2 これが噂の異世界トリップですか。っても、体験者なんてほとんどいないでしょーよ
異世界トリップ。
それは皆一度は夢見て挫折し、期待して覚めるという経験をお持ちではないだろうか。
本好きを豪語する私、八坂 桐子もごたぶんに漏れず、大好きです。
本で読むのは。
……本で読むのは!!!
「他の世界……ですか」
本当に、しちゃうとか……望んでない。
あの後、抱き上げられたまま隣の部屋に移動したのは、茶髪青年がスケベだからではなく私の情報がまだ全く分かっていない状況で再びハルの魔力に触れさせない為だったらしい。
床に描かれていた線描はあくまでも見える魔力の形で、同じ空間である線描の外にも少しは影響があるそうで。
でも部屋自体を結界で覆ってるから、外に出れば大丈夫なんだって。
早く言ってよそれ。
意味なく悪態つきたいわけじゃないんだから。
隣は中世ヨーロッパイメージの、ソファとかテーブルとかチェストとかが置いてある部屋だった。
応接室もしくはリビングみたいな感じ。
なんかこうテレビでこんな宮殿見た事あるよねとか思うくらいで、不安になるものではないのがほんの少しの救いかもしれない。
茶髪青年にソファに下されてそこに座ると、向かいのソファにハルが腰掛ける。
茶髪青年はソファに座らずに、真ん中に置いてあるローテーブルの横に立った。
そこで促されるまま、あらかた自分の状況を話した。
突然この世界に来てしまったこと、その前の状況。
二人はただ黙って、私の話を聞いていた。
その静けさに若干の居心地の悪さを感じつつ、その不安を払しょくする様に私は一気に話した。
意識して、ゆっくりと。
感情のまま息巻いて話し始めてしまったら、とまらなそうだったから。
少しでも遮られてしまったら、感情が爆発しそうだったから。
私が話し終えて、しんとした静けさが戻る。
そして茶髪青年とハルが交わす視線の意味が不安を煽って、私は知らず唇をかみしめた。
冷静に……冷静に。落ち着いて。
クレームがあった時と同じ。
とにかく落ち着いて、状況を把握しなきゃ。
暫くして、ハルがおずおずと口を開いた。
「ここは、大陸の大半に及ぶ国土を持つセネトです。セネトを知ってますか?」
「……セネト、ですか。初めて聞いた国名です」
大陸の大半を持つ国は、そんな名前じゃない。
けれどをそれを口にしても、なぜか相手には通じない。
もう一度言い直してみたもののやはり通じないらしくて、諦めた。
ハルは茶髪青年に視線を移して、すぐにこちらに戻す。
「あのですね。セネトはこの世界では、誰もが知っている国です。どんなに辺境の国でも、世界の始まりであるこの国を知らない人はいない。それを知らず、そして俺の召喚陣に反応して降りてきたって事は、多分他の世界からこちらに来てしまったんだと……思います。何か、思い当たる節はないですか」
「……脚立から落ちて、別の世界に来たってこと……? ここの人が、呼んでわけじゃなくて?」
変わったことといえば、脚立から落ちた事だけ。
あとは、いつも通りの日常だった。
思い当たる節?
きっかけがあるなら、私の方が教えて欲しいわ。
私の呟きを拾ったのか、茶髪青年は腕を組んで小さくため息をついた。
「あのな……ハルが行っていた召喚魔術は、この世界の精霊が呼びあえる他の世界の精霊をこちらに呼び出す魔術だったんだ。決して、人を喚ぶものではなかった」
人を喚ぶものではなかった……?
「……じゃあ、なんで、ですか」
なぜ、私はここにいるの?
とても簡単で、素朴な疑問。
そして、一番難しく、答えにくい質問。
茶髪青年でさえ、言いにくそうに口を一度閉じた。
またひらいて、閉じる。
言えることは決まっているのに、言い出しにくい時の人の癖。
顔色を見て生きてきた私には、簡単に感じ取れる仕草。
不安が、煽られる。
ぎゅっと両手を握りしめて、震えそうになる体を押しとどめた。
ねぇ。
私が、この世界にいる理由は、なに?