【盲目の巫女】胎動
視界を覆う光が収まり、徐々に辺りの様子が見えてくる。
だが、その光景は予想外であった。
「なんでまたここに……」
訝しげに周囲を見回すウィナ。
大きな一軒家に、白く埋め尽くされた空間。
そうここは、彼女の心象世界。
「確か、力を求めない限りここには来られないんじゃなかったのか?」
いつのまにか目の前に姿を現した彼女にそう尋ねた。
彼女――ミーディ・エイムワードの分身体は、胸の前で腕を組み、
「それであってるわよ。
あと、それに追加でわたしが呼んだ時も含まれるってところ」
「そうか。
で何の用だ?」
「随分と気がたっているわね」
顔をしかめながらこっちの気持ちを正確に当ててくるミーディに、少しばかりいらだちを覚えながら、
「――仕方ないだろう。
俺は神でも何でもない」
「そうね。
わたしも怒りたいときには怒るし、笑いたい時には笑うわ」
あっさりとこちらに肯定してくる彼女に、ウィナはため息をついた。
「――それで本当に何の用なんだ?」
「"妹"がそっちに来ているんじゃないかしら?」
妹。
その言葉にウィナの片眉がピンと跳ねる。
「……本体の情報はわからないんじゃなかったのか?」
「それは間違いないわよ。
わたしはあくまで予測を立てているだけだもの。
貴女が見えているもの、感じているもの。それら全てがわたしに伝わってくるの」
「……妹を傷つけるな――か?」
皮肉げなウィナの言葉に、ミーディは片手を腰につき、
「怒るわよ、ウィナ・ルーシュ。
わたしは分身体。
本体のわたしとは別個の存在よ。
そして今のわたしは貴女と一蓮托生。
妹と貴女。
どちらをとるかといえば、何の躊躇もなく貴女をとるわ」
漆黒の双眸が確固たる意志を持ってこっちを凝視する。
「……悪かった。
誇りを傷つける気はない」
「そう。ならいいわ。
――それでわたしが貴女を呼んだのは、推測を伝えること」
「推測?」
「ええ。
おそらく"妹"はそっちに行くわ。
そしておそらく何かをする」
「えらく抽象的だな」
「わかっているわよ。
わたしは分身体。
本体との契約で、何をするか具体的な情報を伝えることはできないわ。
でも、本体が、いえ、わたし達が何を計画しているかその一端はわかると思うわ」
「そうか。
それはありがたい、な」
笑みを浮かべる。
ウィナの笑顔に、ミーディが一瞬だけ強ばる。
「……怒っているわね」
「……当然だ。
これでも大分抑えているぐらいだぞ」
その言葉どおり、ウィナの周りの空気はぴりぴりと空間自体がきしんでいるような音を立てている。
「武運を祈っているわ」
「神様にそう言われるのは悪くはないな」
そう言葉を残し、心象世界から彼女は姿を消した。
「……本体。
ある意味で人選はあっているかもしれないわ。彼女なら――」
そこで言葉を切り、ミーディ・エイムワードの分身体は首を振った。
意識が覚醒する。
光は完全にやみ、元の王の間が視界に存在していた。
誰もが瞬きをしながら、彼がいた場所とその上――天井へ視線を往復させる。
「……きれいだな」
光の花びら。
もっと詳細を語るなら花びらをかたどった光が、本当に舞い上がるようにして辺りに降り注ぐ。
「【天蓋聖霊】。
かって、戦女神が戦場で散った誇りある魂を天上の楽園に送る際に使ったといわれている神の祝福。
失われたはずの古代魔法のはずですが……」
と、アーリィが片手を前にだし、花びらを掌に着地させる。
「綺麗です……」
「本当ね」
グローリアと一緒にそう感想を漏らすシインディーム。
彼女に、ウィナは問いた。
「どうしてテリアがこんな魔法を使えると思った?」
単純な好奇心からの疑問に、彼女は笑顔で、
「カンかしら?
なんとなくできそうな予感を感じたの。
それが正解したところ」
嘘ではないだろう。
彼女らしいといえばらしいその物言いにウィナは苦笑で返した。
そんな緩やかで幻想的な光景は次の瞬間、砕け散ることになる――。
ウィナからそう100メートル離れた床に魔方陣が生まれ、中央から1人の少女が現れる。
自然に、ウィナは赤錆の魔刀を具現化しその相手を見た。
身長は自分と同じくらいか。
黒い漆黒のドレス――いわゆるゴシックロリータの格好をし、今も瞳を固く閉じている少女――。
「……【盲目の巫女】ヘラ・エイムワード様……」
とグローリアの声が静かに王の間に響く。
「ごきげんよう。皆さん」
開口一番、少女の口からは挨拶の言葉が出る。
だが、その言葉を悠長に返すものは誰もいない。
ざっと誰よりも先に前へ歩みを進めるものがいた。
「お主がシルヴァニア王国の女王か」
怒りを隠しきれないといった表情でそう問いかけるのは、クロム老。
ガイラルディア・エネス・シュトゥーリエ――ガイラルを目にかけてきた彼。
今までの流れ。
このタイミングで現れた他国の女王。
そしてその2つ名。
いくら鈍感な者でも疑いくらいはもつだろう。
「はい。
わたしがシルヴァニア王国王権執行者が1人、【盲目の巫女】ヘラ・エイムワードと申します」
随分と丁寧な言葉。
しかし、少女から発せられるプレッシャーはすでに先ほどのガイラルを越えるほどのものであった。
「何をしにきたのじゃ?
いくら王族であろうとも、ここは帝国領内、しかも最奥の王城じゃ。
謁見の許可を取らずにここに来られる理由を述べよ」
「それは御失礼を」
とうやうやしくスカートの端をつまみ一礼する少女。
再び顔を上げた少女の表情は、笑顔だった。
「此度わたしがこの地に来訪したのは、哀れな人形の後始末と【杭】の除外。2つの用件であります」
「哀れな人形……じゃと?
一体何のことじゃ」
その老人の言葉に笑みを深くする少女。
「お気づきになられてはいなかったのですか?
哀れな人形。
ほらあなたたちが今見送った者のことです」
その言葉だけで十分だった。
すなわち彼が剣を抜き、少女に斬りかかるのは。
「じいさんっ!!」
ウィナの警告が飛ぶ。
しかし――クロム老は止まらない。
目を血走らせ、その老躯には似合わぬ鋭い斬撃を繰り出すっ。
だが。
「かはっ……っ!」
赤い液体がクロム老の口からこぼれ落ち、床に花びらを形作る。
老人の胸には深々と突き刺さった漆黒の槍。
それが何の慈悲もなく少女の手から放たれたのは明白だった。
「何を憤っているのですか?
わたしは単なる事実を言っているだけにすぎないですよ」
悪意がある笑いとはああいう笑いを言うのだろう。
今まさに死を目前としたものに、ああも関心のないような目を向ける少女は、明らかにどこか壊れているのだろう。
目前に広がる惨状に耐えきれず、エルフの彼女は走った。
彼の老人を救いに。
同時に、ウィナもテリアもかけだした。
しかし、少女は何もせずただ沈黙をまもっているのみ。
すぐにグローリアは床にうつぶせで倒れているクロム老に治癒の魔法をかける。
彼女の邪魔はさせないと、少女を取り囲むように円陣を組む。
「回復ですか?
物好きですね。
そんなことをしても殺すことには変わりはないですが」
「……【盲目の巫女】殿」
イグリス宰相が、クロム老の横に立ち、声をかける。
「やはり……許されぬのか」
「許されぬのか……ですって?」
そこで始めて少女の、ヘラの口調に感情がこもり始めた。
「許されるわけないでしょう?
あなた達はわたし達が許しを請うたにも関わらずやめなかった。
なのに自分達が危ういとなれば許しを請う?」
ふっ。と冷ややかに嗤う少女。
それだけで辺りの温度が2度、3度は下がっただろう。
「ああ、ひょっとして新手の冗談ですか?
そうですね。
それなら、笑ってあげましょう。
もしも本気でそんなことを言っているなら――殺しますけど」
「我々に責があるのはわかっている。
だが、帝国の民は――」
「妄言も大概にしてください」
ヘラの表情がゆがむ。
同時に、イグリス宰相だけが浮かび上がり、おおよそ墜落したら死は免れない位置にて停止した。
「奪われるのがイヤならそもそも奪わなければいいことではないですか?
戦争だから仕方がない。
上からの命令だから仕方がない。
それはあなたがたの言い分です。
奪われた方はそんなの関係ないのですよ――精神を灼く煉獄の灯火よ」
ヘラの詠唱とともに数百もの漆黒の槍が、イグリスを中心に前後左右上下と展開される。
その切っ先は全てイグリスを向いている。
「これは復讐です。
ええ、そんなこと誰よりもわかっています。
だからどうだというのですか?
理性をもって押しとどめるのが人間?
感情を抑制するのが大人?
ならばわたしは畜生で構いません――彼の者に裁きの鉄槌を」
「や……やめ……」
虚空に手を伸ばすクロム老。
その目はすでに血で濁り、もう誰の目からみても長くはないことはわかる。
それでも必死に、涙をこらえながらグローリアは治癒の魔法をかけていた。
噛みしていなければ、震え出す唇をぎゅっと血がでるくらいにかみしめ、治癒の魔法を――。
「魂すら残さず消えなさい。
降り注げっ!!!」
「まっ――」
制止する声。
それが一体誰だったのか。
「……エスメラルダ卿。
帝国を頼む」
聞こえたはずはない。
だが、それでもアーリィ・エスメラルダは政敵の声を聞いた。
それが彼の最期の言葉。
漆黒の槍群が宰相を貫いた。
そして――。
「それも邪魔ですね」
その内の1つが、クロム老のあっさりと突き刺した。
「い、いやぁぁぁぁぁっぁぁあああああああっ!!!!」
血まみれの両手を振るわせ、グローリアの絶叫が王の間にこだました――。