悪魔との契約
時間はさかのぼる――
ウィナの目の前にいるのは、かつて帝国で自分を衛兵に売った女性――シャクティ・ルフランが静かにこちらの様子をうかがっていた。
彼女が何故、そのようなことをしたのかはついには知らない。
あのあとすぐに過去の世界へ飛ばされてしまったから。
その件がなかったとしてもウィナは、彼女に対して害意をもっていなかった。
いや、持ち得なかった。
そもそも、彼女の中で人に対しての価値観がかなり異なっているためであろう。
ウィナ・ルーシュは、意志をもって行動する人全てを尊重する。
それが、人を助けるために医師を目指し、そして実際に国境を無視し人を救う側の人間であろうと、
自身の快楽のために人を殺害する狂った人間でも。
彼女は、許容する。
だが、許容はするが彼女自身気にくわないのであれば、干渉するしあっさりと命を奪ったりもする。
ウィナ・ルーシュにとって、人はすべからく信用し、すべからく害なす存在であると心根で思っている。
だから彼女は苦悩しない。
気にくわないのか、そうでないのか。
ただそれだけのシンプルな物差しで相手を判断するのだ。
その点で彼女、シャクティ・ルフランは不快側の人間ではなかった。
「さっきもいったが久しぶりだな。シャクティ」
ゆえににこやかに笑顔などで応対するものだから、シャクティの眉が少しばかりあがってしまう。
何故、こうもあっさりと笑えるのかと。
「……私の事情を知ったのですか?」
「いや、知らないが」
ウィナは、彼女の疑問をあっさりとわからないと答える。
「私は貴女を売ったのですわよ。ウィナ・ルーシュ――新都シルヴァニア王国、女王、【闘神】ミーディ・エイムワードの加護を持つ元男性の異界よりの来訪者」
射るような目でウィナを見据える彼女。
ウィナは、にやりと笑う。
来訪者――すなわち、こことは違う世界の異邦人。
そのことをはっきりと口にした彼女に対しての賛辞として。
「よく調べたな。
表に情報は流していなかったはずだが」
「壁に耳あり、窓に目ありですわ。
本当に秘密を守るつもりなら異界ですることをおすすめしますわ」
「優秀だな」
「お褒めの言葉ありがとうございます――と言っておきますわ。ウィナ・ルーシュ」
「それで、今更ながら何の用なんだ?
これから俺は、眠っている連中を起こさないといけないんだが」
「そんなに時間はとらせませんわ。
ただ今の世界がどうなっているかを伝えにきただけです」
「わざわざ説明しに、か。
こんなところまでご苦労なことだな。」
肩をすくめ、呆れるウィナ。
「じゃあ、説明してくれるか、今どうなっているか」
ウィナの言葉に、シャクティは首を縦に振り説明を始めた――。
「なるほど……」
腰を完全に地面に下ろし、片膝を立てシャクティから聞いたことを頭の中で吟味する。
理解したことは1つ。
「誰もわからない――か」
「ええ、そうですわ。
6つの塔が大陸に突如、出現した。
ですが、誰1人としてそのことを説明できるものがおらず、各国とも議論を重ねている最中ですわ。
……表向きは」
「各国には、シルヴァニアも入っているのか?」
「当然ですわ」
「で、表向き――と。
ここからの情報を知るには、何か対価が必要になるのか?シャクティ」
「いえ、まだ必要はありません」
「まだということは、後で必要になる――ということか。
一体何を要求されるのか、怖いな」
全く怖がっていない素振りで笑う彼女に、シャクティの双眸は少しきつくなる。
「貴女に直接関係のないことですわ。
ウィナ・ルーシュ。
貴女には道を作って欲しい。
ただそれだけを私は望んでいるのですから」
「……道ね」
「――説明を続けますわ。
表向き、各国は議論を重ねていますわ。
歴史学者、地理学者、大工、各安全保障をする役職そうがかりで連日対応に追われているようです。
今の段階でアレが何かといえる者は誰1人存在しませんが、
それでも現段階で脅威にはなりえないと発表はしています。
あくまでも暫定的にですが」
「未来において、脅威になるかわからないということか」
「ええ。
実際、もっと正確な情報を求めスパイなどのやり取りを各国ともしているみたいですが、一向に情報が入らないそうですわ。
誰が一体何のために建てたのか」
「面白い話しだな。
各国とも情報が入らないなんて。まるで――」
にやりとウィナは嗤う。
「まるで知っていて流してない――というふうにも聞こえるが」
「その通りですわ。ウィナ・ルーシュ。
私の情報によりますと、各国とも№2は動いていますが、№1は一切動いていないそうです。
そのことについて脅威ではないと考えている同業者もいますが、私は――」
真剣な眼差しで、ウィナを見る。
「私には、すでに予見されていたことにも思えますわ。
だからこそ、彼らは動かないと」
「想像が突拍子もなさすぎじゃないか?
本当に脅威がないという可能性もなくはないか?」
「まさか、本当にそう思っているわけではないですわね?
だとすると貴女に対しての評価は下げなければいけませんわ」
「俺としては、そんな評価。がんがん下げてもらって構わないんだがね」
肩をすくめ、
「予見かどうかはわからないが、知っているのは間違いないだろうな。
そしておそらく動いても意味がないと思っているんだろうな。
じゃなければ、先遣隊でもやるだろう。
そんなに今の各国の代表者は弱腰ではないだろうしな――」
ふと疑問によぎる。
「そういえば、帝国の王は誰がやっている?」
「……女王シインディーム・エル・ヴァナ・エインフィリムが、謎の失踪をしたため現在王位は空位ですわ。
もともと女王の後継者となるべきものはおりません。
それゆえ代行という形で他国の王が現在職務に従事ておりますわ」
「他国の王――か」
「【盲目の巫女】ヘラ・エイムワードですわ」
「それはまた、なんというか」
立派な内政干渉ではないか。
そうウィナが考えたのも当然わかると、シャクティは続けて説明を続けた。
「内政干渉ですが、そこにいくまでの過程が違いますわ。
少なくとも帝国国民のほとんどが肯定しています」
「――何があった?」
「魔物達の襲撃、謎の奇病で命を落とす人々、宰相と王は行方不明、しかも王の間では血があちこちに付着している状態、何故か宰相以下の権力者達もまた暗殺されたかのように、喉を一突きされた状態で見つかっていますわ。」
「……なるほど、その状態をすみやかに沈静化したのか【盲目の巫女】は」
「……少し違いますわ。
動いたのは【闘神】ミーディ・エイムワード女王ですわ。」
「――ミーディ・エイムワード女王が、か」
「彼女は、魔物達を単独で蹴散らし、連れてきていた統括騎士団長以下、騎士団に命じ、奇病に倒れる者達を手厚く看護し、そしてハチの巣をつついたような騒ぎを起こしていた宮殿に乗り込み、高官達を一喝し指示をだし、沈静化につとめましたわ。
私もその現場にいましたけど、まるで英雄のようでしたわ」
「英雄、ね……」
つぶやくウィナ。
(うまい手段だな。
混乱している上層部、次々と命を落としてく国民、阿鼻叫喚となっているところを冷静に、慈愛をもって次々と対処していく女王。
これなら、誰も文句は言わないな。
混乱を起こした張本人がその英雄だとは誰も思わない)
唇の端をつり上げる。
思い出す。
彼女が何を望んでいたのかを。
(どんな皮肉なんだろうな、ミーディ・エイムワード)
彼女の願望。
それは英雄という今の姿から想像もできないものであった。
「帝国の話しはわかった。
それと現状もこれ以上、あるのか?」
「いいえ。だいたいのところは話しましたわ。
後は対価が必要になる事柄になりますわよ」
「対価は、俺に道を作れ――だったか。」
すっと目を細め、シャクティに問う。
「シャクティ・ルフラン。
おまえは何を俺に願う?」
その問いを待っていた。
そう彼女は身体を震わせ、目を大きく見開く。
「私の願いは――」