第1話 元老院議長は威厳がありすぎる
グランメル帝国の元老院議会では、今日も活発な議論が繰り広げられていた。
「冒険者ギルドの予算を増やすべきだ!」
「うむ、冒険者の需要は日に日に高まっている……」
「魔物の退治や遺跡の探索など、彼らが果たす役割は大きいですからね」
扇状に広がる議席、それを統べる中心部に立つ老人こそ、グランメル帝国元老院議長ゼネクス・オルディン。
25歳で元老院議員となり、35歳の時に元老院議長に就任。以来、30年間議長という重責をこなし続けている。
ゼネクスが皆の意見を汲み取り、議決を宣言する。
「では、冒険者ギルドへの予算増加は可決となった。ワシから皇帝陛下へ上奏を行う。皆の者、ご苦労だった。それでは本日の議会はここまで!」
***
時刻は夕刻前、ゼネクスは「老いは足腰から来る」という信念から、馬車を使うことをあまり好まず、自宅と議事堂の往復は徒歩で行う。
ゼネクスは、白髪混じりの銀髪をオールバックにまとめ、目つきは猛禽類のように鋭く、彫りの深い顔立ちをしている。
逞しい口髯と顎髭を蓄え背も高い彼が、貴族御用達の黒いコート、ジュストコールを着て歩く姿は、威厳に満ちており――というより“威厳”が服を着て歩いているといっても過言ではない。
ゼネクスが歩いていると、泣いている子供がいた。
膝をすりむいており、転んだのだろう。
「ひっく、ひっく……」
ゼネクスが子供を見て、何か話しかけようとすると、
「ひっ……! あ、なんでもないです! ぼく、泣いてません!」
すぐに泣き止んだ。
街中で若い学生数人が雑談をしている。
「今日出た課題、どうする?」
「量多いし、かったるいよなぁ~」
「今日はパーッと遊んじゃおうぜ! 課題なんざテキトーに済ませばいいんだから」
そこを通りかかったゼネクスが、彼らをちらりと見る。
すると――
「あの人は確か、元老院の……」
「すみませんっ、課題しっかりやります!」
「申し訳ありませんっ! 我々が間違っておりました!」
学生たちはそそくさと退散していった。
噂話に花を咲かせる主婦たちがいた。
「ねえ、聞いた? 雑貨屋のご主人、奥さんに逃げられたらしいわよ」
「よく喧嘩してたものねえ……」
だが、ゼネクスが近くを歩くと、自分たちが悪いことをしていたように黙り込んでしまう。
ゼネクスは老齢とは思えぬほどしゃんとした姿勢で歩き続ける。
彼の耳にはこんな声も入ってくる。
「ゼネクス様だ。相変わらず、すごい威厳だな……」
「なにしろ、帝国の黒幕、真の支配者とも言われるお方だ」
「その気になれば、帝国軍を顎で動かせるそうだ」
「威厳だけでダンジョンを攻略し、ドラゴンを倒したこともあるとか……」
ゼネクスは気にする様子もなく、歩き続け、自宅にたどり着いた。
彼の邸宅は地位に比べると決して大きくはないが、質実剛健とした造りとなっており、これもまた彼の威厳を高めるに一役買っていた。
***
「ただいま」
「お帰りなさい」
ゼネクスを出迎えるのは、妻のジーナだった。
五歳年下のジーナは、栗色の髪を持つ穏やかな老婦人であり、長年ゼネクスを支え続けている。
夫婦には一人息子がいるが現在は家を出ており、二人暮らし。
ゼネクスはリビングでコートを脱ぎ、ジーナが淹れた紅茶を一口飲むと――
「どうしてこうなったんじゃ!」
突然の怒鳴り声にも、ジーナは落ち着いた様子で応じる。
「どうなさったんです、あなた?」
「今日街を歩いておったらな、ワシが近づくだけで子供は泣きやみ、学生たちは真面目になり、主婦らは噂話をやめ……別にワシが何かしたわけでもないのにだ!」
「あらま」
「しかも、ワシを“帝国の黒幕”だの“真の支配者”だの噂しおって……ワシのどこが黒幕じゃい! 堂々と元老院の議長しとるじゃろがい! 真の支配者って……確かにワシは皇帝陛下に助言する立場じゃが、陛下を飛び越えたことなど一度もない!」
ジーナは黙って聞いている。
「挙げ句、帝国軍を顎で動かすとか……そんな権限ないわい! 威厳だけでダンジョンを攻略とかドラゴンを倒すとか……できるわけねーじゃろ! このところ、ずっとこんな風に言われ続けておるんじゃ! どうしてこうなってしまったんじゃ、ジーナよ……」
一通り悩みを吐き出すと、ゼネクスは落ち着いたようだ。
ジーナはこう告げる。
「まあまあ、あなたは元老院の議長。国のトップではありませんが、そこに近い地位にいることは事実ですから」
「そうかもしれんが、ワシは地位にあぐらをかいていたつもりはないぞ。帝国のために必死で働いてきたんじゃ。常に堂々としてな。不正をしたことなぞ一度もないし、黒幕というよりはむしろ“白幕”と呼んで欲しいぐらいじゃ!」
これは事実であり、ゼネクスの経歴はいたってクリーンである。
賄賂のようなものを渡されても、全て突っぱねることが常であった。
だからこそ、黒幕だの真の支配者のような扱いは心外であり、歯がゆいものがある。
「あとは、そうですねえ。あなたは威厳がありすぎますから」
「威厳、か……そんなにあるかのう?」
「私は毎日あなたに接してますから、あなたから威圧感を受けることはないですが、やはり周囲の人々はそうもいかないのでしょうね。元老院議長という立場に加え、年長者。こんな人を見たら、威厳を感じずにはいられないのでしょう」
「なるほどのう……」
ゼネクスは納得する。
自分は地位が高く、背丈も高く、年齢も高い。周囲から恐れられ、実像以上の逸話を噂されても仕方ないのだと。
しかし――
「ワシは……親しみのある議長になりたい! 街を歩けば、みんなから気軽に挨拶される。そんな議長に……!」
天井を見上げるゼネクスに、ジーナが答える。
「でしたら、まずは笑顔から始めてみてはいかが?」
「笑顔?」
「ええ、ニッコリと笑うんです。元老院議長は重責ですし、あなたは笑うことなどほとんどないでしょ? だけど、そこであえて笑ってみれば、周囲のあなたを見る目も変わるかもしれませんよ」
「……なるほど、やってみるか!」
ゼネクスの顔が明るくなる。
「じゃあ、ご飯にしましょうか。いいお肉が手に入ったんですよ」
「うむ、そうじゃのう!」
すっかり機嫌を直したゼネクスは、この日の夕食をたらふく平らげた。
***
次の日の朝から、ゼネクスはさっそく“笑顔”を実践する。
議会へ向かう途中、道ゆく人々に満面の笑みで挨拶する。
「やぁ、おはよう!」
すると、人々は――
「ひっ! お、おはようございます!」
「議長が笑っておられる! 一体何があったというんだ……」
「なんて威厳のあるスマイルだ……! 恐ろしい……!」
さらに議会でも笑みを浮かべてみるが――
「議長が笑っているぞ……!」
「きっと我々の不甲斐なさに腹を立てて、思わず笑みがこぼれてしまうような状態に違いない」
「気を引き締めねば!」
こんな具合であった。
ゼネクスの思惑をよそに、議会はいつもより数段ピリピリしたものになった。
この日、家に戻ったゼネクスはさっそく妻に泣きつく。
「なぜじゃ!? なぜワシがこんなにスマイルしとるのに、みんな恐れるんじゃ! 怖がるんじゃ!」
「まあまあ、一歩ずつやっていきましょうよ」
「うむ、そうじゃな……」
ひとまず落ち着いたゼネクスを、ジーナは温かい笑みで見守る。
ジーナは夫のこんな姿を見られるのは妻の特権でもあるわね、と少し得意げな気分にもなるのだった。
連載作品となります。
よろしくお願いします。