第18話 それは悪魔との契約
ぴちょん、ぴちょん。
水滴の石を打つ音が静かにこだまする。
鉄の柱が幾本も天井から床へと貫通し、石の壁によって仕切られた部屋が、この階には数多く存在していた。
その中の一部屋。
1人の少女がいた。
両手には手錠――というには優しすぎる拘束具がきっちりとはめられ、
両足には少女の体重の3、4倍以上あるだろう鉄球がくくりつけられていた。
服装もまた簡素な布のみといったせいか、同年齢よりも少しばかり豊かな胸はくっきりと布の上からもその存在を主張し。
下半身も下着のみといった扇情的な格好のまま身動き一つ、言葉一つ発さず沈黙を守っていた。
第三者がこの少女を見たとき、
恐らく何かあったのだろう――とか、恐怖におびえている――。
そんなことを思うかも知れない。
だが、
それは間違いであろう。
少なくとも後者の感情など少女には持ち得ていない。
なぜなら、今もなお彼女の紫色の瞳には尋常ではない意志の輝きを宿しているからである。
少女の名は、ウィナ・ルーシュ。
のちに【闘神姫】の名を得ることになる少女であった。
ウィナ達がアルバの道案内で村へとたどり着いた頃には日は大きく傾いていた。
「ついたか。ずいぶんとへんぴなところだな」
「しょ、正直すぎです!!ウィナさん」
あわわと手を胸の前で高速に振るグローリア。
ウィナの言葉に、アルバはにっと笑い、
「ま、仕方ないさ。
ここは一応はシルヴァニア王国領土に位置する村だが、どちらかと言えば帝国領にも近い。
特産物も特にあるわけではなし。そのせいであまり商人達もこっちにやってはこないからな」
「どちらかと言えば、避暑地といった方がいいかもしれませんねー」
「そういうことだ。行商くらいは来るぐらい、か。
俺はとりあえず村長のところに挨拶に行ってくる。おまえさん方は適当にこの辺で待っていてくれ」
そういい、アルバは一番大きな屋敷の方へと歩いて行った。
「…………」
しばらくその後ろ姿を見ていると、
「ウィナ様」
耳元で声をかけてくるテリア。
「――どうした?」
「エルがこの村には入ってこれません」
その報告にウィナはすっと目を細め、
「……だろうな。
こっちも魔力が吸い取られているみたいだ」
エルは、テリアの創った人工精霊。
人工ではあるものの、カテゴリでは精霊に位置するためこの村の結界に邪魔をされて入ってこれない。
そう【結界】だ。
この結界は、【魔力】を奪う範囲結界。
精霊は、魔力によってその身体を構築している。
そのためいくら無尽蔵に活動ができるといってもそれは魔力がある場所限定の話だ。
魔力を奪われるようなところで行動することは、自身の存在の危機。
本能的にそういう場所から離れる性質を持っている。
しかもこの隠蔽度合い。
気づいた時には半分以上、魔力を持っていかれていたのだ。
「それに、この結界以外にも変なところがある。
――村人の中に女と子供が見当たらない」
「!」
目を丸くするテリア。
そう。村に入ってから気づいたのだが、目に見える範囲にいるのは全て男ばかり。
夕方という時刻だが、女、子供がまるっきり外にでていないというのはおかしい。
「……つまりはかられた――ということでしょうか?」
「その可能性は高いな……。
ちょっと油断しすぎていた。」
なまじ力を得てしまったからいつもの警戒心が薄れてしまったのだろう。
ウィナは自省し、周囲の様子を探ろうとした時、
「――動くな」
そう、男の声が後ろからした。
「ご、ごめんなさい……ウィナさん」
「ありゃ、グロちゃん捕まっちゃいましたねー」
相変わらず脳天気なリティの声。
彼女が言うとおり、先ほど助けた男に後ろから羽交い締めにされているのは、グローリア。
素人ではない、準騎士団員ではあるが――そもそも彼女は肉弾戦――近接、中距離、長距離といったどの戦いでも向いていない。
それがわかっていてあえて仲間にした。
ゆえに、彼女自身が男の束縛を破るのは不可能。
そして、
「すまん、捕まった」
と
ばんざいして、こっちに来たのはアルバ。
彼の後ろには屈強そうな男が二人、背中に剣を向けていた。
その後ろから白髪が目立つ老人と、もう一人顔をフードで隠した黒マントの男がやってきた。
「どういうことだ?」
危機的な状況にもかかわらず、まるで態度の変えない少女に、周囲の男達が一瞬揺れる。
「威勢がいいな、娘」
そう声をかけたのは黒マントの男。
「おまえが首謀者か?」
「一応、そういうことになる。」
「一応……ね。
つまりクライアントは別にいるっていうことか?」
「ああ、そうだ」
否定するかと思いや、あっさり肯定する男に、ウィナの眉がピンとはねた。
「……俺達をどうする気だ?」
「魔力をいただく」
男は言う。
「そして殺す――か」
「いや、殺しはしない。私の欲しいのはあくまでも魔力。それもただの魔力じゃない。純度の高い魔力だ」
「そのために、腕のいい冒険者や騎士をさらって、魔力を抽出したのか」
「その通りだ」
目が見えない相手だから、声の調子で相手を探るしかない。
今のところ、嘘はない。
ウィナは男から視線を離さず続けた。
「魔力を集めて何をする?」
「答えるとでも思ったかね?」
「いや、ただ単に聞いてみただけだ。――で魔力をいただいた後はどうするんだ?殺さないと言っていたが」
その言葉に、男はにやっと笑ったような気がした。
「1割ぐらいは残しておこう。その後は、ここにいる男達の報酬になる」
「――いい趣味してるな、あんた」
「お褒めの言葉としていただこう。
さて、もうすでに立っているにもつらかろう。この者達を地下牢へ連れて行け」
男の命令とともに一斉に村人達が動き始めた。
(意外だな……、てっきりばらばらに牢屋に入れられると思ったが)
ウィナの目の前の牢屋には、一番心配なグローリアがいる。
そしてその右隣にリティ、ウィナの右隣にはテリア、アルバは左隣だ。
両手は動かせないように、しっかりと手錠のようなもので固定され、両足には結構な重量の鉄球がついたリングを足首にくくりつけられている。
典型的な囚人スタイルだ。
試しにリングを破壊しようと手に魔力を込めようとしても、全く魔力も力も入らなかった。
やはりこの地下牢にも結界が敷かれているのは間違いないだろう。
それに魔封じの印も追加されているようだ。
この調子なら何もしないと明日の今頃は完全に1割近くの魔力量まで減らされそうだ。
「グローリア。大丈夫か?」
「は、はい。……ごめんなさい。わたしが捕まったばっかりに」
「いや、グローリアは悪くない。
おっさんがこんな仕事を持ってきたのが悪い」
「そうですよ~隊長。どうにかしてくださいよー」
「そうは言ってもな……。武器も取り上げられ、魔力は絞られ中。魔法も結界の中で封じられている。
もうダメだろう」
白旗を振るアルバ。
「諦めの早いおっさんだな」
「そういう【加護持ち】はどうなんだ?」
逆に聞かれ、
「俺の方は、武器の具現化はできるが斬れないな」
「わたしの方は【精霊】を生むことも、呼び出すこともできません」
「身体能力は?」
「魔力であげられない分、下がっている。。
っていっても魔力の力で身体能力を上げていなくても、並みの男以上の力はあるんだが」
「激減だねぇ……。やれやれ」
そんなことを言っているとどこから扉の開く音が聞こえ、人の足音が地下に響く。
かつん、かつんとやってきたのは――
「おまえか」
ウィナの視線の先にいたのは、先ほど助けた男だった。
「――」
「何の用だ?
言っておくが、欲望を解消に来たなんて言った瞬間、首と胴体が離れると思え」
「……すまない」
だが、男はいきなり頭を下げた。
「許してもらえるとは思わない。だが今の俺には謝ることしかできない。だからすまない」
「……すまない、ね。
単に自己満足しにここに来たならさっさと帰ってくれないか?これでも俺達は脱走の準備をするのに忙しいんだ」
辛辣なウィナの言葉に、男は静かに首を振った。
「ここを抜け出すことなど不可能だ」
「歴史上、不可能なことを実現可能に進化してきたのが人間だ。
本当に不可能なことなどないさ」
男とウィナの視線が交錯する。
「……強情な女だ」
そう言って、男は牢屋の鍵を開ける。
「ウィナさんっ!?」
グローリアはこちらを案じて声を上げる。
男が何をしようとしているのか、思いついたのだろう。
当事者であるウィナは全く動じず、男が牢屋の中に入ってくるのを悠然と待っていた。
「逃げないのか?」
「どこに逃げる必要がある?」
にやっと笑うウィナ。
「覚悟をしたということか?」
「ここを逃げ出す覚悟ならとっくにな」
ウィナの言葉に、男の顔がゆがむ。
「……まだそんなことを言っているのか。
ここからは逃げられない。
魔力を抽出されるだけされ、身動きできないところを男達はおまえを襲う。」
「――おまえの大事な人はそうやってやられたのか?」
「っ!!」
刹那だった。
男の手がウィナのか細い首に伸び、とらえたのは。
「ぐっ」
「ウィナさんっ!!」
「何故諦めないっ!!魔力も魔法も、ここでは使えない。いくらおまえ達が強かろうとここでは普通以下の身体能力しかない。
わかっているのかっ!!!」
首を絞められながら、ウィナはそれでも笑みを崩さない。
「だからどうした?
諦めて何が変わる?おまえの大事な人も最後まで諦めなかったんじゃないのか?」
パンと甲高い音が耳元でした。
男の手が、ウィナの頬をひっぱたいのだ。
「おまえはっ!!」
凄絶な表情を浮かべる男を目の前に、ウィナは――
「言っておくが、やられたらやり返すのが主義なんだ。
あとで覚えておけよ」
全く動揺の欠片もない少女に、男はぎぃっと歯を噛みしめ荒々しく少女の胸を掴んだ。
「プラス1だな。
勝手に人の胸触った分もつけておく。
覚悟しておくんだな」
「っく!」
男の激情が頂点へと一気に上り詰めたそのとき、
「――おまえがみじめになるだけだぞ。
俺と彼女がどれだけ似ているからといっても」
ウィナは、ぽつりとつぶやいた。
「っ!?」
ぎょっとした顔で、ウィナを見る男。
動揺したため、ウィナの首を絞めていた男の力が弱まる。
その一瞬を逃がさず、男の襟元を掴みそのままくるりと前回りの要領で床石にたたき付ける。
「かはっ」
仰向けに倒れた男のお腹の部分に乗り上げたウィナは、そのまま男の目を見た。
「窮鼠は猫を噛むっていってな。
俺の世界の格言みたいなものだ。覚えておいた方がいい」
予想外の一撃のため、当たり所が悪かったのだろう男の目が揺れている。
軽い脳震盪でも起こしたのかもしれない。
「な、なぜ俺の……」
「いや知らない。
おまえの大事な人のことは知らないが、おまえの顔や、話を聞いていたらなんとなくわかっただけだ」
こともなげに言うウィナに、男は驚いた顔をする。
「おまえの大事な人が最終的にどうなったかは知らないが、
少なくてもおまえがこんなところでバカなマネをやっていることにはおそらく賛成しないぞ」
「…………」
「力が欲しいなら、力を求めればいい。
全てがイヤになっているなら、全てを投げ捨てればいい――」
すっとウィナの紫色の双眸が細まる。
「復讐がしたいなら復讐をすればいい。
自分の力で無理なら、誰かの力を借りればいい。おまえはこんなところにいつまでいる?」
ウィナと男の目が互いを写す。
ぴんと張り詰めた空気が支配する中、その沈黙を砕いたのは男の笑い声だった。
「はっ、ははははっはははっはっ!!!
まったくだっ!!まったくだっ!!俺はっ……っ!!」
右腕で両目を隠し、男は狂ったように笑い続ける。
哄笑の後、男は深紅の瞳をまっすぐウィナに向け言った。
「ヤツを殺したい。ただ殺すんじゃなく、あいつの痛みを全て味あわさせてだ」
それは契約の言葉。
ウィナは、紳士にそれを受諾した。
「いいだろう。
ヤツに生き地獄を。その願い、確かに聞き遂げた」
風もないのに彼女の髪がふさあと揺れた。