7 手紙
「旦那様、奥様がお部屋にこもりきりで」
「放っておけ!」
執事の言葉をあしらって、ラスペード家当主、ヘンリ・ラスペードは苛つきながら手にしていた手紙を握りつぶした。
「あの男、違約金が足りないだと!? 婚約破棄してきたのは向こうだろうが。ふざけたやつめ!」
婚約を決めたのは、あの男の家名が魅力的だったからだ。財産面ではラスペード家に及ばない。落ちぶれた名家。たかが王妃にとどまれた娘を送り出した家門の一つだけ。
だが、そのたかががラスペード家にはない。王妃をすげられる家ではない。金があっても、家門を上げるのはそう簡単にはいかない。ならばその家に嫁がせれば良いだけのこと。その子供が娘であれば、将来的に王子の嫁になれるかもしれない。
それだけのためにジョアンナを婚約させたのに、こんなことになるとは。
静まり返った屋敷は葬式中のようだ。自分の声だけが響いて、遠くまで轟いていく気すらする。
妻のカイヤの姿はずっと見ていない。娘のクリスティーンの側にいるからだ。
カイヤは同じ腹から生まれた娘の二人を同等に扱っていなかった。姉のジョアンナがヘンリの母親似で、クリスティーンが自分に似ているからだろう。厳しく口を出す姑が気に食わないことを理由に、姑に似ている自分の娘を遠ざける真似をするような母親だ。その母親に甘やかされた妹のクリスティーンが、姉のジョアンナをよく思っていないことくらい、子育てに興味のないヘンリも気づいていた。
そんなことも嫁に出せば関係のないこと。利益になるならばそれでよい。そう思っていたのに、余計な真似をして。
カーテンを引いた薄暗い部屋の中で、すすり泣きながらベッドにもたれている自分の妻を見て、さらに腹が立つのを感じた。
「いつまで泣いている。もう死んだも同然だろう!」
クリスティーンのベッドにすがりついたままの妻に怒鳴り散らすと、涙でむくんだ顔を見せて大きく歪めた。
「なんてことおっしゃるの! あなたの娘ですよ!? 死んだも同然だなんて、この子はまだ、」
言いながら、うつうつと嘆きはじめる。
もううんざりだ。怒りで吐き気すらしてくる。それを口にするのはなんとか堪えて、ヘンリは大きく息を吐いた。
「はあ、娘二人、なんの役にも立たない女どもめ! なんだこれは、肖像画を部屋に持ってきて、それと見比べているのか!?」
クリスティーンの枕元に、美しく描かれた娘の肖像画が置かれている。まともな顔をしていた頃を思い出して、今が嘘であると思いたいのか、真横に置いているのが嫌がらせのようだ。
クリスティーンの顔には醜い傷が残るだろう。包帯だらけの顔。手足、体に至るまで。もう嫁になどいけない。
「まったく、その絵を見ているだけでも煩わしく思えてくるわ!」
絵を投げ捨てれば、妻が泣き叫んだ。
「なんて無慈悲なことを!」
娘の顔が好きでたまらない妻は肖像画を多く描かせた。姉のジョアンナの肖像画は一枚もないのに。若い頃の自分を見ているようで、クリスティーンを着飾らせて満足したいのだ。自分の複製だとでも思っているふしがある。癇癪持ちのところはそっくりだ。
「肖像画など、残さずに全て捨ててしまえ!」
生きていてもなんの意味もない。いっそ死んでくれた方がよかった。そうすれば不慮の事故で済んだのに。
嗚咽を漏らしながら肖像画を抱きしめる妻に嫌気がさす。このままずっとそこにいろと心の中で罵って部屋を出ようとすると、机の下に何かが落ちているのを見つけた。怪我をしてから部屋の掃除もしていないのだろう。カイヤがいるため、メイドも仕事ができない。
それは手紙で、引き出しの奥から飛び出したようだ。まだ何か引っ掛かっているようで、引き出しいっぱいに手紙をいれているのかもしれない。
引き出しを引っ張ってみたが、詰まっているのでなかなか出てこない。無理に引っ張ると、何枚もの手紙が一斉に飛び出してきた。
「くそ、忌々しい!」
「あなた?」
「うるさい! さっさと顔でも洗ってこい!」
いつまでも嘆いている妻を叱りつけて、散らばった床を睨みつけた。
あとでメイドに掃除させれば良いかと踏みつけると、開いていた手紙が目に入った。
「これは」
「あなた? あの子の手紙をそんな風にしては」
「触るな! お前はいい加減にして、自分の部屋に戻れ! お前まで倒れたら面倒だろうが!!」
妻を追い立てて、幾つもの風雨等を無遠慮に開ける。
その中身を見て、顔が引きつった。
「おい、そこの! これを全てすぐに燃やせ! 読まずに、すぐだ!」
廊下を歩いていたメイドに、その手紙を押し付ける。
「あんなものをとっておいて。これ以上の醜聞があってたまるか!」
吐き捨てるように言いながら、部屋の扉を叩きつけるように閉めた。
店に卸すことはできなかったが、針を動かしてしまうのはもう習慣だ。
ジョアンナは器用にレースをするすると編んでいく。
趣味が高じて子供たちに服を作ることもあったが、自分の衣装を製作するのも好きで、マリアンと共に生地や糸を買いに行くほどだった。
(私には、これしか取り柄がなかったのに)
不意にノックの音が聞こえた。抑えた音ではなく、珍しく焦ったようなノックの仕方だ。クリスティーンが目覚めたのだと思ってすぐに部屋に入らせると、マリアンが封筒を抱えたまま入ってきた。
「お、お嬢様!」
「どうしたの。その手紙は?」
まさか嫌がらせの類でも届いているのか。そう不安めいたことを口にすると、マリアンは大きくかぶりを振って否定する。
「違います! とにかく読んでください!」
広げられた手紙を一枚、手にして読むと、ジョアンナはふるふると震えた。
クリスティーンと、レオハルトとのやりとり。
『ジョアンナを殺すなんて、恐ろしいことは言ってはいけない。君が犯罪者になってしまうよ。ジョアンナは素直な人だ。彼女を説得して、婚約し直せばいい』
『君が心配だ。思い詰めて恐ろしいことはしないでくれ』
『ジョアンナは優しい人だから、きっと良い方向に向かうだろう。短気を起こしてはいけない。姉を殺そうなんてしてはいけないよ』
何度も何度も、レオハルトがクリスティーンをなだめる文が記されている。
「これを、どこで?」
「ご主人様が燃やせと仰ったんです! 私がお嬢様付きのメイドと気づかなかったのか、誰にも言わずさっさと燃やせと言って!」
「そんな」
この手紙は、クリスティーンとレオハルトの不貞の証拠。しかも、クリスティーンがジョアンナを殺したがっていることに対するレオハルトの返答だ。つまり、何度もレオハルトに、ジョアンナを殺したいと綴っていたのだろう。
その証拠を、父親は燃やせと命じたのだ。
証拠隠滅を図るために。
「は、はは」
「お嬢様?」
なぜか笑いが溢れてくる。
ジョアンナがクリスティーンを殺そうとしたわけではない、その証拠なのに、そんなものがあっても意味などなかった。
今さらクリスティーンがジョアンナを殺そうとしたとわかっても、父親にとってはどちらでもいいのだ。どちらが誰を殺そうとしたとか、そんなことはどうでもいい。
クリスティーンが崖から落ちて大怪我をしたのは事実で、それはすでに世間に噂されているからだ。
これ以上の情報は、醜聞に醜聞を重ねるだけ。だったら、今わかった事実はなかったことにしたい。
「私は、本当に、この家で誰にも愛されていないのね」
「お嬢様……」
泣きすぎて頭が痛い。泣いてもどうにもならないというのに。
クリスティーンは未だ意識が戻らない。レオハルトも姿を表していないようだった。
「お父様が断っているのかしら」
手紙を燃やすように指示したのだから、そうかもしれない。争いの原因はレオハルトだ。
「もっと早く、彼との婚約破棄をお父様に伝えていれば、こんなことにならなかったのに」
後悔しても遅い。ジョアンナは基本受け身で、自ら動くことはしなかった。動いても父親に止められるし、母親には嫌味を言われる。妹に至ってはジョアンナが目立つことに異様に腹を立てた。
差し障りないように生きること。それが子供の頃に養われて、そこから変わろうとも思わなかった。思っても無駄だと、諦めていたからだ。けれど、それがこんな結果となるとは。
「お嬢様!」
再びマリアンが走って部屋に入ってきた。外にいる警備の男たちは何事かと顔をのぞかせるが、部屋の中を見られないようにすぐに扉を閉める。
「また、なにか見つかったの?」
マリアンは手紙を持っていた。読みたくない。自分を殺す算段をしている手紙など、見たくもなかった。
「いいから読んでください!」
ずずいと出されて、ジョアンナは恐る恐るそれを受け取った。中身を読んで、マリアンの顔を見上げる。
「これは、」
一筋の光が、見えた気がした。