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1 妹と婚約者

「すまない。君は素敵な女性だが、僕は彼女を愛してしまったんだ」

「お姉様、私は彼と愛し合っているの。だから、彼との婚約を破棄して!」


 ジョアンナの目の前で、二人は寄り添い、お互いの手を握り合った。


 隣にいた女性を優しく抱きながら、神妙な顔をして言葉を吐き出したのは、ジョアンナの婚約者、レオハルト・セディーン。

 そんな彼が愛していると言っている相手の女性は、実妹のクリスティーンだ。


 今日は三人で湖のほとりに遊びに来ていた。景色が美しいから一緒に行こうと誘ってきたのはクリスティーンだ。昼食を終えて、散歩をしようと野山を歩いて開けた場所に来れば、突然そんな話をしはじめた。


「私たちも苦しいの。こんなことになるなんて思っていなかったわ。けれど、運命を感じてしまったの。お願い、お姉様、私たちを許して」

 クリスティーンは涙ぐんで訴える。 


 レオハルトと婚約してから、まだ一年も経っていない。けれど結婚の話は進み、結婚式をどうするかの相談をしていた。つい最近もどんなドレスを着れば美しいかと、デザイナーを呼んでまで話をしていたのに。

 しかも、婚約を望んだのはレオハルトで、乗り気なのはジョアンナの父親だ。そこにジョアンナの意見はない。

 従うままに婚約となったが、ここでクリスティーンと愛し合っているなどと。


(どうして、そんな)


 けれど、そんな予感はしていた。

 クリスティーンがレオハルトに初めて会った時、クリスティーンは一目惚れをしたかのように、レオハルトを見つめ続けていた。


 レオハルトの淡い金色の癖毛。長いまつ毛に色っぽい眼差し。形の良い唇から発せられるのは、酔いしれるような甘美な言葉で、少し話しただけでも女性たちは顔を赤らめる。

 クリスティーンもその女性たちの一人だった。


 そのうちクリスティーンは、レオハルトとの約束を耳にすれば一緒に行きたがり、ジョアンナが屋敷を留守にすれば、屋敷で二人会ったりしていた。留守だから帰すことも失礼だと思ったとクリスティーンは言い訳をしていた。レオハルトも訪れるならば連絡をくれればいいのに、それをしない。それが何度も続けばさすがに疑わざるを得ない。


 二人の視線や態度から、それとなく感じていた違和感。だが、婚約を望んだレオハルトからの裏切りはないと考えていた。


 妹のクリスティーンは、錦糸のようなまっすぐで美しい長い金髪を持ち、はちみつ色の大きな瞳と甘酸っぱいラズベリーのような色をした小さな口元、守ってあげたくなるような華奢な体をしていた。


 対してジョアンナは、身長は平均より高めで華奢とは言い難い体格をしており、栗色の髪と瞳は華やかさがないと母親によく言われていた。着飾るのはあまり好まないので、ジョアンナは気にしたことはないが、レオハルトもそう思っていたのかもしれない。


 クリスティーンとレオハルトはお互いを思い合っているのだと、ジョアンナに告白するために、こんな場所へジョアンナを誘ったのだ。


(甘かったのね。わかっていたのに)


「だから、お姉様。私と彼の婚約を祝ってほしいの」

「お父様には、お話ししたの?」

「お姉様が婚約破棄を話せば、お父様だって納得してくれるわ!」


 クリスティーンは声を張り上げる。父親には伝えていないようだ。それもそうだろう。クリスティーンには婚約の予定があった。妻を亡くした人が、ぜひ後添いにと、連絡をよこしていたからだ。

 父親はそれに前向きで、その家との繋がりを喜んでいた。財力もさることながら、由緒ある家だからだ。


「お父様が許さないと思うわ」

 自分の意見に父親は左右はされない。そういうつもりで言ったのだが、レオハルトに寄り添い、儚げに涙を浮かべていたクリスティーンの瞳に、苛立ちの色が表れた。


「どうしてそんなことを言うの? ひどいわ! 私たちの幸せをうらやんでいるのね。彼をとられて、悔しいからって!」

「そんなこと」


 裏切られた上に、その相手が妹であることに腹立たしさはある。だが、自分がそこまでの関係を築いてこられなかったことは確かだ。レオハルトにとって、なにもかも言う通りにしてきたジョアンナは物足りなかったのだろう。レオハルトは社交界でも人気のある人だ。


 レオハルトは多くの女性に囲まれている中、なぜかジョアンナに興味を持った。積極的なアプローチを受けた後、レオハルトは父親に話を伝え、婚約は父親との話し合いで決まった。父親の言うことは絶対で、そこに自分の意見は必要ないと頷いてばかりだったが、レオハルトと向き合えていなかったのだろう。


「お父様にお話しましょう。あなたの婚約について、どう対応するのか、お父様の判断が必要だわ」

「ちょっと、待ちなさいよ!」


 道を戻ろうとすると、クリスティーンが牙を剥くように声を荒げる。


「お姉様が婚約破棄して、あの男に嫁げばいいだけじゃない?」

「お相手の方はあなたを指名しているのに、こちらが代替を出したところで覆るかは、私がどうこうしてなることではないわ。だから、お父様には自分で説明なさい」


 父親がどう対応するかは、ジョアンナが決められることではないし、相手がどうするかなど、ジョアンナがわかることではない。しかし、クリスティーンがレオハルトとどうしても結婚したいと説得すれば、少しは父親の気持ちも変わるかもしれない。


 だから、自分で説得しろと言っているのだが、クリスティーンは敵討ちでも見るかのように、憎しみを込めた形相で睨みつけてきた。


「なによ、そうやって、私を馬鹿にして。お父様は私を年寄り結婚させると言っていたわ。そんなの絶対に嫌! あんたがいけばいいのよ! レオハルトが愛しているのは、私なんだから!」

 途端、クリスティーンがつかみかかってくる。


「落ち着いて。危ないわ!」

 後ろは崖だ。落ちれば怪我では済まないかもしれない。

 危ないからとクリスティーンを押そうとしたが、クリスティーンはさらに迫ってきた。


「レオハルトは私にちょうだい! レオハルトは、私を愛しているのだから!」

 クリスティーンは勢いよく体当たりをしてきた。クリスティーンより身長のあるジョアンナは、彼女の力に負けることなく、ただ少しだけよろめく。


「クリスティーン、やめなさい。危ないわ」

「二人とも、落ち着いて」


 レオハルトが口を挟んできたが、クリスティーンの激しさに驚いているのか、後ろで止めるような仕草をするだけだ。クリスティーンは興奮しすぎてレオハルトの声が聞こえていないのか、力を込めてジョアンナを押してくる。


「お姉様が、いなくなればいいじゃない! お姉様は邪魔なのよ! 彼に合うのは私だわ!」

 踏みつける大地が背後にない。崖から滑りそうになって足元を見ながらクリスティーンを横目にすれば、クリスティーンがニヤリと口元を上げた。歪んだ顔に、ぞっと寒気がする。


 愛らしく真っ赤な口紅に塗られたその口から、残酷な言葉が発せられた。


「いいから、死んでよ!!」

 クリスティーン叫びながらジョアンナの体を押して、なにかを投げ付けてきた。

 閃光がほとばしる。しかしそれは何かに跳ね返されたように、クリスティーンにぶつかって見えた。


「きゃっ!」

「きゃあああっ!!」

 まぶしさにくらんでよろけると、なぜかクリスティーンが悲鳴をあげた。


「クリスティーン!?」

 咄嗟につかんだ、クリスティーンの腕。

 彼女の足元にあるはずの地面が、遠く離れた場所にあり、ぷらぷらと細い足が揺れた。崖下は木々が生えており、その木の先ですら、遥か下にある。


「いたいっ! おねえさま!」

 つかんだ手が、なぜかぬめっている。手汗をかいているのか。いや、濡れているのは、クリスティーンの腕だ。美しい白皙の肌が血みどろで、顔も出血し、焼けこげたようになっていた。


 どうして、そんな顔に!? 驚きに、手の力が抜けそうになる。


「は、はなさないで! 離さないでよ!!」

「動かないで! レオハルト様、手伝ってください!」


 いくらクリスティーンが華奢でも、ジョアンナでは体重を支えきれない。つかんでいた腕が抜けそうなほどだ。崖上でひれ伏したままクリスティーンをつかみ、レオハルトに助けを求めたが、驚きに体が動かないのか、レオハルトが近寄ってこない。


「レオハルト様。手伝ってください!」

「手が、やだ、お姉様、離さないで」

「離さないから! しっかりつかまって! レオハルト様!! 早く!!」


 叫んだその時、つかんでいた手からすり抜けた。腕を伸ばしたまま、クリスティーンの体が遠のいていくのが見えた。

 岩場にドレスが引っ掛かり、体が後転すると、鈍い音を出して、跳ね返るように地面に崩れ落ちた。


「クリスティーン!!」

「なぜ、手を離したんだ。ああ、愛する人よ!! 君が、彼女を殺したんだ!!」


 レオハルトの叫びに、頭が真っ白になったまま、ジョアンナは呆然とレオハルトの言葉を聞いていた。

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