第18話 元老院議長、学校へ行く
午前中の議会にて、ある議員がこんな発言をした。
「議長、セレンディール学園の校長が、先日の予算増強の件でお礼に伺いたいとおっしゃっていました。日程を検討して下さるとありがたいのですが」
「うむ、そうじゃのう」
ゼネクスは髭を撫でる。
「よし、ワシから出向こう」
「議長が!?」
「うむ、あの学園はワシの母校でもあるし、たまには行ってみるとしよう」
「いつ行かれますか?」
「そうじゃのう……今日の午後にでも行くか」
「早速!?」
あまりに事が早く進むので、発言した議員は目を丸くしている。
「今日やる予定の主立った議題は片付いてしまったしな。エルザム、午後の進行は頼むぞ」
「はい、お任せ下さい」
エルザムはゼネクスのいわば一番弟子であり後継者。立派に代役を務めることができる。
ゼネクスは議会を託し、昼になるとさっそく母校へと向かった。
***
帝都にある『セレンディール学園』。
グランメル帝国中にはいくつも学校があるが、その中でも特にエリートが集まる学校とされる。
ゼネクスもここで青春時代を過ごし、卒業し、元老院議員への道を歩んだ。
高い塀に囲まれ、広大な敷地を誇り、外観も立派なものであり、図書館や運動場などの施設も整っている。
(ところどころ改築の後はあるが、昔のままじゃな……)
懐かしみつつ、ゼネクスは校長室を訪ねる。
校長は、いきなりのゼネクスの訪問に目玉が飛び出るほど驚いていた。
「ゼ、ゼ、ゼネクス議長ォ!?」
「アポも取らずにすまんな。久しぶりじゃのう」
「なぜこちらに!?」
「おぬしがワシに礼が言いたいと議会で聞いたものでな。だからこちらから出向いた」
「な、なるほど」
このゼネクスのフットワークの軽さは今までになかったものだ。
校長も威厳のある人物なのであるが、ゼネクスの前では虎の前の猫のようになってしまう。
校長は予算についてゼネクスに礼を述べ、ゼネクスもそれを受け入れる。これでひとまず用件は済んだ形となる。
「ところで、学校を運営する上で何か悩みはないかのう?」
「悩みですか……」
校長は顎に手を当てる。
そこへ、一人の若い教師が入ってきた。
「あ、今は来客中でね」
「失礼しました!」
「いや、かまわんよ。学校のことの方が優先じゃ」とゼネクス。
ゼネクスの厚意を受け、校長は教師に「用を話してくれ」と促す。
若い教師は悩んでいた。
「例のクラスなのですが、授業中、言うことを聞かなかったり、授業をつまらなさそうに聞いている生徒が多くて……」
「ふうむ、あのクラスか……。優秀な生徒が揃っているのだがね……」
深刻な空気が漂う。こうなるとゼネクスも首を突っ込みたくなる。
「どうかしたのかね?」
校長が少しバツが悪そうに答える。
「少々問題児が多いクラスがありまして……」
「ほぉう」
セレンディール学園は10歳から16歳まで通う六年制の学校であり、卒業後は帝国の高官を目指す、家督や家業を継ぐ、事業を起こすなど、それぞれの道に進むことになる。
ゼネクスもこの学校で政治について学び、元老院議員を目指す上での基礎を身につけた。
問題となっているのは15歳の生徒らが集まる一クラスとのこと。
いわゆる“特進クラス”なのだが、癖の強い生徒が集まり、教師らもなかなか言うことを聞かせられないという。
「なるほどのう。リウスもそうじゃったし、ワシも自分を思い返すとそのあたりの頃が一番生意気だった気がするわい」
ここでふと、ゼネクスは閃いた。
「よし……だったらワシがやろう!」
「え」校長と若い教師は同時に言葉を発した。
「そのクラスの生徒たちをしばらく教えてみたい。ワシが教師をやろう!」
「えええええ!?」
親しみのある議長を目指すゼネクス。
65歳にして、初めて教壇に立つことを決意した。
***
問題のクラス。
教壇を中心に階段状に座席が広がっており、50人ほどの生徒が在籍している。
青い制服を着たひな鳥たちが、雑談に花を咲かせている。
教室にゼネクスが入ってきた。
「……!?」
明らかに教師ではない威厳ある老人の登場に、ざわつく生徒たち。
ゼネクスも身分を隠すつもりはなく、生徒たちの前に立つと堂々と名乗る。
「ワシは元老院議長ゼネクスじゃ」
生徒たちが一瞬で静まり返る。
元老院議長といえばグランメル帝国でトップクラスの地位。世間的には皇帝に次ぐナンバー2とも認識されている。
特にゼネクスは自身の威厳のせいで「帝国真の支配者」などと言われることもある。本人的には勘弁して欲しいと思っているが。
そんな大人物が、なんの予告もなく教室に現れてしまった。
「このクラスにはちと問題児が多いと聞いてのう。せっかくなんでこうして様子を見に来た次第じゃ」
教師相手ならばバカにしたり、無視したりということもする生徒たちが、何もできない。
だが、一人の生徒が立ち上がった。
「俺はレジオってんだ」
赤毛の短髪で背が高く、制服を乱暴に着崩した少年だった。
「俺は肩書きなんかじゃビビらねえぞ。爺さん」
元老院議長を爺さん呼ばわり。場合によってはこれだけで何らかの罪に問われることもありえる。
しかし、当のゼネクスはどこか嬉しそうだ。
「イキがいいのう。ワシ、お前みたいな奴、嫌いじゃないぞ」
「うるせえ!」
凄まれてもゼネクスは怯まない。
「ずいぶん荒っぽいが、なぜこの学校に入ったんじゃ?」
「俺はホントは騎士になりたかったんだよ。だけど、父上にムリヤリこの学校に入れられてさ……腕っぷしには自信あるってのによ!」
レジオは教室の前まで歩いてきて、黒板を殴りつけた。
一発でヒビが入った。
「ほぉ、大したもんじゃ」
「だろ? まあ、俺ぐらいになると勉強もこなせて、こうして特進クラスに入れてるけどさ」
「普段から教師たちにもそういう態度を取ってるんじゃろうが、ようするに騎士を目指せない鬱憤を学校で晴らしているということか」
「ま、そういうこと」
得意な顔をするレジオを、ゼネクスは鼻で笑う。
「言っておくが、お前程度では騎士になどなれん」
「ああ?」
レジオが眉をひそめる。
「腕っぷしを言っているのではない。心構えを言っておるのだ」
「どういうことだよ?」
「本当に騎士になりたいのならば、なぜとことん父に歯向かわなかった? 騎士団に行って“入れてくれ”と頼まなかった? お前が本気ならそれぐらいのことはできたはずだ」
レジオがむっとする。
「俺だって父上に頼んださ! だけど……!」
「諦めてしまったというわけか。つまり、お前の騎士への情熱はその程度だったということじゃな」
「ぐっ、うるせえ!」
力任せに教卓を蹴り倒す。教室内がざわつく。
「その皺だらけのクチ閉じねえと、ブン殴るぞ!」
拳を突きつけ、レジオが威嚇する。
「なら、やってみせい」
「え?」
「ワシに実力を見せてみろ。ワシは騎士団長のウェルガー君とも知り合いじゃから、本当に騎士になりたいなら口をきいてやることもできるぞ。よかったのう、夢を掴むチャンスじゃ」
「なにぃ……?」
「さあ、来るがいい。一戦交えようではないか」
ゼネクスが拳を構えるが、レジオは肩をすくめて首を横に振る。
「ふん……いくらなんでも、あんたみたいな老人に拳は振るえねえよ」
「怖いのか」
「は?」
「ワシのような老人に負けるのが怖いか」
「なんだとぉ!?」
周囲の生徒たちもざわつく。
「まずいよ、レジオの奴、怒ったら止められないもん」
「どうしよう……」
「元老院議長なんか殴ったら、大変なことになる!」
ゼネクスが生徒らに向き直る。
「心配いらん。ここでワシがどんな怪我をしても、不問にすると約束しよう。なんなら決闘状の用意もある。これにサインすれば、ここでワシを殺しても罪にはならんぞ」
「……!」
次々に退路を断たれ、後には引けなくなったレジオも拳を構える。
「決闘状なんていらねえや。不問にしてくれるんだろ? なぁ、爺さん!」
「おう、もちろんじゃ」
「だったらいくぜ!」
クラス中が見守る中、両者が向かい合う。
レジオは剣術だけでなく拳闘も嗜んでおり、教師ですら恐れない悪童である。生徒たちは誰もがレジオが老人を痛めつける光景を想像した。
そんな中、レジオが鋭い拳を繰り出し――
「うっ!」
その前に、ゼネクスの拳がレジオの顔面に寸止めされていた。
「まともにぶつけてたら、前歯ぐらい折れてたかのう」
「な、なんで……俺より速く……」
ゼネクスがニヤリとする。
「簡単なことじゃよ。お前が拳を振りかぶった瞬間、ワシは先に拳を出す。そうすれば、お前は勝手に拳に当たりに来てくれるというわけじゃ」
「んなこと、簡単にできるわけが……」
「ワシとて、若い頃は剣を持ち、戦場にも出た。ついこの間もダンジョンを冒険した。まあ、年老いてもこれぐらいの芸当はできる」
ゼネクスが若い頃の元老院では、新米議員は必ず一度は戦場を経験する義務があった。
帝国が覇権主義を掲げ荒っぽい性質だった頃の風習がずっと残っていた格好だった。
そのしきたりのせいで、優秀だったにもかかわらず戦場に駆り出され、死んでしまった議員もいる。
明らかな悪習だったのだが上の世代の議員たちにも「自分たちが通過した試練なのだから、若い者たちにもやらせるべき」という意識が働き、なかなかこの制度をやめようという声は上がらなかった。
だがゼネクスが議長になってからは、この制度をピタリとやめさせた。彼自身戦場に立たされたにもかかわらずだ。これがゼネクスの議長としての最初の功績と言われている。
紛れもない悪習ではあったが、こうして役に立つこともあるのじゃな、とゼネクスはしみじみ感じた。
「続けるか?」
「いや……。いえ、やめときます……」
敗北を認め、レジオはうなだれた。
「なかなかのパンチじゃった。さすがに騎士団に推薦はせんが、この学校を卒業したら腕を磨いて騎士を目指すもよし、勉学に励んで文官を目指すもよし。腕っぷしに自信があるなら、冒険者をやってみるという手もある。道は一つではない」
「は、はい……!」
ゼネクスが黒板のひびを見る。
「それと黒板、ちゃんと弁償せえよ。ひとまずは父親に金を借りて、それは後々自分で稼いでちゃんと返すんじゃ」
「もちろんです……!」
札付きの不良であるレジオを黙らせたことで、大半の生徒はゼネクスに対し“敵わない”という感情を抱いた。
しかし、まだゼネクスに屈していない生徒が数名残っているのも事実だった。
***
この日の夜、ゼネクスはジーナに学校に行ったことを話した。
「まあ、学校の先生になったの?」
「といってもちょっとだけじゃがの。一週間ほど、半日だけ問題児の多いクラスを受け持つことになった」
「あなたは議員としては大ベテランだけど教員としては新米、気を引き締めてちょうだいね」
ジーナの言葉にゼネクスもうなずく。
「うむ、初めて議事堂の席についた時の、あの感覚を思い出さねばなるまいな」
ゼネクスのほんのわずかな間の教師生活が始まる――




