第7話 元老院が悪役の小説!?
ある日の帝国議事堂。
ゼネクスが書類を整理していると、若い議員が話しかけてきた。
「最近、元老院が悪役の小説が出ているらしいんですよ」
「ほう?」
ゼネクスは興味を抱く。
「腐敗した帝国の元老院が、市民を弾圧したり、無茶な法律を作ったりして、様々な悪さをするそうなんです」
ゼネクスは黙って聞いている。
「しかし、“元老院バスター”と呼ばれる勇者が立ち上がり、元老院の悪しき企みを毎度毎度粉砕する……という内容らしいです」
「ふうむ……」
「一応、議長のお耳にも入れた方がいいかな、と思いまして」
「どうもありがとう。この胸に留めておこう」
冷静に答えたものの、ゼネクスは内心穏やかではなかった。
自分が所属している組織が悪者扱いされているなど、誰だっていい気はしない。
元老院に対する悪意まで感じてしまう。
(とりあえずジーナに聞いてみるかのう)
ゼネクスは愛する妻の顔を思い浮かべた。
***
自宅に戻ったゼネクスは、「元老院が悪役」な小説についてジーナに聞いてみる。
「ああ、知ってますよ」
「知ってるのか!?」
「しかも読んでますよ」
「読んどるのか!?」
妻が知っていることまでは想定内だったが、まさか読んでいるとは思わなかった。
「なんで教えてくれんのじゃ……!」
「私たち、結婚してからもお互いの趣味にはあまり干渉しないじゃありませんか」
ゼネクスとジーナはおしどり夫婦だが、適度な距離感を保っている。
例えばゼネクスが何かのコレクションにハマっていたとして、ジーナはそれに口出しをしたりはしないし、ジーナが婦人仲間と遊びに出かけても、どこに行ったなどとあれこれ詮索はしない。
この関係性が、二人の夫婦仲を壊さなかった部分はある。
「それはそうじゃけどぉ……」
ゼネクスは口をすぼめる。
ジーナはそんな夫を可愛らしいと感じる。
「元老院はどんな風に描かれているんじゃ?」
「帝国内の悪の組織という感じですわね。特に元老院議長はとても邪悪ですよ」
「じゃ、邪悪!?」
「ええ、凄まじい威厳を持つ銀髪の老人で、その威厳で皇帝や重臣、大賢者や騎士団長、果ては異種族や魔物まで彼の言うなりなんです」
「な、なんか誰かを思い出すのう……!」
明らかにワシがモデルじゃん、とゼネクスは言いたくなった。
自分がモデルの老人が、小説内とはいえとんでもない大悪党として描かれている。これは由々しき問題である。
ゼネクスが考え込んでいると――
「せっかくですから、読んでみたらいかがです?」
「そうじゃのぉ……」
ゼネクスとしても読まずに批判することはしたくない。
読んでみて、明らかにゼネクスに対する敵意や悪意を感じたら、何かしらの対策を講じねばならない。
いずれにせよ、読まなければ何も始まらない。
「よし……読んでみるか」
ゼネクスは『元老院バスター』を読み始めた。
議員や妻の言う通り、元老院は悪役で、そのボスの元老院議長は明らかにゼネクスを意識したようなキャラクターであった。他にも副議長のエルザム、フレイヤやデクセンなど、実在の議員をモチーフにしたような部下も多数登場する。
これにゼネクスは激怒する――と思いきや。
「お、面白い……!」
ゼネクスの読む手が止まらない。
「くそっ、元老院め! 許せん!」
「おおっ、いいぞ! 元老院バスター!」
「悪しき元老院議長の、いやクソジジイの野望を打ち砕くんじゃああああ!!!」
あっという間に一冊を読み終わる。
「ジーナ、続きを!」
「はい、どうぞ」
ジーナはこうなることが分かっていたように、二巻目を差し出す。
“元老院バスター”である勇者と悪しき元老院の戦いを、ゼネクスは徹夜で読み進めた。
***
翌日――ゼネクスは議事堂の議長席にいた。
徹夜してしまったので非常に眠いが、それを全く表に出さないのは流石である。あくびも気合で封印する。
すると、小説『元老院バスター』が議会でも話題になる。
「議長、このところ元老院を悪役した小説が流行っているそうです」
「かなりの売り上げを記録しているとか……」
「即刻、出版停止させるべきだ!」
議論が白熱する中、ゼネクスの右腕といえる副議長エルザムが皆を鎮める。
「皆さん、落ち着きましょう。ここは議長の意見を伺おうではありませんか」
議会が静まり返る。
「議長、いかがでしょう? 何らかの対策を講じるべきだと思いますが……」
しかし、ゼネクスの答えはこうだった。
「ならぬ」
議会がざわつく。
「なぜです!?」
「こんな小説は元老院への冒涜だ!」
「作者と出版元にしかるべき罰を!」
ゼネクスは静かに告げる。
「おぬしらは元老院を見くびっておるのか?」
紛糾していた議会がしん、とする。
「小説で元老院が悪役にされた……それぐらいでワシらの名が揺らぐのかと聞いておる。どうなんじゃ?」
誰も答えることはできない。
「少なくともワシはこの30年、議長として何も恥じるところなく堂々と務め上げてきたつもりじゃ。皆もそうじゃろう。いや、そうであって欲しい」
ゼネクスが右手を前に突き出す。
「市井でいかなる小説が流行ろうと、ワシらは堂々としておればよい! ワシらが物語で悪役にされたなら、堂々と笑っておればよい! ハッハッハ、元老院を悪役にするとは、面白いことを考える者もいたもんじゃ、とな!」
皆がゼネクスの言葉に夢中になっている。
「それに、元老院を悪役にされたからその者を弾圧する、ではそれこそ小説に登場する元老院のような行いではないか! 小説では悪役にされたなら、でもやっぱり現実の元老院は立派だなぁ、と言われるぐらいの元老院を目指そうではないか!」
話を終えると、ゼネクスは議席を見回す。
誰かが手を叩いた。
まばらだった拍手は議員全員に伝染し、巨大な塊となる。
「その通りだ!」
「さすがはゼネクス議長!」
「よくぞ言って下さった!」
ゼネクスは満足したようにうなずく。
そして、内心では冷や冷やしていた。
(危ないとこじゃった。出版停止なんかされたら、ワシが続き読めなくなるじゃろがい!)
***
議会がひと段落し、ゼネクスが議事堂内を歩いていると、後ろからエルザムに話しかけられる。
黒髪で切れ長の眼を持ち、若くして有能な、ゼネクスが最も信頼を置く議員の一人である。
「議長、お疲れ様です」
「おお、エルザム。お疲れ」
「先ほどの議長のお言葉、大変感動いたしました。元老院は小説で悪に書かれたぐらいではビクともしない、と」
ゼネクスは笑う。
「ハハハ、あれぐらいで目くじらを立てていては、元老院議長は務まらんわい」
「議長はあの作品、お読みになりましたか?」
「うむ、読ませてもらった。なかなか面白かったぞ」
本当は“なかなか”どころではなかったのだが、ゼネクスは小さな見栄を張った。
「それに作者は元老院のことをよく知っておる。ところどころ挟まれる元老院ネタなど、思わずニヤリとしてしまったわい」
エルザムは暗い表情でうつむく。
「ん? どうしたんじゃ?」
「その小説の作者のことなのですが……」
「作者か……。そういえばどんな人物なんじゃろうな?」
「私なんです」
「へ?」
「『元老院バスター』を書いているのはこの私、エルザム・ルヴェーノなのです!」
ゼネクスは絶句する。が、すぐに我に返る。
「しかし、作者名が全然違う……!」
「もちろんペンネームを使っています!」
「そ、そりゃそうじゃな」
我ながら間抜けなことを口走ったと、ゼネクスは苦笑する。
「申し訳ありませんでした!」
「え、いや、なぜ謝る……?」
「元老院副議長でありながら、元老院を悪とする小説を書き、それを出版までしてしまい……!」
ゼネクスは宥めるような仕草をしつつ、尋ねる。
「とりあえず、なぜあの小説を書こうと思ったのか聞かせてくれんか?」
エルザムは答え始める。
彼は元々元老院に勤める傍ら、ヒーロー小説を書いてみたいという思いがあったという。しかし、いいアイディアもなく、多忙なこともあり、結局その思いは封印されたままだった。
だがある日、議長として活躍するゼネクスを見ていたら、みるみるアイディアが湧いてきた。
あまりに強大な元老院議長、それに立ち向かう孤高の勇者――という図式が。
そして、執務の合間に執筆を続け、名を変え出版社に送ったら、出版が決まってしまった。
「そういうことじゃったか……」
ゼネクスは静かにうなずく。
「あの、私は決して議長を悪人だと思っていたわけでは……!」
「分かっておる。この爺さんをド迫力の悪役に据えたら面白くなりそう、ってところじゃろ?」
「はい、そんな感じで……あ、いや!」
「ハッハッハ、よいよい」
ゼネクスは大きく口を開けて笑った。
「ワシは作家や芸術家ではないが、そういう人たちは思わぬところからインスピレーションを得るものなんじゃろう。今回はたまたまそれがワシだったという話じゃ」
エルザムは首を横に振る。
「ですが、あの小説はあまりにも広まりすぎました。まさか、あそこまで売れてしまうなんて……。こうなった以上、やはり続けるべきではないと思うんです。今はまだよくても、将来的には本当に元老院に悪印象を抱かせてしまう恐れもある」
これを聞いたゼネクスは目を見開いた。
「ならん!!!」
「ひっ!?」
「ならんぞ、エルザム! あの小説をやめることは断じてならん!」
「し、しかし……」
「よいかエルザム! 元老院議長として命じる! おぬしには副議長として期待しておるが、同時に作家としても期待しておる! 二足の靴を履くようなことになるが、おぬしならやれる!」
熱い眼差しを向けられ、エルザムも胸を熱くする。
「よろしい……のでしょうか?」
「もちろんじゃ!」
「分かりました……小説も書き続けます!」
「うむ、頑張れよ!」
そして、ゼネクスはこう付け加えた。
「ただし、ちょっと頼みもあるんじゃが」
「なんでしょう? 元老院議長をかっこよく書けというのなら、そうしますが」
「そんなことせんでええわい。それより、これから先のストーリー、どうなるか教えてくれんか?」
「えぇっと、それはちょっと……。まだ構想を練ってる部分もありますし……」
「ううっ、やはりダメか……」
先の展開を知ることはできなかったが、その後『元老院バスター』はますます人気を博し、グランメル帝国を代表する小説シリーズの一つに成長していくこととなる。