第37話 元老院議長の出した結論
次の日、ゼネクスは出かけることもなく、ホテルの部屋でぼんやりとしていた。
ただし、頭の中ではずっと反乱軍について考えている。
旅行に付き合ったジーナからすれば、せっかく夫婦水入らずで旅行に出たのに、夫はろくに観光をしようとしないという状況だ。文句を言ってもおかしくない。しかし、彼女は平然としている。
「あなた、お茶でもどうぞ」
「おお、ありがとう」
ジーナの淹れる紅茶は旅行先でも変わらず美味で、思考を捗らせることができる。
「すまんのう。せっかく旅行に来たのに……」
「何がです?」
「もっと色々なところを観光したいじゃろうに……」
「いえいえ、私もこうしてホテルにいる方が落ち着きますから。あなたも思う存分のんびりして下さい」
「ジーナ……」
ジーナは嘘を言っていないだろうが、夫のことを思いやっているのもまた事実であろう。
ゼネクスは窓の外をじっと眺める。
外にはジャベルが造り上げた、観光都市デイハが広がっている。
しかし、中心街を外れると、そこにはゴミや廃材が置かれた廃墟のような裏町がある。ジュレンの言うことを全て信じるのならば、彼はこの都市を造るために、自国の民を犠牲にした。
そして、一週間後には各国の賓客を招待し、その観光都市ぶりをさらにアピールしようというのだろう。そのアピールが成功すれば、ジャベルの搾取はさらに苛烈なものになるに違いない。
ゼネクス個人としては、あのジュレンたち“反乱軍”に味方してやりたい。
ジャベルの観光都市構想が、このまま上手くいくとも思えない。
このままいけば、ルカント公国はひたすら自滅への道をたどる。そんな気がする。
だが、ゼネクスはグランメル帝国の代表として、皇帝の代理として、友好の使者として、ルカント公国にやってきた。
そんな人間がよりによって現体制をひっくり返す“反乱”に協力してしまっていいのだろうか。
いくら考えても答えは出なかった。
表情を変えず脳みそを沸騰させるゼネクスを、ジーナは静かに眺めていた。
***
午後になり、ゼネクスは一人で、再びジャベルのいる公邸を訪れた。
もちろん、反乱軍のことを告げるわけではない。パーティーについて詳しく教えてもらう、という名目である。
訪ねると、ジャベルは快く応接室に通してくれ、張り切ってペラペラとパーティーについて語る。
「あなたを始めとして、多くの著名人が参加して下さいますよ。ジャード王国のヘンリー王、プリロダ王国のネイン公、サラム共和国のバックス大臣……」
いずれも議員であれば知っていることが義務とさえいえる名だたるメンツである。中にはゼネクスと面識のある人物もいる。
ジャベルの舌は生き生きとしている。彼らと交流を交わし、認められることが楽しみで仕方ないのだろう。
パーティーでは歌やダンス、ちょっとしたゲームなど、様々な催しも行うという。
「その全てをお話しするわけにはいきませんが、どうぞお楽しみに」
「うむ、そうさせてもらいましょうぞ」
ふと、ゼネクスはこんな質問を投げかける。
「ところで、ルカントは今、どのぐらいの人口がおるのですかな?」
自国のおおよその人口を聞いてみた。ゼネクスが仕える皇帝アーノルドであれば、即答できる質問である。「今さらなんでそんなことを聞くのだ?」という台詞さえ想像できる。
ところが――
「何人ぐらいでしたか……資料を確認しておきます」
「いやいや、つまらぬ質問をしました」
最後に、もう一言告げる。
「パーティーでは、ここルカントの伝統的なお酒なども出るのですかな?」
「我が国の酒も、一応あるにはありますが、とてもパーティーでお出しできるようなものではありません。皆様の舌に合うように、大陸各国から購入した美酒をきちんとご用意していますよ」
ゼネクスはこれで確信した。
ジュレンの言っていることは正しい。目の前のこの男は、自国にはまるで興味がない。君主でありながら、自国の人口さえ答えられず、伝統の酒にすら誇りがない。
ジャベルにとっては首都以外の民は、自分を派手に持ち上げるための養分に過ぎないのだ。
こんな男が君主とは……。ゼネクスは陰鬱な気持ちを抱えつつ、公邸を後にした。
***
外に出ると、ゼネクスの気持ちとは裏腹に、気持ちいいほどの快晴だった。
ゼネクスは街の公園でベンチに座り、雲を眺める。
雲はゆっくりと、穏やかに流れていく。彼らに下界の喧騒など関係ない。
(ワシは……どうすべきなのか……)
自分が他国の問題に干渉するわけにはいかないという元老院議長としての感情と、ルカント公国を何とかしたいという個人的感情の板挟みになっている。
正解はもちろん前者だ。ルカントの問題はルカントで解決すべきことであり、ゼネクスが出る幕ではない。下手すれば国際問題になり、帝国の名に傷をつけかねない。
もうジュレンたちには会わず、元老院議長としてパーティーに出て、そのままジーナと帰国する。これが一番いいに決まっている。
しかし、割り切れない。
ぼんやりと、だが真剣に考えていると、不意に孫娘であるミナの顔が思い浮かんだ。
ミナがワシだったらどうするか――
決まっている。ミナなら、困っている人を助ける道を選ぶ。
かつて、ダオンという貴族の若者がルールを無視して公園でテニスをし、周囲を困らせていた。当時自身の威厳について悩んでいたゼネクスは、威厳を発揮することが嫌で、見て見ぬふりを決め込もうと思った。そんな中、ミナは勇敢にもダオンに注意をしに向かった。
温泉旅館でもそうだった。スライムたちの疲労に気づいたミナは、スライムを酷使している行政官ギロムの悪行を見抜き、メルンとともに悪事を暴こうとした。
ゼネクスにはできなかったことを、10歳に満たない少女がやってのけたのである。
(ワシらしくもない……。こういう時、常に自分が信じる道を進むのがワシだったはずじゃ)
ゼネクスはすっと立ち上がる。
そのまま脇目も振らず、ホテルのジーナの元に戻る。
「ジーナよ、話がある」
「なんでしょう?」
ジーナは穏やかに応じる。
「この旅行中、ワシにはやりたいことができてしまった。二人で観光とはいかなくなってしまったことを、どうか許して欲しい」
ジーナはクスッと笑う。
「あなたが何か悩んでいるのは察していました。ですが、どうやら吹っ切れることができたようですね」
「お見通しじゃったか」
「それはそうですよ。長年連れ添ったんですから。どうか、あなたのやりたいことをやって下さい。私はいつだって見守っていますから」
「ありがとう、ジーナ」
自分が何をしでかそうと、ジーナは後ろから見守ってくれている。ゼネクスにとってこれほど心強いことはなかった。
この日の夜、ゼネクスは再び裏町の酒場を訪れる。
ジュレン率いる反乱軍は、やはり決起に向けて、テーブルに地図を広げ準備を重ねていた。
ゼネクスに気づき、ジュレンが顔を上げる。
「ゼネクスさん、こんばんは」
ゼネクスはうなずくと、酒を一杯頼む。
ルカントの伝統酒。控えめの甘さの中に光る雑味がたまらない。
「決めたよ」
一息に飲み干すと、ゼネクスはジョッキをテーブルに置く。
「ワシもおぬしらに協力させてもらう」
この一言で酒場が沸いた。
みんなゼネクスの正体は知らないが――直感的にこの人は頼りになる、と感じている。
そして、反乱の決起に向けて、皆で酒を酌み交わすのだった。




