3 噂
屋敷の中を歩いていると、メイドたちがヒソヒソと話しているのが聞こえる。
部屋に閉じこもっていても、憂鬱になるだけだ。クリスティーンの部屋に行こうとしたが、母親から近付くなと怒鳴られたため、様子を見にいくことはできない。書庫や庭園で頭を冷やすにも、メイドたちの視線に気が散って、休まることはなかった。
メイドたちの口の端に上る話は、ずっと同じ。
姉が妹を殺そうとした。
そんなことはしていないと言っても、クリスティーンが目を覚まさないため証明してくれる人がいない。レオハルトは騒ぎに嫌気がさしたのか、見舞いにも来ない。誰もジョアンナのことを擁護してくれない。後ろでマリアンが睨みをきかせると、メイドたちはそそくさと逃げていく。
息苦しさに、部屋に戻るしかない。
窓の外を見上げて、ただため息を吐く。普段、なにをしていたかも忘れそうだ。
最近では、結婚の用意をしなければと、自分の結婚衣装の飾りをなににするかデザインを描いていた。裁縫や編み物などが得意なジョアンナは、手袋や髪飾りを自分で作るつもりだったのだ。花嫁衣装を作ることもレオハルトも賛成してくれていたため、結婚までは製作を行うつもりだったのだが。
もう、それも必要ない。
予定がなくなって、ならばなにをすれば良いのか、考えるのも億劫だった。
「お嬢様、外に出かけられたらいかがですか?」
マリアンが見兼ねて提案してくれる。外ならば少しは息抜きができるだろうか。沈鬱な気持ちで部屋にこもっているよりは、気分は良いかもしれないが。
机の上にある裁縫道具を横目にして、本でも読もうと立ち上がる。棚の上にリボンや箱が重なっているのを見つけて、ふと思い出した。
「孤児院に、贈り物を渡しに行こうと思っていたんだわ」
個別に包装して、自分で作った袋に入れて手渡すつもりだった。あとは、彼らに渡しに行くだけだった。
「お嬢様、外出するなとは命じられていないですし、外出されたらいかがですか?」
もう一度同じことを言われて、ジョアンナは外に出ることにした。
馬車が進む中、ジョアンナは外を眺めていた。店を眺めていれば、広場で花籠を持つ者が見える。
「クリスティーンに、見舞いの花を買おうかしら」
「お優しすぎませんか!? お嬢様を殺そうとしたのではないですか!!」
「そうだけれど」
クリスティーンは母親に甘やかされていることもあって、ジョアンナの物を欲しがる癖がある。子供の頃は駄々をこねられ、泣いて母親にすがった。それで物を取られたことは多々ある。気に入っていたぬいぐるみ。自分で選んだ靴やドレス。装飾品など、色々だ。
けれど、置物や小物などは、奪ってもすぐに壊したり興味を失ったりするため、忘れたころに取り戻すことができた。衣装や装飾品は、ジョアンナに似合う物がクリスティーンに似合うわけでもない。子供の頃でも身長差があったため、欲しがっても着ることができなかった。
それで癇癪を起こすことも度々で、ジョアンナからすれば、小さな子供を見ているようだった。
今までクリスティーンは、ジョアンナに張り合う姿勢を見せていた。それが、自分のせいだと、薄々は気付いている。
「クリスティーンが私に対抗するようになったのも、私が相手にしていないように見えるからなのでしょう。レオハルトのことは、一目惚れしたのでしょうけれど、それ以外は、興味がなくても、私から奪いたいだけ。けれど、私にはそこまで執着心がないから、相手にならないのよ」
「それで、姉を突き落とそうとする妹がいますか!?」
「私がそこまで追い詰めていたのかもしれないわ」
「相手にできないだけではありません?」
マリアンは毒舌だ。クリスティーンがジョアンナを殺そうとしたことが、どうしても許せないのだ。
それはジョアンナもショックを隠せなかった。そこまでクリスティーンに恨まれていたのかと。
どうして、そこまで嫌われなければならないのか。ジョアンナが争う姿を見せなかったことで、馬鹿にされていると思ったのかもしれない。それにつけて、母親はジョアンナを嫌っている。その母親に甘やかされていれば、クリスティーンも影響されるだろう。
母親に好かれようとは、今はもう思わなくなったが、クリスティーンとはいつか落ち着くのではないかと考えていた。
それは、あまりにも儚い夢だったが。
「馬車を停めて」
「お嬢様?」
「アクセサリーを見るだけよ」
クリスティーンが好んでいた宝石店を見つけて、ジョアンナは馬車を停めさせた。
「お嬢様は優しすぎます!」
マリアンは眉を吊り上げるが、結局クリスティーンは大怪我をし、顔にも傷を負った。罰を受けたと言っても過言ではない。目が覚めれば、絶望するだろう。
そんな時に贈り物をすれば、激怒するのが瞼に浮かぶが、なにもしないわけにもいかない。
クリスティーンの目が覚めた時に、少しでも気分が晴れやかになるような何かがあれば良いのだが。
ぬいぐるみを持つような年ではないが、宝石をつけたぬいぐるみなど、側に置いておけないだろうか。母親が捨てるのも想像できるが、運を強めるような意味のある宝石などが付いていれば、少しは違うかもしれない。
「魔道具などは私では買えないから、不思議な力のある宝石などはないかしら」
「高価ではないですか?」
「お見舞いだもの。少しくらい高くても良いでしょう」
マリアンのため息を横にして、ジョアンナは店に足を踏み入れた。
しかし、店員が気付き、近寄ろうとしてきた瞬間、店員が強張った顔を見せた。
なにかしら。そう思えば、周囲からざわめきがある。
「お、お嬢様」
店の中にいる人たちから、異様な視線が届く。マリアンもすぐに気付き、ジョアンナの顔を見上げた。ジョアンナが足を踏み出せば、その分引き下がり、避けていくように周りが開いていく。
「妹を突き落としたらしいわよ」
「婚約者を取り合ったんですって」
「殺そうとしたんでしょ?」
こそこそと、ささやきが耳に入ってくる。
「魔道具を使ったらしいわよ」
「よくも堂々と現れたものね」
ささやきは小さなものだったが、店にいた者たちが一斉にジョアンナに注目した。
屋敷にいるよりずっと冷たい視線が突き刺さる。小声ながら言葉は鋭く、突き刺すようだ。離れていてもわかる冷酷な眼差しに、足が凍りつく気がした。
なぜ、そんなことまで知っているのか。
「お嬢様、参りましょう」
足を止めたジョアンナに、マリアンが促す。その声に気付いて、急いで外に出た。
「出してください。いいから進んで。お嬢様、大丈夫ですか? 顔が真っ青です」
「だ、大丈夫よ。少し、びっくりして。どうして、あんなこと」
魔道具を使って殺そうとしてきたのは、クリスティーンの方だ。そう反論したくなるが、それよりもどうして魔導具を使ったことまで知っているのか。
「知っているのは、医師かメイドだけです。あとはご家族くらいしか。もしくは、」
マリアンは言葉を止めた。
まさかという思いが湧き上がってくる。あの場にいたのは、レオハルトも同じ。
その話を誰かにしたのか、それとも家の誰かが漏らしたのか。関係のない宝飾店に来る客までもが知っている。クリスティーンが倒れてから、まだ数日しか経っていないのに。
「お嬢様、孤児院に参りますか?」
「院長先生にまで同じことを思われていたら」
「お嬢様は何も悪いことなどしていないんですよ? 堂々とされてください!」
「けれど、いえ、そうよね。もし噂を耳にされていても、誤解されたままは嫌だわ」
決心して、孤児院へ馬車を走らせる。
そこはジョアンナがよく行く孤児院で、祖母が支援をしていた。それを引き継いだわけではないが、食事以外に必要な日用品などをよく送っている。最近では職業につけるよう、ジョアンナが文字を教えたり、編み物を教えたりしていた。慕ってくれる子供たちも多く、ジョアンナにとっても安らげる場所である。
その院長や子供たちに噂を聞かれ、嫌われたらどうすればいいのか。考えるだけで不安になった。
「ジョアンナ様だ」
「ジョアンナ様、いらっしゃい!」
馬車に気付いた子供たちが走り寄ってくる。外で遊んでいたのか、泥だらけだ。子供たちに贈る物に気付いたか、マリアンにも近寄って、腕の中の物を気にしてくる。
「ジョアンナ様。よくいらしてくださいましたね」
迎え入れてくれた孤児院の院長は、笑顔を見せつつも、どこか落ち着かない様子だ。
ああ、あの顔は、院長も知っているのだ。
そうとしか思えない。院長は集まってきた子供たちに、外で遊ぶように伝える。
「みなさん、あちらで遊んでいましょうね。ジョアンナ様、こちらへどうぞ」
「マリアン、それをみんなに渡しておいてくれる?」
「承知しました」
マリアンに贈り物をお願いして、ジョアンナは院長に促されて院長室へ入る。院長は誰にも聞かれないようにか、廊下を見回して、その扉を閉めた。
「院長先生、私の噂を、聞かれたんですね」
「配達の者から耳にしたのよ。でも、私は信じていませんよ。あなたがそんな真似をしただなんて」
院長は憂え顔を見せた。噂を聞いて、ジョアンナが来るのをずっと待っていたと言って。
家族の誰も信じてくれなかったのに。
院長はジョアンナの肩を抱き、ゆっくりとなでてくれる。
いつの間にか涙が流れていた。
「一体、なにがあったのです?」
「妹が、クリスティーンが、私の婚約者と、レオハルトと浮気を。私を殺そうとして、誤って、崖下に。腕を伸ばしてつかんだんです。でも、力が足りなくて」
涙を流しながらあの時の話をすれば、院長はジョアンナの顔や腕にある傷に気付いて、顔を歪めた。
「レオハルトは、その後、姿も現さず、婚約も破棄してきて、クリスティーンは意識がないまま、まだ、眠っているのです」
「あなたはなにも悪くないわ。あなたが婚約を破棄しようとしていたのは、私がよく知っています」
ジョアンナは頷く。
レオハルトとは、婚約を破棄するつもりだった。
レオハルトから婚約の申し入れがあっても、ジョアンナには興味がないことに薄々気付いていた。レオハルトは父親に気に入られたかっただけなのだ。父親の事業は広がっており、それなりの利益がある。結婚すればその事業に参入でき、上手くいけば引き継ぐこともあるだろう。
そうでなければ、ジョアンナと婚約しようとも思わなかったはずだ。社交界で女性とよく一緒にいるレオハルトが、ジョアンナには話しかけたことなどなかったのだから。
クリスティーンがレオハルトを好きなこともあり、レオハルトがクリスティーンに本気ならば、父親にお願いするつもりだった。
それなのに。
「思いきり泣いていいのよ。あなたはなにも悪くないのだから」
肩を撫でられて、ジョアンナは込み上げると、子供のように嗚咽を漏らして涙を流した。