第5話 ウィナの事情
改めて自己紹介しよう。
俺の名はウィナ・ルーシュ。
この世界に5年前にやってきた人間だ。
この【世界】。
言い方でピンと来るかも知れないが、俺はこの世界の人間ではない。
以前は地球と呼ばれた世界にいた。
どういう経緯でここに来たのかわからない。
気がつけば、当たり前のように砂漠にいた。
かんかんに照らす暑い太陽。
触っただけで火傷を負ってしまう砂。
いろいろわからないことだらけだったが、ただわかるのは何もせずにここにいれば死ぬ。
それだけは間違いなかった。
そして俺はオアシスを探して歩き回った。
昼間はなるべくさぼてんの影に隠れるようにしたりなどして、体力の低下を防ぎ、夜になってから動くようにした。
状況が読めない中、冷静な行動をとれた自分は、今考えてみればおかしかったのかもしれない。
だが、いくら適切な行動がとれたとしても、人も通らず、水も、食べ物もないこの砂漠の中で、素人が生きていくのは困難だった。
じょじょに体力は減衰し、次第に少し動くことすらおっくうになっていった。
そして何日か過ぎ、ついに俺は砂漠の砂の上に倒れた。
じりじりと焼き付くような砂の熱さが顔に伝わってくる。
動かないといけない。
しかし、身体は指一本も動かせなかった。
こんなところで、俺は死ぬのか……。
日本にいた時も、さほど生きる意味を見いだせない毎日。
だから、死ぬことに恐怖は感じなかった。
死ぬ前には走馬燈で昔の思い出が――。
などと聞くが、どうやら俺にそんなモノはないらしい。
誰にも会えず、誰にも知られずこうしてここで死ぬ。
なんて自分らしすぎる死だろう。
にやりと顔の筋肉を動かして、苦笑いを浮かべる。
ここで、俺は終わる――。
そう思った時だった。
「なんじゃ、若いの。
もう諦めるのか?」
そう声を掛けてきたヤツがいた。
目を開けて首だけ動かして、声のした方を見ると、
一人の頭から真っ黒なローブをかぶったヤツがいた。
「……」
「声も出せぬか?
まあ、いい。心の中で念ぜよ。それだけでわしの耳に届く」
「…………(おまえは誰だ?)」
「わしか?
まあ占い師といったところじゃな。
お主の命の綱が切れそうだったのでな。助けてやろうとやってきたのじゃ」
「(……助けてもらう理由もないから、帰ってくれないか?)」
「ふむ。
お主、自殺希望者か?」
「(そういうわけじゃない。ただ……あまり生きる意味も見いだせないだけだ)」
「それを自殺希望者といわずなんという?
まあ、お主をいじめにここに来たわけではないし、ささっとわしのやることをするかの」
「(何を……するつもりだ?)」
「お主をこのまま死なせるわけにはいかんのじゃ。
こちらに都合があってのう。だから生きてもらう」
「(余計なお世話だ)」
「そういうな、若いの。
お主はまだまだ若い。歳をとっていけば考え方なぞ、180度変わることもよくあることじゃ」
とそれだけ言うと、占いじいさんの雰囲気が一変する。
さっきまでは、突然現れた得体のしれないじいさん?だったが、今は本当に人外のような気配を色濃く出していた。
「(何者なんだ……)」
「詮索は無用。
お主は、ただ代償だけ払えばええ」
「(代償?)」
「そうじゃ。
ここで生きていくための最低限の知識と能力。
それをお主に与えてやろう。」
「(余計なことを)」
「残念じゃが、お主の意見は聞けぬでな。なんと言おうともう止めることはできん。」
「(……)」
「さて、お主に与えるが同時にこちらにも払ってもらわなければいけないものがある。
代償というやつじゃな。」
「(押し売りもいいところだな……)」
俺の皮肉をじいさん?は、無視して続ける。
「代償は、お主の名前じゃ。
○○○○。いい名じゃがこの世界に生きていくには弱すぎる。
お主に新たな名をやろう。
今日からお主は、ウィナ。ウィナ・ルーシュと名乗るが良い」
「へえ、そうなんですか」
声に若干驚きを膨らませながら言うのは、リティ。
ウィナと、リティはお互い顔を合わせるような席で、午後のティータイムを楽しんでいた。
テーブルの上には様々なお菓子が並び、そして華の模様が美しいポットからあふれる紅茶のにおいが周囲を別世界へと誘う。
だからかもしれない。
会って間もない彼女にこんな話をしてしまったのは。
「それからどうなったんですか?」
「ああ、それから俺が目を覚ますと、この世界の常識と並みの冒険者くらいの体力や技術が身についていた。
おかげでオアシスの場所もわかってなんとか命をとりとめたっていうわけだ」
「不思議なこともあるものですねー。
それからそのおじいさん?らしい人にあったんですか?」
「いや、あっていないな。
もっともあいたくもないが」
「どうしてですか?」
「どうしてって。
はっきりいって怪しすぎるだろ?
最初は、この世界にはそういうことができる人間が普通にいると思っていたがそうじゃないだろ?」
「当然ですよー。記憶の操作とか、能力の付与なんて超高等魔法です。
王国の近衛隊でも無理だと思います。あ、でも」
「?もしかして、できる人間がいるのか?」
「……可能性は高いかもしれないですよ」
「誰だ?」
「この国のもう一人の女王――ヘラ・エイムワード。【盲目の巫女】と呼ばれている方ですよ」
「確か、旅をしている時に聞いたな。その名前。禁断の力を手にしてしまったがために、視力を失った魔法使い――」
「そうです。
この世界のありとあらゆる魔法を知り、万能なる力を持っている――らしいです」
「らしいって、おまえ一応その女王様を守る騎士団の副団長なんだろ?なんで不確かなんだ?」
ウィナの物言いに、リティはむうと頬を膨らませ、
「仕方ないじゃないですか。
女王様達に近づけるのは、式典とか行事とかくらいですよ。
一応、わたしは正騎士団『蒼の大鷹』の副団長ですけど、女王様にお近づきになれるのは近衛じゃないと」
「王室近衛兵団か」
「ですです。
でも選考基準が高すぎて、全然受かりそうにないんですけどね」
と、肩をすくめる。
「ふうん。やっぱり上に行きたいのか?」
「別にそういうわけじゃないです。ちょっと理由があるんです。そういうウィナさんは、どうしてシルヴァニアに来たんですか?」
「俺か?」
一口、クッキーをつまみながら紅茶をすすっとすする。
(……どうも女の身体になってから、味覚が変わった気がする。
前はこんなにおいしいとは思わなかっただが……)
「ウィナさん?」
「ん、ああ。俺がシルヴァニアにやってきたわけか。
そうだな。いくつか理由があるんだが……」
腕を組み、そうすると以前は当たらなかったものが当たってしまうことに気づく。
ふにょんと姿を変えるソレを見て、ため息をつく。
(ふにょふにょするのも考えものだな……)
腕が当たるたびに、形を変えるそれを眺めつつ、ウィナはリティに話し始めた。
「一つは、こんな身体になるのは予想外だったが【力】が欲しかったからだ。」
「加護ですか?
でも加護を受けるのはここじゃなくても別の国でもできますよ?」
「それはわかっている。
別にそれだけのためにここに来たんじゃない。二つ目は、ここにある【図書館】が狙いだ」
「希少本でも盗むんですか?」
「……一度、おまえの頭を本気で改造したいな」
「そんな可愛い顔で言っても全然、怖くないですよ」
「っく。こういうときは不便だな。この身体」
「……たぶん、それ以外にも不便なことがありますよ」
「それは、実体験からか?」
「もちです。
女の子はいろいろとめんどくさいんですよ」
二人そろって、大きくため息をついた。
「それで、図書館に何の用事ですか?
もし、何かするつもりならわたしの鉄拳が黙っていませんよ」
「普通に本を読むためだ。」
「エロ本はないはずですけど」
「一度、きちんとおはなししないとダメか?」
「いえ、瞳のハイライトは戻してくれた方がいいです」
わけのわからないことを言っているリティを無視し、
「……探しているのは、この世界から元の世界へと帰る方法だ」
「あー、なるほど。……でも本当に?」
「どういう意味だ?」
リティは、眉を寄せつつ新たに入れた紅茶にミルクを入れかき混ぜつつ、
「んー。ウィナさんさっきの話からも思ったんですけど。
あんまり元の世界に愛着がないような気がしたんですよ」
「ほう」
ウィナの目が細まる。
「別のことを調べているんじゃないんですか?」
「何を調べようとしていると思う?」
「それは、さすがにウィナさんじゃないとわかりませんねー」
苦笑し、均一に混ぜられたミルクティーを口に含む。
その仕草は、どこかの令嬢のような気品があった。
「ん、おいしいです。
しょれでふぉんとのところ、こにょしるう゛ぁにゅあににゃんのようじがあったのですか?(それで、本当のところ。このシルヴァニアには何の用事があったんですか?)」
「……食べながらしゃべるな。
それを聞き出すのがおまえの仕事か?」
「ごっくん。
まあ、そうなんですけど」
隠しもしないで、リティはあっさりと認めた。
「これでもこの国の平和を守る一員ですから、得体の知れない人には警戒するんです」
「警戒されるようなことは何もしていないが」
「じゃあ、変に何かを隠すようなことはしない方がいいですよ」
ぴしっとフォークを向けて言うリティ。
「隠し事はしてないんだが」
「そういうことにしておきましょう。
どのみち、いずれわかると思いますし」
「?それはどういう――」
ことだ。
そう口にしようとした瞬間。
喫茶店の扉がばあんと大きな音をたてて開かれた。