第2話 元老院議長、酒場へ行く
議会が終わった。
一息つくゼネクスに、副議長のエルザム・ルヴェーノが声をかけてくる。
「議長、お疲れ様でした」
「おお、エルザム。今日の議論は白熱したからのう。おぬしの仕切りにも助けられたわい」
「ありがとうございます」
エルザムは黒髪で切れ長の眼を持った爽やかな男性議員であり、年齢は三十代前半。その聡明さにはゼネクスも一目置いている。
ゼネクスも自分の後継者のように扱っており、次期元老院議長の座は固いとされている。
「では、また明日な」
「はい、お気をつけて」
議事堂を出ると、すでに日は没していた。
街を歩いていると、酒場がすでに開店していた。ランプが煌々と照り、まるでゼネクスを誘っているかのようにも見えた。
「たまには一人酒といくか」
ゼネクスは酒場に立ち寄ることにした。
ウェイトレスはゼネクスの威厳にぎょっとしつつも、「いらっしゃいませー」と明るく挨拶してくれた。
案内されるまま、ゼネクスは店の隅の方に陣取る。
「ご注文は?」
「エールを一杯もらおうかの」
「かしこまりましたー」
木のジョッキに注がれたエールを一口、二口と飲む。
日頃口にする高級酒に比べると雑味が多いが、それがまたたまらん、とゼネクスは一息吐く。
瞬く間に一杯を飲み干し、お代わりし、二杯目はじっくり楽しもうと決めた。
しばらくチビチビと飲んでいると、酒場が騒がしくなる。
「なんだとぉ!?」
「……やんのかぁ!」
酔ったチンピラ同士が揉め始めた。
口喧嘩が怒号の飛ばし合いに、怒号の飛ばし合いがつかみ合いに、という具合にエスカレートしていく。
二人とも体格の大きな男で、止めるにはかなりの危険が生じる。
ゼネクスも若い頃は酒場に足しげく通い、こういう場面をよく目撃してきた。
まあ、酒場とはこういうもんじゃて、と静観しようとする。
経験上、殴り合いまではいかず、どこかで鎮静化することが大半だと知っているからだ。
それに元老院議長である自分が、こういった場で出しゃばるのは気が引ける部分もあった。
だが――
「このヤロォ!」
「あ、押しやがったな!」
ついに片方がもう片方を手で押し、殴り合いへのカウントダウンが始まった。
「あの……皆様の迷惑になりますから!」
ウェイトレスが止めに入るも、手で振り払われてしまう。
「きゃっ!」
これを見たゼネクスがついに動く。
「やめんか!!!」
店内に響く大声。
全ての客が静まり返った。
ゼネクスは椅子から立ち上がると、喧嘩をするチンピラ二人に歩み寄る。
「あ? なんだジジイ」
「デカイ声出しやがって、鼓膜が破れるかと思ったぜ」
睨まれても、ゼネクスはビクともしない。
ゼネクスは嬉しさすら覚えていた。
このチンピラ二人は自分のことを知らないようだ。つまり、裸の自分で勝負することができる。
ゼネクスは元老院議員であるが、剣の心得もあり、決して“文武”の“文”だけの人間ではない。
「酒の席、多少の狼藉ならば大目に見るが、給仕の娘さんにも暴力を振るうのはやりすぎじゃ。勘定を払ってとっとと出ていくがよい」
赤ら顔のチンピラ二人が今更こんな説教を聞くはずもない。
「偉そうなジジイだ!」
「てめえから叩き出してやる!」
喧嘩になりそうじゃな。自分も年老いたし、おそらく何発かは殴られるじゃろう。
だが、それもいい。
元老院議長という無敵の鎧がない状態で、老いた自分がどこまでできるか試してみたい。
ゼネクスは己の内に沸き上がる血を抑えることができなかった。
「来るのなら来るがよい」
ゼネクスが二人組を睨みつける。
「へっ、死にてえのか?」
「死ぬかもしれんな。ただし、ワシもただでは死なん。楽しい一人酒を邪魔された恨みはきっちり晴らしてから朽ち果ててくれるわ。心してかかってこい!!!」
この一喝で、チンピラ二人の酔いが一気に醒めた。
「う……」
「ひいっ……」
ゼネクスとしてはもうやる気満々なのだが、チンピラたちは完全に腰が引けている。
やがて、酒場の客の一人が気づく。
「あれ……? あの人、元老院議長のゼネクス様じゃないか!?」
すると、次々に声が上がる。
「ゼネクス様だ!」
「本当だ!」
「え、そうなの? 生で見たの初めて!」
こうなると、チンピラ二人も――
「げ、げ、げげげげ、元老院議長!?」
「許して下さい! あ、いや、俺はもう処刑でいいですから、せめて家族だけは見逃して下さい……! 一族は助けて下さい……! 一族皆殺しだけはご勘弁を……!」
床に頭を埋め込む勢いで謝罪する。
ゼネクスは慌てて二人をなだめる。
「落ち着けい! 処刑とかせんから! そんな権限ないし! あと、我が国に連座制みたいなものはないから! ……ああっ、涙なんか流すでないわ! ほれ、ハンカチじゃ!」
こうしてチンピラたちを改心させ、ゼネクスは喝采を浴びたのだった。
***
この件は瞬く間に噂になり、ゼネクスの威厳をさらに高める結果になってしまった。
自宅にて、ゼネクスは妻ジーナに嘆く。
「またワシの威厳が高まってしまった……」
「そんな風に悩む人もなかなか珍しいでしょうね」
「ワシはただ、一人酒を楽しみたかっただけじゃったのに……」
落ち込むゼネクスに、ジーナがワインボトルとグラスを持ってくる。
「じゃあ、今夜は二人で乾杯しましょうか」
「おおっ、そうじゃな! 昨日の分、飲み直すとしよう!」
二人は赤ワインをグラスに注ぐと、グラスを掲げ合う。
「では妻ジーナの健康と……」
「夫ゼネクスのますますの活躍を祈って……」
乾杯――
ゼネクスにとって、この時のワインは格段に美味なものとなった。