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5 ブティック

「どこに行っていた!」

 屋敷に戻れば、激怒した父親が待っていた。

 いきなり頬を殴られて、ジョアンナは床に倒れ込む。頰がじんと痛んで、熱を持ったのがわかった。


「孤児院に、行って参りました」

「妹を突き落としておいて、よく外に出られるな!」

 ジョアンナはぐっと拳を握りしめる。そんなことはしていないと言っても無駄だとわかっているが、言い返したくなる。しかし、その隙を与えることなく、父親は矢継ぎ早にジョアンナを罵った。


「余計なことばかりして、外に出ていただと!? お前たちの話が噂になっている。屋敷の者たちには口止めしたのに、どこのどいつが外に漏らしたんだ!」

「存じません。どうして知っているのか」

 それはジョアンナが聞きたいことだ。一体誰が、魔道具を使ったことまで噂できるのか。


「外には出るな! 社交界も禁止だ!」

「お父様、私は無実です!」

「うるさい! お前たちのせいでめちゃくちゃだ! クリスティーンの婚約も白紙に戻ってしまった。あの家は、我が家に利益をもたらすはずだったのに!!」


 父親は怒りを抑えきれないと、テーブルを叩き、テーブルの上にあったカップを薙ぎ払った。カップが砕ける音と金属が床に散らばる音が部屋に響き、メイドたちが体を強張らせる。

 物に怒りをぶつけ、激怒したまま、父親は大股で部屋を出ていった。

 ジョアンナの言葉など聞く耳を持たない。それどころか、ジョアンナを見ようともしない。


「お嬢様! 大丈夫ですか!? お怪我の手当をしなければ!!」

「大丈夫よ。私たちは、本当にお父様のコマにすぎないのね」


 祖母が生きていた頃は、厳しくとも蔑ろにするような真似はしなかった。しかし今の父親は、クリスティーンが意識不明でも、心配する素振りも見せない。自分の体裁ばかりを気にし、事業や資金のことを心配した。


 部屋に戻れば、執事が鍵を持ってくる。

「申し訳ありません。お嬢様。旦那様の命令ですので」

「部屋に閉じ込める気ですか!? お嬢様はなにもしていないのに!!」


 マリアンが食ってかかったが、父親の命令だ。執事ではどうにもできない。申し訳ないと謝りながら、部屋に鍵をかけていく。外には見張りがいて、食事などはマリアンが運ぶことになった。

 ジョアンナはひとり、部屋に閉じ込められることになったのだ。








「お嬢様。こんなこと、ひどすぎます。お嬢様はなにもされていないのに」

 マリアンが目を潤わせて嘆いてくれるだけましだろうか。お茶を運ぶために部屋にやってきたマリアンが、涙が堪えられないとハンカチで顔を覆った。


 部屋に閉じ込められただけで、必要な物があればマリアンが持ってきてくれる。不便があるわけではない。だが、いつまで閉じ込められなければならないだろうか。外に出られず、手紙なども送ることは許されていない。


 使えなくなった娘がどうなるのか。想像に難くない。クリスティーンは眠ったままで、母親が側についている。クリスティーンはまだ被害者としての未来がある。同情を買って、身売りさせることが想像できた。しかし、ジョアンナはそうはいかない。


 妹を、魔道具を使って殺そうとした。そんな噂が回っている。それを否定しても、噂は面白おかしく人の口の端に上るだろう。父親が火消しのために動いても噂は回りすぎた。捨てる方が手っ取り早い。


「このまま、修道院に送られるのかしら」

「そんな! ひどすぎます!」

「どちらにしても、社交界に出るのは難しいでしょう。妹を殺そうとしたと噂されては、誰も近寄ってこないわ。お父様は私たちを道具としか思っていないのだから、今さら否定してくれることもないでしょう。わかっていたけれど、こんなに簡単に捨てられるのね」


 父親は娘を道具としか思っていない。母親はジョアンナを嫌っている。妹のクリスティーンはジョアンナを殺そうとした。家族はジョアンナを必要としないのだ。

 それが、よく理解できた。

 この家で、助けてくれる者は、マリアンくらいしかいない。


「お嬢様、これからどうされるのですか。修道院送りなんて、許せません! その前にどうにかできないんでしょうか。ここを抜け出すとか。って、難しいですよね」


 ここにいれば、修道院に行くことになる可能性は高い。貴族の令嬢が父親の庇護もなく生きていくことは難しい。自由にできるお金はなく、家から出て逃げる場所もない。家を出たとして、新しい家を見つけ職を得る必要がある。

 ジョアンナは学院に行ったことはなく、家で学ぶことなど裁縫や社交界での身の振る舞い方くらい。外に出ても、ジョアンナになにができるというのだろう。


 ふと、手元にある膝掛けを見つめた。ジョアンナが編んだレースの膝掛けだ。ジョアンナはおもむろにクローゼットを開けた。針が刺したままの花嫁衣装、手袋や髪飾り、今まで作った物たちを取り出す。


「お嬢様?」

「マリアン、私、やってみたいことがあるの」





 家に閉じ込められたまま修道院に行くのを待つだけなど、考えたくない。修道院に入れば、一生をそこで過ごすことになるはずだ。

 それならば家を出て、手に職を持った方がよいのではと考えた。その方が、よほど自由がある。


 巷でも有名で、令嬢たちがよく訪れるブティック。だが、デザイナーを他店に奪われて大変だとか。最近は良い噂も聞かず、良いデザインが減って質も悪くなっているとか。


「ここなら、」

 自分の作品を買ってくれないだろうか。

 ジョアンナは両手に鞄を持って、意を決した。


「いらっしゃいませ!」

「あの、購入しにきたのではないのだけれど、これを見ていただけないでしょうか」


 店に入った途端、主人らしき女性が飛びつくように声を上げて迎え入れた。その姿にばつが悪い。客ではないことを含めて鞄を開き、今まで製作してきた中で出来の良い、レースや刺繍されたスカーフ、ドレスを取り出す。


「デザインを見ていただきたいの」

「花嫁衣装をご自分で?」


 出したドレスは、ジョアンナが最近まで製作していた、花嫁衣装の一部だ。きまりが悪いが、ここ最近で一番の出来だった。まだ途中だが、あしらったレースや刺繍はマリアンが褒めてくれたし、ジョアンナ自身も最高傑作だと鼻を高くして自慢したいくらいには上手く作れている。


「その、メインデザイナーが他店に奪われたと聞いて、デザインを手伝わせていただきたいんです」

「あなたが、ですか?」

「ええ、私が」

 途端、店主は思案顔になった。


 デザインが悪いのか、糸の処理が下手なのか、そもそも論外なのか。ありとあらゆる暗い考えが頭の中を駆け巡る。マリアンは素敵だと言ってくれたし、自分も自信はあったが、プロの目にかかれば大したことのない物だっただろうか。


 一時の間。店主が考える仕草をして、戸惑ったような、けれど、興味深げにドレスを手に取って眺めた。印象は悪くないように思える。店主以外に人がいたのか、階段を降りてきた女性が事情を聞いて同じように作品を手に取る。


「腕は確かだと思います。このデザイン、細かい作業ですね。この発想はなかったわ」

「そうね。この辺りとか、とても素人の腕ではないわ」

「すごいですよね。かなりの腕です」


 店主と女性が頷き合う。では、採用してもらえるのか、そう口にしようとした瞬間、店主がジョアンナを見据えた。


「失礼ですが、ラスペード家のご令嬢ですよね。令嬢が妹を殺そうとしたという噂がありますが、本当ですか?」

「そ、それは、」

「いえ、真実とかどうでもいいんです。妹を殺そうとした。そんな噂がある方が作ったドレスを、着たいと思われるでしょうか?」

 きっぱりと言われて、ジョアンナは返す言葉がなかった。


「デザインや腕はとても素晴らしいと思います。ですが、当店でお嬢様の製作した品を扱うことは難しい。お分かりいただけますよね?」







 とぼとぼと、一人、ジョアンナは帰路についていた。

 マリアンと相談して、良い物を選んできたつもりだったが、そんなことの前に、ジョアンナの素行が問題になる。それくらい、想像できたことなのに。


「泣いてはダメよ」

 自分に言い聞かせる。

「泣いてはダメ」

 けれど、泣きたい。

「ううっ」


 自分の部屋から抜け出して、意気揚々とやってきたのに、結果はこれだ。

 自分が何か悪いことをしたのだろうか。考えても詮無いことなのに、そればかりを考えてしまう。


 子供みたいに泣きじゃくって、鼻を啜りながら誰にも見つからないように窓から部屋に戻った。部屋に誰かが来た様子はない。なんとか鞄を部屋に入れて、そのままクローゼットの奥に押し込む。

 涙が流れて仕方がない。声を押し殺して泣き続けた。


「お嬢様、お食事です」

 どれくらい経ったのか。マリアンが食事を持ってきた。ジョアンナが部屋にいることにマリアンは安堵の顔を見せるが、こちらの顔色で察したのだろう。なにも言わずに食事の用意をしてくれる。


「屋敷の中が、静かね。クリスティーンは、まだ、意識はないの?」

「はい。屋敷の中はとても静かでしたから、眠ったままかと」


 クリスティーンが目覚めたら、母親が大騒ぎするだろう。静かであれば眠ったままなのだ。

 クリスティーンが目覚めて、ジョアンナのせいではなかったと言ってくれはしないか、そんな望みで口にして、まだ眠っていると聞いてがっかりする自分に、嫌気がさす。そんなことで妹の意識が戻ってくれないかと祈るだなんて。


「お母様は、まだ、あの子の部屋に?」

「おそらく、ずっといらっしゃるのだと思います」


 この部屋には一度も、父親も母親も来てくれないのに、クリスティーンの部屋には母親がいるのだ。

 それも恨めしく思って、すぐに俯いた。

 心が真っ黒になった気がしてくる。


「お嬢様、他に、なにか、手を考えましょう」

「ええ。ええ」


 後から溢れる涙を、マリアンはそっとハンカチで拭ってくれた。

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