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由無し一家  作者: しめ村
10/43

辺境の年越し(前編)

 シオネとケイセイには説明していないことの一つに、水狼が襲撃してきたあの頃に森に入り込んだ外部からの侵入者の存在がある。

 前日の勤務からの帰り道、父様は花池で見覚えのない靴底の足跡を発見なさった。同時に付近で争いがあったことを思わせる足跡の乱れと血痕も見受けられたそうだ。

 侵入者は水を求めて花池に寄り、そこに来合わせた獣と戦った。森に入り込んだ理由は、よくある密猟採取の類。その後、自らも傷を負い、半日かけて森の中を逃げ惑っていたそうだ。

 父様は、本当なら即座に転進して侵入者を追わねばならなかったところを、侵入者が家に来ていないか、そこにいる私たちが無事かどうかを確かめるために一旦家に帰ってきて、私にだけ事情を告げて慌ただしく出動された。

 密猟者は魔境側に向かって逃げ進んでいたところを捕捉されたそうだ。父様が念入りに尋問を行った結果、単独での犯行であり同行者はいないとのことだった。

 私たちが昼間遭遇した水狼は侵入者に手傷を負わされ、反対側に逃げた。つまり、花池から森の外側へ向けて。この家の方角だ。人間への憎しみを燃やしていたところだったのだろう。巡り合わせが悪かったというべきだろうか。

 父様のお仕事の進捗状況については詮索しなかった。お戻りになられたからには、解決したのだ。これまでの大半の侵入者と同じく、森の深部で始末なさったのだろう。

 既に複数個所切りつけられていた水狼の毛皮は諦め、死骸はその日父様が通勤途中の森の中に捨てて行ってくださった。



 それから数日後、私は募っていた気がかりが確かな懸案事項に変わったと判断して、父様に相談した。

「父様。水狼が襲ってきた時、私よりもシオネが早くに気がついて、警告してくれたのです」

「ふむ?」

「目の焦点が合っていなかったのに、何かを知覚しているようでした。根拠のある怯え方だったように思います。水狼であることは姿を現すまではわかりませんでしたが、敵意を持つ何かが潜んでいることは確かに把握していました……それもまた、あの姉弟が持つ魔法の一つなのでしょうか?」

「あの子には感知に長ける資質があるのかもしれんな。しかし魔法は万能ではない。その分を弁えず無理な使用を繰り返せば心身に負担がかかり健康を損なうだろう。今後もその能力を用いるなら、シオネとケイセイにそれを説明し、身の振り方を考え直さねばならん」

「父様、それは……」

「イズリアルどのに事情を説明し、場合によっては二人を森から出すこともあろう」

 きっぱりと仰る父様の曲解しようもない答えに、私は言葉が出なかった。そんな。

 シオネはあの後、しばらく気分が悪そうだった。夕刻、父様がお戻りになる頃には立ち直っていたけれど、私が水狼を殺した直後、真っ青な顔でお礼を言ってくれた時には倒れるのではないかと思ったくらいだったのだ。

 実際、倒れこそしなかったものの、父様がお戻りになるまでの半日を横になって過ごしたのだ、似たようなものだろう。

 荒事とは縁の薄い暮らしを送っていたらしい二人になるべく衝撃を与えないように、速やかに水狼を仕留めたつもりだったけれど、思った通りにはいかなかった。

 同じようなことが起こる度に、制御の術を知らない力を無自覚に使って疲弊してしまうなら、やはりちゃんとした勉強と訓練を施してくれるところを頼った方がいいのかもしれない。剣を振るうにも、攻め込まれる隙を作ってしまったり扱い損ねて自分を刺してしまうことのないよう、基礎を疎かにしてはならないのと同じで。

 でも、そうすると、二人と別れなければならないかもしれない。

 シオネとケイセイが家からいなくなれば、私はまた父様との二人暮らしに戻る。毎朝父様を仕事に送り出し、お戻りになるまで一人で家を守って過ごす日々に戻るのだ。その考えは胸を引き絞るように私を苛み、私は二人のいる暮らしに慣れ切っている自分を自覚した。二人がいなくなった暮らし。一人きりで過ごす日中。今更それに戻れるのだろうか。

 嫌だと思った。耐えることはできるだろう。でも、耐えがたいと思うのだ。

「なに、要は、あの子らを危ない目に遭わせなければいい。父さんが、再びこのようなことが起こらぬよう一層仕事に励む。おまえも心に留めておけ。ケイセイの修業は順調なのだろう? あの子は我が身くらいすぐに守れるようになるさ」

「それが、父様……」

 ケイセイも、あれからずっと様子が違っている。シオネと違い身体的不調に見舞われたわけではないみたいなのだけれど、心配だった。

 やっぱりあの時私が怖がらせてしまったのかしら。今までより距離を取られている気がする。

 あんなに人懐っこく好奇心旺盛だった子が、質問攻めをぱたりとやめ、興味の赴くままあちこちに足を運ぶことをしなくなった。話しかけても目が合うと、どこか困ったようにする。彼の方も頑張って普通に接してくれようとしているみたいなのだけども、会話が不自然に途切れてしまったりして弾まないし、笑顔も自然なものはめっきり減ってしまった。今までのように話をしようと努める私どころか、実の姉のシオネの存在すら忘れたかのように、黙々と武芸の訓練に没頭している。

 父様は私の話を遮らずに最後まで聞いてくださり、思案気に顎を一撫ですると請け合ってくださった。

「お前の気がかりはもっともだ。父さんがあとでケイセイと話してみよう」



 翌朝、朝ごはんの支度をしながらやきもきして待っていた私のところにいらした父様は、穏やかな表情だった。

 もしかして解決してくださったのかと期待しかけた私に、父様はどこか面白がってさえいるかのように目を細めて仰った。

「昨夜の相談事だが、ケイセイと話した。あの子に人並みの分別があれば時が解決してくれる。あの子は人並み以上に素直で分別もある。つまりおまえは何も心配はいらない」

「父様、仰る意味がわかりかねます」

 こんな時にからかわれるという仕打ちに、私は堪りかねて抗議する。

「意味など無意味だ。それこそ時が解決したらばな。それ以上のことはあの素直な子のためにも言えんよ」

 ひどい。父様ったら。いくら明らかに面白がりながらでも、そんなことを仰られては私もそれ以上詮索できないじゃない!


 もちろんシオネにだって相談してみた。

「ケイセイのことですが、以前と比べてお話をしてくれなくなったと思いませんか?」

 シオネの顔が曇った。やはり実の姉。私が気がつくこと程度のことには、当然心を痛めていた模様。

「それについては、わかるつもりですが……」

 シオネは複雑そうな顔つきで言葉尻を濁した。

「今は好きなようにさせてやってくれませんか。そのうち勝手に壁にぶつかって目が覚めると思います。もちろん、元通りになると思います」

 父様と似たようなことを言う。壁にぶつかるという表現がよくわからなかったものの、思い当たることがありそうな彼女の確信に満ちた言葉を、ひとまず信じることにした。

 けれど今のところ、彼の態度に変化の兆しはない。さみしい。



 きたかぜの月になると、狙い澄ましたように雪が降り始める。それはたちまち容赦なく視界を塗り潰す滝のようになり、気まぐれに止んだかと思いきや思い直したふうにまた中空に紗を下ろす。

 空が季節を思い出す度に、私たちのささやかな家の周りは、綿布団を何十枚も重ねていくように雪に埋め立てられてゆき、月がそろそろ終わりに差し掛かる年の変わり目には、家そのものが埋もれそうなほどに積雪する。森の一角を切り開いた我が家の周囲に吹き下ろす風が渦巻き、風の音も凄まじい。

 そんな年の瀬のある晴れ間、水瓶に新雪を補充しに外に出ていたケイセイが飛び込んできて、『ナマハゲ来ました』と騒いだ。びっくりして剣を掴んで飛び出てみたら、頭巾と覆面と蓑と毛皮の外套に身を包んだ兄様だった。いつものように三頭のマズリに物資を満載して、雪をかき分けながらいらしたのだ。

「お帰りなさいませ、兄様。今年はいつまでいられますの?」

「翌年の4日までが休みだ。こちらは変わりはなかったか」

 無造作に伸びたおぐしを隠す頭巾から雪を払い落しながら、兄様は答えられた。細かな氷の粒がたくさん貼り付いている覆面を引き下げ、毛皮の外套を脱がれると、雪に放り込んだ焼き石みたいに防具を隙間なく着込まれた体中から湯気が上がった。

 マズリは大柄でこの大雪にも屈しない頑強な体と体力を備える動物だからそのまま騎乗していらしてもいいはずなのに、兄様はその背から降りられて先頭に立ち、ご自身で雪をかいて大荷物を載せた獣たちのために道を拓いていらした。

 それほどの重労働を長いこと続けられた末にこの家に辿り着かれたのだろうに、息も乱しておられない。

 昔から病気知らずの頑健な方だから健康に関しての心配は一切していなかったけれども、やっぱりお元気そうで、更にお背が高くたくましくなられたようだ。成年を迎えられてから結構経つというのに。兄様のお腰に佩かれた、標準規格である私の腕の長さほどある長剣が妙に可愛く見えてしまう。

 年越しのこの時期の定期便では、イズリアル様はいらっしゃらない。

 年に一度だけの、兄様だけのお里帰りなのだ。



 兄様がイズリアル様にお仕えするようになったのは近年のことで、2年ほど前からになる。

 それ以前から実力を見込んで、お仕事の補佐をしてほしいと再三乞われていたのだけども、妹が一人前の自衛手段を獲得するまではと保留していただいていたのだ。

 確かに、私の腕が未熟なうちにこの間の水狼事件のようなことが起きていたら、勝敗はどう転んでいたかわからない。まれに現れる襲撃者の処理も、私が幼い頃は兄様任せだったもの。

 以来忙しく辺境一帯を飛び回っていらっしゃる兄様も、年越しの時期にはまとまった休暇を頂いて、お里帰りをされる。いつもその頃を楽しみにしていたものだけれど、今年からはシオネとケイセイもいるので、賑やかになりそうだ。

 ケイセイは気まずそうに私たち兄妹の話を拝聴していたが、やがて恥ずかしそうに兄様にお詫びをした。

「すみませんでした、おにいさん。ナマ……ようかい、魔物が来たと思いました。大騒ぎをしました。人違いでした」

「構わない。これだけ厳重にあれこれ着込んでいれば、見た目だけで来訪者を識別するのは難しいだろう。むしろ正体不明の来訪者をよく警戒した。その用心を忘れるな」

 最終的には兄様に褒められ、ケイセイは機嫌をよくした。よかったわねえと微笑ましい気持ちで見つめていたら、目が合った。逸らされた。しょんぼりする。

 その横で、シオネが腰を折って兄様に丁寧にお辞儀をした。

「おにいさん、こんにちは。いらっしゃいませ」

「ああ。しばらく世話になる」

 兄様は実家に帰って来た人なのに、なぜかお客様のような返事をなさった。ちょっと対応にあぐねている様子だ。

 そういえば姉弟がうちに来て以降、毎月定期便を届けにいらしてくださる時には、分を弁えた従者の態度でイズリアル様の後ろに付き従っていらっしゃるか、ケイセイにねだられて稽古の相手をしてあげているか、家の力仕事を手伝ってくださっているか、父様とイズリアル様の三人で話し込んでらっしゃるかのいずれかしかなかったので、シオネとの接点はあまりなかった。

「ところでウルリカ、なんだ、家の外の山は」

 この機会に仲良くなってもらえれば、などと考えていると、兄様に呆れ声で呼ばわれて我に返る。

「はい、それは、我が家と同じくらいの大きさの薪の山です」

 シオネの発案で湯浴みの頻度を高めたから、その分燃料も嵩むので、今年の薪は秋からの備蓄分に加え新たに木を切り出しました。火種は炭を中心に使っていくようにして、途中で切らしてしまわないように計画的に使わなくては。

「まあ、頭が痒いと気が散るわな」

 ご自身の長い髪を無造作に掻き回しながら、兄様は一応は納得されたように仰った。

 私は否定しなかった。だって、頭が痒くなるほど頭皮と髪を洗わずにいるのが気持ち悪いという理由はきっと兄様にはご理解いただけない。ごま塩頭を手拭いで拭くだけで頭部のお手入れが完了してしまわれる父様も、やはりおわかりにならないだろう。

 一言も口を挟まなかったシオネも多分、私と同じ結論に達したのだと思う。


 残念ながらうちは広くはないので、以前は父様と兄様が使っていらして、今は父様とケイセイで寝起きしている部屋に入っていただく。

 父様も兄様も野宿には慣れていらっしゃるので、床で雑魚寝でも一向に構わない方々だ。でもやはり久々に実家に帰っていらした兄様には寛いでいただきたいので、私は少し考えて、代案を出した。

「ねえケイセイ、兄様が滞在なさる間は、あなたは私たちの部屋で寝ましょうか?」

「いやです!」

 即座に拒否された。名案だと思ったのに。父様も兄様も大柄でいらっしゃるから、お二人が同じ部屋に入られると非常に窮屈だ。だから私たちの部屋の方がまだしもゆとりがある。そう考えての提案だったのに。

 シオネが笑っている。彼女たちの言葉でからかうように何事か言い、ケイセイは憤激に頬を染めて短く言い返した。その様子は、今まで何度も見てきた、シオネの弟らしい、子供らしいケイセイだ。

「これから子供たちも大きくなることだし、家を拡張してもいいな」

 そう仰る父様も笑っていらっしゃる。

「俺は床で構わない。むしろ布団の感触を忘れかけているんで、逆に寝づらくなりそうだ」

 兄様も笑っていらっしゃる。みんな、何がそんなにおかしいの?

「s@4puoチュリーハウシュzhlqeu3」

「チュリーハウシュ!」

 姉弟が同じ言葉を繰り返してうっとりしているので、不思議に思って首を捻りながらもう一度ケイセイを見た。目が合ったので嬉しくて笑ったら、逸らされた。ちょっとしょげる。

 シオネにはあれからも時々相談している。でも気にしすぎだと言われるばかりなのだ。反抗期に入ったから素直に元通りになれないだけで、実際にはほとんど元に戻ったとさえ言っている。それでいいの? シオネ、実の姉様なのに、本当にそんなことでいいの?



 腕によりをかけて作った年越しと年明け祝いの献立は、おおむね好評だった。実は、ケイセイと兄様のお誕生祝いも兼ねている。

 今日の晩餐のためにニワトリを一羽絞めてお腹にたっぷりの茸と穀物と香草を詰め、弱火でじっくりと熱を通した燻製。フォアのバラ肉のスープには薬味と香辛料を強めに効かせて、念入りに煮込みながら辛抱強くアクを取った。昨日のうちから、今日の主菜にしようと下拵えしていたあばら骨周りの肉をこんがりと焼いてから、鋳鉄の鍋に大量の香草と野菜で埋め尽くして蒸し焼きにした。

 麺麭はシオネが作りたてを用意すると主張したのでお願いしたら、何かのおまじないなのか『イースト……イーストガアレバ……ソモソモコメサエ……』と何度も悲しげに呟きながら芋を潰し、同量の穀粉を混ぜてバターで焼いてくれた。かりかりの表面にバターの風味が香ばしく染み込み中はもっちりとして、新しい食感だ。とてもおいしい。

 シオネは時々、こんなふうに斬新なお料理を披露してくれるので、一品二品丸ごとお任せするのが楽しみになっていたりする。ああ、先月にシェラの果実と麺麭と蜂蜜とで作ってくれた『アポーペモドキ』は本当においしかった。シェラが採れる時期になったらぜひまた食べたい。それにディシュカ豆を真っ黒になるまで乾煎りし始めた時には何事かと思ったものの、それを挽いて淹れたお茶は独特の香味が豊かで、飲む人の好みによりけりだろうが面白い味だった。

 彼女が食事の手伝いをしてくれる時の最大の関心事はどうやら、いかにして穀物をおいしく食べるか、ということのようだ。確かに我が家で作る、穀粉と水だけで拵えた麺麭は味気ない。でも麺麭とはこういうものだと思っていた私にとって、シオネの食への情熱はとても独創的且つ刺激的だ。

 その他秋に作り置いておいた魚の燻製や、野菜と凝乳の併せ焼きなど、秘蔵のお肉や貴重な調味料もふんだんに使い、この小さな家中の鍋と食器を動員し、シオネと二人がかりで食卓を埋め尽くした。

「おお、これは圧巻だな……うむ、うまい」

「ああ、うまい」

 父様と、続いて兄様は嬉しそうにそれだけ仰ると、後は口を開く行為を食事のためだけに専念させるようになられた。暖炉に薪を次々と放り込んででもいるかのような小気味よい食べっぷりだ。ただでさえ父様と兄様はよくお食べになる。それに加えて今年からは家族がもう二人だからと例年より多めに作ったというのに、これでは足りなかったかもしれない。男性陣は競い合うように咀嚼と嚥下に夢中になっている。

 思わずシオネと顔を見合わせる。二人して同時に吹き出した。張り切って作った料理を気に入って食べてもらえれば、それはもちろん嬉しい。たとえ自分の分け前が減ったとしても。その気持ちを共有できる相手がいることも嬉しかった。

 私はじっとケイセイを見た。慎み深く物静かな動作で、でも快調に食べてくれている。あ、そのフォアのあばら肉、私が作ったものなのよ。食べて食べて……うん、おいしそう。

 しばらく見ていると、顔を上げたケイセイの伏せがちだった目と合った。

 私は半ば確信していたが、あえて訊ねてみた。だって、最近のケイセイなら、否定するかもしれない。

「おいしい?」

「……はい」

 やっぱり気づまりそうに目を逸らしながらだけれど、答えてくれた。よかった!

 それからしばらく、困ったようにお肉を咀嚼していた。言いたいことがあるのに言葉が出てこないといった様子で。でもきっと、ここで催促しては仕損じるのだろうと思った。彼が打ち明けたいと思ってくれた時を待っていよう。

 シオネが小さく笑った。

「どうしたの?」

「いいえ?」

 ケイセイが姉を睨んでいたような気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。

 父様がとろけそうなほど微笑ましいお顔なのはどうしてだろう。

「ん? いや、今日の飯は実にうまいな。これから当分粗食に耐えねばならなくなるな」

「父様ったら、折角のおもてなしのご馳走に水を差すのはおやめくださいな。兄様も、口に食べ物を詰め込んだままきょろきょろなさるのはお行儀が悪うございますよ」

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