夢からの目覚め
殴られた右頬が、じくじくと痛む。
久しく思いのこもった一撃を食らうことがなかったせいか、肉体的な痛みよりも精神的に痛かった。
思ったよりも威力があったため、シルヴィスは気を失いかけていた。
だが、このまま倒れてしまうのも何か心の中で納得がいかず、意地を張り必死に気を持っていた。
彼女の攻撃は確実に、自分の核へと到達している。
ゆえに、自壊するのも時間の問題だろう。
勝者は彼女達。
自身は敗者。
いや、もともと自分が勝利をしてきたことなどないことに気付く。
確かに、この無限とも思われる循環。
生きてはきたが、結局のところただ絶望しているだけで達成感などない。
早く終わって欲しいという希望だけで、今日までやってきた。
ようやく終わるのだ。
この長い循環から。
思い描いた終わり(ゆめ)が終わるというのに。
どくん、どくんと脈打つ身体。
これで終わってしまっていいのかという、心の声。
本当はもっと違う可能性で現状を打破できたのではないかという内なる声。
後悔などおこがましい。
おこがましいはずなのに――。
「ふっふふふふふふ」
気付けば笑っていた。
目の前にいる、自身が生み出した少女がいる。
彼女はただこちらをじっと見ていただけだった。
「――自分は、本当に不幸な人と比べて随分とマシな生活に生きている人間だと思っていた」
「……」
「そう思うことで、自分の置かれている現状がマシなものだと。憂慮に値するものではないと言い聞かせていた。
自分がこうなったのも自分のせい。
自業自得だと、心に残るしこりを無視してそう思い続けてきた。」
言葉が自然と口から出る。
「自身の本当から目を背け、ただ敗残者のように毎日を生き続けた。
楽しそうに話す友人や、伴侶を得た昔友達。仕事を楽しんでやる人や、信念を持って働く上司――。
あまりにも彼らは、輝いていた。
よかったねと、口では言っていても心にずしっとくる重みはだんだんとその重量を増していった。
にも関わらず、自分はその理由を考えようともせずに日々を生きた。
次第に生活は荒れ、いつのまにか空想に浸る毎日だった。」
そして終わりはあっさりとやってきた。
何が起こったかまでは記憶にはない。
しかし、自分が死んだ、と。
それだけが明確に、魂に叩き込まれた(りかいできた)。
何故かほっとしている自分がいて、
そして自分が空想していた世界がここにあって。
夢想していた力を持っていて、
広大な世界が広がっていた。
ここでならきっと、もっと変わることができるとそう信じていたあの頃。
――結果は無残。
誰もが変わっていくのに、自分だけはずっと変わらずただ足踏みしている。
今も昔も変わらなかった。
環境が変わっても、自分が変わらなければ何も変わらない。
いくら力があっても、それを為すのに心がついてこなければ容易に道を踏み外す。
――そんな当たり前のことすら気づけなかった。
「強く――なりたかった。
心も、肉体も。
立ちはだかる障害にも負けない強靱さが欲しかった。
だから、あこがれた。
その理想の体現者が君であり、ミーディだ」
「……」
「だが、それはただの妄想だった」
苦笑い。
「彼女達は強かったんじゃない。
そうあろうと自身を鼓舞して生きていただけだった。
それに自分は気づけなかった。
彼女達の煩悶を気づかず、理解もせず自分勝手な投影をしていた。
演じ続ければ、それがいつかは本物になる。
昔、誰かに言われたことの意味がようやく理解できたよ……」
指先、足先から消失が始まる。
「もう一度聞こうか。
何か言いたいことはあるか?」
「そうだな……」
ウィナは考える素振りを見せる。
だが、何を言おうかはすでに頭の中にあった。
だから言葉を口にした。
「――許すさ」
「……なに?」
想像すらしなかったウィナの言葉に、シルヴィスはまじまじと彼女の表情を見つめた。
「許すといったんだ。
俺を生み出したことも、今日までしてきたことも」
「しかし、それは」
とても許されることではない。
現に【共鳴者】グローリア・ハウンティーゼも目を丸くしてウィナを見ているではないか。
「……もういいだろう。
俺は"彼女"の記録を継承しているから、あんたのことも一通りみている。
――あんた十分罰は受けているさ。
これ以上、自分を罰し続けてもただの自己満足の範疇だろう」
「っ」
「わかっているんだろう。
あんたは、自身の犯した罪と罰を償うために今日まで生きてきた。
何回も、何十回も、何百回も……何万回も繰り返して。
俺には、もうあんたを責める理由がない」
「……」
消失は、身体の半分にまで達していた。
「……私は」
――何をいいたいのだろうか。
シルヴィスは、自身が何を言おうとしたのかわからなかった。
何かを言おうとしたのだ。
だが、その言葉が出てこない。
「……私は、」
――この後におよんで感謝でもいいたいとでもいうのか?――
消失はすでに首まで達している。
もう残りわずか。
なのに気の利いた言葉すら思い浮かばない。
あれほどあの頃、物語を作ることに没頭し、湯水のように言葉が浮かび使っていたのにも関わらず。
「――――すまない」
そしてようやく言えたのは、謝罪。
その言葉に、ウィナは苦笑した。
「あとは俺達が引き受ける。
あんたの闘いはここで終わりだ。
ゆっくり休むんだな」
ウィナの言葉を最後に、シルヴィスはこの世から消滅した。
「やっぱりこうなりましたね」
「「「っ」」」
聞き覚えのある声が響く。
同時に、床に魔法陣が次々と生まれ――
「ここは……」
「どうやら戦いは終わったようですね」
「そのようです」
シルヴィスの分体と戦っていた3人が現れた。
そして、声の主も姿を現す。
「っ――【盲目の――?】」
巫女と口にしかけるが、すぐシアは首を振った。
彼女は確かにこの手で仕留めた。
幻想でも何でもない。
「本物の方か」
「そういうことになりますね」
ウィナの確信に満ちた言葉に、彼女は静かに頷く。
「!目が」
アーリィは、はっと気づく。
彼女は、目を開けているのだ。
アメジストの双眸。
それは【闘神】ミーディ・エイムワードと同じ瞳。
「どういうことなの?」
「後で説明するよ。
正直、いろいろあってな」
疲れたように肩をすくめるウィナに、シアはそうとその場でひいた。
「それで何の用だ?
まさか、敵討ち――なんて言いに来たわけじゃないんだろう?」
「ええ。
この結果は、わたし達の望む結末です。
今更、それをどうこうするつもりはありません」
感情のこもらない声で肯定する。
「では何故?」
「まずは外をご覧ください」
すっとヘラは、手を指揮者のように上げると壁が一斉に取り払われた。
「!」
「夜……?」
「いえ、新月です」
テリアが仰ぎ見る先には、漆黒が広がっていた。
新月は月の出ない夜。
そのため、月の位置を視覚でとらえることはできない。
だが、テリアは自身の加護よりその位置を精確にとらえることができていた。
まさしく、月の位置はこの塔の頂上。
「――っ、まさかすでに儀式は」
「ええ、すでに始まっていました」
事もなげにヘラは言った。
「どういうことですか?」
黒の杖は片手に構え、アーリィは尋ねる。
「あなた達がここに来る時に、転移をしてやってきましたね?
あれこそが、時の罠。
創造神の眷属が一柱、時の乙女の力を使った魔法です」
「つまり、俺達はここに来るまでにすでに2、3日時間を費やしてしまったということか。転移する時に」
「ええ、そしてあなた方が闘っているときにわたし(・・・)は、逆行の魔法を編んでいました。
それがこれです」
「ウィナさん、街が!」
グローリアが町の、シルヴァニア王国の異変に気づく。
「……人が動いていない?」
「いえ、これはただ停止しているだけじゃありません。
人自体が魔法陣を形成する線となっています」
「あなたの言うとおりです。
シルヴァニアにいる人間には、今日のこの日のためにある楔が打ち込まれています。
ある時間に、ある場所から動かないようにという絶対命令。
停止した彼らを鍵とし、王国自体に魔法陣を描くことで、彼らを魔法陣の一部としました」
「……その中心はここで、魔法陣の一部となったものは魔法陣の効果範囲から外れる――か。
なんだかんだいって守るんだな。」
「口ではどうとでもいえてしまうものですから。
本当は誰も傷をつけたくなかった人です。
だからお姉様があそこまであの人の願いをかなえようとしたのでしょう。
全てを知っても……」
一瞬だけ、目を伏せ。
「でも、それもこれで終わりです」
ぐんと、ヘラの足下に魔法陣が生まれる。
「【盲目の巫女】の名によって命じます。
楔よ、解き放て。
終末の鐘は鳴り響くことはなく、
世界はただ在り方を変え、未だ天秤は狂わず。
根源の主流に今こそ戻れ。
閉じよ六門。
【解放宣言】!」
ヘラの力強い真言とともに蒼い光が空間に満ちる。
そして、蒼い光はそのまま天空へと駆け上がり、天を貫いた。
「っ」
「……雪?」
空から降ってくるのは蒼い光の粒子。
人に触れるたびに、その束縛を解呪し魔法陣の線を打ち消していく。
六柱もまた、雪に触れるたびに存在を薄めさせ次第に背景に透き通るようにして消失していった。
蒼い雪は、シルヴァニア王国の国境沿いにも降っていた。
「――どうやらうまくやったようですな。聖女殿」
彼にしては珍しく感傷にひたるように空を眺めつぶやく。
「そうですね。
正直、ここまでうまくやるとは思いませんでしたが」
心にもない発言だ。
そう自覚しながらも皮肉を言う口を止めることはできなかった。
この結末は、まさしく本に書かれている通り。
手の中にある【預言書】。
彼女は、全てを読んで理解してしまった。
そのために今回の事柄には一切手を出す資格を失った。
不満ではあったが、結果的にはやや満足といったところだろうか。
これで世界の楔は解き放たれ、魂は循環を開始する。
停止した世界は終わりをつげ、歴史は勝者が作る世界へと切り替わったのだ。
「っつ」
蒼い光の粒子が、彼女の持つ【預言書】にふれ一瞬にして灰燼と化した。
「役目を終えた――ということですかな」
「――」
エルダムの問いかけには答えず、彼女は空を見る。
この蒼い世界が、朱い世界へと変貌するこれからを憂い瞳を閉じた。
――この日、シルヴァニア王国に3賢王の訃報が報じられた。