第22話 元老院議長、暗殺少女に狙われる
日没後、議会が終了する。普段より遅めの閉会となった。
ゼネクスはコートを羽織りつつ、満足そうに髭を撫でる。
「今日の議会は白熱したのう」
「ここ数ヶ月では一番という感じでしたね」
副議長エルザムがうなずく。
「さて、帰るとするか」
「議長、外はもう暗いですし、今日は馬車でお帰りになられた方が……」
「なあに、ワシの家はそう遠くないし、いつも通り徒歩で帰ることにするよ」
「承知しました。ではお気をつけて……」
議事堂を出たゼネクスはまっすぐ自宅に歩く。
その足取りはしっかりしており、年齢をまるで感じさせない。
やがて帝都の中心部を外れ、人通りの少ない道路に差し掛かる。
そこから十歩ほど歩いた時だった。
ゼネクスの目の前に人影が飛び出し、ゼネクスは目を細める。
「……?」
相手は十代半ばぐらいの少女であった。
肩にかかるほどの黒髪に、黒真珠のような瞳。顔立ちは可愛らしいが、全身を黒い服装で固めている。
「何者かな?」
ゼネクスが問うと、少女は鋭い眼差しを見せる。
「元老院議長ゼネクス・オルディンだな」
「いかにも」
明らかな異常事態だが、ゼネクスは堂々と答える。
「その命、貰い受ける!」
少女は懐から短剣を取り出した。それを真横に構える。
そのまま猛スピードで駆け出し、ゼネクスに斬りかかる。
ゼネクスは横に跳び、これをかろうじてかわした。少女は顔をしかめる。
「……くっ!」
「毎日歩いていてよかったわい」
もし、ゼネクスの足腰が衰えていたらかわし切れなかったかもしれない。
ゼネクスも護身用の剣を抜く。
「ワシもこういうことは初めてではない。元老院議長という職業柄、命の危機には幾度もあった」
剣を両手で握り締め、まっすぐ正眼に構える。
「来い、娘。助けも呼ばん。相手をしてやる」
「……行くぞ!」
少女は鋭い踏み込みから、ゼネクスの腹部に刃を振るう。
ゼネクスもすかさずこれを剣で受ける。
ゼネクスが上段から剣を振り下ろすが、少女はこれを横にかわす。
少女は喉を狙ってきたが、ゼネクスもこれを後ろにジャンプして避ける。
いくらかの攻防が続き――
(やるのう。もし、かつてリウスたちと入ったダンジョンに彼女がいたとしても、立派に戦力になったじゃろう)
ゼネクスは少女の腕前をかなりのものと判断する。
柄をより強く握り締める。
「ワシも本気を出すぞ。ここからはパンツを引き締めてかかってくるがいい!」
「パ、パンツ……!?」
ゼネクスの言葉と迫力に動揺する少女。
「私は……お前を殺さなきゃならない!」
「誰かに雇われておるのか?」
「そんなことを話す義理はない! 行くぞ!」
少女は踏み込もうとする。
だが――
「うっ……!」
ゼネクスは全身から気迫を発していた。
もはや命懸けで戦う覚悟だ。そして、たとえ首を刎ねられようと、必ず最後の一太刀で相手も仕留めてみせる。両目はそんな決意を具現化したかのような眼光を帯びていた。
「う、ううっ……!」
若き日の騎士団長ウェルガーですら怯んだ気迫に、少女も立ちすくむ。
「私は……私は!」剣を振りかぶる。「お前を殺す!!!」
気合を入れ直し、斬りかかる。
だが、怯えのせいで腰の入っていない振りになってしまい、簡単に剣を叩き落とされる。
「あうっ!」
ゼネクスはその首筋に刃を突きつける。
「終わりじゃな」
「う、うう……」
「人を殺そうというんじゃ。殺されてもよもや恨みはすまいな?」
少女は答えず、うなだれる。
「名前」
「え……?」
「名前を言わんか。それともワシの頭に己の名前も刻めぬうちに死ぬか?」
「メルン……。メルン・ソワード」
ゼネクスはこの名前に心当たりがあった。
「ソワード……。どこかで聞いた覚えが……」
一度思い出すと、それをとっかかりにすぐさま記憶がよみがえる。
「グレイゾン・ソワード、ワシと同期の元老院議員じゃった男……まさか、君は?」
「そうだ……。グレイゾンは私の祖父だ!」
「……!」
「おじい様はお前に嵌められて、議員でいられなくなり、全てを失った……! だから、だから……!」
メルンは涙を流す。
「祖父は、グレイゾンは生きておるのか?」
メルンはうなずく。
「帝都の外れで、私と……二人暮らしをしている」
「祖父と孫でか?」
「全てお前のせいだ!」
怒りをあらわにするメルンに、ゼネクスは落ち着いた口調で返す。
「のう、グレイゾンに会わせてくれんか?」
「え……」
「おぬしやグレイゾンがそれほどワシを憎んでるなら、恨み言ぐらい言いたいじゃろう。その機会を与えてやってはどうじゃ?」
「わ、分かった……。案内する」
ゼネクスはメルンとともに彼女の自宅に向かうことにした。
その道中、事情を聞く。
およそ十年前、ゼネクスは元老院議員グレイゾンをある理由で議会から追放した。
グレイゾンは息子夫婦と暮らしていたが、彼らもグレイゾンに愛想を尽かし、家を出て行ってしまったという。
しかし、幼い孫娘のメルンだけは祖父から離れようとしなかった。
以来、メルンはずっと祖父の世話をしてきた。
たとえ実の親兄弟と離れても、大好きな祖父のために。
「おじい様はずっとお前への恨み言を言っていた。自分は罠に嵌められ、議員の座を追われたのだと……」
「……」
ゼネクスは剣の腕についても尋ねる。メルンの腕はなかなかのものだった。
「剣はほぼ自己流だ。だが、帝都内の訓練場の稽古風景を見たり、騎士団の訓練を見たりして、自分なりに剣を磨いていった」
「それであそこまでになるとは大したもんじゃ」
剣を褒められるとやはり少し嬉しいのか、メルンはほのかに頬を赤くした。だが、すぐに「褒めても無駄だぞ」とばかりに睨みつけてくる。
しばらく歩き、メルンの自宅にたどり着く。
小さな一軒家であり、二人暮らしをするには問題ないが、元議員の家としてはやはり物足りなさを感じる。
「入ってくれ」
メルンに促され、中に入る。掃除は行き届いているが、やはりどこか陰鬱な雰囲気が漂う。追放された議員の怨念がそうさせているのだろうか。
寝室にはベッドに横たわるグレイゾンがいた。
長めの白髪頭に長い白髭を生やし、病を抱えているのか血色は悪く痩せ衰えている。白いパジャマ姿がどこか死に装束にさえ見えてしまう。
「久しぶりじゃな」
ゼネクスが挨拶する。
「ゼネクス!? ……議長! どうしてここに……!」
グレイゾンは目を丸くする。
「お前、孫娘に何を吹き込んだ?」
「吹き込んだ、というと?」
「お前の孫娘はな、ワシの命を狙ってきたんじゃ」
「な、なんだって!? ゲホッ、ゲホッ!」
「おじい様!」
咳き込むグレイゾンにメルンが寄り添う。
「あまり興奮させてはならんようじゃが、先ほどのことを話しておかねばならん」
「話してくれ……」グレイゾンは暗い表情で促す。
ゼネクスは全てを話した。ついさっきメルンから命を狙われたが、返り討ちにし、メルンが「グレイゾンはゼネクスに嵌められた」と主張していることを。
「メルン、そんなことを……!」
「だっておじい様は嵌められたのでしょう?」
「いや、吾輩は……」
グレイゾンはバツが悪そうにうつむく。
「今更言い逃れしても仕方なかろう。全て話した方がよい」
「わ、分かった……」
グレイゾンはメルンに「自分はやってもいない不正の罪を着せられ、議長であるゼネクスから議員を追放された」と語っていた。
だが、それは全て嘘だった。
「吾輩は不正をしていた……。ある商人から賄賂を受け、その商人になにかと便宜を図っていたのだが、それをゼネクス議長に嗅ぎつけられたのだ。一度目は停職程度の処分で済んだが、吾輩はもう一度同じ不正をやってしまい、次は……」
ゼネクスが過ちを二度許すことはなかった。
その後、メルンと二人暮らしをすることになったグレイゾンは、追放された恨みを可愛い孫娘で晴らすことにした。自分は嵌められたということにして、自分を正当化する愚痴を吐くことで、鬱憤を晴らしていたのだ。
メルンはそれらを信じ込み、ゼネクスに殺意を抱くようになってしまった。
「そんな……」
“白”だと信じていた祖父が“黒”だったと知り、メルンはがっくりする。
グレイゾンはベッドから上体を起こし、謝罪する。
「すまぬ、ゼネクス議長! もはやこの罪逃れられまいが、せめてメルンは許してもらえんだろうか! 孫は吾輩に洗脳されていたようなものなのだ!」
「いえ、おじい様は悪くありません! 全て私が悪いのです!」
二人の謝罪には応じず、ゼネクスは部屋の中を歩く。
そのまま窓の外を見る。
メルンとグレイゾンは黙っている。
「グレイゾン、この家でゲホゲホやっていても治るものも治らんじゃろう。療養所に移れ。ワシが手配してやる」
「……!?」
突然の厚意にグレイゾンは戸惑いつつ、うつむく。
「しかし、吾輩にはそんな金は……」
「じゃろうな。そしてワシも元汚職議員に金を恵んでやるほど甘くはない。だから、この娘を預かる」
ゼネクスがメルンの肩を掴む。
「おぬし、しばらくワシの下で奉公せい。“メイド”というやつじゃ」
「えっ……!?」
「その給金で祖父を救うんじゃ。悪い話ではなかろう?」
突然雇用の話を持ちかけられ、メルンは驚く。
「願ってもない話ですが……私はあなたの命を狙ったんですよ!?」
「まあな。しかし、ワシはこうして無傷で生きておるし、今回は特別じゃ」
グレイゾンが身を乗り出す。
「なぜだ、なぜそこまでしてくれる!? 吾輩らはあんたと敵対したというのに……! 少なくとも昔のあんたなら吾輩にそこまでの温情はかけなかったはずだ!」
ゼネクスは髭を触る。
「我ながら甘すぎると思っておるよ。しかし、ワシもこのところ様々な体験をしてな。多少、心も柔らかくなった。ワシがおぬしに下した追放処分は間違ってないと思っているが、その後おぬしがどうなったかを考慮していなかったのは、ワシの落ち度ともいえるかもしれん。それに……」
メルンをちらりと見る。
「ワシにも孫がおってな。このメルンよりまだ小さく、可愛らしい娘じゃ。だから、他人事とは思えなくなってしまった」
「ううっ……」
グレイゾンは両目から涙をこぼす。
ゼネクスはメルンに目を向ける。
「メルン。どうする? ワシの提案を受けるか?」
「ぜひお願いします!」
「決まりじゃな」
ゼネクスはにっこりと笑った。
***
採用は後日ということで、ゼネクスはそのまま自宅に帰った。
「ジーナよ、今日は帰宅中に命を狙われたよ」
「まあ……」
ジーナは驚いたが、ゼネクスが落ち着いた様子なので、「すでに解決したのだろう」と瞬時に理解する。
「そして、命を狙ってきた娘をメイドとして雇うことにしたが、よいかの?」
ジーナはほんの一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにいつもの穏やかな顔立ちに戻る。
「あなたがそれでいいのなら」
「そうか、ありがとう」
メルンについての会話はこれだけ。
すぐさま話題は移り変わり、ゼネクスとジーナはいつも通りの夜を過ごした。
***
後日、ゼネクスが手続きをして、グレイゾンは帝都の療養所に入った。
容態はかなり悪く、気長な治療やリハビリが必要になるという。しかし、回復の見込みは十分にあるとのことだった。
一方、孫のメルンはというと――
「今日からメイドとして働かせて頂くメルン・ソワードと申します! よろしくお願いいたします!」
フリルのついたメイド服姿のメルンが挨拶する。
ゼネクスは私服でいいといったのだが、やるからには外見から中身まできっちりメイドになりたいと申し出たのだ。
「まあ、しっかり頼むわい」
「可愛らしいメイドさんね。よろしくね」
ゼネクスはうなずき、ジーナは微笑む。
「は、はいっ! 旦那様、奥様!」
“旦那様”呼びされ、ゼネクスはぎょっとする。
「旦那様じゃと!?」
「当然です! 私はメイドなのですから! やるからにはとことんメイドになります!」
「ずいぶん生真面目な子みたいね」
祖父のために、ゼネクスの命を狙っただけのことはある。
「うーむ……まあ頑張ってくれ」
「はいっ! 頑張らせて頂きます!」
ゼネクスとジーナはひとまずこの若きメイド娘を歓迎するのであった。




