夜――アーリィとシア
魔法の灯りを灯しつつ、幾つもの本を周囲に浮かばせながら彼はノートにまとめていた。
ノートといってもずいぶんと古いもので、継ぎ足しができるようにだろうか紐でくくられていてさながら古文書のようであった。
彼、アーリィにとってこのノートは特別なもの。
あの時の思いを忘れないために使い続けている鎖のようなものなのだ。
思いは薄れてしまうもの。
決意であれ、願いであれ。
日々の生活で想いは摩耗していってしまう。
だからこそ、思いを風化させないがために象徴として残すのだ。
自身が誓ったことを。
「6つの塔……神……魔法陣……古代の技……扉を開ける?――なら……」
いつもなら、帝国にいたときなら自身の使い魔に身辺をまかせているのだが。
あいにくこの家にそんな防衛手段はいらない。
この家自体の結界はリティ・A・シルヴァンスタインが手をかけているとのこと。
それならば問題ないだろうとアーリィは考えていた。
正直なところ、彼女リティ・A・シルヴァンスタインの存在は彼の中では灰色。
といっても白に近い灰色である。
人によっては灰色の存在を煙たがるかもしれないが、帝国という国で曲がりなりにも女王の間近にいたものであれば、灰色どころか真っ黒、漆黒、色すら見えないなんてザラにある。
それと比べれば、いや比べてしまうことが失礼かもしれないがこの集団は彼にとっても気が休まるところであった。
それゆえに、彼は油断していた。
後ろからそろりそろりと気配を隠してやってくる大きな猫が近づいてきていることに。
猫は、彼の真後ろに立ち思いっきり、後ろから抱きしめた。
「だーれだ?」
「陛下……何をなさっているのですか」
呆れた口調でアーリィは頭を後ろに向ける。
とそこにいたのは、にんまりと笑っている元帝国の女王シインディーム・エル・ヴァナ・エインフィリムその人であった。
「ほら昔よくやっていたでしょう?久しぶりに、ね」
その言い訳に彼は大きくため息をつき、立ち上がると彼女用の椅子を持ってきて座ることを促した。
「ありがとう。アーリィ」
微笑し、お礼を言う彼女にアーリィはさらに大きくため息をつく。
まったくもって腹ただしいというべきか。
自身にいろいろとものの理を教授した師匠の言葉を思い出す。
「女はうなぎのようなものじゃ。
捕まえたと思ったら、あっさりと束縛から抜け出してしまう。じゃから束縛しようとか、相手の心を読むとかしない方がいいぞ?余計に疲れる」
平均年齢1000才以上の幼女の言葉であるが。
アーリィはシインディームが座ったのを確認し、来訪の目的を尋ねてみた。
「それでどうしましたか?」
「別に理由はないの。ただ単に遊びに来ただけよ」
「……陛下」
「ど、どうしたのかしら?アーリィ」
半眼でにらむアーリィに、珍しく弱きになるシア。
「……まあ、今更ですが」
「アーリィは、何をしていたの?」
「私の方は、あの6つの塔について調べていたところです」
「何か、わかったのかしら?」
「そうですね……。」
あごに手を置き、
「まずはあの塔ですが、あれは塔であって塔ではありません」
「どういうこと?」
「恐らく、帝国で見たものを隠す鎧のようなものだと考えています」
「帝国で……?
――っ!あの黒い杭のことかしら?」
「そうです。古の神――創造神の眷属が1人おそらくは時の属性をもつ女神を封じていたモノと同じものでしょう。」
「それが6つということは、6柱いるっていうことかしら?」
「だと思います。師匠の話の中で古代神の事柄がいくつかありましたが、眷属は6柱と聞いた覚えがあります。」
「なるほどね。でもそれを聞き出したのは――」
「酒に酔わせて――ですが」
「信憑性が一段と落ちたように思えるわ」
「仕方がありません。
師匠はアレでも古い神。それゆえに自身の記憶がはっきりしているときに世界の秘密をしゃべることができないとおっしゃっていました。だからこその酒です」
「それで本人には許可を得ては――」
「いないですね。」
あっさりと肯定するアーリィ。
「……アーリィも毒されたのかしら?」
「師匠のせいだと信じたいですね」
こほんと仕切り直してアーリィは説明を続けた。
「おそらくあの6つの塔には、時の乙女と同じく創造神の眷属が眠っているはずです。
通常は、この世界の裏と呼べる場所にてその身を封じられているものらしいですが、それを【盲目の巫女】か、または【人形遣い】が引っ張り出したものと思われます」
「6つの塔が重なる場所は……ここかしら?」
「はい。
このシルヴァニア王国他なりません。
ここが儀式の場所となるでしょう」
アーリィの推測に、シインディームの目が細まる。
「仮にも民の上に立つものとして、民を犠牲にするなんて王としては失格ね」
「王は始めから王であるわけでなく、王として育てられ、教育され始めて王のスタートラインに立つものと言います。そういう意味でも彼女は王ではなく、ただの魔法使いでしょう」
「実力的にもただの魔法使いなら、こんなことにならなかったでしょうに」
胸元で腕を組み、シインディームは嘆息した。
「なまじこの世界最強の魔法使いであるために、暴走したなら止まらないというところですか」
「本来、その手綱をとる姉は動かない――わけでもないのかしら?」
「ミーディ・エイムワード……ルーシュの加護神【闘神】のことですか?」
「以前に国同士の会合で何度か会ってはいるわ。彼女は――」
シアは思い出す。
「ひどく現実的な人間だったわ」
「現実的ですか」
「そう。
王となるものは、いえ王の地位に近いものは、人の醜さと人のきれいさ。両方を見ることになるわ。
でも比重でいえば圧倒的に人の醜さに偏るものだけど」
すらりとした足を組み、顔の前で両手を合わせるようにしながら言葉を紡ぐ。
「だから王は、負の側面に陥りやすいの。
誰もが怪しく見えて、誰もが自身の命を狙っている――。
私ですら、そんな思いに囚われ判断を誤りそうになったことが何度かあったわ。
正常な判断をするために、王は心を休めるように人の善性に目を向けることで均衡をとろうとするの。
じゃないと、圧倒的な権力は容易に人の心を狂わせる。
国を私物と化してしまう権力者が多いのは、そこかしら」
「なるほど」
「聖都フィーリアの王――【聖女】エミュレス・F・エターナル。
楽園バナウスの王――【巫女代理】コーデリア・ガルヴァン。
新都シルヴァニアの王――【闘神】ミーディ・エイムワード。
そして私。
この中でシルヴァニア王国の王である彼女だけが、国を未来においてどういう在り方にしていくべきか、その理想がなかった」
「理想がない……ですか」
「そう。
彼女には理想がないの。
国民が日々を十分に生活できればそれでいい――本当にただそれだけだったの」
「王としてはそれは問題だったと、陛下は考えるのですか?」
「もちろんよ。
これが、王族以外で言うであれば何も問題はないわ。
王であるからこそ問題なの。
一見、民にとっては理想の王かもしれない。
でも時が過ぎて、その王女以前の世界を知っているものがいなくなれば――。
生まれた時から当然のように恩恵を得て生きてきたものの十分な生活が、おそらくもっと高い要求のものになる。」
「……そうして、行き過ぎた要求の先は腐敗と滅亡」
「国として崩壊し、民は路頭に迷う――そんな結末ね。ただ――」
1つ条件がある。
それは――。
「国があと50年、100年と続いていく。
世界が存在していくことが大前提であればそうなっていくの。
でもこれが10年、30年レベルの話しであれば」
「何も問題は発生しない……ですか」
「そう。
彼女は知っていたの。
国が長くは続かない。
いえ――」
シアはそこで一呼吸をおき、告げた。
「世界が長くは続かないことを」
「おそらくそういうことですね」
アーリィもまた片眉を跳ね上げ、同意した。