第24話 元老院議長、温泉へ行く
「スライム温泉?」
議事堂にて、ゼネクスがきょとんとする。
会話の相手は中年のベテラン議員であった。
「ええ。私の知り合いの行政官の管轄にスライム生息地がありまして、そこから温泉が出たっていうんですよ」
「ほう、そりゃすごい」
「そこでスライムたちを従業員とする温泉宿を始めたらしくて、宿泊チケットを三枚もらいましてね」
「三枚というのは?」
「私の家族の人数分でして。ただ、私の家は……今家内は病気をしてまして、息子は試験に向けた勉強をしていて、すぐには行けないという感じなんですよ。なので、議長が温泉に興味があれば、と思いまして」
ゼネクスも風呂や温泉は好きである。
それにスライムを従業員にしているという点も好奇心が湧く。
「ありがたく受け取ろう」
もちろん、このことでゼネクスがこの議員に便宜を図るようなことはしない。相手もそれはよく分かっている。
とはいえチケットを受け取ったゼネクスは内心ウキウキであった。
(三枚か……。さて、誰と行くかのう……)
***
夜、家に帰るとリウスとミナが遊びに来ていた。
ミナを抱きしめ、リウスとは憎まれ口を叩き合う、普段通りのやり取りをする。
頃合いを見てゼネクスが切り出す。
「そういえば温泉の宿泊券を貰ったんじゃが……」
「へえ、だったら母さんと行ってくれば?」
妻であるジーナが候補になるのは自然な流れといえる。
すると、ミナが声を上げた。
「温泉、いいな~!」
ゼネクスはミナに微笑みかける。
「ならミナも行くか?」
「え、いいの!?」
「もちろんじゃ。じゃあ、ワシとジーナとミナで行くか」
すると、ジーナは――
「私よりメルンを連れていったら?」
メイドとして部屋の隅に立っていたメルンが驚く。
「え、私ですか!?」
「ええ、見知らぬところに行くのだし、彼女のように戦える人がいた方がいいと思うの」
「そうじゃのう……」
ゼネクスがちらりと見る。
「メルン、行くか?」
「いえっ、私はメイドですから!」
ゼネクスは首を横に振る。
「おぬしがメイドかは関係ない。おぬし個人の気持ちを聞いているんじゃ。温泉、行ってみたいか?」
メルンは頬を赤らめる。
「はい……。行ってみたいです!」
「決まりじゃな」ゼネクスはフッと笑う。
その後、ゼネクスは議会に休暇の申請をする。
無事承諾を得て、ゼネクスは二泊三日の温泉旅行に行くことにした。
***
邸宅の近くに屋根つきの馬車を手配し、ゼネクス、ミナ、メルンの三人で出発する。
「両手に花ってやつだね」リウスがからかう。
「まあのう」
「ちょっと妬けますわね」とジーナ。
「二人ともジーナという大輪には敵わんわい」
「あたし、おばあちゃんに負けないぐらいの花になるよ! ね、メルンちゃん!」
「う、うん」
座席には、右からミナ、ゼネクス、メルンの順に座る。
御者が手綱を操り、馬車が出発する。
「どのぐらいかかる?」
ゼネクスの問いに御者が答える。
「この馬車は最上級の馬車ですので、三時間もあれば着くかと」
「早いのう。馬も馬車も進化しとるんじゃなぁ」
エルフの里やリザードマン集落に行く時の、大鷲や竜といった移動手段には舌を巻いたが、馬車も決して負けてはいない。
帝国の領土は広大だが、各拠点を結ぶ線は確実に短くなっている、とゼネクスは実感する。
「温泉楽しみだね。メルンちゃん!」
「うん、目いっぱい楽しみたいな」
「一緒に泳ごうね!」
「おいおい、温泉で泳いじゃいかんぞ」
ゼネクスは孫娘をたしなめた。ミナはごめんなさいと舌を出す。
移り変わる景色を、ゼネクスはしみじみと眺める。
(こういう旅行は久しぶりじゃ。しっかり羽根を伸ばすかのう)
***
場所は帝都より北西部、御者の見立て通りの時刻に、馬車は旅館にたどり着いた。
旅館は白い壁が美しい、三階建ての立派な屋敷であった。
ゼネクスも思わず唸る。
「ほぉ、なかなかよさそうな場所じゃな」
ミナは年相応にはしゃぎ、メルンも目を輝かせている。
そんな彼らを、身なりのいい中年男と護衛の兵、そしてスライムたちが待ち受ける。
ゼネクスは中年男が行政官だろうと察する。
「おお、出迎えとはご苦労じゃな」
「行政官のギロム・デボルと申します」
中年男が挨拶する。この地方を治めるギロムが旅館の支配人も務めている。
黒髪の黒スーツ、鼻の下に生えた口髭が特徴的な男である。
「おお、よろしく」とゼネクス。
「そして、彼らがスライムです」
ギロムの後ろには大勢のスライムが控えていた。
スライムとはゼリー状の魔物で、大きさは人間の幼児程度。この地方に暮らすスライムは人間に対しても友好的である。エルフやリザードマンのように、元老院に議員がいるようなことはないが、このように商売に携わることは認められている。
角の生えたリーダー格の青いスライムが軽く跳ねる。
「俺っち、スラノフと言います! よろしくぅ!」
その横の赤色のスライムがお辞儀をするように震える。
「わたくしは妻のスラージュでございます」
スライムにも雌雄が存在し、一般的なスライムは、オスは水色、メスは桃色とされている。
ただしリーダー格のスライムは色が濃くなる生態がある。スラノフとスラージュの色が濃いのは、それだけ力を持ち、格があるということである。
「これはご丁寧にどうも」ゼネクスも応じる。
「あっ、ツノ生えてるー!」
ミナがスラノフの角を見てはしゃぐ。
「確かに、角が生えてるスライムとは珍しいのう」
「あ、これは“付け角”です。キャラ付けのために」
「なんじゃいそりゃ!」
ゼネクスは思わずツッコミを入れつつ、笑った。
清潔感のある建物に、やり手の行政官、そしてユーモアのあるスライム。ゼネクスはなかなかいい旅館だという印象を抱いた。
***
ゼネクスたちは、スラージュに部屋まで案内される。
「こちらです」
さっそく中を見る。カーペットが敷かれ、ベッドもメイキングされている。
広々とした、帝都のホテルと比べても遜色のないこざっぱりとした部屋であった。
「ほぉ、いい部屋じゃのう」
「ごゆっくりどうぞ」
「うむ、そうさせてもらうよ」
しばらくの間、ゼネクス、ミナ、メルンの三人は部屋でくつろぐ。
喋ったり、ジュースを飲んだり、カード遊びをしたり。和やかにゆったり時間が過ぎる。
夕刻近くになり、ゼネクスが立ち上がる。
「よぉし、そろそろ温泉に入るか!」
「うん!」
「はい!」
ミナとメルンも元気よく返事をした。
***
温泉は男用と女用に分かれており、ゼネクスは男用の露天風呂に入る。
他の客はおらず、貸し切り状態である。タオルで体を拭いてから、石造りの広い湯船に浸かる。
「いい湯じゃのう~」
大きく息を吐くゼネクス。
まず、仲良く温泉に入っていったミナとメルンを思い浮かべる。
(あの二人、相性がいいようじゃのう。まるで本当の姉妹のようじゃ)
続いてリウスとマチルダ夫妻の顔が浮かぶ。
(魔法一筋のあいつに、あんないい嫁さんが見つかって本当によかったわい)
そして、留守を任せたジーナのことを思い出す。
(こんなにいい湯なら、ジーナを連れてまた来るかのう)
温泉を上がると、すでにミナとメルンは上がっていた。備え付けの座椅子でくつろいでいる。
「おじいちゃん、遅いよ~! ちょっと心配しちゃった!」
「ハハ、すまんすまん。あまりにいい湯でな」
「旦那様、この旅館は他にも色々なサービスがあるようですよ」
メルンの言葉にゼネクスはうなずく。
「よぉし、三人でスライム旅館を堪能するとするか!」
***
広い旅館内を、支配人ギロムがゼネクスたちを連れてにこやかに案内する。
「こちらはスライムマッサージ。スライムたちが全身をほぐしてくれます」
ベッドに横たわると、人間のツボを研究したスライムが体じゅうをマッサージしてくれるという。
「お~、気持ちよさそうじゃのう」
仮眠室のようなスペースに案内される。
水色のスライムが何体か待機している。
「こちらはスライムベッド。スライムの上で弾力のある睡眠を楽しめます」
「いい夢を見られそうじゃな」
旅館内には畑もあり、スライムたちが手足のない体で農具を器用に使い、懸命に働いている。
「敷地内でスライムに果物を栽培させていましたね。これはそれで作ったジュースです」
「おおっ、美味しいのう」
スライムを利用した数々のおもてなしを紹介される。
ギロムはスライムを雇って観光地を作り、スライムたちもまた彼から給金を得ることができる。
人と異種族の理想的な共生関係がそこにはあった。
ゼネクスがおぼろげながらに目指すものを、このギロムという男は体現してくれているのじゃな、と感じる。
だが、同行しているミナはどこか浮かぬ顔をしていた。
「……」
「どうしたの、ミナ?」メルンが尋ねる。
「ううん、なんでもない……」
ミナだけは気づきつつあった。このスライム旅館の“闇”に――




