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由無し一家  作者: しめ村
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誘い・3

「さて、ケイセイ。今日は私に稽古をつけられてみないか」

 翌朝、お仕事に行かれた父様をお見送りした後、オルソン様が得意の槍に似た長い棒を手に仰った。雪かきのついでに持ち帰られた長い木材にせっせとナイフを入れていらしたが、練習用の槍だったらしい。

「槍の使い手も相手取ってみたまえ。何事も経験だよ。様々な局面に対応できるようにならねば、ウルリカには勝てないぞ」

 オルソン様はご自分の得意分野もケイセイの習得技能に加えたいとお考えのようだ。お気持ちは分かる。ケイセイには構いたくなる何かがある。

「オルソンさん、言ってしまわれた!」

 ケイセイが顔色を変えてオルソン様にくってかかる。言わない約束だったりとか、したのかしら。

「私に勝つ?」

 私が首を傾げると、シオネが苦笑した。

「勝負などという段階のお話ではありません。無理、無茶、無謀」

 ケイセイにはかわいそうだけども、シオネの言葉は事実だ。

「オルソン様。なぜそんな話に?」

 いつもの時間に起床したケイセイは、いつもと同じように父様と、今日はオルソン様にも手伝っていただいて、雪かきに出て行った。

 その際に木剣を携えていたから、ついでに昨夜約束された腕前の査定も行われたのだろう。結論もその場で出たようだ。

 オルソン様は笑って、唇を引き結んでいるケイセイの肩を叩きながら教えてくださった。

「ははは、聞いて驚け。『小細工抜きでウルリカに勝てるようになったら』、森の外の街に出て行って組合に参加してもよい、という条件に落ち着いたのだ。一度勝てたくらいではいかんぞ、何度も仕合って、安定して勝てるようになったらだ」

「そんな無茶な!」

 私は愕然とした。

 思わず口を衝いて出てしまった一言にケイセイが忸怩たる表情になっても、済まないとは思えど撤回する気はない。

 私はこれでも、物心ついた頃から剣を玩具代わりに、父様と兄様に鍛えられている。

 半年前に剣を習い始めたばかりの子にその条件は、半ば達成を諦めろと告げているようなものだ。

 私の実力が自分のずっと上にあることは、毎日訓練を共にしているケイセイ自身、よく理解していることだろう。表情が硬い。恨みがましい目で斜め上のオルソン様を睨めつけている。

「オルソンさんは、偉い人なのに口が軽いです!」

「秘密にしておくこともないだろう。家族一丸で目標に取り組める、いいことじゃないか。君は、君が思っているよりも、知るべきことがたくさんあるぞ。私も口を出……手を貸せることは貸すから、より一層励みたまえ」

 ケイセイはオルソン様と言い合いをしても無意味だと悟ったのだろう、口を噤んだ。少し視線を上向け、私と目が合うと、顎を上げてしかと見返してきた。

「ウルリカ、ぼくはがんばります。ウルリカより強いように」

「まあ!」

 きっぱりと宣言しましたか。ではその挑戦、受けて立ちましょう。

 私とて、ただケイセイが追いかけてくるのを立ち止って待っていてばかりはあげないわよ?

 シオネがさっきからずっとくすくす笑っている。

 ケイセイは不貞腐れた顔つきで、言葉少なに言い返しそっぽを向く。そして唇を引き結んで、オルソン様のところへ向かった。両足を揃えて腰を鋭角的に曲げる、妙に折り目正しく見える礼をとる。

「おねがいします!」


 オルソン様がケイセイを引き受けてくださったので、今日の私は一人で日課の訓練工程を終えた。なんとも速やかで、いつもより時間が余ってしまったくらいだ。

 折角なので、オルソン様とケイセイの稽古を見学させてもらうことにする。

「私も長居はできぬ身なのでね、取り回しが身に着くまで時間はかけられまい。だから槍の間合いを教えてあげよう。私がこれで君に突きかかるから、避けなさい。なに、素人目に見て取れぬような奇抜な動きはせんよ。もし命中しても、ほら、こうして先を丸めて緩衝材をつけてあるから怪我をしたり意識が途絶えたりはしない。簡単だろう?」

 オルソン様は手にした棒の先に毛皮を幾重にも巻きつけて球状にしていらした。なるほど、これなら安心だし、楽しそうだ。私も後でさせていただきたい!

「おいおい、ウルリカ、遊びじゃないんだぞ?」

 そう仰るオルソン様だって、これから楽しい遊びを控えている子供みたいな笑顔でしてよ?

 うんうんと頷きあう私たちを、ケイセイが何か言いたそうな顔つきで見たけれど、彼は結局何も言わずオルソン様に向き直った。

 両者の距離は私の足で四歩。剣なら大股に踏み込みつつ振り下ろさなくては届かない。


 オルソン様は特に構えるでもなく、気負いのない姿勢と動作で右手の棒を水平にし、軽く左手を添えると、まるで押し出すように一突きされた。腕を振って切っ先を突き出されたのではなく、そのお手元から棒だけが飛び出したかのように見えた。まるで水が流れるような、あるいは風に乗るような力みのない流麗な一連の動作に、私は束の間見惚れる。

「わ」

 毛皮に包まれた切っ先は、ケイセイの左肩に吸い込まれるように直撃した。

 ケイセイはあっけなく後ろに押し込まれて、平らに踏み固められた雪の上に尻餅をついた。ぽかんとしている。

「どうしたどうした、少年。目に見えぬ神速だったかね? おかしなことだ、十分に手は抜いたのだが」

 オルソン様が茶化した風に仰ると、頬を紅潮させて立ち上がった。

 真正面から両足を踏みしめて立ち、腰を若干落として迎え撃つ構えだ。目線はオルソン様のお手元を凝視しているし、明らかに体に無駄な緊張を張り巡らせている。ああ、あれではいけないわ。

「ケイセイ、肩に力が入りすぎているわ。もっと力を抜いて、全体を見て」

「これ、ウルリカ、口を挟んではいかん」

 つい助言してしまったところ、オルソン様の笑い含みながらぴしゃりとした拒否の言葉が返ってきた。いけない、そうだわ。武芸の訓練をする者同士の言葉なき対話に口を挟むなど無粋の極みだ。

 再びオルソン様のお手が閃き、宙を滑った棒がケイセイを弾き飛ばした。今度は右膝の上だ。自分の目線の高さで襲い来るだろうと見当を付けていただろうケイセイは、先ほどとは全く異なる部位を狙う軌道に対応できなかった。

「ケイセイ、軸足を意識して」

「ウルリカ、これ以上容喙するなら外してもらうよ」

 オルソン様のお声から笑いが抜けた。無感情に言い置かれた声音は他のどんな口吻よりもオルソン様のご不興を伝える。

 けれど躍起になってオルソン様の攻撃を見切ろうと無駄な力みを繰り返しては、小突かれて冷たい雪の上に転がされるケイセイを黙って見ているのは忍びなかった。

 私だって小さい頃には父様と兄様に打ち負かされて地を這うことなどしょっちゅうだったけれども、そのこと自体は自分が自衛できる力を付けるためと思って頑張れたし、父様と兄様は積極的に鍛えてくださる立場だった。

 その様子をただ見物している者がいたとしたらどうだろう。きっととても惨めだ。

 初めのうちこそ物言いたげにしていたケイセイは、今は頑なに私を見ない。むきになっているのか脇目をふれなくなっているのかはわかりかねた。

 私は大いに反省して、見学を中座することにした。


 考えてみれば、私や父様が稽古をつける時、ケイセイに打ちかからせてはいなすというやり方ばかりで、こちらから攻撃をしたことはない。それはまだ早いからという意見で私と父様の間では一致していたのだけれど、それが今回の稽古が一際新鮮に感じられた理由の一つだったろう。

 それに、もう一つ。

 オルソン様は、ケイセイを攻められる側に追いやることで、恐らくは彼の持つ魔法の力を引き出そうとされている。

 先程私が見ていた限り、10を超える回数の突きを受けたケイセイは、そのうちの4回くらいを、防ごうと試みていた。多分本人に自覚あってのことではない。

 オルソン様は回を追うごとに少しずつ攻撃の速度を落とし、ケイセイに見極められるぎりぎりの速度基準を模索していらしたけれども、やがて後から数えて4回目に、まっすぐに繰り出された棒の切っ先が前触れなく逸れた。棒とケイセイの間の空気に油の幕でも下ろしたみたいに、僅かな角度ながら斜めに軌道を変えていたのだ。それはオルソン様の手加減されていても鋭い一撃を逸らしきることはかなわず、微妙に逸れただけでやはりケイセイの体のどこかしらを衝いて転ばせたから、ケイセイ自身は何も気づいてはいないようだった。

 でも、オルソン様があのように攻撃をぶれさせることなどありえない。何らかの力が加わって逸らされているのだ。その後の3回も同様だった。

 そこで、私は見学を切り上げて背を向けた。



 今日の晩ご飯用に、雪に埋めておいた野菜を掘り出して家の中に戻る。

 家族も増えたことだし春に備えて新しい服でも縫おうかしら。

 ケイセイは明らかに来たばかりの頃に比べて身長と手足が伸びた。兄様が子供の頃に着ていらした服を少しくらい残しておけばよかった。それらはとっくに私のお下がりになった末に着られなくなるまで古びたら雑巾や焚きつけになっている。


 それとも、昨日の晩ご飯が納得のいかない急ごしらえの物ばかりだったから、代わりに今日張り込もうかしら?


 台所に野菜を置いて二間続きになっている居間を覗くと、シオネが暖炉の前で床にうつ伏せになっていた。

 一瞬倒れたのかと思いかけたが、きちんと敷物を敷いた上で腕立てをしているだけだった。ああよかった。

 体力の低下を危惧する彼女は、体づくりに余念がない。その運動の蓄積が、あの引き締まった腰と脚を作っているのだろう。

 姉弟が知っていた、あまり動き回らずに屋内でできる運動は体を引き締め筋力をつけるのに適している。私も腹筋や手足を鍛える際には彼女たちのやり方を採り入れることにしている。

 二人は他にも私が知らないことをいくつも知っていて、昨夜聞いた限りでは、お酒の飲み過ぎが体に祟った人を知っているかのような口ぶりだった。


「安心してください、ウルリカ。お酒は飲みすぎると健康被害ですが、おとうさんくらいの飲み方は問題はありません。体調不良を起こす人は、毎日浴びるようにお酒を飲んだり、強いお酒を一気にたくさん飲んだりするからです」

 そう言って慰めてくれるシオネの言葉に父様もオルソン様も同意なさって、私はひとまず納得した。先程のオルソン様のお話ではないけれど、猫を獅子と言うようなものだったらしい。

 私は、飲めば苦み走っていること、体温が上昇して意識が薄ぼんやりしてくること、傷の消毒に使えることくらいしか知らなかった。


 シオネは私を認めると、起き上がって敷物の上にぺたりと座った。こまめに整えながら肩にかかる長さまで伸びてきた黒髪が、鳥の子色の頬を撫でる。

 いつ見ても驚くほど癖の少ない、まっすぐな髪だ。洗い上がりに指で梳かせてもらうと、さらさらと指の間を逃げていく感触がとても好き。十分な長さまで伸びたら色々な装飾を試したいと思っているけれど、彼女の髪は特に結ったり飾りを着けたりしないで背に流しているのが一番映えるかもしれないとも思う。

「オルソン様が、ケイセイの面倒を見てくださるそうよ。今日の晩ご飯の支度は、たっぷりと時間を使えそうね。何にしましょう?」

「水鳥と野菜の煮込み。凝乳の燻製。焼き卵がいいです。こってりです」

 徒然に食べたいものを挙げていったシオネだったが、少し心ここにあらずというか、そわそわしているように見える。

 これは何か、言いたいことがあるわね。

 私は待つことにした。

 お裁縫道具を取り出し、寝台の上に広げた反物の上に先日取り直したケイセイの型紙を当てて印をつける作業を開始する。


 意図的な沈黙の中で、シオネはしばらく迷っている風だった。やがて、思い切ったように口を開き、けれどあぐねるように言葉を選びながら言った。

「ウルリカ。ケイセイは、魔法みたいなことができます。知っていますか?」

「ええ」

 私は頷いた。

 やっぱりシオネも気がつくわよね。

 ケイセイの一日の大半を占める訓練の間、彼はいつも集中している。そんな時、父様が以前仰ってらしたように、物音を立てなくなったり姿が消えてしまったり新雪の上を足跡を残さず歩いたりといった、いっぷう変わった現象を伴う。足音どころか呼吸音や鼓動や体の動きに沿う空気の流れすら発生しなくなり、背後の風景が透けて見える。そんな時、体重すらなくなるのだろうか、踏みしめた地面に足跡がつかなくなる。

 たまに父様が彼の腕の上達具合を確かめるために打ち込ませているが、そんな時の彼は姿がぶれて見え、どこの関節を曲げたのか、いつ踏み込んだのか見えにくくなる。足音がしないし空気を切る音もしないから、視覚に頼らないと彼我の射程が捉えられない。

 五感を研ぎ澄ませるためにあえて視界を閉ざすという達人のわざがあるが、むしろ一撃を打ちこまれるまで察知できないだろう。父様ですら、この能力を磨いて極めれば防げぬだろうと仰っていた。

 ただ、現段階では特に誰に何の害ももたらさない。使いどころは探せば後ろ暗い性質のものがごまんとあるだろうが、そこまでして活用してほしいことでもないと思う。むしろしないで欲しい。

 父様とオルソン様は、本人が気づいているかどうかは定かでないが、今後外部の人間と交流を持つ気でいるならば本人にその自覚を促し任意で駆使できるようにしてやらねばならないとお考えなのではないだろうか。

 オルソン様は魔法の心得もおありなので、今日の特別授業はその入門も兼ねているのかもしれない。

 生憎私は魔法の伝授に関しては力になれないので、お任せするより他ない。

 もしかしたら、しばらくオルソン様がここに逗留される理由の一つでもあるのかもしれない。ヴォジュリスティに戻れば目張を回すお立場だろうに、なんてありがたいんだろう。

 随分ケイセイの将来を高く買っていらしたし、よもやケイセイの才能を磨いて、子飼いの隠密として召抱えようと……は、されていらっしゃらないと思いたい。


「私も、多分、魔法的なこと、少しあります」

 私は目を見張った。シオネには自覚があるのだ。

「私たちは、ここに来る前は、魔法を知りませんでした。ここに来てからできるようになりました。ここでは、小さなものから大きなものまで、色んな人が魔法を使えるみたいです。だから、ウルリカたちやオルソンさんやイズリアルさんが魔法使いなのは不思議ではないと思います。でも、どうして私とケイセイも使えるようになったのか不思議でした」

 シオネは私を窺う。どこか、不安そうに。

「私たちが最初に来た変な森、おとうさんに拾われた森。あそこに一晩いたせいかもしれません。あそこは、行ってはいけない場所だと、ウルリカもおとうさんも言っていました」

 確かにそう教えた。私も父様と兄様にそう教えられた。

「魔法を使えることは、異常ではないですね? 私とケイセイは、これから変化があるかもしれません。悪い変化かもしれません。それでも、これからも一緒に暮らせますか?」

「もちろんよ!」

 私は浮き立つ心を抑えきれずシオネの両手を握った。顔はきっと満面の笑みが浮かんでいるに違いない。

 彼女はきっと一人でたくさん考える時間を置いたのだろう。悩んだりもしたのだろう。不悉のままに留めていることもあるだろう。

 それでも、抱えていた悩みの一端でも、こうして打ち明けてくれたことが嬉しい。


「ところで、シオネの魔法はどんなことができるの?」

 好奇心を抑えきれなくてつい尋ねると、シオネは曖昧な表情で黙りこんでしまった。

 しまった、まだ心の準備ができていない領域まで詮索しすぎたか。

「……よくわかりません。私が思っているより多くのことができるかもしれません。できないかもしれません。もっとよくわかったら、お話したいと思います。いいですか?」

 申し訳なさそうに言われてしまって、私は結論を急いだことを反省した。今日は反省しきりだ。

 人と触れ合うのは難しい。

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