第6話 元老院議長と騎士団長
元老院の議会で一つの予算案が可決する。
「では、帝都騎士団の予算増を皇帝陛下に上奏することとする!」
ゼネクスの言葉に拍手が湧く。
「騎士団は我が国の象徴だからな」
「これぐらいは当然だろう」
「予算が増えれば、騎士たちも喜ぶであろう」
帝都騎士団は、帝都に拠点を置くグランメル帝国きっての精鋭部隊。
入団にあたっては厳しい条件や試験が設けられており、縁故での入団はあり得ない。
甲冑を着た彼らが馬に乗り闊歩する姿は、まさに国中の人々の憧れといえる。それを見て、明日の騎士を夢見て剣術修行を始めるという男子は多い。
仕事を終えたゼネクスにフレイヤが話しかけてきた。
「議長殿。騎士団への予算増、私としても嬉しいです」
「ほう、君も騎士団に興味があるのかね?」
「私も森を故郷とするエルフ、剣術や弓術の心得はありますから」
「では騎士団の話を聞いてみたいと思うこともあるじゃろうな」
「なので、ちょうどいい機会に恵まれました」
「どういうことかね?」
ゼネクスは首を傾げる。
「騎士団長のウェルガー氏が、今度自伝を出版するらしいのです。出たら絶対に買おうと思います!」
「ほう、自伝か……」
実は、騎士団長のウェルガーはゼネクスとしても知らぬ仲ではない。
自伝を出すことを話のきっかけにして、近いうちに会いに行ってみるか、と決めた。
***
帝都内には騎士団駐屯地が設けられている。
ここに騎士団長を始めとした騎士が留まり、厳しい訓練の日々を送っている。
ゼネクスが訪ねると、ウェルガーも訓練の最中であり、会うことができた。
「ウェルガー君、久しぶりじゃな!」
「おおっ、これはゼネクス殿! ご無沙汰しております!」
グランメル帝国帝都騎士団団長ウェルガー・ヴァリエ。
やや褐色がかった金髪で、白銀の鎧を身につけた屈強な騎士である。年は三十代半ばで、ゼネクスの息子リウスよりやや年上といったところ。
類まれな剣術の才能の持ち主で、実力で騎士団団長の地位を勝ち取った。
「聞いたよ。自伝を出すそうじゃな」
「おかげさまで」
ウェルガーは少しはにかむ。
「本当に立派になった。ワシの息子にも君の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいじゃ」
「ハハ、ご冗談を。リウス殿ほど立派なご子息もおりますまい」
「まだまだじゃよ、あいつは」
「いえいえ、騎士団として魔法対策を立てたいとお招きした時は、大変分かりやすく魔法について解説を……」
「なんの、君らの理解力が高かっただけじゃろう」
否定しつつ、リウスを褒められて、ゼネクスは嬉しそうな表情である。
すると、ウェルガーは顔つきを引き締める。
「ゼネクス殿!」
「ん? なんだね?」
「私が騎士団長になれたのはあなたのおかげです! 本当にありがとうございます!」
ウェルガーはビシッと頭を下げた。ゼネクスの顔もほころぶ。
二人は、お互いに初めて出会った時のことを思い返していた。
***
若き日の騎士ウェルガーは有頂天だった。
夜の街をのしのしという擬音が似合うように歩き、酒も入っている。
それもそのはず。彼は今日まさに帝都騎士団の入団試験に合格したのだ。それも圧倒的な成績でもって。
つい先日18の誕生日を迎えたことも手伝って、その喜びは増幅される一方。
「俺は騎士様だぞぉ!!!」
大声を上げ、ニヤニヤしながら歩くウェルガー。
入団試験では他の候補者と手合わせすることになるが、どいつもこいつも相手にもならなかった。
歴戦の先輩騎士からも「とんでもない大物が入った」という目で見られる。最高の気分だった。
幼い頃から剣術に秀でて、道場でも敵無し。戯れに帝都騎士団の入団試験を受けたら、あっさりと合格してしまった。
自分の才能が怖い。嬉しい。誇らしい。
ウェルガーは自分こそが最強だと本気で信じていた。
どんな騎士も魔物も、俺の相手にはならない。いずれは騎士団長になって、帝国中、いや大陸中に俺の名を轟かせてやる。
そうしたら帝都騎士団も「ウェルガー騎士団」と名前を変更してやるか。
こんなことを考えながら、ウェルガーは我が物顔で街を歩いた。
すると、前から黒いジュストコールを着た老人が歩いてきた。
元老院議長ゼネクス・オルディン。ウェルガーは彼のことを知らないものの、服装で身分が高いことはすぐに分かった。が、そんなことはどうでもよかった。
このまままっすぐ歩いて行けば、向こうからどくだろう。のしのしと歩き続ける。
だが、ゼネクスはどかなかった。
そのまま二人は真正面から対峙する形になり、ウェルガーは顔をしかめる。
「……おい、爺さん」
「なんじゃい」
ゼネクスの眼光に、ウェルガーは一瞬怯む。だが――
「前から俺が歩いてきてるのに、なぜどかない?」
「逆に聞こう。なぜワシがどく必要がある?」
ウェルガーは歯を噛み締める。
「俺は帝都騎士団の騎士だ! それもダントツの成績で合格した! 俺の行く手を阻める奴はこの世にいないんだよ!」
ゼネクスは露骨にため息をつく。
「お前のような男が騎士とは世も末かのう」
「なんだと!?」
「騎士としての誇りなど欠片もない。噛みつくことしかできんケダモノではないか」
「言わせておけば!」
ウェルガーはたちまち剣を抜いた。
周囲から悲鳴が上がる。
だが、ゼネクスは全く動じない。ウェルガーは動揺しつつも、これを老人の虚勢だと判断する。少し脅せば、すぐにビビるに違いない。
「爺さん、あんたも抜けよ。腰に差してるじゃねえか」
ゼネクスも腰に剣を携えている。
とはいえこれは貴族としての儀礼的な所持品で、戦うためのものではない――少なくともウェルガーはそう思っていた。
「よかろう」
ゼネクスはあっさり剣を抜いた。
「……!?」
こう来るのは予想外だった。てっきり尻尾を巻くと思ったのに。
脅しのつもりで剣を抜いたのに、決闘が始まりそうな空気になり、ウェルガーの方が焦ってしまう。
「ま、待て!」
「なんじゃ?」
「このままあんたを斬ったら俺はただの人殺しになってしまう。ちゃんと決闘状を準備しないと……」
グランメル帝国には“決闘”の制度がある。
正式な決闘状を介した、両者の合意に基づいた決闘であれば、相手を殺めても罪には問われないという制度だ。
ただし、近年は形骸化しており、ここ二、三十年、決闘が行われた事例はない。
「決闘状ならあるぞ」
「はい?」
ゼネクスは懐から一枚の紙を取り出した。
それは紛れもない決闘状――しかも、ゼネクスはすでに署名と血判を済ませている。
あとはウェルガーが同じことをすれば、決闘成立である。
「はぁ!? なんでんなもん持ってるんだよ!」
「ワシのような古い男子なら、決闘状の携帯は常識じゃぞ。いつどこで自分の名誉を傷つけられるかもしれんからな」
「な……!」
ゼネクスはいつでも決闘に応じられるよう、決闘できるよう、常に決闘状を持ち歩いていた。
「ほれ、署名と血判をせんかい」
「う……」
言われるままにウェルガーはサインをし、血判も押す。
これで決闘が成立してしまった。ウェルガーがゼネクスを斬り倒しても、なんの罪にも問われることはない。たとえ元老院議長でも、法の下に定められた決闘状の効力は絶対である。
決闘する者同士として、両者向かい合う。
「さあ、来るがいい」
ゼネクスが剣を前方に構える。
ウェルガーも狼狽しつつ剣を握り締め、構える。
なぜこんなことに――ウェルガーの胸中にこんな思いが生まれる。
圧倒的な力で騎士になった俺の前にジジイが現れた。そのジジイがどかないので脅したら、脅しは通用せず本格的に決闘するはめになった。わけが分からない。
ウェルガーが戸惑っていると――
「どうした、若いの。怖気づいたか」
挑発される。
「所詮はニワカ騎士。決闘もできんのか」
ここまで言われるとウェルガーもカチンとくる。
いいだろう、やってやる。このジジイを真正面からぶった斬って、最強を証明してやる。
「ナメるなよ! そんなに死にたいならやってやる!」
ゼネクスがニヤリとする。
「いい気迫じゃ」
ウェルガーは改めてゼネクスを見る。
剣の心得がある構えであり、姿勢にもブレはない。が、ウェルガーからすれば隙はある。身体能力的にも若いこちらが上だろう。
一合、二合と打ち合う羽目になるかもしれないが、それで終わり。俺の剣がジジイを真っ二つにするだろうと確信を得る。
次の瞬間、ゼネクスと目が合った。
ぞくり、と冷たいものが体の芯を通った。
ウェルガーは自分の抱いた勝利の確信が“錯覚”に過ぎないと悟った。
(なんだ、この爺さんは……!)
戦えば十中八九、いや100パーセント自分が勝つ。
しかし、この爺さんはたとえ首を刎ねられても、最後の一撃で必ずこっちの首も刎ねてくる――そんな気がした。
つまり、100パーセント自分も死ぬ。
全身に汗がにじむ。体が震え出す。腕や足が硬直する。息が荒くなる。
一方のゼネクスは構えたまま平常心を保っている。
長い沈黙の後、ゼネクスが一歩を踏み出した。
「うわぁっ!!!」
その途端、ウェルガーは後ろに飛びのいた。その際、剣を落としてしまう。
これは騎士としては、自分から負けを認めたに等しい醜態だった。
「ん?」とゼネクス。
ウェルガーはたまらず言った。
「ま、参りました……。俺の負けですっ!」
ゼネクスはこれを見て、剣を納める。
「そうか。ではワシの勝ちじゃな」
「は、はいっ……!」
うなだれるウェルガー。
「おぬしの構え、全く隙がなかった。ワシからすれば勝たせてもらえたようなもんじゃな。しかし、剣や技が鍛えられていても心がついていかなくては、こうなってしまう。精進せえよ」
ウェルガーはうなだれたまま、うなずいた。
「では、達者でな。若き騎士よ」
堂々と立ち去るゼネクス。
しかも、市民とぶつかりそうになると、「おっと失礼」とただの市民にあっさり道を譲る。
真の強者とはああしたものなのか――ウェルガーの胸に深く刻み込まれた。
この時の老人がグランメル帝国元老院議長ゼネクス・オルディンであることを知るのはもう少し後のことであった。
***
「……そんなこともあったのう」
ゼネクスは腕を組みうなずく。
「あのことがなければ、私はどれほど傍若無人の騎士になっていたか……考えるだけでも恐ろしいです」
ウェルガーはニッコリと笑う。
笑う姿にすら風格がある。かつては強さだけが自慢のチンピラ同然だった男が、今や帝国騎士の鑑といえる存在になっていた。
ゼネクスもそのことを嬉しく思う。
しかし、同時に自分の悩みについて思い出す。
「あ、そうじゃ!」
「どうしました?」
「今のワシとのエピソードなんじゃが……もしも、自伝に書くつもりだとしたらカット……あるいは軽く触れるぐらいにしてくれると助かるんじゃが」
「……」
ウェルガーは黙っている。
「ウェルガー君?」
「実は自伝なのですが……今日が発売日でして……。しかも、今のエピソードは大々的に触れてまして……」
「あ、そうなんだ……」
手遅れであった。
「どうしましょう!? 今すぐ出版差し止めをした方が……!」
「いやいやいや、そんなことせんでよい! いやぁ、自伝、売れるとええのう! ワシも一冊買わせてもらおう!」
騎士団長ウェルガーの自伝はもちろん大いに売れた。
そして後日、フレイヤからこんなことを言われる。
「議長殿、私感動しました! 後の騎士団長にも一歩も退かない勇気! これこそが元老院議長たるゆえん……!」
ゼネクスは「ワシの威厳は一体どこまで高まるのだろう」と思わず空を見上げた。