第49話 元老院議長、体調を崩す
夜、ゼネクスが議会から帰宅する。
ジーナとメルンが夕食を出すが、ゼネクスにしては珍しく、食べきれずに残してしまった。
ゼネクスは申し訳なさそうにため息をつく。
「すまんのう。どうも食欲が……」
ジーナがそっと寄り添う。
「ちょっとお熱を測ってみましょうか」
「大げさじゃよ。必要ないわい」
「必要がないかどうかは、私が決めますわ」
「むう……」
さすがのゼネクスもジーナにだけは敵わない。ジーナはゼネクスの額に右手を当てる。
「やはり熱がありますわね」
「そうか……」
ゼネクスは落ち込む。
「明日の議会はお休みしましょう」
「いや、今は難しい議題を抱えている時、休むわけにはいかん」
すると、ジーナも目つきを厳しくする。
「そんな時だからです。無理をして、あなたが誤った判断を下してしまったら、国民全員が巻き込まれるのですよ」
絶対に休ませると言わんばかりのジーナの迫力に、ゼネクスも押し黙る。
「やむを得んか……。後でエルザムに連絡しておいてくれ」
「分かりました」
ゼネクスはため息をつきながら、パジャマに着替え、ベッドに横たわった。
横たわるとずしりと疲労感が押し寄せ、ワシは体調が悪かったんじゃなぁ、としみじみ悟った。
そして、驚くほど早く眠りにつくことができた。
***
翌日、寝室のベッドで休むゼネクス。
仰向けで天井を見つめながら、自分の議員人生を思い返す。
思えば議員になってから病欠は一度もなかった。
病気にならなかったというより、風邪ぐらいはひいていたのかもしれないが、ゼネクスの気迫で症状が出なかったというのが正しいのかもしれない。
しかし、今はそうやって抑え込んでいた症状が出てしまう。
「ワシも老いたもんじゃ……」
“老い”というものを改めて噛み締める。
昼食はジーナが作ったリゾット、メルンの作ったオレンジゼリーを食べる。
幸いすでに食欲は戻っており、完食することができた。
(議会はどうなってるじゃろうか……)
自分のいない元老院に思いを馳せる。
これまでにもゼネクスがいないことはあったが、今は重要な議題をいくつも抱えており、自分無しで大丈夫だろうか、とも思うが――
(きっと大丈夫じゃな。エルザムもおるし、他の議員も順調に成長している)
髯を撫でながら、少し寂しいなとも思うのだった。
***
次の日になると、ゼネクスを見舞う者が続々と現れる。
まずは同僚といえる議員たちが、昼休みを利用して、邸宅を訪れてくれた。
「元気そうで安心しましたよ」
「体調を崩されたと聞いて……」
「いやー、よかった……」
口々に労いの声をかけてくれる仲間たちに、ゼネクスも「心配をかけた」と柔らかく応じた。
他にも噂を聞きつけ、知人たちが次々にやってくる。
「これ、お見舞いの品です。よかったらどうぞ」
「早く元気になって下さい」
「どうかゆっくり休んで下さい」
見舞い客はなかなか途切れず、ゼネクスは自分を心配してくれる人々に心から感謝する。
さらには息子リウスも顔を見せる。
「やぁ、父さん」
「おお、リウスか」
「父さんが病気でダウンするところなんて初めて見るかも」
心配というよりからかうような息子の言葉に、ゼネクスも苦笑いを浮かべる。
そして、ジョークのつもりでこう返す。
「ワシもお迎えが近いということかのう」
すると――
「そんなこと言わないでくれよ」
「リウス……?」
ゼネクスとしてはややブラックな冗談のつもりだったのだが、リウスの表情は真剣そのものである。
「もし今、神様が僕の前に現れて、『お前の命を差し出せば、父親の寿命を延ばしてやろう』なんて言われたら、差し出しちゃうよ」
息子の吐露にゼネクスは眉をひそめる。
「なーにを言ってるんじゃ。お前がそんなことしたら、マチルダさんやミナはどうなる」
「……分かってる。でも、それだけ僕にとって父さんは大切だってことさ」
「まあ、もし本気で親に命を捧げるつもりなら、お前の命は母さんにとっておけ」
「そうだね、そうする」
「おい!」
リウスがあまりにあっさりと言ったので、ゼネクスはたまらず突っ込む。
「元気そうでよかったよ。それじゃ僕も仕事があるから、またね」
「うむ、心配かけてすまなかったな」
リウスも多忙なのか、滞在時間はほんの数分だった。
ちょうど入れ替わるように、副議長エルザムも訪れる。議会も滞りなく終わったようだ。
「議長、心配しましたよ」
「すまんのう。しかし、おぬしがいるから安心して休めるわい」
「いえいえ。今日の議題は難題揃いでしたから苦労しました」
「だが、おぬしの前に来た議員からも今日の流れを聞いた。全く問題はない。そろそろおぬしに議長の座を明け渡す時が来たのかもしれんのう」
いつになく弱気な台詞を吐くゼネクスに、エルザムが告げる。
「それは困りますね」
「む?」
「なぜなら、私はまだ夢を叶えていないですから」
ゼネクスは首を傾げる。
「夢? 今の新作……『威厳ゴッド』を書き切ることかね?」
エルザムは首を横に振る。ゼネクスは、今のエルザムは“議員”の眼だと分かった。
「いえ、そうではありません。私の夢、それは――」エルザムははっきりとした口調で言う。「『元老院議長は今やエルザムでも十分務まるのに、ゼネクス議長はいつまでのさばっているんだろう』という声を聞くことです」
ゼネクスの眉がピクリと動く。
「しかし、今のところそのような声は聞こえてきません。残念ながら、私はまだその域には達していないようです」
エルザムはゼネクスから“譲り受ける”という形ではなく、ゼネクスを“押し出す”という形で、元老院議長の座を掴みたいと言い切った。
これにはゼネクスの心もメラメラと燃え上がる。
「エルザムよ、おぬしはワシを発奮させるコツを心得ておるようじゃのう。ワシは時々おぬしのことが怖くなるわい。もしかしたら、ワシのことをジーナやリウス以上に理解しているのでは……とな」
「恐れ入ります」
エルザムは頭を下げる。
「早いところ復帰せんとなぁ。まだまだエルザムには任せておられんところを見せんと」
「期待していますよ」
ゼネクスは自分の体に、病気由来のものとは別の熱が宿るのを感じていた。
同時に、すっかり一人前のエルザムの手腕を頼もしく思う。
エルザムが帰宅をすると、ようやく見舞い客が途切れたのか、ジーナがやってくる。
「今晩は何を食べます?」
「肉じゃ。血のしたたるようなステーキを食べたいのう」
「そうおっしゃると思って、お肉屋さんでいいお肉を買いましたよ」
「おぬしにも恐れ入るばかりじゃわい」
ゼネクスは病身でありながら、丁寧に焼かれたステーキをゆっくりと、しかし全て平らげた。
ジーナはこれを見て微笑み、メルンは目を丸くして驚いていた。
食欲が回復すると、気力や体力も瞬く間に快方に向かい、ゼネクスは医者からも「素晴らしい回復力ですね。もう復帰して大丈夫です」と太鼓判を押された。
「いつまでも病気如きに負けていられんしな……元老院議長、再始動じゃ!」
ゼネクスは力強く両手を握り締めた。




