誘い・6
私の怨念が通じたのか、気付けばおじさんが隣に座っていた。
「時間を取れなくてすまんな。知りたいことはわかったか?」
おじさんがさりげなく話しかけてきた。大きすぎる体を縮めるでもなく、距離を詰めるでもなく、不自然ではない間隔を空けてゆったりと壁に背を預けたまま、ごくかすかな声量で。器用だ。
私は頷いた。
「はい。おじいさんを紹介してくれて、どうもありがとうございます。おじいさんに、頼んでくれたと聞きました」
おじさんはおじいさんたちと会話できる人なんですねとは、分かり切ったことなので訊かない。
「おじいさんは、おとうさんを子分だと思っています。えらそうです」
おじさんを若造と呼び、楽しげに呵々大笑しなすったおじいさんの楽しい気持ちに水を差す気にはなれなかったので、私は何一つ突っ込まなかった。
「翁は長生きなのだ」
おじさんは私の感想を婉曲に肯定した。弟が不審そうな顔で口にしていた、妖怪という言葉が思い出される。うん、気にはすまい。
おじいさんの言う、わざわざ訪ねて行って私にものを教えてほしいと頭を下げてくれたという話は本当なのだろう。おじさんにとっておじいさんは、それくらいの敬意を払うに値する相手なのだ。目上の相手に頼みごとをしてくれるくらいに私のことに気を配ってもくれている。ありがたいことだった。
おじいさんと知り合って早い段階で、私はなぜこんな力が身に付いたのだろうという疑問を投げかけてみた。
その時に返った答えはこうだった。
「吹き溜まりをくぐり抜けてきたからじゃろう」
「吹き溜まりとはなんですか?」
「吹き溜まりは吹き溜まりだ」
これがおじいさん流の教え。実にシンプル。
ここに来て最初の夜を過ごしたあのあからさまに異世界生態系の森のことなんだろう。それに魔法について説明してくれたことの中に、魔境に歪みが吹き溜まるという内容のものがあったから、吹き溜まった歪みとやらも影響してるんだろうと想像くらいはできた。
でも魔境に踏み込んだから変な力が身に付きましたっていうんじゃ、理由の全てにはならないと思う。
それなら、仕事でその中に行ったり、私のために薬草を採ってきてくれたりしたおじさんはどうなるんだ。もしかして、おじさんが聞こえる人なのも、私とご同類だからなんだろうか。
「似ているが同じではない」
おじさんは即座にそう言ったけど、それ以上説明する気はなさそうだった。
少し考えて、別の角度から答えてくれる。
「人は普通、魔境に身を置くと心身に悪影響が出るものだ。人の中核を成す人らしさとでも言おうか、それが魔境の圧力を受けて変質するのだな。おまえたちはそれを持たず、真綿のようにまっさらであったがゆえ、真綿のように歪みを吸って適合する体になったのだろう。前例のない、非常に稀なことだ」
それは、私たちが異世界の人間であることも関係しているかもしれない。この世界の人間なら当たり前に持っているその見えない何かが、私たち姉弟にはないという考えは、少しばかりの疎外感を抱かせる。
それより気になるのは、歪みを吸って適合体になったという点だ。おじさんはそれを心配し、お兄さんは警戒しているんではなかろうか。
でも今は、新たな事実に当惑して話の焦点を見失うより、予てより気になっていた点を明らかにしていくことを優先しよう。
「お兄さんは、トゥトゥとティフススは違う言葉を喋ると言いました。でも私には区別がつきません。素質があると言いました。本当は、おかしなことですか?」
そう言うと、おじさんはくっくと喉で笑った。厳めしい顔で含み笑いをするとすごく悪そうなのに、とても微笑ましそうに見えるのはなんでだろう。
「あれは父さんより更に若造だからな。態度の悪さと説明不足は大目に見てやってくれ。そうだな……生き物はそれぞれ独自の言葉を持っている。同族の間でのみ通じる言語だ。それが普通だ。彼らは自分が生まれ付いた種族であることに満足し、他種になることなど考えもしない。おまえたちはその様々な種族になれる。望めばケーンになり、トゥトゥになり、ティッチになれる。全ての種族の特性を内包しているからわかる。その逆は滅多に起こらない。彼らは望まないからだ。だから、在り様が揺るがない……勿論、望めば枠を飛び越えることはできる。ただ、しないだけだ。わかるか?」
「わかりにくいです。でも、おじいさんの説明よりはわかるです」
おじいさんは、私たちが教えを請うているのでもなければ、あえて毛なし猿という種と意思の疎通をしたいなどとは思うまい。本来、彼のキツネ生に人間などいなくていいのだから。思い出さえも必要としないだろう。忘れはしないかもしれない。でもそれだけ。
生まれついてのケーンだから無常感というか、巣を落とされて卵や雛を失ってもじきに一から新しい巣を作り始める野の鳥みたいなドライな思考の切り替えができる。私の世話の必要がなくなったとなれば、じゃあ自分は用が済んだとばかり、またいずこへともなく去って行ってしまうだろう。
私は無理。しつこく覚えていて、なにかにつけ思い出すだろう。今後の行動を左右するくらいに、もうおじいさんに心の中の一角を明け渡してしまっている。もうちょっとおじいさんと一緒にいたいなって思っているくらいには、執着が生まれている。
私はしょんぼりとして首を振った。こういう心持が、力の使い方を邪魔しているのかな。
「どうした」
おじさんは、適度な間を置いてから、静かな声音でそっと質してくれた。とても優しい問いかけだった。
「おとうさん、私は、力の使い方がうまくなりません。敬清は、オルソンさんに教わって、自分のできる能力を高めています。私と敬清では、出来ることが違います」
「翁の意見は聞いただろう」
「とてもシンラツなことを言いました」
おじいさんは鼻で笑って言ったものだ。
『力を勝手に自分たちにわかりやすく分類して呼び名を付けるのは毛なし猿の都合であって、わしらにそれに倣ういわれはない。毛なし猿が力を連中の考えた枠に当てはめて捉え、使わせようとしておるから限られたことしかできんのだ。毛なし猿の間にも掟はあろうが、わしらには無関係だ』
「我々とオルソンどのたち外の人間とでは、力の捉え方が違うのだ」
それをあえて訂正しないのは、じゃあなんでという話になった時に、本当のことを明かすことはリスクを伴うからだろうか。それとも、他者が魔法を使うのは構わないが、自分たちは使わないという隠された家訓でもあるのかもしれない。
「ケイセイは、もしかしたら、おまえと同じことができるのかもしれない。だがあの子は、自分が使いたい力の方向性を掴んでいるようだ。実際の力の表れ方と上達の早さがそれを証明している」
それを聞いて私は、弟の友人たちが持つ携帯ゲームのことを思い出した。
自分が触れた世界観ではないのでよくわからないけど、剣や魔法を駆使して怪物と戦ったり、人類未踏の地がたくさんある世界を股にかけて冒険をしたりするようなものらしい。
うちにはそういうものを買える金銭的余裕はなかったし、弟もそれをよくわかっていたから欲しいと言ったことはない。
でもきっとずっと、憧れていたに違いない。
その願望が弟の魔法というもののイメージに強く作用し、敬清の中でそういうものとして定着しているんだろうと思う。
組合に入りたいなんて言い出したのも、きっと同じ理由からだ。
「おじいさんは、おじさんとお兄さんのことを『毛なし猿』ではなく『わしら』に数えています」
「光栄なことだ」
二人とも、魔法……じゃなかった、力を使うことが歪みとかなんとかに関係することを知っている。だから使わない、使えないと自らに課して爪を隠しながら暮らしているのだ。多分だけど。
だってお兄さんは、私と同じことができるのに、『魔法は使えない』と明言していた。ケーンのおじいさんと同じで、毛なし猿が分類する『魔法』への嘲りゆえとかかもしれないけど、お兄さんはイズリアルさんやオルソンのおっちゃんが属しているそのカテゴリをそんな風には見ない気もする。
それで先月、お兄さんはなんにもわかってない私に釘を刺したんだろうな。傍から見ていてすごく苛々したんじゃないだろうか。
でも、努力してできるものなら、私も『わしら』の中に入りたい。おじいさんから仲間と認められたい。
……ん?
いやちょい待ち。
じゃあ、お兄さんが私に忠告してくれたのは、森ルールが適用される家族の一員として認識してくれているからだったのか。
外部の人間は勝手にすればいいというスタンスなら、オルソンのおっちゃん同様放っておいても差し支えなかったはず。
いやそれとも、このまま私が何にも知らずに好き勝手やってたら、そのうちおじさんやウルリカに多大な迷惑をふっかけるような事態になる可能性を考慮しただけなのかもしれない。
どちらにせよ『わしら』の中に含めてくれている!
「じゃあ、ウルリカはどちらですか」
そう訊くと、おじさんは初めて長々と黙ってしまった。ごま塩頭の厳めしい顔にあぐねるような影が落ち、苦痛を堪えるような沈黙が私とおじさんの間に横たわれば、訊いてはいけないことを詮索してしまったのだと悟るしかない。
これは、おじいさんにも同じことを訊ねてしまったとは絶対に明かせないと、冷や汗とともに肝に銘じる。
私自身そうだろうと感じていたし本人も明言していたが、やっぱりウルリカは、家族の中でも魔法的な適性は乏しいそうだ。
私たち姉弟のような後天的な例はともかく、本来は生まれ付いての資質が大きく影響するものだということは、遺伝的な要素も強く関わっているんじゃないかと思う。
おじさんとお兄さんは、ウルリカの前では、魔法とは縁のない人間を通している。今となっては、なぜかと考えるまでもなかった。さっきちらっと思った、力について本当のことを明かすことのリスクにも当てはまる。
家族同然でも、元々は他人なのだ。未来は共有できても、過去はその限りじゃない。
ただ、確認だけはしておくべきだった。
「彼女には、なんにも訊きません。話しません。いいですか?」
「……そうしてくれると助かる」
おじさんは、少し疲れたような声を出した。それきり、困ったように黙り込んでしまう。明らかに、このタイミングで私に説明する用意がなかったのだ。私も、間を持たせるために適当なことを喋るべきではない気がして、気まずい沈黙を守る。
敬清とウルリカと、イズリアルさんとおっちゃんは、まだ外で起きたニュースの話を続けている。私とおじさんのぼそぼそとした話し声は聞かれていない。
やっと気付いたことに、彼ら四人と私とおじさんの間を仕切るように、お兄さんが立っていた。会話が向こうに漏れないように隠れ蓑を買って出ていたと思われる。
長身を上になぞっていくと視線がぶつかった。お兄さんの目は険しい。シベリアンハスキーを思わせる薄い青の瞳に、非難めいた色が乗っている。私が心ない詮索でおじさんをいじめたと思っているんだろう。
ここで後ろめたげに目を逸らしては心にやましいところがあるみたいだし、果たし眼で見返せば完全に危険人物と認定されてしまう。笑うところではもちろんない。
私にできたのは、せいぜいめいっぱい反省していますという風情で俯くことだけだ。
「娘は気にはすまいが。突き詰めるとなるといくつか話したくない事柄があるのでな」
おじさんはそれだけ言って、やおら立ち上がり、暖炉に薪を足しに行った。話はこれで打ち切りとなった。
「信用するぞ」
後度を突く厳しさで上から降ってきたのはお兄さんの声だ。私が頷いたのを見届けると、またまっすぐ前を向く。それきり視線はもう交わらなかった。
もう一つ、確かめたいことはあった。お兄さんからの警告のこと。
おじいさんに訊いても漠然としていてよく理解できなかったので、おじさんかお兄さんに改めて訊いてみたかったのだけど。さすがにほとぼりが冷めるまでは無理だろう。
帰り際、私たちのリュックを模して作ったリュック二世を、ウルリカがお兄さんにプレゼントしていた。
お兄さんは矯めつ眇めつして感心し、イズリアルさんも興味深そうだ。
オルソンのおっちゃんはなぜ自分には餞別をくれないんだいとわざとらしく嘆いて見せ、ウルリカを困らせた。
三人が去った後、私は森の縁へ急いだ。朝の片付けをしようと動き始めている敬清とウルリカから見つからぬよう、木陰に身を潜め、上空を見渡し、求める姿を探す。見えない。
この森で聞いたことのある、翼持つ住人の声を思い出すべく脳を絞る。誰でもいい、えーと、えーと。トゥルルル、キーォキーォ、チュチュピチュピ、それぞれどの声だったか思い出せないまま、思いつく限りの呼び声を空に向けて放つ。
やがて、軽やかな羽音とともに、鮮やかなルリビタキそっくりの鳥が頭上の枝に舞い降りてきた。
「毛なし猿らしい品のない呼び付け方だね。いくら毛なし猿でも、もうちょっと見境があるもんだと思ってたよ」
よかった、私の声真似は通じていたらしい。前にお兄さんが帰っていく時にケーンの声真似をしたのを思い出して真似てみたのだけど、うまくいった。
「ごめんなさい、トゥトゥ、お願いがあります。お兄さん……私の群れの主のせがれに伝えたいことがあるのですが、私の足では彼に追いつくことはできません。あなたの翼でならひとっ飛びです。これから私が言うことを、お兄さんに伝言してください」
首を垂直に傾げてお願いすると、彼は得意げに胸を逸らしてまんざらでもない返事をくれた。
「そうだろうね。まだそんなに遠くには行ってない。僕ならすぐに行って帰って来られるよ」
「ありがとう」
私はトゥトゥににっこりと笑いかけ、では、今から言うことを伝えてくださいと前置きして、一拍置き、口を開いた。
「馬鹿にしないでいただきたい。私は詮索は嫌いです」
トゥトゥは30分もしない内に戻ってきた。
「伝えてきたよ。笑ってた」
イズリアルさんとおっちゃんの耳を憚ったのだろう、返事はなかったらしい。しかし、突然あのお兄さんが声を上げて笑いだしたとしたら、さぞかしびっくりしただろうな。
ていうか、なんでウケる?!




