第28話 元老院議長、竜の王と語らう
帝都を出たゼネクスとリウスは、肉眼で竜王を目撃する。
二人の抱いた第一印象は“山”であった。
二本の角に巨大な眼が二つ、鋭い牙を生やし、全身はくすんだ黄金色で覆われている。
大きさは二人が遥か見上げるほど。まさに山だ。
この山が四つの脚でゆっくりと帝都に迫ってくる。
実物を見ると、バカバカしくなるほど絶望的な光景だった。
「こりゃあ、でかいのう……」
「でかいね……」
もし、これが帝都に到達したら、大暴れしたら、グランメル帝国は壊滅的な打撃を受ける。今のところ同じ大陸内に帝国に野心を持つ国はないが、もしあるとすれば、それを表面化させる絶好の機会となる。
竜王は咆哮を上げる。
「グオオオオオオオオオオオオオンッ……!!!」
眼光は怒りで真っ赤に染まっている。
「父さん。父さんは竜王と話し合いでもしにきたんだろう?」
「まあのう」
「だけど、あれは無理だ。僕もドラゴンと戦ったことがあるけど、あれは完全に怒っている。話を聞くなどあり得ない」
リウスの分析を、ゼネクスは黙って聞いている。
「僕が挑むしかないようだ」
リウスはローブについたマントを翻し、竜王を見据える。
そして、考える。
(僕が生命をかけて全魔力を注いで、最大破壊力の魔法を放ったとしても、倒せるかどうか……。だが、重傷は負わせられるはず……! そうすれば、帝国軍はそこまでの被害を出さず、奴を倒せるはず……!)
大賢者は帝国のため、自分の命を捧げる決意を固める。
「待てい」
父の一声で思考が停止する。
「父さん……!」
「ワシには魔法のことは分からんが、お前のことは分かる」
ゼネクスはリウスの肩に手を置いた。
「息子に先に死なれてしまう……ワシにそんな恥をかかせてくれるな」
「父さん、でも……」
「まずはワシが行く。よいな」
ゼネクスの強固な眼光に、リウスは足を止める。
(あんな目をされちゃ、先に行かせるしかないよ……)
竜王に挑む最初の帝都民は、元老院議長ゼネクスとなった。
あまりにも巨大な敵の前に、ゼネクスは堂々と立ちはだかる。
(緊張するのう……。こんな気分はいつぶりか……。初めて議会で意見を言った時か、あるいはジーナにプロポーズした時か……)
ゼネクスは一歩踏み出す。
(後ろにリウスがいるのも心強い。あいつに背中を任せる時が来るとはのう)
一瞬目を閉じ、そして目を開き、ゼネクスは前を見た。
「ワシはグランメル帝国元老院議長ゼネクス・オルディン!!! 竜の王よ、話がしたい!!!!!」
地平の彼方まで届くような一声。
地面を鳴らして歩いていた竜の王の動きが止まる。これにはリウスも驚く。
父は少なくとも威厳という面では竜の王と同格だ、と悟る。
竜王はゆっくりと口を開いた。
家をも一飲みにしそうな巨大な口から放たれた言葉は――
「な、なんでしょうか?」
「いきなり敬語!?」
まさかの敬語に、ゼネクスもリウスも驚く。
「なんでいきなり敬語なんじゃ!?」
竜王は軽く咳払いをする。
「これは失礼……。先代竜王クラスの威厳だったものでな……つい……」
「そこまでじゃないと思うが……」
「いや、一瞬我の脳裏に生きておられる頃の先代の姿が映った。それほどの威厳だったぞ」
「ううむ……」
ゼネクスの威厳は竜王にも通用してしまった。
ここでリウスが口を挟む。
「そうか……そうだったのか」
「どうしたリウス?」
「ひょっとして、父さんの威厳は先代の竜王由来なんじゃ?」
「? どういうことじゃ?」
「つまり……父さんは先代竜王の生まれ変わりだったんだよ」
「おお……!」
ゼネクスは思わず声を上げる。
自分のこの、息子からはSランクとも評された威厳のルーツがようやく判明した。
確かにこの異常なまでの威厳は、先代の竜王から受け継いだものだとすれば、完璧に説明がつく。
(ワシのこの威厳の正体は……そういうことだったのか)
ゼネクスは嬉しい反面、どこか寂しいような、そんな気分に浸っていた。
「いや、それは違う」
そして、それは十秒ほどで否定された。否定したのは竜王だった。
「違う!? なぜ分かるんじゃ!?」
「先代は亡くなった後、昇華し、天界にて“竜神”となったからだ。生まれ変わっているはずがない」
「なるほど……。つまり、ワシのこの威厳は……」
「紛れもなく“自前”ということだな」
「そうか……」
ガッカリするゼネクスに、リウスが謝る。
「ごめん、父さん……」
「いや、かまわん。むしろ自前だと分かって、ホッとする部分もあるわい」
「我も余計なことを申したようだな」
「竜の王にそう言われると、ワシも恐縮してしまうな」
先ほどまでは“迫る巨大怪物とそれに立ち向かう父子”という構図だったのに、空気がすっかり変化してしまった。
ゼネクスは地べたにあぐらをかいた。
「少し話せるか? 竜の王よ」
すると、竜王もあぐらのような姿勢を取った。
「よかろう」
友好的な竜王に、リウスは目を丸くしたが、ゼネクスは動じない。人生経験の差が出ている。
「皇帝陛下は国外に出向いていて不在でな。竜の王の相手としては、ワシでは不足かもしれんが、存分に語り合おう」
「いや、十分だ。語り合おうではないか。元老院議長ゼネクスよ」
「よしリウス、酒じゃ。酒を持ってきてくれい。ワシと竜王殿にな」
リウスはうなずく。
「僕も父さんと竜王様の前じゃ、ただの使い走りだね」
「そういうことじゃ。頼んだぞ、大賢者殿」
「はいはい」
リウスは風の魔法を用いて、風に乗るような形で低空飛行する。瞬く間に帝都に戻ると、酒の入った大きな壺を持ってきた。
こんなこともできるようになっておったかと、ゼネクスは感心した。
「店の人は避難していなかったから、手紙と代金を置いてきたよ」
こう言って笑うリウスに、ゼネクスは「珍しく気が利いとる」と微笑む。
「大した魔法使いだ。我がかつて活動していた頃にはこれほどの魔法使いはいなかった」
「自慢の息子じゃよ」
ゼネクスはそこからコップ一杯の酒をすくい、残りは竜王に渡す。
竜王にとってはそれでもあまりにも少なすぎる量だったが、飲み干すとニヤリとする。
「いい味だ」
「ついに竜と酒を酌み交わすとは長生きはするもんじゃ。さあ、語ろう。まず、おぬしの事情を知りたい」
「うむ……」
竜王はドラゴンという種族を統べる大陸の覇者であった。
まだまだ荒っぽく血気盛んな頃のグランメル帝国を始め、多くの国と争ったこともあったという。当然人間は敵うべくもないが、次第に知恵と力を身につけていき、竜王も時代の趨勢は人間に傾いていると感じ始めていた。
そして、グランメル帝国のある代の皇帝と盟約を交わした。
自分は眠りにつくことにする。その封印の証として祠を建てて欲しい。
それが破壊でもされない限り、我は人間を見守ることにする……。
祠は帝国の西の果てに建てられ、その地下に竜王は眠った。
帝国側も眠りを妨げぬよう、それとなく祠を保護してきたのだが、代が移り変わっていくうち、祠は放置されるようになってしまった。
それでも、誰も近づけなかったのだが、自然の開拓や冒険技術の進歩によって、冒険者崩れの荒くれ者たちですら祠に近づけるようになってしまい――
――なんだこりゃ? 『竜の王ここに眠る』だってよ。
なんの敬意もない最悪の形で竜王の眠りは覚まされることとなった。
「……すまなかった」
話を聞いたゼネクスは深く頭を下げる。
「私も帝国の人間として謝罪いたします」
リウスも父にならう。
「我とて、大人気ない部分はあった。混乱を招いたことを許して欲しい」
竜王も自分が動くだけで、天災級の混乱を人間に及ぼすことは分かっていた。
それでも逆鱗に触れた自分自身を抑えることはできなかったという。竜の本能とはそうしたものなのだ。
「我は再び眠ろう。今の一杯、いい寝酒になりそうだ」
竜王はゆっくりと引き返していった。
再び西の果てで眠るべく――
残されたゼネクスとリウスは、ひとまず胸をなで下ろす。
「なんとかなったのう、リウス……」
リウスはそんな父に笑みを向ける。
「やっぱり父さんは凄い男だよ。まだまだ敵わないや」
「よし、今日は一杯飲むか?」
「お供させてもらうよ」
***
事態は収拾し、後日、皇帝アーノルドは直々にお触れを出した。
『西の果てに祠を作り直し、改めて“竜の聖域”と定める。もし無断で足を踏み入れる者があれば厳しく罰するものとする』
ちなみに祠を破壊した冒険者崩れたちは捕まった。
竜王が出した被害によっては、その原因を作ったということで極刑もありえたが、ひとまず牢獄行きで済んだという。
この件でゼネクスはさらに名を上げることとなった。
「さすがゼネクス様だ。あくまで竜と戦おうとする帝国軍を黙らせたらしい」
「竜王を帰らせたってのもすげえや」
「やっぱりあの人は帝国軍を顎で使い、威厳でドラゴンを倒すこともできるんだなぁ……」
ゼネクスは自宅で頬杖をつき、不機嫌そうにする。
「あ~あ、またワシのわけの分からぬ武勇伝と威厳が増えちゃったわい」
ジーナは紅茶を淹れつつ、たしなめる。
「まあまあ。そうやっているとみんな怖がってしまいますよ」
「そうじゃな……よし、笑顔じゃ!」
ゼネクスはジーナの紅茶を飲むと、「美味い!」とにこやかに笑った。
ジーナもそんな夫の顔を見て、柔らかに笑んだ。
私の夫は竜より強いのよ、と決して口にはしない誇らしさを胸に秘めて。




