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由無し一家  作者: しめ村
12/43

誘い・1

 ある日、シオネが父様に不思議なことを訊ねた。

「おとうさん、おじいさんはおとうさんのおかげさまですか」

 父様は毛皮のマントを羽織ろうとなさっていた手を止めて、束の間考える素振りをされた。

 私も考えた。どうしよう、意味がわからない。

 シオネはこれでは伝わらないと思ったのだろう、慌てて補足をする。

「ケーンおじいさんです」

「……ならば、恐らくお前の思っている通りだ」

 さすが父様。シオネの疑問を即解決なさった。

「そうでしたか。ありがとうございました」

「シオネ。森におじいさんがいたの?」

「はい。ケーンはおじいさんです。とても古びています。この前、森で会いました」

「……それは侵入者ではなくて?」

 他の魔境監視者が前触れもなくこんなところにやってきているとは考え難い。父様が全く心配なさってらっしゃらないようなので、不穏な話題ではないのだろうけども。

「古くからこの一帯を根城にしている古キツネのことだ。父さんがここに着任した時からいるから、かなりの長生きだ」

 父様がこの家で管理人の仕事を始められたのは、私が生まれてすぐのことだったそうだ。つまり17年近く前からということになる。

「ヨーカイじゃん」

 ケイセイが奇妙な言葉を口走ったけれど、意味がわからなかった。

 シオネはむっとした様子で弟に言い返した。

「ヨーカイ違う。すっごく古いだけ」


 シオネは、毎日外へ出かけるようになった。

 いわく。

「私は運動不足と思います。お勉強のためとはいえ、おうちの中に閉じこもってばかりいては体力が落ちてしまいます。私は運動をしなければなりません!」

 そんなわけで、彼女は厳重に防寒対策をして降雪のない日に外へ出る。心配なのでついていこうとしたら、掌をこちらに向け力強く「大丈夫です! 防犯対策は完璧です!」と辞退されてしまった。妙に自信満々な様子なのが不思議といえば不思議だったけれど、詮索を拒む無言の壁が感じられた。

 でも、私とて、大丈夫と言われてはいそうですかと引き下がれない。

 戦う手段を持っていないシオネにとって、家の外は危険だらけなのだ。

 それに、シオネは閉じこもってばかりと言うが、彼女はいたずらに暇をつぶして過ごしているわけでは決してない。

 秋のうちから集めておいた枯草で若干個性的な見た目の履物を編んだり、ケイセイと額を突き合わせてケドゥンの皮と木切れを組み合わせて何やら作ろうと試行錯誤しているし、イズリアル様から頂いた本を一日一度は必ず開き、勉強も欠かしていない。

 だからケイセイより言葉の上達が早いし、わざわざ外に出かけて行って発音の練習をしていることを私は知っている。誰もいない森の縁の茂みに向かって、言葉を選びながら話しかけているのだ。

 熱心なのはいいけれど、どうか根は詰めないでほしい。


 なぜ私がそれを知っているかというと、ケイセイが心配して後をついていっては、帰ってきて諜報の成果を私にも教えてくれるからだ。

 彼はいつも途中で追い返されてしまうのだけれど、日を追うごとに戻ってきた時の彼の表情が不可解そうなものへと変わってきた。

「ウルリカ。ケーンは、変身しますか?」

 そしてある日彼の口を衝いたのがこんな質問だ。

 彼の口を通して出た、やや間延びしたケーンという言葉は、キツネのことだ。この年明けに教えたばかりの言葉。

 変身とはなんのことだろう。脱皮だとか、羽化のような?

 ケイセイは首を捻りつつ、言葉を探している。言わんとすることを思うように言えないのだ。

「じゃない、変身、変化……バケ、バカ……うーと、だます? あざむく? うそをつく! ケーンは、嘘をつきますか?」

「しないと思うわよ。獣の中では賢い方だと思うけれど」

 動物に裏をかかれるだとか欺かれるということは、巣穴を探す時や獲物を競い合う状況下でならあり得るかもしれない。でも、うそをつくとか変身するって例えはなんなのかしら。

 ケイセイは大真面目に続けた。

「ケーンのしっぽは、一本でした」

「そうでしょうね」

 二本も三本もあったら、それはキツネではない何かだと思う。なぜに尾の数?

「ヨーカイ……魔物、では、ありませんか?」

「魔物?」

 思いもよらぬ発言にびっくりする。

 ケイセイの話には掴みにくいところが多々あったけれど、つまりはキツネに似た魔物が近くまで来ていて、シオネを唆しているのではないかと彼は心配しているらしい。

 野生の動物が魔境の影響を受けて魔物化するということはままある。魔物の中には知恵の巡る個体もあるかもしれないし、全くあり得ないと断言はできないけれど、父様がいらっしゃる以上、取り返しのつかない事態に陥ることはないはず。

 魔物の危険性については日々諭されていたから警戒するべきものだと心得ている。

 私も実物の魔物を見たのはただの一度しかない。

 しかし、その一度中に口から火を吹いた時にはさすがに度肝を抜かれた。直撃を受けた木がたちまち松明になったので、あわや大火事という事態になりそれどころではなくなった。あっちへ逃げろと父様が叫ばれて、是非もなくそれに従って、気が付いたら魔物はもう倒されていて、俄かに豪雨が降り始め、森の被害は軽微で済んだ。本当によかった。

 その時の印象が強くて、魔物が現れれば人の手には負えない厄介事が起こるという用心は常にある。私の知る魔物は、こんな回りくどいやり口で我が家を突き崩しにはこない。きっともっと直截だ。

「魔物は魔境から出てこないように、父様が毎日見回りをして防いでくださっているから、この家の近くまでくることなんてないのよ」

 私はそう言ってケイセイを安心させようと試みた。

 そもそも、シオネが毎日外へ出かけて行き動物に話しかけるようになったというこれは、厄介事と言えるのだろうか。実のお姉さんのことだから心配しすぎじゃないかという気がしなくもないけれど、よく確かめもしないで断じるのもまた早計かもしれない。

 ちょっと、私も様子を見に行ってみようかしら……


 でも翌日、私がシオネの後を追っていこうと彼女の動向を窺っていると、彼女はやたらと頑なな目で戸口で振り返り、言った。

「いつもケイセイがついてくるので、動物が逃げてしまいます! 動物は常に警戒しています。何人たりとも、一緒に来てはなりません!」

 釘を刺されてしまった。そんなに私の態度はあからさまだっただろうか。

 シオネが玄関の隙間からにょろりと滑り出て行った後、ふとケイセイの視線を感じて振り返った。

 彼は何とも言えない妙な微笑みを浮かべていた。

 なにかしら、なんだかとても敗北感を感じる。



 ゆきわたる月が終りに差し掛かる頃、父様が突然発表なさった。

「近々、客が来る」

「キャク?」

 姉弟が揃って首を傾げた。この家で半年ばかり暮らしていて、兄様とイズリアル様を別にすれば、外部からのお客様がいらしたことなど一度もない。一度だけ、近くに領主様のご嫡男がご友人を伴って狩りをしに森に入られたことはいったが、ここまで訪ねて来られることはなかった。

 二人にとっては聞き慣れない言葉だろう。私とて数えるほどしかお客さまをお迎えした覚えはない。

「私とウルリカの知り合いだ。オルソンどのだ」

 前半は姉弟の、後半は私への補足だ。

「しばらく滞在されるだろうから、そのつもりでいてくれ。肉を増やしておいた方がいいだろう。明日は父さんは魔境にまでは行かず、辺境の森を回るだけにする。ケイセイは一緒に行って狩りをしようか」

「はい!」

 嬉しそうにケイセイが返事をするのがもう本当にかわいい。

 オルソン様は現領主様の弟君で、イズリアル様の叔父君にあたる方だ。

 イズリアル様の前任の監視点巡回役でもいらして、私の小さい頃には、定期便を届けていただく度に稽古をつけていただいたり勉強を見ていただいたりした。50の峠を越えられ業務を甥御に引き継がれた後は、諸国漫遊の旅に出るとのことで、ヴォジュラ領を出られたと聞いている。どうやら旅から戻って来られたようだ。

 最後にお顔を見てから二年以上が経過している。お変わりないかしら。


 父様の予言どおりの翌々日のお昼過ぎにひょっこりと現れたオルソン様は、かつてお仕事でここにいらしていた頃の身軽な旅装姿と比べて、更に旅汚れていらした。

 高貴なお方でいらっしゃるのに供の一人も付けず、マズリを一頭引き連れていらっしゃるのみ。どうやら自領に戻られたばかりのその足を、ヴォジュリスティより先にこちらに向けられたものらしい。

 お血筋らしい赤みの強い茶色のおぐしもお髭も白髪が混じるに任せてあってぼうぼうに伸びていて脂ぎっているし、つり目がちのお目の周りは疲労なのか寝不足なのか隈取りされたように黒ずんでいる。父様ほどではないけれど大柄な威容を包む損耗の激しい防具は、ヴォジュラ領主たるフェルビースト一族の方であれば馴染み深いはずの魔境産の高品質な素材を用いたものでもなければ仕立てが一流の物でもない。風下に立つと、なにやら臭ってきそうですらある。

 とても貴族紳士には見えないお姿だ。予め父様に教えられていなければ、盗賊の類だと思ったことだろう。

 しかしそこはならず者には持ち得ぬ練達の身ごなしで、何気なく携えられていらっしゃるように見える槍も即座に揮える構えだ。

 オルソン様は私が物心ついた時から、剣より物持ちがよく使い勝手がよいという理由で槍や弓を愛用なさっている。それも外観は美麗な装飾が施されているわけでも鋭い輝きを放っているわけでもなく、薄汚れてくすんだありあわせの品にしか見えない。長年魔境監視者たちの間を巡回する旅に従事してこられた経験から、物取りの物欲をそそらないよう研鑽した結果なのだとか。

「ここはいつ来ても時の流れを感じさせぬな。しかし君はますます美しくなって、辺境の森に咲く一輪の花が咲きこぼれるかのようだ。君の成長が、ここが隔絶していないと実感できる唯一のよすがだよ」

 物腰は穏やかでお振る舞いは気さく、お声は慈雨のように耳に沁み込む品と深みがある。私が予てより知るオルソン様だった。

「まあ、ありがとうございます」

「しばらく来ぬうちに随分と若い顔ぶれが増えているではないか。年若い者たちに十分な土産を用意できぬとは気の毒なことだ。面目ない。それにしてもこれはなんだね、私に頼りも寄越さずジェドが後添えでも貰ったのかね」

「いいえ、違いますわ」

 オルソン様がシオネを見て目を見張られたので、私は慌てて訂正した。とんでもない誤解だ。

「冗談だよ。いくらなんでも若すぎる。ところで、ジェドはまだ、君を街に出す気はないのかね? 君もそろそろ結婚相手のことも考え始める年頃だろう。今年で17だったかね? 出るところに出れば、引く手あまただろうに。いや、引く手あまたすぎて却って危険か」

 私はびっくりした。オルソン様のお言葉はまさに、青天の霹靂だったのだ。

「街へですか? いいえ、父からはそのような話は聞いたこともございません。結婚相手ということも同様です。兄はいずれ父の跡を継ぐ身ですから、身を固めて後継者を得なくてはなりませんが、私は少なくともその後でしょう」

 今はまだ領内を飛び回るイズリアル様の片腕としてのお仕事が忙しかろうし、領主様が縁組をお世話してくださるのも当面は先になるだろうけれど。兄様も二十歳を過ぎられ、いつお嫁さんを貰ってもおかしくないお歳。

 家族だけの生活に慣れ切っていたからだろうか。私にとってはお義姉さまになる方がいつかできるという考えを抱いたこともなかった。でもそれは、心浮き立つ思い付きだった。だって家族が増えるのだ。なんて幸福なことだろう!

 当然、いつかは私も、我が家に伝手のあるどなたかからお婿さんを紹介していただいて結婚するのだろうというほぼ決まり切った将来に思いを馳せることもなかった。正直言って、考えたこともなかった。年頃というのは、そういったことに心を悩ませるものなのだろうか。ピンとこない。

 そもそも、結婚相手を得るために街へ出るというのはどういうことなのだろう。領主様にお目通り願って、結婚相手を紹介してくださいと申し出なければならないのだろうか。

 ちなみに私はこの時、お嫁に行くという考えを持っていなかった。後でシオネから街ではそういう習慣なのだと聞き知って、愕然とすることになる。

 考えてみれば、父様がどのようにして兄様と私を授かったのか、私は知らない。母親という存在が必要不可欠だったことはもちろん知っているけれど、その母という人の馴れ初めも結婚に至るまでに必要な手続きもなぜ今いないのかということも全く知らない。父様がお話しにならないから聞く必要のないことだと思っていた。兄様とも、母について話した覚えがない。というより、そんな話になりかける都度、兄様は意図的に話題を逸らしていらしたような気がしなくもない。

 思い切って父様に尋ねてみようかしら。でも父様はお話になりたくないような気がする。オルソン様はご存じだろうか。でも父様が話したくないことを、他の人に訊いてしまうのは父様に対して申し訳ない気もする。


 そんな私を、オルソン様の少し面白がっているかのようなお茶目なお声が物思いから引き戻した。

「で、本当のところどこからしょっ引いてきたんだね。近隣の村落の子ではないようだ。人攫いに遭った子供を保護してでもいるのかね? 本家に報告はしているのだろう? この雪で移動は困難かもしれぬが、街に連れていくなら私が帰りついでに引き取るよ」

「わけあって、昨年の夏から預かっております。そのお話は、父が戻ってから改めてさせていただくと思います」

「そうかね。では、そうしよう。早速だが、家に入れてくれんかね。それと、残りもので構わんから食べ物を分けてほしい。軽く火を通してくれるだけでいい」

「まあ、それは気が利かず申しわけありません。では早速ご用意いたしますわ。その間にオルソン様は身形を改めてくださいませ」

 一服していただく前に、こればかりは完了していただかないと。

『かまくら作る?』

『体拭いて服着替えるためだけに?』

『やっぱ本末転倒?』

 シオネとケイセイが冷静に何やら話しあっている。オルソン様の身繕いと、その後の部屋の掃除に費やされる労力を思ってのことに違いない。秘蔵していた兄様たちが持ってきて下さった石鹸を解禁する時が来たようだ。この後男性陣の部屋にお通しして、何度もお湯を沸かして、きっとすぐにお湯が汚れてしまうだろうから取り替えて運んで、ああ、それに洗濯物も大量に排出されるだろう。父様がお戻りになれば積もる話もあろうし、それまでに全部終わらせなければ。

 オルソン様に居間に上がっていただいて、外套をお脱ぎになるお手伝いをする。まあ、思った通りひどいにおい。汚れも、私の手にこびり付くほどに厚い埃に塗れている。これは、二度洗いくらいじゃ済まなさそうだわ……とりあえず外に持って出て、目いっぱい叩くだけでも相当の汚れを落とせそうで楽しみだ。

 突如シオネが宝物でも見つけたような歓声を上げて私たちを追ってきた。

『温泉! それだ! それが足りなかったんだ!』

 言っていることはわからないが、すごく喜んでいることは分かる。

「ウルリカ! この近くに、沸かした水が出てくる水たまりはありませんか?」

 お湯の沸く泉? ああ、そうか。私はシオネの意図を理解した。

「ええ、あるわよ。魔境に近いしかなり歩くけれど。それに色が真っ黒だし、とても嫌なにおいがするし、父様が毒の泉だと仰っていたから、身を清めるには向いていないのよ」

「ああ、温泉のことを言いたかったのだね。旅で訪れた火山地帯の街には、地熱で温められた湯の泉が湧いていて、人々はそこに浸かって身を清めるのだ。あれはいいものだった。この地にもあればよかったのだがね。残念ながらこの50年、そのような話は噂でも聞いたことがない」

 湯の湧く池というものを想起できない私のために、オルソン様がどことなしか名残惜しげに首を振り振り補足してくださる。

 そんな便利なものがこの世にあるだなんて、羨ましい。

 けれど、ここは火山地帯ではなく、湯の湧く泉はないのだ。かわりに、時折赤い煙を噴き上げる魔境の山がはるか遠くに聳え、魔物の亡骸が沈んでいるという逸話の残る不気味に泡立つ黒い泉がある。間違っても身を浸してみようとは思わないでね。

「そのおはなしは、イズリアルさんからもらった本に書いてありました。黒い血の魔物斃れ池のできること。今は昔、大きな強い魔物が退治されました。その死骸はいつまでも朽ち果てず、新しい血を流し悪い気を吐き出し続けている……ああー」

 話している途中でシオネは話題の泉がどういう性質のものなのか気が付いたらしく、見るからにがっかりした。

「魔境はおとぎ話の舞台としては最も有名な地だよ。真偽はともかく、こういった伝聞は山ほどある。ところで、そろそろ私は食事にありつけるのだろうね?」


 それからしばらくの間私とシオネとケイセイは、すごい勢いでお湯を沸かし続け、交換し続けた。

 水源は表の雪の塊だから小川まで汲みに行く手間は省けたけれど、うちに大小三つしかない鍋を総動員してお湯を沸かしても、すぐに泥水に変わって父様とケイセイの部屋の窓から排出される。鍋を全てそちらに回したので、オルソン様にお出しするお肉と野菜が魔物の革に包んで暖炉に突っ込んだだけの蒸し焼き料理だけになってしまったのが惜しい。

 かなり忍耐を要する時を費やして、父様とケイセイの部屋から出ていらしたオルソン様は、見違えるほど小奇麗におなりだった。伸び放題の御髪とお髭はそのままでも、もはや野盗には見えない。

「給仕はいらない。その皿にまとめて盛ってくれればいい。君は君の用事にかかってくれて構わない」

 そう仰ってくださったのでありがたく急ごしらえで量しか充実させられなかった食べ物を大皿一杯分供して、あとから部屋を覗いてみると、オルソン様はかなり気を遣ってお湯を使ってくださったようで、水はあまり散っていなかった……いや、これは違うわね。水汚れをお脱ぎになったご自身のお召し物で拭われたものらしい。衣類に付着していた土埃が木目に隠れてわかりにくい筋を作っている。乾いた泥の塊も散見されるし、これは父様が戻られるまでに頑張って掃除を完了しなくては。

 お湯を使って体を清めるというのはかくも重労働だ。オフロ好きのシオネには悪いけれど、やはり割に合わないと思う。

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