第44話 デクセンよ、“牙”を持て
早朝、ゼネクスが帝都を歩いていると、乗合馬車が走ってきた。
馬車が通る時、事故を防ぐため、歩行者は立ち止まるのがマナーとされている。
しかし――
「あっ、馬車だー!」
一人の子供が馬車に駆け寄ろうとする。
すぐに子供の母親が押さえて事なきを得たが、一歩間違えれば大参事になっていた。見ていたゼネクスもヒヤッとする場面であった。
子供の無事を確認すると、ゼネクスはそのまま議事堂に向かった。
元老院では今日も議論が活発に繰り広げられる。
「教育にもっと力を入れて……」
「ラムズ王国との件を教訓に、もっと軍備に力を入れるべきだ!」
「異種族との交流を活発に行い……」
飛び交う議題や意見を議長ゼネクスと副議長エルザムが捌き、一つの結論にまとめるというのが元老院の日々の流れである。
そんな中、リザードマン議員のデクセンが挙手をした。
トカゲのような頭を持ち、緑色の鱗に覆われ、スーツを着こなす彼だが、性格はいたって温厚。獣や魔物を主食とするリザードマンとしては珍しく、肉よりも野菜が好きという菜食主義者でもある。
「デクセン君、意見を」
ゼネクスに指名され、デクセンが返事をする。
「帝都を歩いていて思ったのですが、帝都は帝国の中心だけあって、常に馬車が行き交っています」
「その通りじゃな」
ゼネクスはうなずく。
「しかし、この間、危うく馬車に轢かれかける子供を見かけまして……」
「ほう……」
ゼネクスもついさっきそんな光景を目の当たりにしていた。
「なので、子供がよく通る道には、交通事故防止のために柵を設置するのはいかがでしょうか?」
これがデクセンの案であるが、すぐに反論が出る。
「そんなことは親がしっかり教育していればいい話で、国が対策することじゃないよ」
「注意を呼び掛ける看板ぐらいで十分だろう」
「ただでさえ問題が山積みなのに、柵なんかに予算は割けんよ」
確かにデクセンの意見は、今帝国が抱えている諸問題に比べると、遥かに小さいものである。
そして――
「デクセン君、反論は?」
ゼネクスの問いかけに、デクセンは弱々しくうなだれた。
「いえ、ありません。大変失礼しました……」
そのまま力なく席に座る。
「では次の議論に移りましょう」
エルザムが他の議員に意見を求め、デクセンの提案はあっさり流れてしまった。
この時、ゼネクスはデクセンが口惜しそうな表情をしているのを見逃さなかった。
結局この日、これ以降デクセンが何か意見を出すことはなかった。
議会終了後、ゼネクスはデクセンに声をかける。
「ちょっといいかの?」
「議長!」
デクセンが背筋を伸ばす。
「そうかしこまらんでよいよ。近くのカフェでお茶でもしようじゃないか」
「は、はい……!」
二人は議事堂近くにあるカフェに向かった。
***
カフェに入ったゼネクスとデクセン。
席に座ると、ゼネクスは紅茶を、デクセンはコーヒーを頼む。
「デクセン君、今日の君の提案、ワシにも思うところはあった」
「本当ですか?」
デクセンは身を乗り出す。議長が自分の意見を耳に留めておいてくれたことが嬉しかったのだろう。
「しかし、ワシは議長、極力中立でいなければならん立場だ。今のままでは、君の意見が通ることはないじゃろう」
「そうですよね……」
弱気な言葉を漏らすデクセンを、ゼネクスは強い目つきで見つめる。
「だからデクセン君、牙を持て!」
デクセンはきょとんとする。
「牙……ですか?」
「君のその優しさ、温厚さはかけがえのない武器じゃ。決して変わらんで欲しいと思っておる。一方で、優しさだけでは自分の意見を押し通すことは難しい。元老院はそんなに甘い場所ではない」
ゼネクスは自分自身も若い頃はなかなか自分の意見が通らず、苦汁をなめ続けた日々を思い出していた。
苦い記憶をかき消すように紅茶をグイッと飲む。
「だからこそ、牙を持て。君もリザードマンであれば、首領のゾール殿のような牙があるはず。といっても、これはもちろん、暴力で他の議員を屈服させろという意味ではないぞ。子供のための柵を作るにはどうすればいいか、他の議員を説得するにはどうすればいいか、よく考えるんじゃ。考えれば、きっと君も自分の“牙”を持てる」
ゼネクスの言葉に熱が帯びる。
「そう、かつて一緒にダンジョンに入った時、触手からワシらを救ってくれたような牙を、また見せてくれ」
ゼネクスはそのまま席を立ち、二人分の勘定を払った。
残されたデクセンは、心の中に熱い火が灯るのを感じていた。
***
一週間後、元老院議事堂。議長であるゼネクスを中心に、いつも通り議会は進行していく。
そんな中、ある議題の結論がまとまり、ゼネクスが「誰か、議論をしたい議題はあるか?」と議席を見回す。
デクセンが手を挙げた。
「デクセン君、意見を」
ゼネクスが指し示す。
デクセンは張り切って立ち上がる。
「はい。この間提案した子供の安全を守る柵を作るべき、という意見をもう一度提案します!」
議員の誰かがつぶやく。
「それはもう結論が出たじゃないか……」
デクセンは首を横に振る。
「ですから、今日はさらに詳細な調査資料を用意してきました」
手元に紙を用意し、丁寧に読み上げていく。
デクセンはこの一週間で、帝都内で起こった交通事故について調べていた。具体的な件数、加害者と被害者、そして何が原因だったのかを。
さらに、実際に事故にあった人からアンケートまで取っていた。
帝都民の「柵があれば助かったのに」「柵を作って欲しい」という切実な声が聞こえてくるような内容だった。
「このように、皆さん、何かしらの柵はあった方がいいとおっしゃっていました。なのでワタシは子供を守るための柵を作ることは急務だと考えます! 子供は帝国の宝なのですから!」
理路整然と柵の必要性を訴えられ、反対していた議員たちも口ごもる。
ゼネクスは髭を撫でながら嬉しそうな顔をする。
そして――
「デクセン君、柵の予算案について具体的に検討に移ろうではないか。どのぐらいの金が必要になるか、試算はできておるかの?」
「はい、もちろんです!」
「よろしい。では話してもらおうか」
デクセンは柵が必要そうな区画や、材料などを提案し、具体的にどのぐらいの金額がかかるか試算結果を述べる。そこに議員たちが意見をし、議論は煮詰まっていく。
ゼネクスは穏やかな目つきで「いい議論になっとる」と流れを見守った。
やがてデクセンの熱弁が実を結び、一ヶ月後には帝都内の大通りに最初の事故防止用の柵が誕生した。
木材を使い、頑丈に組み立てられた、立派な柵であった。
ゼネクスはデクセンとともに出来上がった柵を見ながら、会話を交わす。
「ついに完成したのう……」
「こうして出来上がった柵を見ていると、感慨深いものがありますね」
「あの柵を作ったのは、君じゃよ」
「はい、これも議長のアドバイスのおかげです!」
「これからも帝国のため、力を尽くしてくれよ。デクセン君」
「はいっ! ワタシの牙と鱗にかけて!」
一皮むけ、凛々しい顔つきになったデクセンを見て、ゼネクスは「また一つ、ワシがやるべき使命を果たすことができたのう」と心の中でつぶやいた。




