第33話 元老院議長と妻、外国旅行へ
水色の空を雲がゆったりと流れる昼下がり、元老院議長のゼネクスは、皇帝アーノルドに上奏を行う。
元老院で議決された事柄は、皇帝の承認を経て、初めて法律として発布されたり、実際に政策として運用されたりする。
今日の上奏は特に問題なく終わった。
「ご理解頂きありがとうございます、陛下」
ゼネクスが頭を下げる。
「各拠点を結ぶ街道の治安強化は帝国内の産業発展に必須だからな。予算を増やさねばならぬだろう」
アーノルドもうなずく。皇帝に即位する時は「皇帝になんかなりたくない」とトラブルを起こしてもいたが、今やすっかり貫禄がついている。
「ところで、ゼネクス」
「なんでしょう?」
「お前は35歳で元老院議長となり、30年間議長を務めておるな?」
「ええ、そうなりますな」
「そこで勤続30年のプレゼントとして、一、二週間ほど休暇を与えたい。羽根を休めるがよい」
突然の休暇に驚くが、ゼネクスは少し意地悪いことを言う。
「厄介払いということですかな?」
「フッ、その通りだ」
アーノルドも負けじと応じる。
「種明かしをすると……実はルカント公国の大公から招待を受けていてな」
「ほう」
ルカント公国とは、グランメル帝国の近隣にある小国。
かつて大陸がまだ戦乱の最中にあった頃、ジョニス・ルーカスというある国の公爵は自前の軍隊で、領地を死守した。この戦いぶりは敵味方問わず大いに称賛された。
その後、ジョニスは領地を国家とし、独立を宣言。元首を「大公」に定め、ルカント公国が成立したのである。以降、ルーカス家の人間が代々大公を務めている。
小国ながら独自の価値観と高い規律を持ち、誇り高い国であるとゼネクスも認識している。
「今の大公は公国を観光立国として発展させたいと考え、首都を観光地として整えているらしい。そこに各国の賓客を招待し、観光立国としてのルカントをアピールしたいそうなのだ」
「なるほど」
「しかし、余はそのパーティーのある日、すでに別件が入ってしまっていてな。どうしても行くことができない。そこで、代理でお前にそのパーティーに参加してもらえれば、と思ったのだ。どうせなら観光旅行も兼ねてな」
「帝国の元老院議長であれば、格としても問題ないでしょうからな」
「うむ」
ゼネクスは謙遜せずに言い、アーノルドもうなずく。
「陛下のお頼みとあれば喜んで休暇を頂戴します。ワシが不在の間の議長職はエルザムに任せましょう」
「余はエルザムのこともよく知っている。彼ならば十分代理を果たせるだろう」
ゼネクスは思わぬ形で突然の休暇を手に入れることとなった。
***
自宅にはちょうどリウスの一家が来ていた。六人で夕食を楽しみつつ、ゼネクスは休暇を貰い、ルカント公国に出向くことを切り出した。
「へえ、いい話じゃない。ゆっくり羽根伸ばしてきなよ」
リウスがスープを飲みながら笑う。
「ワシもそうしたいところじゃが、さすがに一人ではな……。もう一人ぐらい連れていきたいところじゃ」
ミナが手を挙げる。
「あたしが行きたーい!」
だが、リウスは首を横に振る。
「今度の旅行は長くなるからね……。しかも陛下の代理で、遊びじゃない側面もあるし、さすがにダメだ」
「うう……」
ミナは素直に引き下がる。
「そうだ、母さんが行けばいいじゃない」
「私が?」
ジーナは自分を指差す。
「うん。二人は確か新婚旅行もしてないでしょ? ここらで済ませちゃったら?」
ゼネクスとジーナは向き合う。
「どうじゃな、ジーナ?」
「あなたがよければ、私はかまいませんよ」
ゼネクスは嬉しそうに笑む。
「よし、決まりじゃ! ジーナ、ルカント公国へ新婚……いや、旧婚旅行じゃ!」
「ええ、そうしましょう」
しかし、こうなるとメイドを務めるメルンはゼネクス邸に一人きりになってしまう。
この問題の解決策についてもリウスが提案する。
「二人が旅行してる間は、メルンはウチで預かるよ」
ミナが両手を上げて喜ぶ。
「やったー、メルンちゃんと一緒! たっぷり遊べるー!」
メルンも照れながら頬を緩める。
「うん、ミナ、いっぱい遊ぼう!」
話はまとまり、今度はゼネクスがリウスに話題を振る。
「そういえば、お前とマチルダさんの新婚旅行はどうだったんじゃ?」
リウスは指で頬をかき、はにかむ。
「僕らは帝国西にあるカスター地方のカスターの滝を見に行ったよ。絶景だった」
妻のマチルダもにこやかにうなずく。
「ええ、ものすごい高さから落ちてくる滝が迫力満点で……しかも、運よく虹がかかりまして、とても幻想的な光景でした」
「ほぉ、天も二人を祝福してくれたということじゃな」
「だけどその時僕が言ったんだよ。“君の方が虹より綺麗だよ”って」
リウスとしては名シーンを再現したつもりだったが、ゼネクスは冷ややかな目で反応する。
「息子ののろけほど、聞いててつまらんものもないのう」
「ひどい言いぐさ!」
こうしてゼネクスとジーナは思いがけず、夫婦で旅行に行くことになった。
いざ、観光立国を目指すルカント公国へ――




