延びたことの方がすごいと仰っている。

 その口調に含むものを感じたけども、父様はそれ以上のことを口にはされなかった。


 ここでの暮らしは、基本的に同じことの繰り返し。

 時々、父様を雇用されていらっしゃる領主様の縁故の方がこの森で狩りをなさったり、領主様の坊ちゃまにお仕えする兄様が顔を出してくださったり、父様と二人して森の動植物の調査をしたり、冬期に備えて獣をまとめて狩るという起伏がある。

 ごく稀に招かれざる来訪者が現れるくらいで、年の大半の日々は、父様の身の回りの世話と家事をしているうちに平和に終わるものだった。


 朝日とともに起床し、心身を目覚めさせるため軽い運動。

 朝食とお弁当を作り、境界の見回りに出る父様を送り出してから、鳥小屋の掃除と世話。

 裏手の小川で洗濯をし、家の水瓶の中身を補充する。

 小さな畑の世話をして、自分のお弁当を食べて、少し森に踏み入って薪や森の恵みを集める。

 午後の鍛錬で流した汗を小川で軽く浴いだら、洗濯物をと入れて家に戻り、夕飯の支度を始める。

 大体その合間くらいに戻っておいでになる父様と夕飯を食べ、その日のことを徒然にお喋りし、燃料がもったいないから日が沈む頃には就寝。


 そこにシオネとケイセイが加わったからといって、することは変わらない。

 けれど、人の訪れの滅多にない森の中での私と父様だけの淡々とした暮らしに、緩急がつくようになった。

 私は二人の世話を焼く術をあれこれ考え、父様は二人から新しい発見を引き出す一助になればと、森から色々な物を拾って持ち帰り、できるだけ多くの物を見せたり聞かせたりしようとしている。

 兄様がいらした頃とも違う、控えめな若い賑わいが増えて嬉しい。



 姉弟がうちに来て数日目の夜、父様が突然起き出された気配と物音がした。


 私には何の異常も感知できなかったが、父様には何かしら五感に触れるものがあったのだろう。

 父様は有事の際にはもっと密やかに機敏に行動できる人だから、今のこれはわざわざ気配を殺すまでもない事態もしくは相手ということになる。

 私が準備もままならない状態で夜の森に飛び出すことを父様はお許しにならない。だから落ち着いて松明を用意してから、おっとり刀で後を追った。


 家の周りは拓かれているので、上空にはぽかりと切り取られたような星空が広がっている。

 欠けた月の投げかける光は弱く、明かりを用意して出てこなければ、雑草を取り除いた家の周りでも躓いてしまいかねない。

 玄関を出て、右に家を回り込んで少し歩く。これは勝手口から出た方が早かったかもしれない。そこにあるのは鳥小屋だ。父様がその前に大きな影となって立っていらっしゃる。


 その光景を見るなり、私は漏れかけた悲鳴を飲み込んだ。

 我が家の鳥小屋では、伝書ドバと卵を貰うためのニワトリを飼育している。

 ニワトリの飼育小屋の上層に板で隔てたドバ小屋があり、同じ小屋の中で住み分けてもらっていた。

「逃げられた。2羽やられた」

 淡々と言う父様が掴み上げたニワトリはだらりと羽と脚を垂れ、首は項垂れている。死んでいるのは明らかだった。

 父様が襲撃を察知してから駆け付けるまでの短い時間で、我が家の4羽の鶏のうち2羽の喉を噛んで仕留めている。狩りに来てまず獲物を皆殺しにしようとするこのやり口の犯人はイタチだ。

 しなやかな小さな体に鋭い牙と狩人の身ごなしを備えた獣は、父様の接近に泡食って1羽を運び去ったのだろう。

 もう2羽は無事だった。ドバも大丈夫。ぶるぶると震え、嵐のような恐怖をやり過ごそうと努めている。その小さな姿はとてもいじらしい。毎日傍で暮らしているのに、守ってあげられなくて申し訳なく思う。


 それにしても。

 私は毎朝卵を取りに来て、朝の掃除と補充もする際に、鳥が逃げ出したり野生の動物に襲われないように小屋の建て付けの緩みを点検している。

「壁に穴が開くような傷みはありませんでしたのに」

「そこからだ」

 父様が指した方向を見れば、地面に穴が掘ってあって、鳥小屋の外と中を繋いでいた。

「朝になったらドバを飛ばして、次の便でニワトリを増やしてもらう」

 食用ではない鳥を常駐させているのは、父様が領主様との報告を届けたり指令を届けられたりするためだ。

 魔境監視人たちはその仕事の性質上、森の拠点から離れられないので、領主様は街でなければ手に入らない品物を定期的に届けてくださる。

 今回のように特別に要請がある時にはそれを書き添えて、追加していただくのだ。


 家の周りには、普段猛獣と呼ばれる動物は近寄らない。

 この近辺が人間の領域と認められているのか、一家の主たる父様の縄張りだと思われているのか定かでないけれど。

 なので毎日の難敵は、こうした暮らしに密着したイタチやネズミのような小動物や虫たちとなる。

 人の出入りに同伴してくるハエや、近くに巣を作っては外での作業の合間に突然耳元で物騒な羽音をたてるハチ、木目の隙間を通って侵入してくるアリ。

 我が家は、彼らとは、私が物心つく前から、食料と住まいを巡って果てのない争いを続けている。



 三人で分担する分、家事がだいぶ早く片付くようになったので、その分の時間で私は二人の新しい服を縫った。

 二人が着て来たような立派な縫製と個性的な作りのものではなく、この辺りで一般的なチュニックとズボンとスカートに毛皮のコートとマントくらいしか提供できないけれど、私と背格好がそう変わらないシオネはともかく、父様のシャツを借りているケイセイには早急に寸法の合った替えの服が必要だと思ったからだ。

 次に定期便が来るのはもう10日ばかり先になる。その時に子供用の服の既製品も加えていただけるはずだけど、それまで我慢してもらうのも忍びない。

 採寸する時にわかったけれど、二人とも運動を日常的にしていたようで、華奢ではかなげな風情ながら引き締まった体つきをしている。シオネなんて矯正下着もなしにあの腰と脚の細さは何事だろう。

 ケイセイの体も、意外にもうっすらとながらしっかりとした筋肉がついていた。

 巻き尺を体に回したり肩幅や股下を確かめる都度、照れ臭そうに頬を赤らめ、ぷいとあらぬ方を向く様子はまだまだ子供っぽくて可愛かったけれど。


 ただ、私が日々欠かしていない鍛錬のような運動とは縁がなかったようだ。

 姉弟は私が胸当てを着けて剣と弓矢を取り出すと、大きく目を見開いて驚きを示し、興味深そうに私の訓練を見物していた。

 やっぱり男の子だからそういうことには関心があるのだろうか。そのうちケイセイが、自分もやりたいと身振り手振りで訴えるようになった。

 今も父様が武具の手入れをする様子を黙って一心に眺めている。


 二人とも器用でもあった。魚や鳥を捌く程度の下拵えは任せられたし、枝落ちしたケドゥンをナイフで削ってスプーンやフォークを作ったりして、自力で調達できるものはそうした。

 持ち物は旅行用の荷物の詰まった、縫製がしっかりしていて機能的な背嚢が一つ。

 家宝にしたいような、すっごく質のいい大ぶりのナイフを一振りとそのお手入れ用品一式。ケドゥンの古木もするすると削れてしまう。

 真新しかったのは、ペンより細く直線的な二本の棒を用意していたことだ。

 うちに来た次の日から二人は、その一揃いの棒を器用に片手で操って食事を摂っている。これも彼女たちの生活習慣によるものなのだろう。

 見ていてとても興味深い。



「ウルリカ、今日、食事。夕方」

 シオネは両手に開いた魚の一夜干しと昨日のご飯に使った枝肉の残りをそれぞれ掴んで、問うように掲げた。

 躊躇いのないその仕草と眼差しは、小さな子供のように無邪気で愛嬌に満ちている。

「そうね、お肉が食べごろなので、お出汁とお酒で煮込むか、バターを奮発して香草焼きにしましょう。どちらがいい?」

「肉焼くます!」

 シオネが何か言う前に、父様にまとわりついていたケイセイが元気よく挙手して希望を述べた。

 父様は笑って「どちらでも」とのこと。

 シオネは難しい顔をして私を窺い見た。

「煮る、よいです。ウルリカは?」

 私もどちらでもいいから、つまり一対一の状況。

「uieZwyq@! ヤキニク!」

「0qdfibnkt@q^@qek9!」

 姉弟は彼女たちの言葉で盛大に口げんかを始めた。軽妙に話す二人は当然のことながら通じ合っていて生き生きとしている。


 こういう時、意味がわからないことをとてももどかしく感じる。

 幼い頃の記憶を浚ってみても、私は兄様と喧嘩らしい喧嘩をしたことはない。

 兄様は物静かで5つ年下の妹の面倒見の良い、いわゆる『物分かりのいい子』だったのだ。

 私には兄様と同じものを取り合ったり、意見の相違で長々と平行線を辿った経験はなかった。


 二人はやがて、それぞれ片手を振り上げ、合図とともに突き出した。

 5本の指を開いた掌と、固めた拳と、人差し指と中指だけ伸ばした特殊な拳の三種類を同時に繰り出し、その相関関係により瞬時に勝敗を決するという、彼女たち流の意見の不一致を穏便に解決する方法だ。遊びの要素も多分にあって、これはとてもいい手段だと思う。

 今回はシオネが指二本の拳、ケイセイが掌だったので、ケイセイの負けだ。


 悔しがる彼を笑って慰めたのは父様だった。

「一度に両方は贅沢だ。片方は明日だ。今日は代わりに兎罠を仕掛けに行こう」

 肩を一つ叩いて腰を上げた父様の言葉を十分に理解したかは定かではないが、途端にケイセイの注意は逸れた。

「剣! おとうさん、外出、持って行く、剣! 見たい……見せたいです? 見て、いいえ、見せてほしいです!」

 伸びあがって父様の視界に入ろうとしながら、元気よく主張している。かわいい。

 大の大人でも父様と視線がぶつかって怯まない人は少ないというのに、あの子にはそういう気後れが微塵もない。

 父様はケイセイのそういうところを気に入っているのだろう。

 同じ男の子でも、兄様のあの年頃にはもっと厳しかった気がする。



 ある日、夕食の支度をシオネと一緒にしていると、外で鳥小屋を板張りにする改装に勤しんでいたケイセイが、大声を発しながら飛び込んできた。

 シオネがすかさず彼の手元を見て声を上げた。

 ケイセイの両手にはドバがやんわりと掴まれている。

 鳥の首には小さく折りたたまれた紙片を入れられた小さな筒が結わえられていた。

 こちらから手紙を持たせてドバを放ってよいのは父様だけなので、今手紙を着けたドバがいるということは、領主様の元から何かご指示が届いたのだろう。

「ウルリカ、紙です! 鳥! ハト、持つのです」

 聞き慣れない単語が混じった拙い言葉を興奮気味に捲し立て、おつかいをやり遂げた小さな頃の私みたいに意気揚々と差し出してくるケイセイに微笑み返しながらドバの首から筒を取り、私はそれを服の隠しにしまった。

 読まないのか、とがっかりした表情の二人に更に微笑ましさを覚えながら説明する。

「これは、父様への手紙です。お仕事で交わされる書類なので、私たちが勝手に読んではいけないのですよ」

 そう言った矢先に、珍しく父様が帰っていらした。

 父様は五感が鋭いから、ドバが来たことを途中で知って早めに仕事を切り上げたのかもしれない。

「父様、お帰りなさいませ」

「「おとうさん、おかえりなさい!」」

 私が毎日欠かさず言っているから、挨拶の言葉はシオネもケイセイも流暢になっている。

「父様、今、ドバが来ました。これが手紙です」

 父様は武装を解きもせず、戸口に立ったまま手紙を広げた。ざっと目を通すと、何事もなかったように懐にしまわれる。

 何も仰らず、考え深げだ。

 父様が口外しないと決めたことならそれが私たちに伝えられることはないし、知っておいた方がいいことなら、後で教えてくださるだろう。



 そしてその日の就寝前、私は父様と、食卓で額を突き合わせた。


 二人の存在は領主様に報告されている。

 二人は知らないことだが、立場上は父様の保護観察下に置かれていることになっているのだ。

 未だ素性の知れない身であり、今のところ無害であるとも、父様は再三強調していらっしゃるはずだった。だから現状維持という名目で、この森の中の家で暮らすことを認められている。

「魔境の監視点を預かる以上、発見の内容は包み隠さず報告せねばならん。実害がなければこのままここに置いてよいとのことだが、近々視察が入るだろう。その心づもりだけはしておけ」

「父様、ケイセイに剣を持たせないのは、それを警戒していらっしゃいますの?」

 父様は自分が剣を振る姿を見せてはあげても、触れさせようとはしない。

 剣を教えてほしいと請われてもいたけれど、応じていなかった。

「そうだな……だが最低限、身を守る力くらいはあってもいいだろう」

 消極的な仰りようだ。

 兄様と私には身を守れる以上に腕っ節を備えておけと、体術から剣や弓など一通りの武芸を叩き込んだ父様なら、望んでいるケイセイに教えるにやぶさかではないだろうに、躊躇うのはどうしてだろう。


「父様。私たち家族の間に、隠し事はなしです」

 私は言い募った。

「そう言われると弱いな」

 苦笑した父様はそれ以上口を閉ざさないでくださった。

 私と兄様が小さい頃から、仕事上の機密情報を除き、それ以外のお仕事の難しい話でも日々の些細なことでも共有してくださる。私と兄様は血の繋がりが半分だけの兄妹であるということも、歳を重ねて分別が備わったと判断した頃に打ち明けてくださった。

 一方で、言わぬと決めたことは梃子でも明かさない節制もできる人だ。私自身はさっぱり覚えていない母についてだとか。

 頑固ともいう。


「あの子らが下手に強くなれば、ここで暮らしていけなくなるかもしれない」

「……えっ?」

 私はびっくりした。どういうことなのかわからなかった。

「二人を見つけた時、父さんが最初に存在に気付いたのはシオネだけだった。ボロスが高木の根元をうろついて頻りに上を気にしていたから何かと思えば、人の子供が梢で寝ていて、それがシオネだったのだな。ボロスは倒したが、シオネの上げた悲鳴に驚いてケイセイが木から落ちてきて、初めてあの子の存在に気付いた。それまでは完璧に気配を殺していたのだ」

 それはすごい。父様に気配も悟らせないなんてただ事じゃない。

「あの子を連れて森に入って確信を深めた。ケイセイは時々だが、真剣になると一切音を立てない。空気さえ揺らがせない。足元の枯葉を踏んで音もたてず、爪一枚分ほども動かさない。移動の訓練を積んだわけでないのは見ればわかる。ごく無造作に動きながら、音も空気の流れも臭いまでも殺せるんだ。時々姿も霞ませているな……父さんはいわゆる魔法の体系に関しては明るくないが、あの子はそういう能力を持っているんだろう。使いこなせば、ある分野においては大変有用だ」

 気付かなかった。それが本当なら、ううん、父様が仰るのだから嘘や誇張なんかじゃない。なんと隠密向けの能力だろう。


 魔法は、使い手の個性によって特徴が別れるものだという。

 ケイセイには身体能力の操作か移動に関する魔法の素質があると思われた。

 そしていかなる種類のものであれ、素質の有無は1か0かに二極化されるものだった。

 私は若干の素質があるけれどもその力は弱く、効果といえるだけの結果を出せる魔法は水や食べ物を傷まないようにしておける期間を一日程度引き延ばせるというくらいで、それも父様のお弁当に施せばその日一日分の魔力が尽きてしまう程度のものでしかない。

 小さな明かりを灯す魔法を教わってみたこともあったが、結局実を結ばなかった。

 父様にも兄様にも、魔法の適性はないそうだ。


「父様は、二人を疑っていらっしゃるの? どこかの間諜だと」

「……そんな顔をするな。立場上、その可能性だけは捨てるわけにいかん。二人とも、街の子供に比べて体力がある。魔境から連れてくる時にも、最低限の休憩で済んでいた。山林の歩き方に慣れていなければああはいかん」

 確かに二人は年齢相応以上の落ち着きを備えているように思う。

 シオネとケイセイを伴って森に立ち入り、木の実を集める時、二人は慎重に振舞った。襲撃に怯えるかのように周囲を警戒し、木の実や茸を見つける都度私に伺いを立てて取ってもいいものかどうかを確認した。

 私が小さい頃には目につく茸や果実を片っ端から摘み取っては、父様に窘められたり叱られたり手を腫らしたり、兄様に呆れられ叱られたりしていたものだけれど。

 興味の赴くままに動き回ってあれこれ手に取るのではなく、好奇心の赴くままに手を触れれば痛い目に遭うこともあるとすでに知っているかのよう。

「ただ、父さんから見て、本人もその能力に気付いておらんように見えるがな」

 だからそれはまだ報告していない、と言われ、ほっと胸を撫で下ろした。

「シオネにも、そういう素質があるのでしょうか」

「それはわからん。今のところそれらしい兆候はないが」

 そればかりではない。

 もし二人が刺客でも間諜でもないとして、どこの息もかかっていないなら、ケイセイの能力が確実なものであるにしろそうでないにしろ、領主様は訓練させて召し抱えたいとお考えになるかもしれない。

 貴族の私有地に不法侵入して保護観察という立場はとても弱い。姉弟に断ることは許されまいし、二人を差し出すよう命じられれば、仕える父様は従わねばならない。


 ただ、領主様の元でなら魔法を基礎から教わることもできる。

 領主様のご一族も魔術師を排出するお血筋で、私に明かりの魔法を教えてくださったのも当代の若様のお一人だ。


 とまれ、そんな危惧をするからには、父様もシオネとケイセイが特異な能力を持つ異邦人として偉い人のところへ連れて行かれるよりも、ここで静かに暮らしていくことを望んでいるのだろう。

 二人がどこから来た何者かの詳細は不明のままでも、疑われるような不審な点も危険な素振りもないと思う。

 それを二人に確かめられるだけの会話力が育まれていないのがもどかしい。

 私には、二人も積極的に私達との暮らしに適応し、仲良くしていこうと考えてくれているように感じられた。

 嬉しかった。不都合さえないなら、このまま新しい家族として友人としてもっと仲良くなって、一緒に暮らしていけたらいいと思っていたから。

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