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プロローグ 『“ぼく”の記憶』

 遠い昔の記憶。ふわふわと、薄く緑がかった液体の中に、ただ浮かんでいたことを覚えている。

 これだけの記憶なら、母親のお腹の中に居た頃の記憶なんだろうと、無理やり自分を納得させることも出来たかもしれない。


 でもぼくは、水槽越しに見た様々な景色を、鮮明に覚えている。


 耳に入ってくるのは、こぽこぽという水音と、たくさんの人の話し声。それから、無機質な機械の音声。鮮明に聞こえるそれらは、変わり映えしない。

 ガラス越しにぼんやりと見えるのは、たくさんの大きな機械を忙しなくいじっている、これまたたくさんの白衣の人間。なんのためか、時折ぼくらを見にやってくる、優しそうな顔のひと。

 あと……ぼくと同じように、ガラスの水槽のような透明な円柱の入れ物の中で、同じようにふわりふわりと緑の液体の中に浮かんだ、ぼくの大切な“キョウダイ”たち。

 “キョウダイ”たちは、ぼくとは違ってほとんどが眠っていた。その、“キョウダイ”たちの中には人のカタチをしていないものもいた。それなのに、どうしてあの子たちを“キョウダイ”だと認識していたかなんて、ぼくにもわからない。

 ただ、ひどく愛おしい感情……所謂、兄弟愛なんてものを抱いていたような気もするけれど。残念ながら、ハッキリとは覚えていない。


 目が覚めていても、自由になるわけでもなく、自分で動くこともできない。だから、ぼくはただただガラス越しの景色を見ているだけだ。

 そんな日常が長い間続いて、いつからかぼくは、退屈なんて感情を抱くようになった。

 自由になった今わかるのは、なにもできないのに意識があるなんていうのは、ひどくもどかしくて、つまらないことだということ。今、またあんな風な状況になったら、すべてを壊してしまうだろう。

 とにかく、それくらい退屈でたまらない日々だった。


 だけどそんな退屈な日々は、たった一人の“侵入者”の手によって、いとも簡単に崩された。


「侵入者!? ……っ! お前は……!」


 ガラスの割れる音。叫び声。機械から聞こえる、システムエラーの警報。けたたましいアラート音。水の中でも、これだけ聞こえたんだ。外はそれ以上に、騒がしかったに違いない。

 いつもと違う外の様子と、耳を裂くような騒音に、何人かの“キョウダイ”たちも目を覚ましていた。

 初めて見る世界を、ぼんやりと不思議そうな顔で眺めている、寝ぼけ眼の“キョウダイ”たち。それにまざって、ぼくもただぼんやりと、外の様子を眺めていた。


 この人は、ぼくを解放してくれるのだろうか? なんて、頭のどこかで考えながら。


 突然やってきたその“侵入者”は、武器一つ持たない丸腰だった。

 それでも、鮮やかな動きで白衣の人間を次々と眠らせていく。本当は、殺していたのかもしれないけれど、ぼくには眠らせているように見えていた。

 ひらひらと蝶が舞うかのように戦う“侵入者”は、とても美しかった。思わず吐いた息に、こぽこぽと泡があがっていった。


「……これで全部、か」


 やがて、白衣の人間を全て眠らせた“侵入者”は、小さな呟きと共にため息を吐く。

 それから、何かに気がついたかのように顔を上げて、ぼくの方を見た。

 ぼんやりと“侵入者”にみとれていたぼくとは当然、目が合った。

 黒のニット帽、黒いロングコート、黒いブーツ、黒い手袋。全身を黒一色で覆った“侵入者”の、唯一鮮やかな紫色の瞳を見た瞬間、ぞわりと体が震えた。

 恐怖とは違う、言いようのない感覚に取り付かれ、戸惑うぼくを、その紫の瞳は静かに見つめていた。

 他の何万といる“キョウダイ”たちなんかには目もくれず、ただ、ぼくだけを。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……みつけた。僕の大切なかぎ


 “侵入者”は、ぼくを見つめたまま、そう小さくつぶやくと、わずかに瞳を細めた。

 どういう意味だろうか、とぼくは考える。その間に“侵入者”は、僕に背を向け、唯一壊れていなかった、大きな機械に触れていた。

 そこでぼくの意識は途切れている。あのあと、あの場所や白衣の人たちがどうなったのかなんて、知るわけがない。

 でも、未だに引っかかっているところはある。

 あのときのぼくは、あのひとの言葉の意味を必死に考えていて、表情にまでは気を配れなかった。

 だけど、あれは。瞳を微かに細めた、あの表情は、“笑み”だったんじゃないかって。

 それに、あのときからずっと考えているけれど、あのひとの言った“かぎ”とは一体、どういう意味だったのだろうか。

 あのひとはなぜ、あの大きな機械を操作できたのだろうか。

 考えれば考えるほど、わからなくなっていく。あの“侵入者”の行動は、あまりにも奇妙だったから。

 けれどもし、あの時あのひとが笑っていたんだとしたら? “かぎ”とは鍵を意味しているのだとしたら?

 どうして、ぼくを見て笑ったのだろうか? そしてどうしてぼくを、“かぎ”と呼んだのだろうか?

 あの人はなぜ、たくさんの白衣の人間たちを襲い、ぼくを解放したんだろうか?

 あのひとの目的は、なんだったのだろう。


「アサガオ、飯ができたぞ。早くこないと、無くなる」

「あ、はーい! いまいくよ」


 答えはきっと、ここにはない。

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