22 不審者
どうして、こんなことになったのか。
ジョアンナは小さく咳き込んだ。咳き込んだはいいが、吸った空気が肺に入り、なおさら咳が出る。
口を塞いでいた布がやっと取れたことで、外に助けを呼ぼうと思ったが、息を吸い込んで煙を吸って咳き込んだ。これならばまだ布があった方がよかったかもしれない。
ハンカチを出そうにも、背中で両手を縛られているため、動かすこともできない。
灰色の煙に混じって、黒ずんだ煙も見えた。ちりちりと焼ける音も聞こえる。
どうして、こんなことに。
(誰か、助けて)
「アルヴェールさま……っ」
時は少し前に遡る。
ジョアンナは商品を作りながら、加護をかけない方法を考えていた。
子供たちに贈る物に加護を付与するのは問題ないが、商品として販売するものに加護をかけるのは危険だ。
アルヴェールにそう言われて、加護をかけないように心がけるつもりだが、魔力の使い方を教えてもらったのはまだ一度だけ。簡単に加護を制御することはできなかった。
「無心で作っているつもりだったのだけれど、そうでもなかったのかしら」
ふと、すでに作り終えたハンカチを見やる。
アルヴェールのために作ったハンカチだ。女性用ではないためレースは使っていない。刺繍しただけのハンカチだが、ブレスレットのお礼として製作していた。
これを作っていた時は、アルヴェールのことを考えていた。
「これにも、加護がかかっているのかしら? 自分で見てもわからないわ」
アルヴェールのことを考えながらも、無意識になにかを祈っているのだろうか。それすらわからなかった。
「そりゃ、幸福であるように、なんて祈ってるかもしれないけれど」
一人呟いて、いつこのハンカチを渡そうか算段する。
次に会った時には、告白の返事をしようと思っているが、時間がないため、外出もしていない。アルヴェールはジョアンナがこのブティックに住んでいることを知られないようしてくれているため、ここに訪れることはない。
こちらから会いに行くしか、会うことができないかもしれない。
「お手紙を、出そうかしら」
お会いしたい? 渡したいものがある? どちらにしてもいきなり屋敷に行くわけにはいかない。先に手紙を出さなければ。そして手紙を出すには、上質な便箋と封筒が必要だ。
ちらりと外を見やる。まだ外は明るい。モニカにそろそろ休んだ方がいいと言われていたので、休みをもらおうかと思っていた。作業もちょうど終わったところだ。どうせ出かけるならば、孤児院へも行くことにして、ジョアンナは出かける用意をした。
「ジョアンナ様!」
いつも通り馬車で孤児院に向かうと、院長が驚いたように迎えに出てくれた。
「どうかされたんですか?」
「とにかくお入りになってください」
周囲を見回すようにして外を確認してから、院長は扉を閉めた。
子供たちもジョアンナを迎えながら、院長の真似をして扉を開けて周囲を見回して、扉を閉める。
「なにかの遊びですか?」
「まあ、違うのよ。ジョアンナ様、実は……」
院長はことのあらましを教えてくれた。妙な輩が孤児院をうかがっていたこと。それをアルヴェールが諌めたこと。そして、犯人がジョアンナの父親だったこと。
ジョアンナを探すために孤児院を見張っていたのだ。それを、アルヴェールが追い返してくれた。
「それから、同じような人は現れてはいないのですけれどね」
「他に、なにか?」
「気のせいかもしれないのだけれど、配達員の方が、たまにここに若い女性が来るのを見かけるけれど、ここに住んでいるのかと聞いてきたのですよ。もちろん、ジョアンナ様が気になって聞いているだけなのかもしれないのだけれど」
「まさか、そんな。ですが、アルヴェール様がそのようなことをしてくださっていたなんて」
「子供たちも気にするだろうと、追い出してくださったんですよ」
「私のせいで、申し訳ありません」
「ジョアンナ様のせいではありませんよ。ですが、孤児院に訪れていることは、そのうち気づかれるでしょうから」
孤児院にも迷惑がかかるだろう。また父親の使いが来るかもしれないし、ジョアンナを匿っていることで、支援を切るかもしれない、ただでさえジョアンナが祖母の支援を引き継いだのだ。母親はいい顔をしない。
「ひとまず、本日は戻ります」
「そうなさった方がいいでしょう。馬車を呼び戻しましょうか」
「いえ、表でつかまえますので、気になさらないでください」
もしもアルヴェールがいればと思い、ハンカチも持ってきたのだが、今日は戻った方が良さそうだ。
ジョアンナは孤児院を後にして大通りへ歩んだ。
追手が来るとは思っていなかった。ジョアンナがいなくなったことに気づいて、さすがの父親も一度は探そうと思ったようだ。
アルヴェールに相談した方が良うだろう。なにがあったかも聞いておきたかった。
(またアルヴェール様にご迷惑をかけてしまったわね)
何度でも礼を言いたい。そう考えたら、早く会いたいと思いはじめた。
早く会って、返事をしたい。
返事をしたら、どんな顔をするだろうか。喜んでくれるだろうか。そうであれば嬉しい。
もう幸せになれることなどないと思っていたが、アルヴェールのおかげで自分にも幸せが舞い込むかもしれない。そう思うと、ほのかに胸が熱くなってきた。
(なんだか、恥ずかしいわ。自分がこんな気持ちを持つなんて)
そして、浮かれた気持ちで歩いた先、馬車がやってきて通り過ぎようとした時、突然その馬車の中に連れ込まれたのだ。
そこから記憶がない。
気づけば小さな部屋の中。部屋とも言えない、倉庫のような狭い場所で寝転がっていた。
そこは真っ暗で、壁の隙間から風が入ってきていた。どこかにある小さな倉庫なのかもしれない。人の気配はなく、助けを呼ぼうにも手足は縛られて、口には布が巻かれていた。
なんとか口元の布だけ取ることに成功したが、煙を吸って咳き込む始末。
後ろに縛られた手が抜ければ、足の紐も取れるのに。
パチパチと音がする。壁の向こうが燃えているのだ。それで隙間から煙が入り込んで、部屋に充満していく。空気も熱くなってきた。
「ゲホ、ゴホッ」
手首の紐が少しずつ緩んで、手首を抜くのに成功した。急いで足の紐も取ろうとする。しかし、結び目が固く、なかなかゆるまない。そうこうしている間に息がしにくくなってきた。
ポケットの中には、アルヴェールに贈ろうと思っていたハンカチが入っている。
せっかく作ったのに。言っている場合ではない。それを口元にやって外に出ようとした。
「あつっ!」
扉のノブが高熱を伴っていた。指がひりひりする。今ので火傷をしたようだ。
扉の向こうも燃えている。もしかして、周囲すべて燃えているのだろうか。
「誰か、ゲホッ、助けっ」
息ができない。壁がチリチリと赤くこげていく。とうとう壁まで燃えはじめているのがわかった。
煙がひどくて、涙も出てくる。息ができないほどの煙が充満して、熱さに意識が遠のきそうだった。
座り込み激しく咳き込むと、カチリと、ブレスレットが手首を滑った。
アルヴェールからもらったブレスレットだ。
「さま、アルヴェールさま!」
こんなことなら、もっと早く返事をしていればよかった。
突然の告白に驚いたけれど、自分も、あなたを想っているのだと。
「アルヴェール、」
助けて。
その声は、外に出ることなく、喉の中で、消えた。




