わたくしは毒味係ですので、貴方の妻にはなりません。
人生はじめて書いた短編ですので、もしかすると微妙かもしれませんが、生暖かな御目で読んでいただければ幸いです。
「これは仕事よ。何を勘違いなさっているのかは知らないけれど、あまり図に乗らないでちょうだい」
わたくしネロ・ウォルターは、銀の毒味匙を一旦テーブルに置いた後。眼前の、銀の髪を腰まで伸ばした殿方――テイヌス・ジャックウィニス様を半眼で見上げましたの。
テイヌス様は、わたくしの幼馴染みであり、この国でも指折りの権勢を持つ名家の殿方。そして、わたくしが毒味係として仕える主でもありますわ。
「ふっ。俺が本気で図に乗っていると思っているのか?」
普段通り、淡々とした声音で告げるテイヌス様。
しかし、彼は少々面倒臭い方でして。本当の気持ちを素直に吐き出せないようなのです。
現に、ほんの少しだけ卓の縁を握っている指先が、微かに震えております。
ですが、わたくしは優しいので、それには気づかないフリをして差し上げましたわ。
だって、気づいたところで面倒臭いだけですから。
それに――
「ええ。貴方は毎度、お戯れがすぎますもの」
「ならば、どうすれば俺の妻になってくれるんだ?」
「ふふっ。何をバカげたことを。毒を盛られる立場の方が、それほどまでに余裕でいらっしゃって良いのでしょうか?」
「余裕があると本気で思っているのか? いつ毒を盛られて死ぬか、わからない身だ。俺に余裕なんて一切ない。だから言っているんだ、ネロ。俺の妻になれ」
そう言って、何かとわたくしに妻になれと言い寄ってくるのですわ。
「わたくしとテイヌス様は元、幼馴染み。ですが、今はただの毒味係とその主。それだけの間柄でしかありませんの。わたくしを弄んでも何も面白いことは起こりませんわよ?」
わたくしはそう言った後、毒味役のお仕事を再開させました。
一口サイズの小料理と冷前菜や温前菜は異常なし。
とはいえ、暗殺者もバカではないのです。固形物に毒を混ぜることは基本しませんわね。
わたくしは、三品の毒味をした後、スプーンを握る手に力を込めてしまいました。
もし毒を盛るならば、一番可能性の高いのがスープ。
わたくしは、ジャガイモのポタージュ・パルマンティエをじっと見つめた後、ソッとスプーンで掬いました。
匙の上で重く揺れる白濁したポタージュ。わたくしはそれを静かに口へと運び――
「……本日も、スープに異常はありませんわね」
コクンッと喉を鳴らして飲み下した後、テイヌス様へ報告させて頂きました。
そして、そのまま他のお料理や酒杯も同様に毒味を済ませ、すべての料理に毒が入っていないか、確認を終え、ホッ……。
良かった。本日も、毒が入っておりませんでしたわね。
……良かった? 何故、わたくしは良かったと思ったのでしょう?
……いえ。これは、毒味役が一番命を落としやすいがために、自身の命が今日もあるという安堵ですわ。
ええ。間違っても、テイヌス様のお皿に毒が盛られていなくて安心した、という訳では決してありません。
きっと、そうです。いいえ、きっとではなく。断じてこれは、テイヌス様の身を案じたがゆえの安堵では御座いませんのよ。
「では、わたくしの仕事は終わりましたので。食事の方、進めていただいて結構ですわ」
わたくしは、そう言ってすぐにテイヌス様の元を離れようとしました。
しかし、どうしてでしょうか?
「なんだ。もう行くのか?」
テイヌス様は、どうしてか普段よりほんの少し、寂しげにも聞こえる声音で問いかけてきたのです。
「ええ、勿論ですわ。わたくしの仕事は毒味ですのよ? テイヌス様のお食事にお付き合いする義務なんてありませんから」
「……そうか」
「では。ごゆるりと」
わたくしはそう言って、テイヌス様に背を向けダイニング・ルームを後にさせていただきました。
◇◆◇
後日のこと。わたくしは用事があり、街の薬屋に赴いていました。そこで、最近テイヌス様が夜通し職務をなさっていると小耳に挟みましたので、寝付きをよくするハーブや、疲労回復に効果があるとされる薬草を少々購入させていただきました。
「ふぅ……。テイヌス様はお食事以外、決まってお仕事ばかりなされておりますから。少しはこれでお休みになられてくだされば良いのですが……」
わたくしはそんな独り言をぽそりと呟きながらも、待たせていた馬車へと戻ろうといたしました。
しかし、タイミングが良いのか、悪いのか。ふと、どこかのご令嬢の噂話が耳に入ってきましたの。
「お聞きになられて?」
最初は、特に気に留めず。そのまま馬車へ戻ろうとしたのですが、次に聞こえた内容に、わたくしは思わず足を止めてしまいました。
「ええ。ロイドライト公爵様の毒味係が、毒入りの酒杯を口にして、危篤状態にあらせられるってお話ですわよね?」
「そうですのよ」
「本当に、最近物騒ですわね」
それを聞いたわたくしは、背筋にひんやりとした汗を一筋、ツゥと流してしまいました。
その理由はわかりません。けれど、どこぞの公爵様が命を狙われたということは、遅かれ早かれ、再びテイヌス様の身に、危機が迫るということ。
わたくしはテイヌス様の毒味係であり、彼をお守りする義務があります。
もし何らかの理由でそれができず、彼の口に毒を運ばせるようなことがあれば――
「それだけは、絶対に嫌ですわ……」
……? 絶対に嫌?
……ち、違いますわ。わたくしは何を言っているのかしら?
そもそもわたくしは毒味係なのですから、そのような心配などしなくていいのですわ!
万一などありませんの。だってわたくしが、テイヌス様のお口に運ばれるすべての品を毒味するのですもの。そのような不測の事態なんて起こり得ませんわ。
ええ、絶対に。だから……だから。彼が危篤状態になることなんて……有り得ませんわ。
わたくしはそう内心で何度も繰り返しながらも、すぐさま馬車へと乗り込み、テイヌス様の元へ急ぎ戻らせていただきました。
◇◆◇
その日の夜。酒席にて――
「こちらのカナッペは問題ありませんわね。それと、こちらのエスカベッシュとトウルヌド・ロッシーニの方も、特に異常はありませんわね」
いつも通り、わたくしはテイヌス様の夕食の毒味をさせていただいておりました。
ですが、昼頃に聞いてしまった御令嬢のお話のせいでしょうか?
いつもよりも時間を掛けて毒味の方をしてしまったようです。それに痺れを切らしてしまわれたのでしょう。
「ネロ、今日は随分と念入りに毒味をするんだな?」
そう言ってテイヌス様が、自然な様子でまだ検していない、酒杯へと手を伸ばしてしまわれたのです。
そのあまりにも自然な素振りに、わたくしは一瞬、見逃しそうになりました。
ですが――
「そちらはまだ検しておりませんわ!」
わたくしは、声を荒らげながらも、思わずテイヌス様が手にした酒杯を払ってしまいました。
カランッとダイニングテーブルに転がり、クロスを染め上げていく蜂蜜酒。しかし、わたくしはそれに意識を回す余裕なんてありませんでした。
「テイヌス様、なぜわたくしが検する前に、そちらの杯に手を伸ばしたのですか!? もし、毒が入っていた場合、死んでしまうのですよ!?」
ただ、テイヌス様に怒りをぶつけることしかできなかったのです。
ですが、テイヌス様にはわたくしの行動原理など理解できなかったのでしょうね。
「なぜ、そんなに怒る? まさか、酒杯に毒でも盛ったのか?」
まるで当て擦るような、冷たい口調でそう告げてこられました。
その瞳はどこか冷えきっており、青の瞳が凍えたナイフのように、わたくしを鋭く見据えているような気がします。
けれど……そんなわけないじゃないですか。わたくしが、テイヌス様に毒を盛る理由なんてひとつもありません。
ですが、テイヌス様からすれば、そう見える理由でもあったのでしょう。
何故、貴方はわたくしまで疑うのでしょう?
チクリと痛む胸。その理由なんてわかりません。けれど、きっとテイヌス様に疑われたのが心外だったのでしょう。
ですから、
『わたくしがなぜ、貴方を毒殺する必要があるのでしょう!?』
一瞬、そう言いそうになりました。
けれど、喉元から出そうになったその言葉を、わたくしは飲み込みました。
だって……。そのようなことを言ったところで、きっと彼は信用などしてくれないはずですから。
それに、万一テイヌス様がお手に取った酒杯に毒が盛られていた場合、疑われるのはどの道わたくし。
いくら毒を盛っていないと訴えたところで、考えるよりも先に、テイヌス様がお手に取った酒杯を払い落としてしまったんですもの。
わたくしが毒を盛ったからこそ、払い落とした。そう思われても仕方のないことでしょう。
ならば……。
わたくしは、自身が毒を盛っていないことを証明するため、大半がダイニングテーブルに零れてしまった酒杯を手に取ると、普段通り毒味をしようとグラスを口元に近づけました。
震える指先。もし、昼間の御令嬢たちが噂されていた通り、この酒杯に毒が混入されていたら……。そう考えるだけで、生きた心地がしません。
ですが、わたくしはテイヌス様の毒味係。意を決して蜂蜜酒を口に含みました。
しかし――
「……毒は、入っておりませんわ、ね」
わたくしは、若干言葉を詰まらせながらも、テイヌス様にご報告させていただきました。
「そうか。しかしならば、なぜ? お前は俺が手にした酒杯を振り払ったんだ? それに、俺が皮肉を告げた時、なぜ、すぐに否定をせず毒が入っているかもしれない酒杯に口をつけた?」
「それは……」
わからない。なぜ? と問われても、わたくし自身が知りたいことです。
なぜわたくしは、毒も入っていないにも拘わらず、考えるよりも先に体を動かしてしまったのでしょうか?
ただ、テイヌス様が口にされ、万一のことがあれば……。そう思うと、居ても立ってもいられず。
そう、ただ……それだけのことですわ。
「なぜ黙る? それは、なんだ?」
「……わ、かりませんわ。ただ、毒味係として、テイヌス様の身を案じただけのことなのでしょう」
「毒味係だから、か。ネロは昔から、自分の本心を隠すのだけは上手いよな?」
「……なんのことでしょう? わたくしは、本心を隠してなどいませんわ。いいえ、テイヌス様が本心を隠すのが下手だからこそ、そう思われるのでは?」
「ふっ。俺が本心を隠すのが下手だと? なぜそう思った?」
「だって以前、毒に怯え手を震わせながらも、わたくしにお戯れのご冗談を口になさっていたではないですか。あれは、毒が怖くて、近くにいたわたくしを弄び逃避していたのでしょう?」
「……はぁ。お前、本気でそれを言っているのか?」
呆れた様子で額に軽く手を当てるテイヌス様。
しかし、なぜ彼がそのような反応を示すのか、わたくしには理解できません。
ですから、思った通りの本心を告げさせていただきました。
「ええ。それ以外で、わたくしにあのようなことを言う必要性など御座いませんでしょう?」
ですが、何を思ったのでしょう? いいえ。きっと、再びお戯れにでも興じてしまったのでしょう。わたくしには一切理解できないことを口走りはじめたのです。
「俺の手が震えていたのは、お前に断られるとわかりながらも、本心を打ち明けていたからだ」
「……えっと?」
どういうことなのでしょうか? テイヌス様がわたくしへ、ずっと妻になれと言っていたのは、毒殺されるかもしれないという、現実から目を背けるための逃げ道だったのでは?
わたくしは、テイヌス様が何を仰っているのか理解できず、その場で唖然としてしまいました。
そんなわたくしに対し、何か思う節でもあったのでしょう。
テイヌス様が突然、自身の胸元へとわたくしを引き寄せたかと思うと、いつもとは異なり、真面目な表情でこう告げてきたのです。
「最初は、お前を傍に置いておけるのならばそれでいい。そう思っていた。どうせ、毒殺されるんだ。この気持ちは実らないと。だが、今日で確信した。お前は俺が思っている以上に危なっかしくて、毒味係など続けさせられない」
瞬間、わたくしは悟りました。
やはり、先ほどの発言は御戯れであり、今からされるのは解雇の打診であると。
ですが、テイヌス様がお決めになられたこと。わたくしに拒否権など御座いません。
ですからわたくしは、潔くその打診を受け入れることにいたしました。
「……そうですわよね。短い間ではありましたが、わたくしはテイヌス様の毒味係ができて、とても光栄でしたわ」
しかし――
「違う、そうじゃない」
「……へっ?」
「お前は早とちりをしすぎだ。しかもネガティブな方に」
「いえ、えっと……ですが、この流れは解雇の打診なのではないでしょうか!?」
「ああ、毒味係と主の関係は終いだ」
……ほら、やっぱりそうではありませんか。
なのに、違うだなんて勿体つけて……。テイヌス様なんて大っ嫌いですわ。
わたくしは、どうしてかじゅくじゅくと痛む胸元をほんのりと抑えながらも、テイヌス様から身を離そうとしました。
けれどテイヌス様は、そんなわたくしの行動を制するようにして、強く抱き寄せながらも、言葉を続けるのです。
「ネロ、俺は――」
けれど、解雇の打診などわかりきっているのです。それ以上なんて聞きたくありません。
「嫌ですわ! わたくしはそれ以上、テイヌス様のお口から何も聞きたくありませんわ! 離してくださいませ!」
「ネロ、勘違いをするな。そしてよく聞いてくれ」
「嫌ですわ!」
そう拒絶を示すわたくしの気持ちに、ようやく気づいてくれたのでしょう。
テイヌス様は、わたくしから手を離してくださいました。
……よかった。これで何時でも逃げることができますわ。
わたくしは、小さく安堵の息を漏らすと、そっと一歩。テイヌス様から距離を取ろうと後退りました。
しかし、再びテイヌス様がそれを阻もうとするのです。
わたくしの頬へと両の手を伸ばし、無理やり視線を交わそうとしてくるテイヌス様。
その瞳はいつもとは異なり、若干震えを帯びているような気がします。
しかし、震えながらもテイヌス様の青の瞳は、怖いくらいわたくしを真っ直ぐに見つめておられるような気が……。
……いいえ。これは、わたくしの勘違いなのでしょう。
わたくしはそう思いながらも、テイヌス様から視線を逸らそうとしました。
ですが、それを許してはくれないみたいです。むしろ、わたくしを逃がさないと言わんばかりに、テイヌス様は言葉を継ぐのです。
「ネロ。俺は本気で、お前を妻に娶りたいと思ってる」
真っ直ぐわたくしを見据えながらも、逃げ場を塞ぐように紡がれる低い声。
その声に身動きを封じられてしまうようにして、わたくしは何も言葉を返すことはできませんでした。
けれどテイヌス様は、そんなわたくしのことなど気に留めることなく。更に言葉を紡ぐのです。
「だから――毒味係と主の関係は今日で終いだ」
「……」
「ネロ、俺の妻になってくれ」
真剣な眼差しで告げられたその言葉。そこからは、戯れのような意思は感じられません。
ですが、その言葉を信じていいのか……わたくしにはわかりません。
「……それは、本気……なのでしょうか?」
「……ああ。むしろ、本気じゃないと思わせている根拠はなんだ?」
……根拠。そんなもの、わかりませんわ。
ただ、テイヌス様はわたくしなんかよりも、もっと素敵な御令嬢と結ばれることも可能なのです。なのに、こんなわたくしを本気で娶りたいなど……有り得るわけがないでしょう?
ですが――
「……その言い方は、ずるいですわ」
「ズルい、だと? ふっ。俺の告白を散々断っておきながらズルいとは。ネロ、お前の方がズルいんじゃないのか?」
「……」
「で、返事はまだか? 勿論、“はい”以外は受け付けないがな?」
「……ほんと、テイヌス様はずるい殿方ですわね。こんな……断れないような言い方、なさるなんて……」
「俺は、さっき言ったよな? “はい”以外は受け付けないと。ネロの気持ちをまだ聞いていない。お前は、俺の妻になる気はあるのか?」
わたくしは、真っ直ぐな眼差しで見つめてくるテイヌス様の瞳をじっと見つめ返しながらも一拍。
本当に……貴方という人は……。
早まる鼓動を必死に抑えながらも、テイヌス様のお言葉に返事をさせて頂きました。
「……仕方ないですわね。わたくしの負けですわ。なので、妻にするなり、焼くなり、テイヌス様の好きになされればよろしいです、わ……」
「ふっ。まあ、今は及第点と言ったところにしておいてやろう。しかし、お前の口から“はい”と絶対に言わせてやる。覚悟しておくんだな?」
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