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だから、なに?  作者: 篠宮 楓
異世界に飛びまして。
15/22

10 表名


食事を終えて侍女さん達が食器を下げた後、ソファセットの方に戻った私の目の前にシスは一枚の紙を差し出してきた。

表面のざらついた紙にしては荒い風合いのそれは、学生の頃によく使ったわら半紙によく似ている。

思わず手に取ったそれを懐かしさから指先でこすっていたら、青をゆっくりと流したような色合いのガラスのペンが目の前に差し出された。



「トーコ。ここに、名を書いてくれんかの」

「名前?」


促されるままにガラスペンを受け取った私は、横から差し出されたインク壺に思わずペン先を浸す。

浸したのはいいけれど、どうしようか。

うん、流されてるけど凄く大切な事があるんです。



「私、言葉は通じますけど……書くことはできないんですが……」



脳内でこちらの言葉を元の世界……日本語に変換して聞いている(らしい)だけで、本来のこちらの国……セネトの言語は分からない。

シスは、私の疑問を最初から想定していたように頷いた。

「トーコの世界の言葉で、書いて欲しい。やさか・とーこと」

そこで、脳裏に茶髪野郎……改めラグがさっき言っていた言葉が思い浮かんだ。


異世界オタク……か。

まんま魔法使いみたいな恰好で、異世界オタク……。

期待を裏切らん。


内心笑いながら、ガラスペンをにぎりなおした。

そしてテーブルに置いた紙にペンを走らせようとして、止める。

多分、漢字で書くのが私的には一番馴染みがあるんだけれど……。


私は少し考えて、上から「やさか とうこ」「ヤサカ トウコ」「八坂 桐子」と三つ書いた。

書き慣れないガラスペンや少し荒めの紙面に、何か所かインクを滲ませながら。

こういう風に書くことによって、興味を惹くことができる。


シスの、異世界への興味を。


「お前、名前を三つも持ってるのか?」


書き終えた紙をシスに渡すと、それを覗き込んでいたラグが微かに驚いたように声をあげた。

私はそれに首を横に振る事で否定し、同じような疑問を持っているだろうシスを見る。


「元いた世界の私が住んでいた国は、一番上のひらがな、二番目のカタカナ、三番目の漢字、この三種類を日常の言語として使っていました」


「三種類も?」


ハルの言葉に、小さく首を傾げる。

「細かく言えばローマ字とかもあるけれど……。でも、一番最初にならう言葉は”ひらがな”です」

一番上の”やさか とうこ”を指さしながら、もう一度自分の名前を読み上げた。

こんなに何度も自分の名前を言うなんて、どれくらい振りだろう。


シスは先程までの雰囲気をがらりと変えて、興味深げに私の名前が書いてある紙を穴が開くほど眺めている。

そこで私はガラスペンをシスに戻しながら、反対にお願いをしてみた。

「この世界では、私の名前、どういう字になるんですか?」

話す事は出来ても、文字を書くことが出来ない。

それは、ここで暮らしていくにはとても不便だ。


シスはペンを受け取ると、漢字の下に英語の草書体の様な線がのたくったような文字を書いた。

「この国の言語はただ一つ、セネト語のみでな。周辺の国と同盟関係を組んでいるが、公用語もセネトじゃ。ゆえに、トーコはセネト語を覚えれば文章を書くことも読むことも出来る」

言語が一つ、それは嬉しい!

暗記力は皆無だからね!

シスはペンをテーブルに置くと、私にもう一度紙を向けた。


「一音一語であらわされるものもあれば、熟語としての綴りもある。ここに書いたのは、一音一語の方。名前は呼び名のみだからこれで通じるが、文章として意思疎通は出来ない」


今は懐かしい英語の草書体が、一番似てる。

てことは、英語を習うと思って頑張ればできない事はないのかな。

文法とか、難しいけれど。

英語のテストの点数を思い出して、若干落ち込む。

でもまぁ、楔形文字とかそういうのじゃないだけいいか。



シスは私から紙を受け取って、テーブルに戻した。

それを目で追っていただろうシスが、何か気付いたように顔をあげた。


「そうだ。異世界の者とはいえ、名を他人に知られるのはあまり勧めない。トーコにも表名をつけねばな」

「表名?」

シスは紅茶で口を湿らせると、小さく頷いく。

その仕草に、白いひげが微かに揺れた。



「本名は真名、もしくは裏名と呼ばれていてな、対になる公表している名を表名と呼んでおる。儂で言うなれば、シーダスが本名で表名がシスという感じじゃ」

「あぁ、さっき言ってたことですね。でも、私にもそれは当てはまるんですか? ここの世界の者ではないのですし、本名で呼ばれても特に問題ないと思いますけれど」

「あの」

突然割り込んできた声に、シスと共に視線を向ける。

私の横……必然的にハルくんなんだけど、彼がおずおずといった風体で口を開いた。


「あの、”トーコ”さん」

「?」

名前を呼ばなくても、呼びかけの相手が私だという事くらいわかるけれど……。

すぐ隣りにいて私を見ながら私の名前を呼ぶハルくんを不思議そうに見遣ると、彼は小さく頷いてふたたび口を開いた。


「あのですね。名前を知られてはいけないっていう大きな理由は、本名に呪や術を込めて発動させられてしまうと逃れる事が難しいからなんです」


ん?

いきなり、魔術とかの話になったぞ?

表名が裏名がとかいう問題ではなくて、話が複雑になりそうで私は少し体をハルくんに向けた。


「今、動きを止める術を込めて、貴方の名前を呼びました。けれど、トーコさんには効いていない。それは多分、本名である”トーコ”のイントネーションが本来のものと違うからだと思います。この世界にない言語だから、トーコさんと同じように我々は呼ぶことができない。だから、名を媒介にした術はトーコさんにきかない」

「なら……」


そう言いかけた私の言葉を遮るように、ですが、とハルくんが話を続けた。


「もしかしたら、トーコさんと同じ場所からこちらに来た人がいるかもしれない。その人の背後に、魔術師がいるかもしれない。いや、その人自身がそうかもしれない。”もしも”を考え始めると、際限なく出てくるものなんです」


私は微かに開いたままだった口を、ゆっくりと閉じた。


分かり易く伝えられる言葉は、私に反論の余地を与えない。

貴女には、その”もしも”に対抗する術が、無いでしょう? と。

そう言われている事は、私にも感じ取れる。

なら――


「そう、だね。名前を隠す事でそれを回避できるなら、そうするべきだね」


――そう言うしかない。



ハルくんは少しホッとした表情を浮かべて、シスに視線を向けた。


「こちらの名前で付けてもいいでしょうが、異世界人だという事は共にいればわかります。トーコさんに決めて貰えばいいのでは?」

ハルくんの言葉を受けてシスは、深く頷いた。

「トーコ、何か希望する名はあるか?」


って、いきなり言われても。

「名前、ですか」

本当は……

「……」

思い浮かべた考えを、目を一度瞑る事で脳内から追い出す。

そうして思いついたのは、幼い頃よばれていたあだ名だった。



「では、キリと呼んでください」

「キリ?」


私は頷くと、テーブルに置いたままだった名前を書いた紙の漢字の部分を指さした。

「桐子の桐という字は、キリとも読みます。ですので、キリと」

桐子と同じく、キリという名前も馴染みがないのだろう。

ラグと同じイントネーションで、と伝えれば、何度か口にして呼べるようになったようだ。



「キリさん、ですね」



にこりと笑って名前を呼ぶハルくんに、私もつられるように笑みを浮かべて頷いた。

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