ep.3 イデアオンライン
目を開くと、中世風の装飾が施された典型的なファンタジー都市の広場に立っていた。活気あふれる広場の中心には彫刻が施された大きな噴水があり、その周囲で多くの新規プレイヤーたちが集まり、会話を楽しんでいるようだった。
……βテストの初期地点とは違う、全く知らない街だ。
「メニューオープン」
声に反応して、目線より少し下に半透明の操作パネルが浮かび上がる。
ステータスの項目に触れると、画面が切り替わり、私のキャラクター情報が表示された。これはβテスト時と同じ操作感だ。
プレイヤー〈フィーニス〉
Lv:1
HP: 30/30 MP: 125/125
STR: 1(+10)
VIT: 1(+1)
AGI: 1(-10)
DEX: 1
INT: 25
装備: 初心者の大剣、冒険者の旅装
所持金: 100レテ
スキル: スラッシュ
STRとVITがほんのりと上がっているのは初期装備の効果によるもの。
初心者の大剣はSTRが20上がり、AGIが5下がる武器みたいだが、基礎STRが足りないため、上昇値は半減し、デバフは二倍になっている。
幸い、ステータスがマイナスになることはない様だ。
使用可能なスキルは「スラッシュ」だけで、剣系統の攻撃に基礎STR補正が付くが……私の場合、ほぼ無意味だ。
「とても知力が高いとは思えないステータス…」
周りを見渡すと、街の活気は増す一方で、新しい顔ぶれが次々と加わっていた。
彼らの中には私と同じように大剣を背負ったプレイヤーは居るが、数えるほどしかいない。
βテストとは打って変わって未知の街、そして尖りすぎたステータス。
意外とすぐに行き詰まるかもしれない状況に、不思議と笑みがこぼれる。
「メニュークローズ。まずは街を探索するかな」
パネルを消し、適当に目についた路地に足を踏み入れる。
この手のゲームでは、急いでモンスターを狩るのではなく、街の隅々を探索し、隠されたイベントやクエストを見つけるのも一つの楽しみ方だ。
「足が遅い……」
AGIの低さもさることながら、私と同じかそれよりも大きな大剣を背負って歩くのは、案外苦痛に他ならない。
AGIを上げずに解消できればいいのだけど。
石畳の街路を歩きながら、私は周囲の様子を観察した。
古びた看板がぶら下がる鍛冶屋の前では、汗だくの職人が熱心に鉄を打ち、その音が規則正しく響いている。
少し先の広場では、色とりどりの野菜や果物が並ぶ市場が開かれ、活気に満ちた声が飛び交っている。
「鉱石の納品、うさぎの皮集め、平原のモンスター討伐」
──体感で30分ほど街を歩き回り、色々な店を覗いてみたものの、受けられたクエストはどれも初心者向けの基本的なクエストばかりで、目を引くイベントや珍しいクエストには程遠い内容だった。
とはいえ、街のNPCたちとの交流からは、彼らがプレイヤーのレベルやステータスに応じて異なる反応を示すことが確認できた。
実際、一部の商人や城の衛兵は私を見て、苦笑いを隠せずにいた。まずはレベルを上げてから街を回るのが賢明だったのかもしれない。
そんなことを考えていた矢先、不意に横から声を掛けられた。
「お嬢ちゃん、トカゲのしっぽ焼きはいかが? 今なら1本60レテだよ!」
横に顔を向けると、串に刺さった何かの肉──トカゲのしっぽと思しき物が差し出される。
ゲームの中だというのに、香ばしい匂いがシステムに存在しない空腹を刺激する。
私の食欲を掴んで離さない、魅力的な香りに興味がふつふつと沸き立つ……けど。
「ごめんなさい、手持ちに10レテしか無くて……」
インベントリには、クエスト用に90レテで購入した〈ぼろいツルハシ〉と、10レテだけしか残っていない。
10レテをアイテム化して、露店のおばちゃんに見せると、おばちゃんは申し訳なさそうに眉を下げ、悲しそうに掌を見つめた。
「じゃあ特別にね、一本10レテでどうかしら?」
おばちゃんの顔が明るくなり、暖かい笑顔を向けてきた。
「流石にそれは……」と断ろうとするも、勢いよく、おばちゃんが言葉を被せる。
「いいのよ、あんた冒険者でしょ? そんな大きな剣で戦うんだから、腹が減っては戦うのも大変だろう?」
勿論必要なければいいんだけど。と言って、おばちゃんが笑顔を一層深くした。
ここまで言われては断るのも心苦しい。
何より、ゲーム内でしっかりと味覚が再現されているのか、興味がある。
「ありがとうございます」
掌に載せたお金をおばちゃんに渡して、トカゲのしっぽ焼きを受け取る。
ひと口かじると、少し硬めの肉質ではあるが想像以上に味が良く、肉の旨味が口の中で広がり、現実世界の料理と遜色ない美味しさが再現されていることに驚かされる。
「どうだい?」
「トカゲは初めて食べました、とても美味しいです」
ついつい二口、三口と食べ進めてしまう。
なかなかにボリューミーだが、あっという間に食べ終えてしまいそうだ。
「平原逃げトカゲは臆病で、逃げる時に栄養満点のしっぽを切り落としていくんだ。この街の露店で一番人気の料理、食べなきゃ損だったろう?」
おばちゃんの得意げな顔に、私も笑みを返す。
お金の価値はいまいち把握しきれていないけれど、これだけ美味しいなら60レテ以上の価値はあるだろう。
……その60レテすら払えなかったのだけれども。
「それで……よかったら依頼を受けてくれないかい?
平原逃げトカゲのしっぽを持ってきてくれたらアタシが買い取るよ、もちろんいつ持ってきても、いくつ持ってきても構わない」
……おばちゃんの提案は、明らかに私のお財布事情を気遣っている様に思える。
ゲームとは思えない様な人情味の溢れるやり取りに「特殊イベント?ラッキー」と考えるより、申し訳なさが先立ってしまう。
とはいえ、オンラインゲームとしても、イデアワールドの世界としても新米の私は親切に素直に甘えるべきだろう。
「任せてください。しっぽも集めてきますし、次はちゃんと買いに来ます」
「無理はしないように、冒険がんばりなよ!」
おばちゃんが豪快に手を振って送り出してくれているのを、私も手を振り返す。
相変わらず足は遅いが、街の外へとつながる門はそこまで遠くはない。