5 そうして彼女はここへ来た
クインティーナ視点。
物心付く前から、クインティーナには大地を彷徨う魂が見えていた。
しかしそれは手を放せば林檎が大地に落ちるくらい当然な事で、クインティーナにとって特別ではなかった。
身体の一部がひしゃげていたり、落ちくぼんだ目でブツブツ喋り続けたりする魂は恐ろしかったが、母にしがみ付いて丸まれば平気だった。周囲に怯えて母親から離れないクインティーナ。大人達はそんなクインティーナを、期待を込めて見守っていた。
大人に見えていないものに怯える子は、聖人の可能性があったから。
子供は大人の気を引く為に平気で嘘をつく。凡人か聖人が判別が付かないので、七つまでは神のうちとおかしな発言をしても気にしないとされていた。成長して分別がつく七つが過ぎた頃、そこでようやく聖人かどうかの判別が始まる。
聖人に憧れて嘘をつく者もいるが、教会には特別な仕掛けがあるらしい。我こそは、この子こそ聖人と思われたものは、自らの足で教会へ向かう。
多くの者が教会に足を踏み入れるが、虚偽を貫き通す事は許されず、聖人として認められるのは一握りしかいない。
本来だったらクインティーナも、教会で聖人の証明を受けるはずだった。
そうならなかったのは偏に、母が教会に対して懐疑的だったのと……ペルデュラン男爵家長女、テレーザがクインティーナを気に入っていたからだ。
同じ年に生まれた二人は、何の偶然か同じ赤毛だった。
主人の娘と使用人の娘。立場は対極の二人だったが同世代の同性は自然と結びつき、クインティーナはテレーザの遊び相手になった。
幼少の頃は、姉妹だと勘違いするほど一緒に過ごした。
そう、二人はいつも一緒だった。
遊ぶ時も、学ぶ時も。
テレーザが勉強をサボらぬよう、切磋琢磨する相手としてクインティーナも同じ教師の下で同じ学びを得た。
その結果、クインティーナは。
『いいわ。いいわよクインティーナ。平民の侍女なんて想像できないくらい綺麗な姿勢よ!』
貴族令嬢として遜色ない立ち振る舞いを身につけていた。
『スカートで見えなかろうが足を揃えて傾ける角度。テーブルと身体の位置。カップを持ち上げる所作。そう、握るのではなく添えるの。優雅。実に優雅。この立ち振る舞い、文句なしの淑女!!』
ライコア家の中庭には大きな庭園があり、その一角には白いガゼボがある。
中庭を一望できるガボゼには一人分のティーセットが並べられ、クインティーナはそのガゼボで優雅にティータイムとしゃれ込んでいた。
そんな彼女の回りをふわふわと彷徨う白い衣。
日の光と一緒にキラキラ揺れるそれは、まるでレースのカーテンのようだ。
よく見ると胸元を真っ赤に染めた女のネグリジェなのだが、彼女……亡くなった四人目の妻アイヴィーは、とても晴れやかな表情で淑女の真似事をするクインティーナを鼓舞している。
(褒めて頂くのは嬉しいのですが……こんなに沢山褒められては、笑いそうになってしまいます)
そして両手の親指と人差し指を立てて、交互に構える姿勢はなんだろうか。何故その構えでクインティーナの回りを飛び回るのだろう。なんでだろう。笑いを堪えるのが大変厳しい。
今笑えば、控えている侍女に不審に思われてしまう。
流石侯爵家と言うべきか、使用人達の数が多い。当たり前のように、侯爵夫人になったクインティーナの傍には使用人が複数控えている。
不審に思われないよう、口元が歪まないよう気を引き締めて、クインティーナは林檎の香りのする紅茶を口に含んだ。
ライコア家への嫁入りから三日。
クインティーナは思ったより平穏に、日々を過ごしている。
ニリスとは本当に、愛する気はないと告げに来た初夜から会っていない。
驚いた事に、生活習慣も行動範囲も異なるらしい。この広い侯爵家にいるというのに、遠目に見かける事もない。
これが通常だと教えてくれたアイヴィーがいなければ、テレーザとの身代わりがバレたかと気を揉む事になっただろう。
ニリスだけでなく、クインティーナにもまた、探られたら痛い腹がある。
それもあってニリスが殺人犯だと確信を得てからは、使用人含めて信用できる人間がいなくて恐ろしかった。食事だって、何が入っているか分かったものではない。四人目のアイヴィーが、毒殺されたなら尚更に。
そんな中でクインティーナが落ち着いていられるのは、アイヴィーのおかげだ。
アイヴィーは物に触れる事も、クインティーナ以外の人間に声を届ける事もできない。
だが見ただけで毒が入っているか判別する事ができた。
(おかげさまで毒を気にせず飲食できますが……『生前はこんな特技なかったから、きっと毒殺された影響ねー!』と笑顔で言われては、反応に困ります……)
苦笑しか返せなかったが、どう返すのが正解だったのか未だにわからない。
ちなみに怪しい動きをしている者がいないか目を光らせるアイヴィーは、魂だから頭を突っ込めばポケットの中身も確認できた。
思い立ってすぐに、お試しだと控えている侍女のスカートに頭を突っ込んだ姿を見た時は耐えきれず動揺してしまった。侍女としてポーカーフェイスを身につけていたクインティーナも、その奇行には動揺した。二度見するのを耐えただけでも儲けものだ。
突飛な行動をするアイヴィーだが、手助けをすると約束してから、クインティーナの為に休む間もなく飛び回ってくれている。
現状すぐ逃げ出すことは難しいと判断して、逃走経路や見張りの巡回経路など、情報を集めてくれていた。壁もすり抜けられるので、身を潜められそうなちょっとした隙間も確認済みだ。
ちなみにクインティーナがこうして部屋の外に出ているのも、アイヴィーの指示である。周囲に散策が好きだと認識させて、今後出歩いていても違和感を抱かせない為の布石だ。
『日常の平行線で決行した方が、バレにくいわ。だから今のうちに、外に出てお茶をするのが好きな淑女として印象に残っておくの』
クインティーナが行動する事で周囲がどう動くのか。それに関してもアイヴィーが周囲に目を光らせてくれるので、クインティーナは比較的穏やかに侯爵家で過ごせている。
(感謝してもしきれません)
ライコア家へテレーザの代わりに嫁げと言われた時は、過酷な生活を覚悟した。
四人の妻を死なせたと囁かれているライコア侯爵家。悪評ばかりのかの家がそれでも妻を望むのは、聖人の血筋と侯爵家の後継者と、何としても血筋を残さねばならない家系だったからだ。
何より、確かに四人の妻は早世したが、侯爵が殺害したという証拠がない。
証拠がないから、誤解があるかもしれない。
噂だけがライコア家に纏わり付いていた。
誰もが五人目になるのを嫌がった結果、嫁入りの話はペルデュラン男爵家まで流れ着いてしまった。
そう、テレーザの所まで。
テレーザは男爵家の末っ子で、兄が二人いる。待望の女の子というのもあり、蝶よ花よと大切に育てられた。大人達に甘やかされた結果、尊大で我が儘な性格に育ったが、身分差のあるクインティーナを親友と宣う、態度は大きいけれど根は優しい子にも育った。
しかし貴族社会で男爵は下級貴族。
態度の大きいテレーザは身分を弁えていないと男性には不評で、二十歳になっても婚約者がいなかった。
そんな彼女だったから、誰もが嫌がる五人目の花嫁に抜擢されてしまった。
ちなみに上位貴族である侯爵家に下位貴族である男爵家の娘が選ばれた顛末を聞いたアイヴィーは頭を抱えて『罰ゲーム扱いされてるじゃない! 四人の妻殺害容疑の捜査をしろ!』と叫んだ。クインティーナは思わず苦笑してしまった。
だって、おかしいと思っても、聖人の血筋であり侯爵であるライコア家に、誰も声を上げられなかった。
だからテレーザは逃げた。
テレーザを逃がす為、クインティーナは口を閉ざした。
その結果、責任をとれと養子にされ、クインティーナが侯爵家に嫁ぐ事になった。
恐ろしかったがテレーザの為に、時間稼ぎになればと追い詰められたペルデュラン男爵の無茶な命令にも従った。
それが彼女の……彼女を大切に思う彼らの為になると、思ったから。
(……たとえ、あの人にもう、会えなくても……)
『んーっいいなぁアップルパイ。この焼き目が黄金よね』
思ったより近くから聞こえた声に、クインティーナは我に返った。
『旦那様は気が利かないけれど、ライコア家の料理人はとても気が利くと思わない? 色鮮やかな食事だけじゃなくて、毎日こんなに素晴らしいスイーツまで用意してくれるのだもの! 短い付き合いだったけれど、どれも美味しくて流石は侯爵家お抱えの料理人と思わず唸ったものだわ』
浮いたまま、身を乗り出してアップルパイを見つめるアイヴィー。
胸元を血で染めた姿は生気の欠片もないのに、輝く瞳は生気が満ちあふれている。
『美味しさを思い出して涎が出ちゃう……でも今の私じゃ、この美味しさを味わえない。残念だわ。食べたかった……』
本当に残念そうに、悲しげにアップルパイを見つめている。
それがまるで少女のようで、クインティーナは思わず微笑んだ。
ヴィニカリスの叡智と称えられた四人目の妻を、クインティーナはよく知らない。
けれどそのように呼ばれるのだから、きっとすごい人なのだろうと漠然と思っていた。
実際、すごい人だ。死してもなお理性を失わず、こうしてクインティーナに手を差し伸べてくれる。
(でも、美味しい物が食べたいって素直に口にするのは、小さな子供みたい)
具体的に逃げる方法はまだ見付かっていないけれど、彼女とならなんとかなるかもしれない。
そう考える事のできる今が嬉しくて、クインティーナはゆっくりアップルパイにナイフをいれた。
明るく振る舞うアイヴィーが、あちこちへ視線を走らせていたのには、気付かずに。
侯爵家の妻として優雅にお茶をするクインティーナの横でカメコみたいにいいよいいよと騒ぐ幽霊。




