過去。
長いです><
お時間のある時に、お読み頂ければ嬉しいです^^
「お兄さんはえらいね。勉強も出来て運動も出来て、自慢のお兄さんだね」
小さい頃から、そう言われ続けてきた。
幼い頃は、それがとても誇らしかった。
凄く嬉しかった。
私の自慢のお兄ちゃん。
尊敬する人は誰と聞かれれば、両親を差し置いてお兄ちゃんと答えただろう。
けれどそれは兄に続いて入った地元高校に通ううちに、少しずつ変わっていった。
「会長の妹ってさ、なんだかさえないよねー」
「あれじゃない、血の繋がってない妹、みたいな」
「なにいってんのよ、そんなドラマみたいな展開あるわけないじゃない」
「あったとしても、あれはないよねー」
生徒会長になっていた兄は試験をすれば学年上位に入り、部活をさせれば全国大会へと部員を導く。
決して整った顔ではなくどちらかといえば地味な部類に入るのだろうけれど、明るく人当たりのいい性格は兄をよりよく見せていた。
そして、その妹という居場所しか与えられなかった私が出来る事は、ただ一つ。
「残念ながら、血は繋がっちゃってるんですよー」
「……!! あ、あ……えっと」
私の事を揶揄っていた上級生女子グループの後ろから、明るく声をかける。
びくりと肩を揺らし振り向いた彼女たちは、一様に困惑した表情を浮かべていた。
それはそうだろう。
今まで嘲笑していた妹である私が、突然現れたのだから。
私はそんな上級生をにこりと見回して、眉根を顰める。
「ホントそうですよねー。頭脳から運動神経からもうぜんっぶおにーちゃんに持ってかれちゃったんですよ、悲しいったらありゃしない」
「……え」
「酷いと思いません? せめてひとつくらい私にも残してくれればいいのに、根こそぎいい所持って行っちゃって」
ね? と同意を求めるようにグループの中でもきっと中心だろう女子を見ると、呆気にとられた後いきなり笑い出した。
「やだ、妹ちゃんいい子じゃん。ごめんね、悪口いって」
ぺこりと頭を下げた彼女に続くように、他の子も口々に謝ってくれる。
私は困った顔を作りながら、両手を前で振った。
「いいんですよ、本当の事ですもん。でも……」
ほんの少し、眉尻を下げる。
「ちょっと悲しかったですよー」
「うんごめん! ごめんってば! なんか食べる? お菓子あげようか」
「私は子供ですか!」
笑いながら突っ込めば、ホッとした様に笑う上級生。
そうやって、懸命に居場所を作り上げた。
それでも頑張れば”さすが会長の妹”と言われ、へまをすれば”会長の妹のくせに”と言われ、辛い事は辛かったけれど、ほんの小さな自分の居場所があれば私はかまわなかった。
両親も兄も、優しい。
確かに兄優先になっているけれど、それは仕方ない事。
それにこの状況を生み出しているのは、兄の所為ではないのだから。
兄は私を可愛がってくれたし、桐子には桐子のいい所があると言ってくれたから。
――けれど、それは、ほんの些細な兄の言葉で崩れ去った。
忘れて行ったお弁当を母親に頼まれて、教室に届けた時。
「お前の妹ちゃん、昨日会ったけど楽しい子だな」
私がいる事に、気付いていなかったのだろう。
開いている教室のドアから中を覗こうとした私の耳に入ってきたのは、兄の友人の声。
「なんだ、桐子が何か迷惑かけたのか?」
「なんで迷惑って決めつけてんだよ、そうじゃなくて。偶々帰りが一緒になってさ、途中まで話しながら帰ったの」
それを聞いて、昨日帰宅途中にあった男子生徒の姿を思い浮かべる。
確かに、兄の名前を言いながら「妹ちゃんだよね?」と近づいてきた男の人。
軽薄そうな見た目に反して、とてもまじめで楽しい人だった。
そのまま少し話して、途中で別れたけれど……。
「妹ちゃん、しっかりしてて楽しかったよ? お前が言うみたいに、何も出来ないような子には見えなかったけどなぁ」
その言葉に、どくりと鼓動が早まった。
え、どういう事?
「何も出来ないなんて言ってないよ」
兄の声。
思わず、その言葉に息を吐いた。
けれど。
「笑うしか能がないって言っただけ」
――ワラウシカノウガナイ?
「そりゃないだろ、そんな言い方」
少し呆れたような声に、兄が否定の言葉を口にした。
「何言ってんだよ、可愛いだろ? 世間知らずで何も出来ないから、せめて笑顔で頑張ろうって足掻いてる姿」
「それ、全く可愛がってないと思うけど」
「そうか? 事実じゃないか」
事実。
例え事実だからと言って、当たり前のようにそんな事を口にする家族がいるだろうか。
でも、きっと。
家族のことを言われて恥ずかしいから、私を貶す事で照れを隠しているんだろうって思った。
「どうしたの?」
「……っ」
そんな事を考えこんでいたら後ろから声を掛けられて、驚いて思わず目の前のドアに縋った。
勢いがあったのかドアが、大きな音を立てる。
「……妹ちゃん」
その声に、私は教室の中に視線を向けた。
教室の中には何人もの人の姿。一番手前に、兄と数人のクラスメイトが固まってこちらを見ていた。
けれど教室内にいた人達は、兄の言葉が聞こえていたのだろう。
気まずそうな、それでも興味深げにこちらを窺っている。
「どうした、桐子」
何でもないいつも通りの兄の声に、固まっていた私の思考が一気に動き出した。
「おにいちゃん、お弁当忘れていったよ。お母さんから渡す様に言われて」
そう言いながら、教室内へと足を踏み入れる。
兄の斜め後ろまできて足を止めると、胸の前で抱えていた弁当を差し出した。
「おう、ありがとな」
周りの人でさえ、気まずく思っているのに。
兄に、その雰囲気はない。
その目は、いつもの私を見るもの。
照れじゃなく。
笑うしか能がない私は、兄にとって事実でしかない事に気が付いた。
それが貶すために言ってるのではなく、ごく当たり前の事なんだと。
「……妹ちゃん」
けれど。
周囲は違う。
兄を少し冷たいと思い、私を本当に使えない妹なのだと見るだろう。
笑うしか能がない、何も出来ない女だと。
――耐えられない。
私はにこやかに笑みを浮かべて、声をかけてきた兄の友人に視線を向けた。
「はい、おはようございます! 昨日はありがとうございました」
ほんの少し怪訝そうに眉を顰めた兄の友人は、何か言おうと口を開く。
けれどそれよりも先に、兄は私から弁当を受け取ると咎めるような口調で名前を呼んだ。
「桐子。お前、坂下に迷惑かけてないだろうな?」
兄の友人は、坂下さんというらしい。
そう言えば、昨日名前を聞かなかった。
兄のつながりで声をかけてくる人は多くて、いちいち覚えていられなかったから。
私は殊更笑みを深めて、兄を見る。
「やだなー、笑うしか能がないからって迷惑なんかかけないよ」
兄は、どんな反応を示すだろうか。
私がさっきの言葉を聞いていたという事を言外に含めているのは、伝わるはず。
周囲の雰囲気も、少しぴりぴりと感じた。
そしてほんの少し、私は期待していた。
バツ悪そうに苦笑する兄を、上辺だけでもいいから悪かったなと言ってくれることを。
けれど兄は、何も困ったことが無いように笑った。
「ならいいんだ、拗ねるなよ」
「酷いなぁ」
そう言って笑い声をあげる私達を見て、周囲が……坂下さんからも張り詰めたような緊張感が薄れていく。
「兄妹っていいねー」
「仲いいよねー」
ちらほらと聞こえる声。
決して兄が私を貶める為に言ったんじゃないと、そして私が貶されているわけじゃないとそう見て貰えたらしいことに内心ほっと安堵する。
いつもの事、兄妹同士の少しきつい言葉のただのじゃれ合い。
そう思ってもらえれば、それでいい。
私は兄に軽く手を振って、教室を出た。
口元にだけ笑みを貼り付けながら、速足で廊下を進んでいく。
そうして辿り着いたのは、教室から一番遠い女子トイレ。
個室に入って、しゃがみこんだ。
――笑うしか能がない
そう思われていたことに、それしか私には価値がないと思われていたことにショックを受けていた。
それまで持っていた、兄への尊敬の気持ちががらがらと崩れていく。
――事実なんだからさ
事実を事実といっただけ。
そこに、気遣う心はなく。
だから気付いてしまった。
私は、兄にとって、家族という名の何も出来ないただの一人の人間なんだという事に。
分かってる。
兄は、悪気があって言ってるわけじゃない。
でも、悪気があった方がどれだけ救われたか。
「ただいまー」
一日をなんとかやり過ごして帰宅した私は、玄関に入った途端、母親から静かにするよう口に人差し指をあてられて首を傾げた。
「どうしたの?」
意味の解らないまま声を潜めて問いかければ、リビングに入ったところでやっと母親が口を開く。
「お兄ちゃん、来週、塾の試験でしょ? 静かにしてあげましょ?」
「……え、試験? この時期に何だっけ」
受験生ではあるけれど、まだまだ遠い。
中間・期末でもないのに、何だろう。
鞄をソファに置いて腰を下ろすと、飲み物の準備をしていた母親が窘めるように言う。
「お兄ちゃんは、通ってる塾以外にも模擬試験受けに行ってるのよ。桐子は行ってないから知らないものね」
「あー、そうなんだ」
「そう、大変でしょ? だから協力しましょうね、家族なんだから」
「あー、うん」
頷きながら手元に視線を落とすと、母親は話は終わったとばかりに用意した飲み物とお菓子をのせたお盆を持ってリビングから出ていく。
兄の部屋へと、持って行くらしい。
膝に両肘をついて、頭を抱える。
やだな。被害妄想強くなりそう。
いままでもずっと言われてた、”家族だから”。
夏休み中、兄が塾にずっと通っているからという理由で小学校高学年から行けなくなった家族旅行。
兄の気が散るからという理由で禁じられた、テスト期間中の電話。
でも私の高校受験中、兄は何でもなく遊びに行き、なんでもなく自宅で電話をする。
それをとがめる事もない、両親。
一度茶化し程度に聞いてみたら、「外で話してて風邪ひいたら、お兄ちゃん可哀想でしょ?」と返ってきた。
私は、その頃携帯を持っていなかったから、昼でも夜でも必要な電話をしに公衆電話まで行ったのに。
それでも、兄が好きだったから、理不尽さを感じながらも期待され続ける兄の大変さも理解していたから我慢してたし、仕方ないと思ってた。
両親だって兄で初めての子供の受験を経験するわけだから、どうしたって私より気を張ってしまうんだもの。
分かってる。
私をないがしろにしてるわけでも、軽んじてるわけでもない事くらい。
でも。
――笑うしか能がない
色々なものが、崩れた。
些細なことかもしれない、くだらない理由かもしれない。
文句を言えばいいだけなのかもしれない。
それでも、頭のいい兄に言葉で勝てるはずもなく。
文句を言えば、言いくるめられて余計イライラが募る。
なら。
私はため息をついて、窓から空を見遣った。
期待しなければいい。
私も家族なのにって、そう思わなければいい。
一歩引いたところで、八坂という家族を見ていよう。
くだらない事で、悲しい思いなんてしたくない。
期待に応えていくだろう兄を、それで喜ぶ両親を、私は蚊帳の外から眺めていればいい。
確かに些細な事だけれど。
もう、疲れちゃった。
――心の中で、可視化した線を自分と家族の間に引いた
ここで終わるのはなんとなく微妙な気分なのですが、
多分今週はこれにて終わり……な気がします。
すみませんです><
過去話はこの一話のみ。




