第50話 皇帝アーノルドの命令
病から復帰して一週間が経ち、ゼネクスは順調に議長としての務めを果たしていた。
そんな折、議事堂のゼネクスの元に皇帝からの使者が訪れる。
「ワシに……何用かね?」
「皇帝陛下がぜひお会いしたいと……」
元老院議長は議会で決まった事柄の承認を得るために皇帝に上奏を行うことはあるが、こうした形で呼び出されるのはめったにないことだった。
ゼネクスも帝国民として、この招待に応じない理由はなかった。
「分かった。すぐに向かおう」
「議事堂の外に馬車を待機させております。どうぞ」
ゼネクスとしては徒歩でよかったのだが、準備されているものを断るのも失礼に当たる。使者の顔を潰さぬよう馬車に乗り込む。
城に着くと、ゼネクスは皇帝が謁見するための間“皇帝の間”に入る。
城内においても特に広い部屋だが、装飾の類は少なく、雰囲気は整然としている。
玉座には若き皇帝アーノルド・グランが座っている。
まだ30代ではあるが、大陸の覇者としての貫禄を存分に纏っている。
ゼネクスが跪くと、アーノルドがゆっくり語り掛けた。
「ゼネクスよ、病で伏せていたそうだな」
「ええ、数日ほどですが議会も休ませて頂きました」
アーノルドの顔つきが幾分か和らぐ。
「ゼネクス、お前は余にとって父のような存在だ。体を労わってくれ」
「もったいないお言葉……」
父とまで言われ、ゼネクスは感激のあまりわずかに震えを覚えた。
「さて、そんなお前に余から命令を出そう」
「なんでしょう?」
「死ぬな」
あまりにシンプルな命令にゼネクスも絶句する。
「さすがのお前も驚いたか。もちろん、これは不老不死にでもなって死なないようにしろ、などという意味ではない」
「では、どういう……?」
「知り合いの議員を亡くしたこともあり、近頃のお前はナーバスになっていると聞いた」
ゼネクスはギクリとする。
このところのゼネクスは自分の弱い部分を表に出すことが多かった。
それを敬愛する皇帝にまで知られてしまっていることに、自分の至らなさを感じてしまう。
「それ自体は悪いことではない。余も覚えがある。父上が亡くなった時は、特にな……」
アーノルドは父である先代皇帝が亡くなった時は悲しみのあまり、パブに入り浸りヤケ酒に走る有様であった。ゼネクスの命懸けの説得がなければ、どうなっていたか分からない。
「だが、自分の人生はもう終盤、まもなく亡き人間が待っている場所に行ける、などと思わず、どうか最後まで生き抜いて欲しい。“ゼネクス・オルディン”として、最後まで生きて、誇り高く燃え尽きて欲しい。これが余の命令であり、願いだ」
ゼネクスは命令の意図を理解した。
人間、自分の人生の終わり際を悟ると、どこか諦めの境地に達するものだ。悪くいえば捨て鉢になる。
自分はもう退場するだけの人間。あとは自分の後ろにいる者たちに託して、人生を終わらせる準備に入ろう、と。いつ死んでもいい境地となる。
ゼネクスもロダールの一件から、少なからずそんな心境になっていた。
だが、アーノルドはゼネクスに「最後までゼネクスらしく生きろ」と激励してくれている。
帝国に生まれ落ちて六十余年、国と皇帝に忠誠を誓い続けてきたゼネクスにとって、これほどありがたいことはない。
ゼネクスはアーノルドに礼を言うと、力強い足取りで外へ出た。
城から出たゼネクスの体は、明らかにたぎっているのを感じていた。
皇帝に励まされた高揚感が、回復をもたらしていた。
「ワシの体も案外現金じゃのう」
ゼネクスは思わず苦笑した。
アーノルドだけではない。知人や同僚、そして家族。自分に元気を与えてくれた者たちに応えるためにも最後まで生きねば――ゼネクスは決意を新たにした。




