第15話 元老院議長、エルフの里へ行く
元老院議事堂で、ゼネクスはエルフの議員フレイヤと会話していた。
「ほう、今度の休みを利用して里帰りを?」
「ええ、たまには、と思いまして。一泊二日程度のものですが」
ゼネクスは髭を撫でつつ笑う。
「いいことじゃ。議員として頑張っている自分のことをきちんと報告してくるがよい」
すると、フレイヤがじっと見つめてくる。
「議長殿……」
「ん? なんじゃ?」
「議長殿もご一緒しませんか?」
「ワシがエルフの里に?」
「ええ。もし来たことがないのでしたら、ぜひ……」
ゼネクスは考える。
そういえば議員として異種族との交流を進めながらも、その本拠地ともいえる異種族の村や集落には行ったことがなかった。
このところ、ゼネクスは“親しみのある議長になりたい”と思ったことをきっかけに、色々なことにチャレンジしている。
この間のダンジョン攻略もその一つだ。ならば、エルフの里に行ってみるのもいいかもしれない。
「そうじゃのう。ワシも行ってみるかのう。議員として、一度行ってみたいと思っていたしな」
「ホントですか!」
フレイヤの顔がぱあっと明るくなる。
「では、ご一緒しましょう!」
「ぜひそうさせてもらうよ」
こうしてゼネクスのエルフの里行きが決まった。
***
当日、ゼネクスとフレイヤは帝都郊外の平原にいた。
「エルフの里は帝都から東にある森の中にあると聞くが……」
「ええ、馬車だと十日はかかると思います」
「しかし、君ならばすぐに行けると?」
「はい。連れていってくれる者がおりますので。今、呼びます!」
フレイヤが小さな竹笛を取り出し、ピーッと音を鳴らす。
すると、空から巨大な鳥が飛んできた。
空中で翼を広げると、ゼネクスとフレイヤを影で黒く染めてしまうほどの大きさである。
「おおっ!」
「“ハクギンオオワシ”です。彼に乗っていけば、エルフの里までひとっ飛びです!」
「なかなか豪快な方法じゃな」
「ですが、彼はエルフ以外には懐きにくい鳥です。私がいれば大丈夫だと思いますが、念のためお気を付けください」
「うむ、感謝と尊敬の気持ちを忘れないようにしよう」
まもなく美しい銀の羽毛を持つオオワシが二人の前に降り立った。風圧でゼネクスの髭とフレイヤの髪がなびく。
フレイヤが命じる。
「来てくれてありがとう。さっそくだが、エルフの里まで連れていってくれ!」
「クエーッ!」
ゼネクスが前に出る。敬意を示すため、右腕を前に出し、最上級のお辞儀をする。
「人間を運ぶのは嫌かもしれんが、よろしく頼む」
「ク、クエッ!!!」
オオワシが姿勢を正した。
さらに頭を垂れ、羽根を地面に置き、明らかに屈服している。
「ど、どうしたんじゃ!?」
「さすが議長殿ですね。溢れる威厳で、気高いハクギンオオワシさえも屈服させてしまうとは」
「……そういうことにしておくかのう」
ハクギンオオワシは二人を乗せ、優雅に飛び立った。
「おおっ、地上を見渡せるわい」
ゼネクスは目を見開く。
「ですが、気をつけて下さいね。落ちたら本当に危ないですから」
「そうじゃな」
「よろしければ私の手に」
「すまんね」
ゼネクスがフレイヤの手を掴むと、フレイヤの頬がほのかに染まった。
オオワシは一直線にエルフの里のある森へと向かう。
***
エルフの里は、森の奥深くにひっそりと存在する。
エルフは長寿種で、森の中でログハウスのような家を建て、静かに生活している。自分たちの文化や生活様式に誇りを持つ、気高い種族である。
フレイヤのように人間と関わりを持つエルフも増えてきたが、帝国を嫌う、それ以前にそもそも人間自体を嫌っている者も多い。
ゼネクスを見て、里に住むエルフたちは驚いていた。
「人間だ……!」
ゼネクスはなるべくにこやかに笑うよう心がける。
「元老院議長のゼネクスと申す。フレイヤ君が帰郷するというので、ご一緒させてもらった」
すると――
「は、はいっ!」
「こちらこそ……!」
「ううむ、なんという威厳!」
エルフたちは一斉に姿勢を正す。
「えええええ!?」
驚くゼネクス。
フレイヤが微笑む。
「私たちエルフにも議長殿の威厳は通じるようですね」
「通じすぎな気もするがのう。それにこの光景、君からするとあまりいい気分ではないのでは?」
「いえ、私は議長殿を尊敬していますから!」
「そうか、ありがとう」
ゼネクスが礼を言うと、フレイヤも嬉しそうに唇を吊り上げた。
しばらくは里の中を気ままに散歩する。
フレイヤはある店に行き、木のカップに入ったジュースを買ってきた。
ジュースは、黄色とオレンジの中間ぐらいの色をしている。
「エルフの里に伝わる“木の実のジュース”です。どうぞ」
ゼネクスは一口飲んでみる。
「おおっ、美味い! 甘すぎず、喉ごしがよく、優しい味じゃ」
「でしょう。帝都で売られているジュースも好きですけど、やはり私にはこの味が一番ですね」
「ぜひ帝都でも飲みたいが、エルフの里の専売特許でもあるじゃろうな」
「もしもっと人とエルフの交流が広まれば、きっと帝都でも飲めるようになりますよ」
「うむ、そうじゃな」
ゼネクスはこの木の実のジュースが帝都で売られている光景をふと想像した。
決して不可能ではない。決して遠くない未来に、きっと。
しばらく散策を楽しむと、フレイヤがこう提案する。
「ぜひ長老にお会いして欲しいのですが、よろしいですか?」
「長老というのは、この里の……?」
「はい、エルフの里の長です」
「ワシとしても願ってもないことじゃ。喜んで会わせてもらおう」
歩きながら、自然と長老の話題となる。
「エルフは人間の何倍もの寿命を持つ長寿種じゃが、長老殿は何歳ぐらいなんじゃ?」
「千を越えるとか……」
「千!?」
「エルフでも異例の高齢です。人間でいうと百を越えているという感じでしょうか。しかし、まだまだ元気で……」
「大したものじゃ」
ゼネクスも年齢でいえば六十を過ぎたばかり。
千年を生きたエルフからすれば、まさしくひよっこであろう。
威厳がある、と言われ続けた自分であるが、今日ばかりは長老の威厳に圧倒されることになりそうだ。
自分など井の中の蛙。そのことを思い知らされるのもまたよい、と嬉しさすら覚える。
長老は大樹をそのまま家に改築したような自宅で暮らしている。
ゼネクスはフレイヤとともにその中に入る。
すると、クッションに小柄なエルフが座っていた。
三角帽を被り、尖った耳を持ち、目が隠れるほどの太い眉と、顔半分が隠れるほどの髭を生やしている。
青くゆったりとした服装で、あぐらをかいている。
あまりの神々しさに、ゼネクスは彼こそが長老だとすぐに分かった。
フレイヤがゼネクスを紹介する。
「長老、私が今お世話になっている元老院議長のゼネクス様です」
「お初にお目にかかる。ゼネクスと申します」
長老もおごそかに口を開く。
「儂は長老のバポス。正直言って、儂からすれば人間など取るに足らぬ存在」
「そうかもしれませんな」ゼネクスはあえて肯定する。
ゼネクスとて人間であることに誇りは持っているが、バポスを前にするとそんな誇りも吹き飛んでしまう。
「しかし、あなたを一目見て気が変わった」
「え?」
「儂など、あなたからすればひよっこのようなもの。脱帽です」
文字通り三角帽を脱ぎ、敬意を表するバポス。
これにはゼネクスの方が狼狽してしまう。
「いや、いや、いや、ちょっと待った!」
「なんです?」
「千年も生きてるのに、ワシ程度に脱帽せんでもらいたい! ワシなんぞ子供みたいなものでしょう!」
「儂の千年など、あなたにとっての一年のようなもの……」
「密度に差がありすぎじゃ! もっと自信を持って下され!」
フレイヤがにっこりと笑う。
「議長殿の威厳は、我らエルフ族の長老にも通用するようですね」
「通用しすぎじゃろぉ!」
「ぜひ、儂の代わりにエルフ族の長老になって下さらんか。あなたになら、託せる」
「なるわけないじゃろぉ!」
ゼネクスも思わず声を荒げる。
バポスをなだめるのには苦労した。
フレイヤ曰く、バポスはおよそ数百年里を出ておらず、自分以上に威厳のある存在に免疫がなかったからとのこと。
しかし、打ち解けてしまうと、年配同士、上に立つ者同士、不思議と気が合った。
千歳と65歳という年の差がある二人だが、互いに結局はジジイ同士、波長が合うのだろう。
バポスからエルフの歴史を聞く。
「このエルフの里も帝国領にされるとなった時は、反発する者も出て多くの血が流れた……」
「悪名高き“エルフ併合”ですな」
グランメル帝国は、国内に暮らす異種族を強引に屈服させようとする時代があった。皇帝や帝国軍の威光を示すための政策であった。
「儂らもよう戦ったが、やはり帝国の軍事力には屈する他なかった」
「当時の帝国のエルフの扱いは酷いものだったと聞いております」
「うむ、儂らを蔑み、まるで奴隷のように扱った。何代かの後、賢帝が現れ、我らの扱いも改善されたが……それでも帝国を憎むエルフは多い」
「憎まれても当然です。元老院議長として、ワシからも深くお詫び申し上げる」
「ほっほ、ありがとう、ゼネクス殿。あなたのような方と出会えてよかった」
「ワシもです。これでめでたく和解とまではいきませぬが、その一歩とさせて頂きたい」
エルフの里に伝わる木の実を発酵させた酒を酌み交わす。
「ジュースも美味しかったが、これもまた美味い!」
「この味が分かるとは、あなたもなかなか通じゃな。人間にはちと薄味かと思ったが」
「いえいえ、柔らかい味ながら内に秘められた木の生命力を感じますぞ」
「ほぉ、人間でそれを分かるとは、大したもんじゃ。どれもう一杯」
「かたじけない」
酒を酌み交わし、二人はだんだんと出来上がってくる。
「分かる! 今時の若者はなっとらんのう~!」
「そうなのだ。エルフとしての誇りを忘れて……情けない……!」
年寄り特有の“今時の若者は”トークでくだを巻き――
「人間だって~」
「エルフだって~」
「酒は大好き~」
「今夜は呑むぞ~」
肩を組み、即興で謎の歌を歌い――
ここまでいくと、律儀に二人に付き合っていたフレイヤも呆れていた。
さらにバポスはこう切り出す。
「このフレイヤは、この里でも特に優秀なエルフじゃ。この通り美しく、狩りも上手く、帝国から元老院議員に抜擢されるほどに頭もよい」
「それはもう、承知しとります」
「そこでゼネクス殿……フレイヤを嫁に貰って下さらんか!」
ゼネクスの眉がピクリと動く。
「フレイヤを、あなたになら託せる!」
ゼネクスはしばし沈黙し、ぼそりと答える。
「ワシ……妻がおりますので」
「あ、そう……残念だ」
フレイヤに「長老!」と叱りつけられると、バポスはシュンとなった。
このようなハプニングもあったものの、非常に楽しい夜となった。
翌日、朝食を済ませると、名残は惜しいがゼネクスとフレイヤは里を後にする。
ハクギンオオワシの背中にて、ゼネクスが笑う。
「フレイヤ君、楽しかったわい」
「こちらこそ、議長殿を連れていって本当によかったと思っています」
わずか一日の滞在ではあるが、人間とエルフの距離がほんの少し縮まった。そんな感触はあった。
「それと、長老がフレイヤ君を嫁にもらってくれと言った件じゃが」
フレイヤの顔が強張る。
「悪い気はせんかったよ」
「……はい!」
フレイヤに芽生えていたほのかな恋心。
ゼネクスはそれに応えることはできないが、彼なりの優しさで返した。




