第20話 元老院議長、生きる楽しさを教える
ゼネクスがセレンディール学園に来てからもうすぐ一週間。
わずかな間でゼネクスはすっかり生徒たちに慕われていた。
「ゼネクス先生、おはよっす!」
乱暴な不良生徒だったレジオが元気よく挨拶する。
「あの、今後の国の在り方なんですけど……」
秀才生徒ジェンスとも忌憚のない議論を交わす。
「もう人を誘惑するのはやめました! 真面目に頑張ります!」
シエーネもゼネクスに叱られ、むやみに色香を振りまくのはやめたようだ。
思春期の彼らにとって、帝国最上位層にいるゼネクスと直に触れ合いを持つことができたことは、よい刺激になったようだ。
しかし、一人だけ気になる生徒がいた。
教室の隅っこに座っているチェニーという女子だった。
学校には来ているのだが、黒髪のおかっぱ頭でいつも沈んだ表情をしている。
この一週間でゼネクスは彼女とだけは喋ったことがなかった。
ゼネクスはチェニーについて他の生徒に尋ねてみる。
「あいつ? 俺も喋ったことないからよく分かんないですね」とレジオ。
「チェニー? 私とはタイプが違うからねえ……」シエーネとも女子同士の付き合いはないようだ。
ジェンスも彼女には苦言を呈する。
「チェニーはいつも“生きる意味ってなんだろう”みたいなことを言ってますよ。答えが出ないことを延々考えて、自分に酔っているだけです」
議員を夢見るジェンスからすれば、抽象的な疑問を追究するチェニーがナンセンスに思えてしまうのだろう。
「しかし、ジェンスよ。答えが出ないことを考え続けるのも大事なんじゃないかのう?」
「う……」
「とにかく、せっかくの機会じゃ。あの子とも話してみることにしよう」
ゼネクスは席についているチェニーにゆっくり近づく。
「君は、確かチェニーと言ったかの」
「はい」
「君はいつも憂鬱そうな顔をしている。なぜじゃ?」
あえて回り道はせず、ストレートに聞いてみる。
チェニーはゼネクスを上目遣いでじっと見る。
「人はいずれ死にますよね」
「そうじゃのう。ワシなんかはもうじきじゃろうな」
ジョークのつもりだったが、チェニーはクスリともしない。
「どうせいつかは死ぬのに生きるのに意味があるのか、と思ってしまうんです」
「なるほど……」
「ゼネクス様は生きることは空しいなぁ、と考えたことはないのですか?」
「そりゃある!」
力強く肯定され、チェニーはぎょっとする。
「ワシはこの通り元老院議長まで上り詰めた。いい家も建てた。愛する妻と結婚し、魔法だけは得意な息子ができて、可愛い孫娘もおる。しかし、ワシが死ねばそれもそこまで。これらの成果をあの世まで持っていくことはできん。そう考えると生きるってなんじゃろなぁ、と思えてくる。いくら、そこまで生きた証が残るじゃないかと言われても、正直慰めにはならん」
チェニーは返事に困ってしまう。
「しかしのう、生きるってのはもっとシンプルでいいとも思うんじゃ」
「え?」
ゼネクスは思い立ったようにこう言った。
「この学校にもキッチンはあったはずじゃな。よし、キッチンに行こう!」
「ええっ!?」
セレンディール学園には調理実習用のキッチンがあり、そこには調理器具はもちろん、基本的な具材が常備されている。
戸惑うチェニーを連れて、ゼネクスはキッチンへ行く。
周囲の生徒たちもぞろぞろとついていく。
キッチンに着くと、ゼネクスは備え付けのエプロンを纏った。
「チェニー、今日朝飯は食べたか?」
「いえ、朝は食べない主義なんで……」
「なら、満腹というわけではないな。というわけで、ワシが手料理をご馳走しよう!」
「手料理ですか……?」
「ワシが目玉焼きを作ろう。元老院議長の作る目玉焼きなどめったに食えるもんではないぞ!」
「は、はい……」
ゼネクスは冷蔵室から卵を取り出すと、それを割り、フライパンで目玉焼きを作り始めた。
「結構お上手ですね」
「ワシも妻がいない時は自分で料理ぐらいするしな。ジーナがいると、どうしても頼ってしまう。まあ、あいつが作った方が美味いから仕方ないんじゃが」
チェニーの目つきがわずかに和らいだ。
まもなく目玉焼きができあがる。
「何をかける? ソースか? それとも塩?」
「私、何もかけません」
チェニーの言葉にゼネクスは「そういう主義もあるんじゃな……」と目玉焼きの奥深さを思い知った。
さっそくチェニーは目玉焼きを食べる。
「どうじゃ?」
「……美味しいです」
これまでほぼ無表情だったチェニーの顔がほころぶ。
「ハハ、そうじゃろ。本来授業している時間に食べる目玉焼きじゃから、味も格別じゃろう」
チェニーは遠慮がちにうなずく。
ゼネクスはフライパンを洗いつつ、諭すように語る。
「こういうことでいいと思うんじゃ」
「え?」
「目玉焼きを食べた。美味しかった。また食べたいなぁ。よし、生きよう! 生きるってことはそういうものでいいと思うんじゃ」
「……」
「それを繰り返して、繰り返して……もう死ぬ時が来ても、目玉焼き美味しかったなぁ、と思えるならばその人生はきっと幸せだったと言えるんじゃなかろうか」
チェニーはしばらく呆然としていたが、ぼそりとつぶやく。
「この話をするためにわざわざ目玉焼きを作って下さったんですか?」
「まあのう」
ゼネクスはやや照れ臭そうに髭を撫でる。
「ありがとうございます……」
「それと、ワシも久しぶりに料理をしたかったってのもある」
チェニーはクスッと笑う。
「私、生きる意味が少し見えてきたかもしれません。きっと私はこうやって笑いたいから、今も生きているのだと思います」
「そうか……」
ゼネクスも微笑む。
「私、またゼネクス様のお料理を食べたいです。そのために頑張って生きます!」
「うむ、その意気じゃ! しかし、おぬしのように生きるとは何かを考えることも決して無駄ではない。色々考えて、自分の道を歩むのじゃ!」
「はいっ!」
大きな声で返事をするチェニーの表情はとても晴れやかだった。
生きる意味について悩む少女チェニーとも打ち解けることができた。
これでゼネクスに心残りはなくなったといえる。
そして一週間が経ち、学園を去る時が来た。
ゼネクスは生徒たちに別れを告げる。
「先生、ありがとうございました」ジェンスが頭を下げる。
「これからはもっと真面目になります!」と誓うレジオ。
「いつかあなたに美しいと言わせてみせます!」シエーネは上品に一礼する。
「目玉焼き、とっても美味しかったです」チェニーの顔もすっかり明るくなった。
「みんな、元気でな。といっても別にワシも帝都に住んでるわけじゃが、また顔を見せに来るわい」
「はいっ!」
校長を始めとした教員らにも挨拶を済ませ、ゼネクスはセレンディール学園を去った。
たった一週間の教師体験ではあったが、生徒たちにとってもゼネクスにとっても得たものは大きかった。
***
自宅に戻ったゼネクスは、ジーナと談笑する。
「いやー、教師というのもなかなか大変じゃったわい」
「お疲れ様でした」
ジーナは紅茶を差し出し、ゼネクスはそれをゆっくりと味わう。
香ばしく甘い味に、体じゅうの疲れが癒される。
「しかし、やってみないと分からないことも多かった。ワシは人生経験豊富だなどと自負していたが、教師をやったワシ自身が生徒たちに多くを学ばされたわい」
「人生日々勉強とはよくいったものですね」
「その通りじゃな。さて、この経験をどこかで生かせればいいが……」
それから数日後の元老院議会にて、この経験はさっそく生きることになる。
議会の最中、私語をしていた議員を、ゼネクスが叱りつける。
「コラ、そこっ! 今、他の議員が意見を述べているではないか! 静かにせんか!」
「は、はいっ! すみません!」
「以後気を付けるように」
「はい……。それにしても今の叱責は、まるで学生時代、先生に叱られた時のことを思い出しました」
これを聞いたゼネクスはどこか得意げに髭を撫でた。




